髑髏フラワー

ママの口ぐせお花はドクロ!

二分脊椎

2013-11-27 | 育児
息子は、生まれた直後からお尻の割れ目の上、背中の下の方に小さな小さな穴が空いていて、

生まれてすぐに「二分脊椎の疑いあり」と診断された。
正直、そのときに「二分脊椎」(にぶんせきつい)という言葉を初めて聞いた。

その小さな穴から脊椎が露出したり、雑菌が入ったりして、半身マヒになることがある、と説明を受けた。
医者は割とフランクな態度で「まあそんなに(こういう赤ちゃんは)稀でもないですよ~」などと言って安心させてくれたが、息子のお尻の上の穴を見るたびに一抹の不安が脳裏をよぎっていた。

精密な検査は6ヶ月ほど身体の成長を待たなければならないと言われ、先日ようやく検査に行けた。

精密検査は府中にある総合医療センターにて行われた。
ちなみにここは2008年に私が肺炎で危篤状態になって担ぎ込まれた場所だ。
ほぼ手遅れ状態だったにも関わらず華麗に人生に復活できたので、ここは私の中では縁起の良い場所だと思っている。

自宅からはそこそこ遠かったが、眠い目をこすりながら9時前には病院に到着。

MRIでの精密検査は動いてしまうと撮影できないので、睡眠薬で眠らせて撮影する。
まだ6ヶ月の赤ちゃんに睡眠薬を飲ませるのには抵抗がある…。
嫌がって泣く子が多いと聞かされたが、何一つ疑わずに美味しそうに睡眠薬を飲む息子。
なかなか眠りに就かず、ここでしっかり眠らないと検査自体を延期することもあるようなので心配したが、母親のおっぱいを飲んでようやく寝た。

そこからMRI室に電話をかけて、撮影室へ。

それほど時間はかからずに息子は帰ってきた。
驚くべきことにもう目覚めてニヤニヤ笑っている。

検査結果は「問題なし」だった。
神経は筆のようにまっすぐに伸びていて、将来に渡っても異変を起こす心配はない、とのことだった。
我が子の断面図を見るという貴重な体験もできたのでホクホク。

その後は恐らく睡眠薬の影響だろうが、息子はめちゃくちゃに機嫌が悪くなって大変だった。
しばらく医療センターのベッドを借りて息子を落ち着かせてから家路についた。

元々かなり活発で元気だったので大丈夫だと信じていたが、ここで改めて精密検査を経て、脳神経外科の先生に「問題なし!」と診察されて、6ヶ月越しの不安が解消されてホッと出来た。


ドッギャァァァァァァァァァァァン!
「お前は今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」
「ちなみに僕は離乳食を始めたばっかりで、まだ2枚くらいしか食べてないと思います」


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P.T.W. 「Perfumeと私」

2013-11-14 | Perfume
大げさなタイトルだが、ここ最近しみじみと感じたので記しておく。

なんか最近こんなしみじみ系の記事ばかり書いているが、死期が近いのだろうか。

ここ最近は仕事が忙しく、毎日様々な作業に追いかけられる日々を過ごしている。
処理しても処理しても頭脳労働が押し寄せてきて、片付けても片付けても肉体労働が湧いてくる。
家に帰れば息子と遊ぶのに忙しく(こちらはめっちゃ楽しくてやめられない)、落ち着いて考えを巡らせたりする時間を設けられず、ほんの少しだけ、息切れを感じていた。

あー今日もしんどいぞ…と職場で外を眺めたら…

Perfumeのラッピングトラック(アドトラック)が目の前を通り過ぎて行った。



息苦しさを感じる現実の中で、思いもよらない場面で3人に見つめられて一気に非現実に引き込まれたその瞬間に、なんと言うか、走馬灯のように今までの人生とPerfumeとのことが脳裏に思い出された。

2007年の暑い夏の日に、ふと思い立って中田ヤスタカをYouTubeで検索してヒットした「ポリリズム」。その直後に見てしまった「コンピューターシティ」の衝撃。
2008年に肺炎で危篤になってからの復活(恐らく一生忘れないだろうが、「Baby cruising Love / マカロニ」が発売された日に退院した。泣きながら聴いた)。その後のPTA加入。そして直後のGAMEツアー千秋楽参戦。

武道館。

2009年の代々木体育館。仙台、名古屋、大阪、横浜と、初めて「遠征」をして参加した直角二等辺三角形ツアー。

2010年のファンクラブトゥワー、そして東京ドーム。

ここに集結した5万人の中に、その2年後に私の嫁さんになってくれる人が来ていた。
Perfumeの磁力と引力が取りなす「縁」だ。

2011年は、その嫁さんになってくれる女性と知り合い、広島フラワーフェスティバルに出演するPerfumeを一緒に応援した。

2012年、彼女と一緒に回ったJPNツアー。
さいたま、新潟、名古屋、静岡、愛媛、北海道、武道館、沖縄…と、2人でホントに楽しくPerfumeを追いかける旅を楽しんだ。このツアーの途中で私たちは結婚した。

北海道では、MCの時に直接3人から「ご結婚おめでとうございます」との言葉も頂いた。

そしてその翌年、子供を授かった。

その子は、Perfumeの3人のようにまっすぐに育って欲しいと思ったので、Perfumeにあやかって「香」という文字を名前に組み込んだ。


2007年。
下北沢近くの環七沿い。
大型トラックが通るたびに震度3くらいの揺れがする風呂なしアパートの2階。
排気ガスが酷いので窓が開けられずに常時エアコンを全開にしてたけどまったく効かなくてクソ暑かった夏の夜。
ふと
「capsuleって今何やってるんだろ?」
ってYouTubeで検索した俺は本当に素晴らしい。

まさかそれから人生がこんなふうに転がるとは予想出来なかった。

Perfumeと出会ってから、ホントに自分の生きる道は楽しくなった(肺炎で死にかけたのは除外)。

Perfumeのラッピングトラックを見た瞬間に、ふとこんなことが走馬灯のように思い浮かび
「よし!3人も頑張ってるんだし、俺ももうちょっと頑張るかな!」
としみじみと思えたのだった。

いやはや本当に人生ってのは何がどうなるのかは分からないものだ。

結論。
かしゆか好きっス!
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人生6ヶ月。

2013-11-12 | 育児
息子が生まれて6ヶ月が過ぎた。
生まれたばかりの頃は母乳もミルクも飲めずに吐いてばかりいて弱々しかったが、今では寝返りが打てるようになり、寝かせたまま放っておくと、ゴロンゴロンと転がりながら元気に移動するまでに成長した。

夫婦揃って必死な6ヶ月だったと思う。
あっという間に過ぎた。

この6ヶ月は、息子の事と嫁さんの事と引越ししたばかりの自宅の生活環境、そして仕事以外は何も考える事はできなかった。
ホントにそれ以外に脳みそは使っていない。
一言で言えば家族の事に夢中だった。

最近はようやく周囲を見る余裕も生まれたのか、息子や自分たちの将来の生活などを見通す時間を持てるようになった。

そこで、自分の中の小さな変化を見つけた。

一日が終わり、寝床に入る瞬間に、一日が無事に終わる事に感謝の念がわき上がるようになったのだ。

「なんだそんな当たり前のことか」と思われるかも知れないが、こんなことをしみじみと感じるのは、独身の頃も…結婚した後も…息子が生まれるまで、今までの人生では感じることはなかった。

まだまだ無力な我が息子は、本当に様々な危険に囲まれて生きている。
家にいても外に出かけても、一歩間違えれば命を失ってしまうような危険をいくらでも見つけることができる(嫁さんが妊娠してから世の中の見え方が変わってきてるのだと思う。以前なら何も思わなかったが、駅で全力疾走する奴は妊婦にとって恐怖だし、傘の先端を振って持つ奴はベビーカーにとっての脅威だ)。

その様々な危険から、我々夫婦が全力で守ってやらないと、息子は生き延びることは出来ない。
そうやって一日、また一日と積み重ねていって、ようやく6ヶ月を迎えたのだ。

そんなふうに思う原因の一つには、息子と同じくらいの赤ちゃんが亡くなるニュースや、幼児虐待のニュース、子供の事故のニュースなどが以前よりも多く目に入るようになったことが挙げられる。
すぐに「自分の息子だったら…」と発想して胸が痛くなることが多い。

なので、一日が終わる度に

「ああ今日も無事に一日が終わる。また明日も無事に一日が送れるように」

と感謝の気持ちを念ずるようになった。

ほんの数年…たった数年前まで下北沢の風呂なし給湯器なし洗濯機なしのボロアパートに生息していたノーフューチャーなおっさんだからこそ、そんなふうに思うのかも知れない。

時間は手をかけずとも流れ去るけど、その時間の中身には思い切り手をかけて過ごしていきたい。

次の6ヶ月も無事に迎えよう。


親子3人で散歩中に見上げた紅葉。


雑誌を切り裂くことに人生のすべてをかける息子。
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