テムテムな日常

頑張れみんな!頑張れ自分!

喝じゃ!!

2007-11-13 | 介護職
新聞の投書欄に乗っていたある投稿・・・久々にムカついた!というか・・・めっちゃガッカリしてしまって・・・世間の反応とはこういうものなのか、と脱力してしまいました。

その投書は、50代の主婦の方から。大病をされたそうで、みんなのおかげで生き長らえた命、少しでも人様のお役にたてればと、近所の有料老人ホームで「傾聴ボランティア」をすることにしたそうです。
お年寄りたちは、整えられた環境の中で毎日決まりきった日々・・・テーブルの上の新聞は折りたたまれたまま。時間がくればトイレに行き、お茶が運ばれていて、きっと病気さえしなければ何歳まででも生きていけるだろうと感じられたそうです。
ボランティアの時間中は、お年寄りの話を聴き、楽しい時間を過ごしても、午後になり再び顔を合わせると「どちらさん??」と尋ねられることもしばしば。「報われない仕事です」と締めくくってありました。

「ボランティア」でホームを訪れているというのに「報われない仕事」とはどういった了見なのでしょうか???!ボランティアというのは、自分の気持ちどうこうというものではなく、相手が気持ちよく過ごすということが第一前提なのではないでしょうか。「報われない」というのはどういう意味ですか?話を聴いて「あげた」ことに対する「感謝」がなければこの人は「報われた」気がしないのでしょうか・・・。

自分の仕事に対して、必要以上に「やりがい」を求める人というのは、人から見たら「たいして仕事のできないやつ」だと思っているのですが・・・こーゆうオバチャンはもう、論外です!このひとのやっていることは単なる偽善の押し売りです。ボランティアというのは、偽善とは違う。無償でやるのだから、感謝ぐらいされて当然、という考え方が間違っています。

私は介護職員ですから、介護のプロです。お金をもらっています。だから私の仕事に対して「相手の満足」があるというのは当たり前のことでなければなりません。感謝する・しないの問題ではなく、プロだからそれ相応のサービスを提供することは当然のことなのです。だからそのことに関して、感謝してほしいとは思わないし、逆に「こんなことしてもらって・・・すまんねぇ」と言われてしまうような仕事ぶりではダメだと思っています。

ボランティアで施設に出入りされるというのは、決して悪いことではないと思うのですが、ボランティアである以上、そこに見返りは求めてはいけない。自分が満足することなんて、二の次三の次ではないでしょうか?介護の仕事は「報われない仕事」・・・では「報われる仕事」というものはいったいなんなのでしょう?私は自分の仕事に対して賃金をもらえるだけで充分「報われている」と思っていますけど。シビアすぎますか?