髑髏フラワー

ママの口ぐせお花はドクロ!

ふるつわものになりました

2019-01-26 | 古強者(ふるつわもの)
20代から30代ごろに感じていた、のんびりとした体力の落ち方が、この数年で「急降下」といっても良いくらいに暴落している。
その体力低下感に加えて、記憶力の低下、視力、聴力の低下も始まり、いよいよ人生の折り返し地点を過ぎて、終了に向かって歩き始めたんだなと感慨深いものがある。

現在は46歳。
少し悲しみを覚えるが、これが自然な流れなので受け入れるしかない。
よく広告で見る、老人なのに兄ちゃんのような外見の人間のほうが異常なのだ。

35歳の時に肺炎で死にかけて、三途の川を半分渡ってから戻ってきた人生なので、よくぞここまで生きてこれたと自分を褒めてやりたい。

本日よりこのブログの新しいカテゴリーに
「老い」
を追加することにした。

何故かというと、老いていくことがとんでもなく興味深く、面白いからだ。

何が面白いかざっと箇条書きにすると、
・ちょっと膝が痛いなーなんてのが一ヶ月以上続く。
・ちょっとひじが痛いなーなんてのが一ヶ月以上続く。
・ぎっくり腰をループ。
・散歩に出かけて筋肉痛になる。
・夜、起きていられなくなる。
・酒が飲めなくなる。
・名詞が出てこない。
・物忘れが多くなる。
・老眼が進み食卓がよく見えない。
・老眼が進み手元のiPhoneがよく見えない。
・耳が老化したので新しい音楽が聴けなくなった。

若い人には分からないことだが、上記のようなことが、ほんの数年のうちに同時多発的にやってくる。
気がついたら老けていくものなんだろうと想像していたが、ここまでしっかりはっきりと老化を感じられるとは思わなかった。
これはむちゃくちゃ新鮮な体験だ。
人生の折り返しを過ぎて、こんなに面白い未体験ゾーンが待ち受けているのがちょっと嬉しい。

そしてさらに面白いのは、老化による機能低下だけではなく、どうやら部分的に機能向上しているところも少しだけあるっぽいということ。
一番に向上した機能は「忍耐強さ」だろう。
若い頃は焦って失敗していたような場面でも、しっかりと時間をとって着実に物事を進められるようになった。
また、ずっと10年20年考え続けてきたものごとの答えが見つかったりする。

経験の長さから自然と備わる能力なのかも知れないが、頭の中で、点と点だったものごとが少しずつ線で繋がっていく感覚がある。
いわゆる「ベテラン」というものに近づいたのかも知れない。

「ベテラン」をググると 「老練者。古強者(ふるつわもの)」と出る。
さらに「古強者(ふるつわもの)」をググると
① 戦いの経験を積んだ老巧な武士や軍人。
② 経験を積み、その道に通じた人。老練。ベテラン。

ふるつわもの…かっこいいじゃないかッ…!
本日よりこのブログの新しいカテゴリーに

「老い」

を追加するのはやめて
「古強者(ふるつわもの)」
を追加することにした。

そんなわけで、自分自身の「老い」をつぶさに観察して記録していくことにする。



思えばお花を飾るのも力が抜けて時間かけずにちゃちゃっとできるようになった。
「ふるつわもの」になれば時短も可能です。
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高尾山に登ってきた話

2019-01-13 | 高尾山から
2019年1月4日(金)
高尾山に登ってきた。
今年の密かな目標に「山登りを始める」というものがあり、正月休みでひょいと1日空いている日があったので、京王線に揺られて高尾山口へ向かった。

46歳になって、なぜ趣味として山登りを始めるのか?
その理由をひと言で言うと

「自分の身体能力が衰えてきたんだけど子供たちはまだ幼い」

からである。

20代半ばくらいから「俺ももう歳だからさー」などと言って老化を茶化していたが、40を過ぎると身体と脳の反応が遅すぎて、うっかり躓いて受身が間に合わず頭からコンクリートに突っ込んで頭蓋を骨折するんじゃないかとか、笑い事にできないような切迫感が感じられるようになってきた。
2歳と5歳の男の子相手には、まだまだこの先20年くらいはパワフルに振舞っていなければならないので、ここで身体と脳の老化に抗ってみようと思ったのだ。

まったく身体を動かさない部署に異動してしまったので、1年くらい前から簡単な筋トレは始めていて、腕立てと腹筋、スクワットと爪先立ちで、なんとなーく身体が軽くなったような感覚はあった。
しかし、比較的簡単に強化できる上半身に比べ、下半身は筋力がついたような実感が薄く、このままの負荷で過ごせば確実に下半身の筋力の衰えを待つばかりだろうなと思っていた。
そして街中を杖をついて歩く老人を見ながら「やっぱり足腰の強化だよなー」と感じた。

だったら家の近所でジョギングでもすればいいじゃん

と言われればその通りなのだが、もう一方の趣味であるキャンプなどのアウトドア活動との相乗効果を考えると、登山の方が圧倒的にその先の広がりが大きい(山を走るトレイルランニングもすごく楽しそうだけど)。
そして、登山を趣味としていれば、普段の通勤などでもエレベーターやエスカレーターを使わずに登ったり、日々体力向上に勤しめるように思う。

「バイクでツーリングを楽しんで登山口に到着してテント担いで山に登ってキャンプ」

と書けば、だいたい自分のやりたいことは全部詰まっているので、ここにテンカラ釣りでも加えられたらもう死んでもいいかも知れない。

それともう一つの理由は

「 人工物から離れて、自然に近づきたい 」

から。

先ほどは「老化に抗ってみよう」などと書いたが、これは「老化を楽しむ」とでも言えばいいのだろうか。

この数年で自然に対して親近感を感じることが多くなった。
一つ一つの季節が大過なく過ぎ去っていく有り難みの大きさが、歳を重ねるにつれて膨らんできた。
家族が増えたことが関係しているのかはわからないが、これは自分の中では、若い頃には感受できなかった、歳を重ねたからこそ感じられるようになったアンテナだ。
自分にとって新しく芽生えたこのアンテナは、これから先も研ぎ澄ませていきたい。



そんなこんなで10時くらいに高尾山口に到着して、登山素人らしく準備運動もせずエネルギーの補給もせずすたすたと6号路を登り始めた。
服装も普段着とコンバースローカットだ。



高尾山は世界で一番登山客が多い山で、世界で登山をしている700万人のうち、260万人が高尾山に来ているそうだ。多すぎる。電車を降りてすぐに登り始められるのも人気の理由だろう。
まあ自分も高尾山に来たのは10回目くらいだろうか。小学生や中学生の頃も遠足で来たと思う。

始めはぞろぞろ遠足のように連なって歩いていたが、次第にばらけてきて孤独を楽しみながら歩く事ができた。



次々とお年寄りや子供たちに抜かれていく。
46歳にしてまだまだ「ひよっこ」というのが嬉しく感じる。


10回くらい来ている、と上に書いたが、こんな険しい道なんてあったかな?
※2019年1月15日(火)追記。後々調べてみると、2018年夏の台風による被害が大きかったようです。別の場所でも大きな倒木を見たりしました。自然の力の大きさを目の当たりにしました。

スタート時点では耳が痛くなるほどの寒さであったが、中盤を過ぎたあたりから気温と体温が上がってきて、上着をザックにしまって歩いた。



周囲から登山初心者と見抜かれないように、努めて真顔で足を交互に前へ出し続けていて、途中から息が上がって苦しくなるかと思いきや、後半まではずっと真顔で登り続けられたので、内心はニヤニヤしながら真顔を保った。

最後の階段までは。

そこからは鬼の形相で登っても登っても終わらない階段地獄が始まった(実際は200段だそう)。

自分の身体が重すぎて地面に足をついてから上へ上がるのが苦しい。
体温は上がり続けて汗だくになり、もはやTバック一枚あれば他に衣服はいらないと思えるくらいには暑くなった。
息が切れて生きる希望もなくなったので、何度も何度も休みつつ水をがぶ飲みし、人生を呪い、人を恨み、世界の終焉を願い、憎悪をたぎらせながら階段を登った先に頂上が見えた。



時刻は11時過ぎ。
登り始めから約1時間。



特に大きな達成感というものも感じず、やっと忌々しい階段が終わったか!という気持ちを抱えたまま、そそくさと山めしの準備にとりかかった。

周囲はみなさんガスバーナーを使っていて、アルコールバーナーなどという貧弱な装備は私だけだった。
まあ貧弱なだけあって、約400mlのお湯を沸かすのにずいぶんと時間が掛かった。



その時は調べなかったのだが、NISSINのカップヌードルのお湯の目安は300mlだそうだ。
これで次回からは無駄なお湯を作らずに済む。



1月の晴天の下、真っ白な富士山を見ながら食べるカップラーメンはさすがに美味しく、350mlのビールと共に、あっという間に腹の中へ消えた。

帰りは4号路、1号路と淡々と歩いて帰った。

ここ4年くらいはずっとデスクワークばかりしていて身体を動かすことがなく、正直体力が心配であったけど、 約3時間の登り下りは(忌々しい階段を除いて)余裕だった。
やはり2歳5歳の息子たちに毎日殴る蹴るの暴行を受け、それに耐え続けている事が活きているのだと思う。これからももっと暴行を受け続けたい。

朝起きて子供たちの準備をして保育園に送り届けてから高尾山頂まで登ってラーメン食べてビール飲んで下りてきて14時には帰宅できる、という貴重なデータを得ることができた。
このペースなら、高尾山からの縦走や温泉を組み込んだプランなど、色々と遊びの幅も増やすことができそうだ。


山頂の近くで人だかりができていたので尋ねてみると「霜柱の花」ができていたそうだ。
「霜柱」という植物の茎から水分がにじみ出て凍り、それが花のようになることから 「霜柱の花」というみたい。
いつでも見られるものではないそう。

素晴らしい小旅行であった。
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