髑髏フラワー

ママの口ぐせお花はドクロ!

家族全員で第3子を迎えました

2019-11-27 | 妊娠、出産
11月21日(木)
午前5時1分。
2752gで第3子である三男が生まれた。

深夜に起こされて産院に連れてこられた6歳長男も3歳次男も、少しもグズることなく大人しく待っていてくれて、家族全員でママを応援し、一生懸命いきむママのまくらを一緒に後ろから持ち上げて出産を手伝ってくれた。

生まれたての赤ん坊は怖いかな、と思いきや長男も次男もすぐに弟の頭を撫でてくれて、二人とも新しい弟を心から歓迎しているようだった。

私は初めての出産立会いだった。

母親の胎内からぶっといクサリのようなへその緒で繋がれて、血まみれになって幸せとは程遠いしかめっ面で出てきた三男を見て、子どもというのは、母親の愛情と強さが生み出すものなのだ、ということを改めて感じた。

もちろん父親の存在あっての事ではあるが、父親なんぞ初期の初期に材料を提出しているだけで、その後は身体も精神もまったく負荷を受けずに普段と変わらぬ生活を過ごしていただけなので、大舞台の補助役にすぎない。

嫁さんは産院の医院長から、「あなたは赤ちゃんを無事に産んだだけでも120点なんだから、その後のお世話は他人に任せてもいい。それだけ素晴らしいことを3回もやっているんだからね」と言われたそうだ。

一生をかけて嫁さんを労ってあげなくてはならないと感じた。

本当にありがとう。

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産前休業のススメ

2019-11-11 | 妊娠、出産
3度目の育児休業をとった

通常、男性が取得する育児に関するお休みは「育児休業」であり、妻が出産をした「後」に取得する休業である。
妻が出産をする「前」には取得できないので、多くの妻は「里帰り」などをして、実家の親や兄弟姉妹、親戚などに頼って出産の時を待つ。

今回、私の嫁さんは出産にあたり、「里帰り」を選択しなかった。

理由は、里帰りをして生活基盤がそっくり移り変わることによって、6歳3歳の息子たちの生活を乱したくなかったからだ。
なので現在暮らしている自宅で過ごしながら出産の時を待つことになる。
その嫁さんの選択を絶賛支援し、実際に支援する人が自分以外にいないので、私が産前有給消化と育児休業を取得することになった。

詳しく書くとアレなのでアレするが、私は今現在働いている会社で、唯一の男性育児休業取得者である。
唯一の人が3度も育児休業を取っているので、社内では少し異彩を放っている。
私が勤めている会社は旧態依然をよしと考える会社なので、男性社員は家族を顧みずに働くことが是とされている中で、家族を最優先にする私のスタイルが浮いているからだ。
今回の育児休業について、男性社員からは一言もコメントはもらっていないが、逆に女性社員からは、すでに子育てが終わったベテランママや、同じライフステージにいるママさん、独身の方に至るまで暖かい言葉で応援をいただいた。
この男女の温度差が解消されなければまだまだ男性の育児休業取得率は上がらんだろうなあーと思う。

まあそんなこんなで会社と戦う、とまでは言わないが、せめて後進のためにも道を作っておかないとなーという感じで3度目の育児休業に入った。
※2回目の育児休業の記事はこちら

専業主夫の孤独

今回のブログで伝えたいのは、「産前休業最高に楽しいよ!」ということだ。
もう一回書こう。産前にとる休暇はとても大切な時間を過ごせるよ!

夫が「産前休業」に入るということは、そのまま「専業主夫」になるということに等しい。
嫁さんがほとんど動けなくなるので、ほぼ一人で一家(私の場合は嫁さん、6歳長男、3歳次男)の運営を任される。

・嫁さんの手伝い(手足になること)
・子供たちの保育園送り迎え、行事対応
・毎3食のご飯作り
・食材の買い出し
・掃除、洗濯、片付け
・子どもたちの世話(通院なども含む)
・その他名もなき家事たち

上記がどさっとのしかかってくるが、日々アグレッシブに仕事を片付けているビジネスパーソンなら赤子の手をひねるような簡単な作業であろう。

正直に書けば、毎日ヘトヘトになるくらい疲れる。

いつも会社で机に向かってやっている仕事であれば、進捗を見てスケジュールを組み直しながら自分のペースで進められるが、子どもが相手だとまったく予定が立てられない。すべての出来事が起こった瞬間に「突発的最優先事項」になる。

気がつけば毎日あっという間に夜になり、晩ご飯を食べてからは怒涛の流れでお風呂タイム歯磨きタイムおもちゃ片付けタイムと続き、寝かしつけは嫁さんがやってくれるので、21〜22時ごろにようやく一人の時間がやってくる。
しかしそのころにはヘトヘトに疲れてしまっていて、自分のために何かを能動的にこなす体力、気力は残っていない。
しかも専業主夫初心者なので、翌日の献立も冷蔵庫の中身と相談して想定しなくてはならない。
あーあれ買わなきゃ明日これやらなきゃとエバーノートに記録する。

たった数日経験しただけでいうのもアレだが、専業主婦の方の労働の大変さを身を以て感じることができた。
身を粉にして働いて、得られる結果が「当たり前にある普通の暮らし」で、特に感謝されるような感動的なポイントもない。
逆に一生懸命考えた献立なのに、子どもたちに不評でほとんどが残飯になりがっかりすることも。
これだけ多くの作業、仕事をこなしていても無賃金で、最終的に得られる対価が「家族が普通に暮らせること」だけなのだ。
しかも単調で地味な作業が多く、外へ出てもスーパーや公園、小児科など、決まった場所ばかりを回る。
目にする景色に変化が乏しく、意識して視野を広く持たなければあっという間に孤独に陥るだろうなと感じた。

産前休業による心の平穏

産前有休消化に入り専業主夫となってその作業の大変さや苦労も感じたが、家族と向き合って暮らすことが本当に素晴らしいことなんだと改めて感じることができた。

・嫁さんの日々の変化に対ししっかりサポートする体制を築ける。

 嫁さんにしてみても、遠い実家でいつもと違う環境にいるよりも、暮らしやすい自宅で、夫が常に近くにいるほうが安心できる。
 そのために自分が仕事を休んでいるのでこれが最優先の仕事だ。
 休みに入った最初の数日間で家の中を整理し、ベビーベッドを組み立てたり嫁さんがくつろげるソファを購入したり、最適な環境を整えることができた。

・子供たちと毎日肌を合わせているので細かな成長が感じられる。

 仕事に行っていた頃よりも圧倒的に子供たちと触れあう時間が多い。
 子供たちも、いつも不在だったパパが在宅なので、思い切り殴る蹴るの暴行を働ける相手がいるので嬉しい。
 6歳長男は手加減してくれるが、3歳次男は手加減なしで殴りかかってくるし、いきなり目潰しなど暗殺者的な攻撃を仕掛けてくる。

 ここが男性が産前休暇を取って一番に楽しいことなのかもしれない。
 嫁さんがアグレッシブに動けないので、このパートはパパが全力で対応したい。
 まして我が家は男子ばかりなので、こちらも若干本気でやり返したりして息子たちを逞しく育てなければならない。

 毎日たくさん話すので、ちょっとした言葉遣いの変化や表情の変化に気づいて毎日少しづつ成長している姿を見ることができるのも嬉しい。

・健康が保てる。

 そんな訳で毎日6歳3歳男児の相手をするには健康で強靭な精神と肉体がないと成り立たない。
 筋トレは以前からやっているが、休みに入ってさらに身体を鍛えるようになった。
 また、子供たちが休みの日には公園に連れて行って結局自分も走り回るので体調はずっといい。

 食事も毎食自宅で作るので、経済にも優しいし、健康にも(たぶん)いい。

・仕事に行っていないし通勤電車に乗っていないのでデトックス効果がある。

 東京の郊外で暮らしている方ならお分かりかと思うが、あのクソ通勤電車に乗らなくなるだけで精神の健康は大幅に向上する。
 いや本当にあの通勤電車が諸悪の根源だったと理解できる。
 めっちゃ電車内臭いし、マスクもしないでげほげほ咳するおっさんとか、ストレスの発生源だったんだなーと再確認できた。
 あれは人間が乗る乗り物ではない。
 朝の通勤でイライラを蓄積して職場について新しいイライラをゲットしてそれを大切に育てながら帰りの電車でイライラの補充をして帰宅してイライラを酒で洗い流す…。
 それらがすべて一時停止するので、そりゃあ頭の中がスカッと広くなる。

ざっと思い浮かぶだけでもこれだけの良い効果が得られる。

産前有給消化が始まった最初の頃は「やったー!もう仕事のこと考えなくてすむぞー!」程度の感想しかなかったが、休みの日々が進むにつれて感じること、得られるもの、理解できるものが次々と増えてくる。
私の産前有給消化と育児休業は合わせてもたった一ヶ月ちょっとくらいの短い日々だが、育児休業をがっつり取れる方はぜひがっつり取っていただきたいし、「産前」に休みが取れる方はぜひぜひオススメしたい。

人生の中でもっとも素晴らしい休暇になると思いますよ!



6歳長男が飾った生け花ならぬ生け草。
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妊娠34週のこと

2019-11-05 | 妊娠、出産
第一子、第二子と嫁さんが里帰りしての出産だったので、恥ずかしながら第三子にして初めて自分の子どもの出産に立ち会うことになる。
今までは妊娠後期に差し掛かると、嫁さんは荷物をまとめて子どもを連れて実家へ帰っていた。
私は一人暮らしのまま仕事を続け、陣痛の知らせが来たら産院へ向かい、生まれたばかりの我が子とご対面、という流れであった。

要は、嫁さんが妊娠していた最後の一ヶ月くらいから出産するまでの期間、嫁さんがどんな状態でどんな暮らしをしていたのか、どんな想いで過ごしていたのかを何も知らないで生きてきたのだ。

いやホントに恥ずかしい。
恥ずかしいことだと今現在は思える。

ぎょっと思ったのは、今から半月ほど前、嫁さんは妊娠34週、長男の運動会の前日だった。
開催場所は歩いて数十分の小学校だったのだが、そこまでの距離が歩けないから車で送ってほしい、と嫁さんに頼まれたのだ。

えっ!あそこまで歩けないの?

と言いそうになって慌てて言葉を飲み込んだ。

嫁さんがそこまで体力が落ち込んでいるとはまったく気づいていなかった(体力が落ちているというより、体力気力を胎児に向けているので他方に回す余力がない、といえば正確だろうか。嫁さん曰く「体力の出処がわからない」とのこと)。
その前の週までは仕事に行っていたのでまだ動けるんだと思っていたが、かなり無理をして身体を動かしていたようだ。
産休に入ってから嫁さんはいよいよ胎児の仕上げにとりかかったようだった。

妊娠初期に体調が悪くなるのは第一子から第三子まで同じだったが、妊娠後期にもつわりのような症状が出て、不眠に悩まされていて、子供たちに食事を作ることもままならない。
食事を作るどころか自分自身が食事をするだけでも疲れてしまい、ともかく横になっていることしかできない状態になった。

想像以上に嫁さんの体力が落ちているということがわかったので頭を切り替え、育児休業に入った私は(正確には「産前年休消化と育児休業」です。詳しくはいつか)、ともかく嫁さんには動かないでいてもらう、自分が嫁さんの手足になる、というスタンスに切り替えて日々を過ごすことにした。
現在は、基本的な家事は全て請け負い、毎日洗濯機を回し掃除機をかけ、食事は毎食私が作ることにしている。
嫁さんも安心したのか朝起きて食べる、寝る、昼起きて食べる、寝る、夜起きて食べる、寝るを繰り返している。

これを書いている今は妊娠36週。

検診では母子ともに健康で、今生まれても問題ないくらいに胎児はしっかり育っているようだ。

育休に入ったらあれやろうこれやろうなんて考えていたが(嫁さんも私が育休に入るのを今か今かと楽しみに待っていてくれて、ようやくその日々が始まったのだけど、もはや色々としんどそうだ)、今は「その時」を待つだけだ。



画像は自宅の庭で収穫した米。二人の子供たちはどちらも春の生まれだが、今度の第三子は初めての冬生まれになる。沐浴で冷やさないようにしなくちゃなあ。
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第3子の心拍確認

2019-05-02 | 妊娠、出産
今年も花水木の花が咲き始めてきた。


毎年この花を見ると、長男が生まれた6年前の春を思い出す。


2013年5月


喜びも大きかったが、自分が父親になるという実感が湧かず、その責任の大きさに不安ばかりが募っていた。
自分のようないいかげんな大人が父親になっても本当に大丈夫なんだろうか?
生まれてきた子供は、私が父親と知ったら落胆するんじゃないだろうか?
自分自身の人生すらまともにコントロールできなかったのに、子供の人生を背負うことなんてできるのだろうか?


つい最近までは寒かったのに、気がつけば空の青さが色濃くなって穏やかな風が吹く季節。
うきうきするような気分とこれからがどうなるのかうまく想像できない不安。


嫁さんがずいぶん長い期間、苦しみながら命をかけて新しい生命を胎内で育ててきたのに、いざ出産という段階になってそのことを不安に思ってしまう自分の小ささと臆病さが情けなかった。


やめなきゃやめなきゃと思いつつやめられないタバコに火をつけて、駅前の花水木を見ていた。


結果的にはそこでタバコは止めて6年の月日が過ぎて次男も生まれて、まあなんとか自分は「父親」になれたような気がする。
子供たちに比べると実に遅い成長だ。


2019年5月


嫁さんの身体の中には、今2つの心臓が動いている。
まだ3センチにも満たない第3子は、この世に生まれてこようと一生懸命に栄養を吸収している。


前回の妊娠の時も書いたように思うけど、嫁さんに
「今の私はグーダラしているように見えるが、腹の中では壮大な作業を行っているのだ。お前がやっている家事などはすでに形骸である。あえて言おう、カスであると!」
と言われれば
「そうですね」
と答えるしかない。


毎度のことだけど、私は身体も精神も何も変化がないので家事にまい進するしかない。


長男次男と春の生まれなので、君たちの誕生日が近づくと花水木が咲くんだよと教えたが、第3子は秋の深まる頃に生まれる。
どんな花が咲いていたのか、物心つく頃になったら教えてやりたい。


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第二子の誕生

2016-05-23 | 妊娠、出産
もう一月前の話になるが、なにせ仕事が超繁忙期に入ってたため、ブログ更新どころか生きていくだけでも精一杯だった。
なのでひとまずご報告まで、と思い記しておく。

2016年4月20日(水)の昼過ぎ、第二子の男の子が誕生した。

予定は5月5日であったから、15日早い出産だった。

第一子の時には腸の機能が不完全でミルクを飲んでも吐き戻しが多く、体重が低下していたのですぐに産院から大学病院に転院し、嫁さんはホルモンバランスの変化による精神の不調と、母乳が生産されても穴が開通しない激痛との戦い、自分は仕事の超繁忙期…と、かなり精神的に辛い出産だった(当時の手帳には「子供は大丈夫。それよりも嫁さんに休息が必要。絶対に必要」と書いてある)。

それに比べると今回は嫁さんはやや精神的に不安定な日はあったが、母乳も無事に開通し、次男は頑張って母乳を吸い体重を落とさず、自分も仕事を切り上げてすぐに見舞いに駆けつけることもできたので、ずいぶん順調だった(相変わらず健闘しているのは嫁さんだけで自分は精神的にも肉体的にも何も負荷がないけど)。

第一子は2週間の入院だったが、今回は母子ともに誕生から4日で退院する事となった(ちなみに、そんな第一子の長男も、3歳になった今では毎日父親を殴る蹴るの暴行を働くほどに元気に育っている)。

子供が生まれた喜びはもちろんあるが、ここまで無事に過ごせたことでホッとする気持ちと、これから先に向けての不安や期待などが入り混じって、両手放しに喜ぶ…という感情ではない。

ただ、間違いないのは、嫁さんに対する誇らしい気持ちと感謝と尊敬の念だ。

本当にありがとう。

などとしみじみと感謝する間も無く、里帰り先から嫁さんと息子が帰ってきた。
ここまででも、我が家族にとっては大きなミッションだったので、やはりホッと胸をなでおろす感じ。
大きな事故も無くここまで辿り着けたことが幸せだ。



今はともかく母乳やミルクを吸って、早くお兄ちゃんみたいに強くなるんだぞ!
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嫁さんの妊娠

2015-10-03 | 妊娠、出産
息子が生まれて以来、嫁さんは強固な意志で第二子を生む計画を練っていて、自分もその計画に乗ってかれこれ1年くらいは頑張っただろうか…自分としては、こればかりは頑張ったところでコントロール出来るものではないと思っていたので、何年もかかるつもりでいたのだが、思いのほか早く来た。

現在は妊娠9週目で、先日ようやく心臓が動いている事を確認してホッとしたところ。

前回と同じく今回も夫はやる事がないので、嫁さんのサポートに全力を出すしかない。

前回と違い、嫁さんのつわりは早くも始まっていて「眠りづわり」と言えば良いのだろうか、嫁さんは家にいる時はほとんど横になって暮らしている。

しかし、嫁さんは妊娠していなくても家にいる時はだいたい横になって暮らしているので、それほど大きな変化はなかった。かもしれない。
掃除や洗濯関連は元々自分がすべてやっていたので、負担はそれほど多くはない。

嫁さんに
「今の私はグーダラしているように見えるが、腹の中では壮大な作業を行っているのだ。お前がやっている家事などはすでに形骸である。あえて言おう、カスであると!」
と言われれば
「そうですね」
と答えるしかない。

前回は嫁さんに必要な栄養を取ってもらおうと色々作っては食べさせてみたりしたが、今回は身体に良いとか悪いとかをあんまり深く考えずに、ともかく食べたいものを食べてもらうようにしている。産婦人科の先生にも同じ事を言われた。
ストレスを感じないように過ごしてもらいたい。

上でそれほど大きな変化はない、と書いたが、前回と比べてもっとも大きな違いが一つだけある。

息子の存在だ。

第一子の時は、嫁さんにだけ意識を集中させておけば良かったが、今回は息子の面倒を見なければならないので、そこが一番に重い。
嫁さんにしてみても、帰宅してすぐに寝るわけには行かず、必ず息子の面倒を見なければならないので、辛さが募る。

息子にしてみても同じだ。

よく理解できない理由でママが毎日寝てばかりで自分と遊んでくれなくなったので、もしかしたらストレスを感じているかも知れない。
息子にとっては、これから先はずっと試練の時間になる。

そこも出来る限りフォローして行きたい。

ま、そんなこんなで我が家は安定飛行に入ったと思ったところで再び不安定飛行に戻った。
だけど人が生きる道は不安定な方が、予想だにしない方向に飛べるので面白い。
地道に問題をクリアして行くだけだ。

とりあえず今は息子と思い切り遊んであげる事にした。



頑張れクリアアサヒマン!
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同一人物とは思えない

2013-05-30 | 妊娠、出産
Perfumeの新譜やDVDなどが発売されて、感想やら色々と書きたいのだが日々の暮らしに忙殺♪
子供の事も色々書きたいんだけど、悶々と脳内に思考を溜め込むだけの毎日♪
だけどコレだけは言いたい。


このイケメンと


このパンチドランカーは

同一人物なのだろうか…。

里帰りしている嫁さんから送られてくる我が子の表情が、毎日違うから楽しい。


「あ~いあむあん、あんちくらいすと♪」

結論。
かしゆか好きっス!
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高度計つき赤子の恐怖

2013-05-21 | 妊娠、出産
連休が取れたので、息子がいる千葉の嫁さんの実家に宿泊した(ちなみに嫁さんの実家は自宅から70キロほどの距離で、首都高を抜けて常磐道へと続く道は、プチツーリングとしては最高な距離なのだ)。さっそくオムツの取り替えをしたり、ミルクを飲ませたりと、嬉しく息子の世話を始めることができた。

出産してから未熟児室に入り、不安な時期もあったが、実家に戻った息子は元気に手足をバタつかせ、腹が減ったと泣き叫び、オムツを取り替えた瞬間にウンコを漏らしたりして、身体はとても小さいが、もう「立派な赤ちゃん」に成長していた。
正確な体重が計れないのだが、抱っこしたまま大人用の体重計で計ると、2424gで生まれてその後に2200gくらいにまで落とした体重は、2800gくらいには増えているようだ。

どこの赤ちゃんも同じなのかは不明だが、息子の生活サイクルは実に忙しい。

まずは母乳を飲む

疲れきってパンチドランカーみたいになる

復帰して次にミルクを飲む

飲み干してパンチドランカーみたいになって、背中を叩かれてゲップを出す

しばしご機嫌、もしくは寝る

腹が減って暴れて泣き出す

まずは母乳を飲む

これをだいたい3時間ごとに繰り返す。

もちろん24時間営業なので、嫁さんはこれに付きっきりだ。
私は実家のお父さんとビールで乾杯し、元気に暴れる我が息子の姿を見ながら気持ちよく酩酊!
生まれたばかりの我が子を見ながらの酒がこんなに美味いとは思わなかった。
そして子供の面倒を忙しく見る嫁さんを置いて就寝!
翌日は二日酔いでミルクを与える作業についた。

泣き始めると、初めは抱っこしてあやす。
抱っこした瞬間に何事もなかったかのように泣き止むのでとても面白い。
そのうち抱っこしているだけでは効果が持続せず、抱っこしたまま立ち上がる。
するとやはり瞬時に泣き止むのでとても面白い。
しかし、ここで不思議なことに気がついた。
抱っこしたまま立っているのに疲れて座ると、とたんに泣き出すのだ。
そしてもう一度立ち上がると泣き止む…。
そして座ると泣く…。

何故だ…。
彼にはまだ視力は備わっていないはずだ(0.02くらいらしい)。
従って周囲の景色を見ながらの高度は計れない。
しかし座った瞬間に泣き始める。
これは、どう考えても身体のどこかに高度計が埋め込まれているとしか考えられない。
彼が成長したらどういう事なのか説明してもらおうと思っている。

結論。
かしゆか好きっス!


パンチドランカー状態の我が子。


「ワイは…ワイはもうゲップなんぞ出えへんぞ矢吹~」


ガッツポーズをしないとミルクが飲めないようだ。


特別に不満がない状態。
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無事に退院

2013-05-16 | 妊娠、出産
5月1日に生まれた我が子が、本日(5月14日)無事に退院した。
生まれてすぐに腸の機能が不完全との事でミルクを吐き出してしまい、みるみると体重が落ちて行くので、我が子の人生は、点滴を打ちながら新生児室でのスタートとなった。

前のブログでも書いたが、周囲の赤ちゃんたちは家族に囲まれて母親に抱かれておっぱいを飲んでいるのに、自分だけがおっぱいが出ず、しかも新生児室に独りで取り残されたという断絶感が、嫁さんのショックに繋がったようだった。しかも旦那は仕事仕事で来ないし。
結論から言えば、我が子の症状はそれほど重傷でもなく、嫁さんのショックはホルモンバランスの変化によるものだから(たぶん)、時間が経てば解決する問題であるとは思っていたが、産院の中で1人で孤独感を深める嫁さんに対するフォローが、産院側にちょっと足りなかったと思う。


その後、吐き戻しが止まらないので産院から大学付属病院に移動し、未熟児室に入って検査を受けた。
ここは私も同席していたのだが、まあこの大学付属病院のスタッフさんの親身な対応に驚いた。
しかも、産院では母親以外入室禁止だった新生児室(未熟児室)に、旦那も入室できたので、出産6日目にして、私はやっと我が子を抱く事ができた。
周囲を見渡すと、産院では圧倒的に小さかった我が子も標準的な赤ちゃんに見えて不安な気持ちは消えたし、先生は母親だけではなく、私にも親切に病状を説明してくれた。
第一子を生んだ印象だけだと、産院はあくまでも「出産のプロ」であって、その後のつまずきには対応しておらず、大学付属病院は「治療のプロ」であって、産後の様々なトラブルにも対応している、といった感想だった。
夫婦共に「出産」がゴールだとばかり考えていたので、その後のトラブルのことには考えが及ばなかった。
そんなこんなで大学付属病院で美人看護師に囲まれてチヤホヤされた我が子は、吐き戻しをせずに頑張ってミルクを飲み続け、約2週間をかけて体重を出生時レベルまでに戻して退院条件を満たした(退院時にはとてつもなく残念そうな表情を浮かべていた)。

看護師さんたちの親切な対応に嫁さんも息を吹き返し、質問をバシバシとノートにまとめ、不明な点を明らかにしていく、いつもの嫁さんに戻った。
生んだばかりの子供と離ればなれになることを、産後の特別休暇だとプラスに考えられるようになり、産後のキズも順調に回復し、硬く張ったおっぱいも、嫁さんの母親が一生懸命に揉んだらしく、徐々に母乳が出るようになった。


子供がこの世に生まれて2週間。
私は超絶的な仕事の繁忙期に巻き込まれ、毎日3時間の睡眠を確保するのが精一杯だった。
そんな中でも職場の仲間は「奥様の元へ行ってください」と2日間も休暇をくれた。
しかし嫁さんの元に行ったところで、自分には何もすることができない。

だけど。

自分が嫁さんのそばに行くだけでも、何か役に立ったような気がした。
と言うか、自分があの場面でいなかったらどうなってしまったんだろう?
と思えた。
それくらいに嫁さんは消耗しきっていたし、何でも話せる身内がほんの少しの時間でもそばに居ることが重要だった。
別に嫁さんから求められた訳ではないが、「重要だった」と確信できた。
今までの人生で、これほどまでに「この人のそばに居なければ」と思う事はなかったし、人から存在を求められた事はなかったと思う(重ね重ね言うが、求められてはいないんだけどね)。
「いっそ仕事なんぞ辞めて嫁さんと子供に仕えようか…」なんて考えたりもした。
ブラック企業だったら流行してるし、求人なんて腐るほどある。
元々フォースの暗黒面の使い手だし。

我が子を実家のベッドの上に寝かせて、その隣で優しい微笑みを浮かべながら一緒になってゴロンと横になっている嫁さん。
しばらくすると、か細く、猫のような鳴き声しか出せなかった我が子は、腹を空かして全力で泣き叫びはじめる。

この景色が見たかった。

新居探しと引っ越しと出産と私の激務。
この数ヶ月で相当に鍛えられた気がする。
嫁さんはいよいよ24時間営業で子育てに奮戦する。
私は嫁さんと子供を迎えるために新居の準備を始める。
2013年の5月。
一生でも忘れられない季節になったと思う。

結論。
かしゆか好きッス!
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生まれました

2013-05-06 | 妊娠、出産
2013年5月1日。
ついに待ちに待った第一子の男の子が生まれた。

今までヤクザみたいな人生の道のりを歩いてきたクズな私だが、約束した仕事はきっちりとこなしたいので、嫁さんの陣痛が始まろうとも出産の声を聞こうとも、しっかりと2日間の仕事を勤め上げてから嫁さんと子供の待つ産院へ向かった(ムチャクチャ苦しかったが)。

早く子供に会いたくて仕方ない気持ちでいっぱいだったが、いざ産院の最寄り駅に降り立つと、不思議なことに、自分の子供に会うのにビビって足が止まってしまった。
一言で言えば「緊張」なのだが、存在があまりにも大き過ぎると感じたのかも知れない。
見るのが怖い…出会ってしまったら自分はどうなるのだろう…。
少ない勇気を振り絞って産院の前に立ってひと呼吸。

初の対面はガラス越しだった。
やや早めに生まれたために、胃腸の機能が完全ではなく、自力でミルクを飲むことができないので、点滴で栄養を補給しているためだった(新生児室には母親しか入室できない)。

2424gと小柄でこの世に出てきた我が子は、さらに体重を落としたらしく、他の赤ちゃんと比べても本当に小さかった。
周囲の赤ちゃんたちが大声で泣いているのに、たまに子猫のように「にゃー」と力なく泣くだけだ。
点滴をしている右手も痛々しく感じてしまった。
しかし、その小さな身体に生命の芽吹きを凝縮していた。
一生懸命に身体を動かし、時おり目を開いて景色を見たり、何かに苦しんで顔をしかめたり、全力でこの世に順応しようともがいているように見えた。

せめて声をかけてあげたかったが届かないので、心の中で思い切り「頑張れ!」と叫んだ。
それしかできない父親の非力さよ…。

そして。
ムチャクチャに可愛い。
今までの人生で見てきたモノの中で一番に可愛い。
この可愛い生き物のためなら腕の1、2本くらい失ってもまったく問題を感じない程の可愛さだ。
初日はトータルで2時間程凝視していたが、他の赤ちゃんが周りにいたにも関わらず、我が子だけにしか視線を注げなかった。
まあ、周りの赤ちゃんも可愛かったが、必ず冠に「我が子を除けば」という言葉がつく。
これが「親バカ」の始まりなのかと戦慄した。

上記したように、やや早めに生まれたためにミルクを飲めず、ずっと新生児室で点滴に繋がれている我が子。
2日目に見に行ったときも、やはり新生児室から出ることはなく、生まれて5日が経過してもまだ私は我が子に触れたり、父親の声を聞かせたりすることはできなかった。
周囲を見渡せば、同じ頃に生まれた赤ちゃんは、みんなプクプクと太り元気に泣きわめき、母親のおっぱいをちゅーちゅー吸って、夜は母親と同じ部屋で眠る。そしてサッサと退院だ。
そのどれ一つも叶わない嫁さんは、一人だけ新生児室で一生懸命に子供の世話をしていたが(点滴をしているために、抱っこにも気を使う)、やはり周囲と自分との違いを感じてしまって、かなり自分に責を感じて精神的にやられたようだった。
急激に体内に母乳が作られても、子供が飲むことができないので、母乳が外に出られずに胸がパンパンに膨れてしまった(とてつもなく痛いようだ)。

我が子も気になるが、嫁さんの精神面、体調も気になる。
普段「父親」などど言うと威厳やら責任感などが強調されるが、現状ではまったくの無力。
ただの非力なハゲたおっさんだ。
しかもこれから仕事が忙しくなり、1週間ほど寝る間もなく働く。
まあ職業柄仕方ない(よりによって「母の日」だ)ことで、嫁さんも重々承知のことなのだが辛い。

幸い、嫁さんの母乳問題も一筋の光が見えたようだし、子供もミルクを若干だが飲んでいるようだ。

あとは非力なおっさんは想いを込めて天に祈るしかない。

結論。
かしゆか好きッス!


生まれてスグに右手に点滴をされても笑う我が子。
父ちゃんも数年前に4つの点滴を注入されてしかも危篤だったぞ!頑張れー!
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切迫流産の危機

2013-01-18 | 妊娠、出産
2012年11月の半ばのこと。

里帰り出産を希望する嫁さんと一緒に、嫁さんの実家がある千葉に、産院の見学に行った。
一通り見学を終えていざ帰ろうかと思ったところ、トイレに立ち寄った嫁さんが一言「ちょっと出血した」と。
ちょうど産院にいるので、検査してもらったところ

「切迫流産」(せっぱくりゅうざん)

との診断を受けた。
これは、流産したことではなく、流産の一歩手前、ということだ。

「切迫流産」…。

この名前だけでも恐ろしい。
妊娠していない自分でも恐ろしく感じるのだから、嫁さんが感じる不安感は半端ないものだろう…。
医者からは「ともかく安静に」と言われたので(安静にしている以外の対処法はないらしい)、嫁さんはそのまま実家に帰り(その週の仕事は休みにしてもらった)、私は自宅に帰った。
冬らしくない大雨の夜に、考えたくもない事が次から次へと湧いてきて、お互いにとてつもなくどんよりとした気分だった。

嫁さんが里帰りしたら、久しぶりの1人暮らしを満喫しようかとワクワクしていたのだが、思わぬ展開で1人暮らしが始まってしまった。とりあえず、嫁さんの出血は最初の一日だけで、後は何事もなく過ごせたようだ。
心配で仕方がなかったが何も出来ずにモヤモヤする一週間だった。

そして、切迫流産の診断を受けてからの初めての検診に、地元の産院に向かう。
この日から、私も嫁さんと一緒に診察室に入ることにした。
嫁さんは医者に詳細を説明してからベッドに。
早速エコー(?)の器具をお腹に当てると…ちっこい人間型の物体が元気に動いているぞ!!!
「うぉぉぉ!うおう!」
医者も嫁さんも看護師さんも無表情の中、私だけが感動して興奮状態になる。
心臓もしっかり動いていた!すげえ!
まだ嫁さんは胎動を感じたりはしないので、お腹の中の赤ちゃんがちゃんと育っているかどうかは、こうやって健診の時に実際に見てみるしかない。

出血は一度だけで、特に痛みなどもなかったので、「安静」から通常の生活に戻っても良い、との診断が下された。
流産の一歩手前の状態である「切迫流産」の危機は乗り越えた。
嫁さんはホッと安堵の表情でとても喜んでいた。もちろん私も安心した。

しかし一難去ってまた一難。
血液検査の結果、嫁さんは風疹の抗体がないことが判明した(今まで風疹にかかった事がないという事)。
医者にワザワザ「風疹の抗体がありません」と言われたので、帰ってからクグってみると、妊娠20週までは風疹にかかると胎児に影響があるらしい。

嫁さんは16週。
あと一ヶ月は風疹から逃げ切らなくてはならない。
しかも今年は風疹が過去最高の盛り上がりをしているそうだ。
もちろん嫁さんは予防接種を受ける事はできないので、手洗いうがい、マスクや加湿器で予防するしかない。
私も風疹にならないように通勤時はマスクを着用!

ノロウイルスも大流行する世の中、何とかかんとか乗り越えて20週まで逃げ切ることができた。
とは言え、これから先も風邪をひかないように注意し、体調も整えておかなければならない。

結論。
かしゆか好きっス!
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眠りづわりと食事

2013-01-11 | 妊娠、出産
現在は安定期に入り、辛い「つわり」の時期を抜けたが、今になって振り返ると、そこそこハードな「つわり」の日々だったのかもしれない(嫁さんは「ラクだった」と述べているが)。

色々と調べてみると「つわり」と言っても千差万別で、立ち上がれないほどの辛さがある人や、それほど変化がない人など、妊婦の数だけ「つわり」があるようだ。
私の嫁さんは「眠りづわり」になったらしく、妊娠が発覚してから、ひたすらに眠るようになった。
元々寝ることが大好きな人なので、仕事から帰ってきて食事をしたら、もうずっと布団の中。
また、とても疲れやすくなり、休日などは一緒に出かけると、帰宅後に真っ先に横倒しになって眠る。
「眠る人と暮らしている」といった印象だ。

そして、一番辛そうなのが「吐き気」だった。
夜になると、空腹とは関係なく気持ち悪いみたいだ。
おおっぴらに不満を述べないタチなので、何も言わないが、時おり深いため息をつくので、心配ながらも何もすることはできない。

妊娠した嫁さんに対して自分が出来ることと言えば、家事。
嫁さんは家に帰ったら食事と休息だけに専念出来るようにするために、掃除や洗濯は週にまとめて休日にガッツリやり、平日もこまめに掃除をして「家事をやってない感」を払拭した。
食事は色々と調べて、鉄分やら葉酸やらカルシウムやらが多い食材を選んで料理。

しかし、せっかく作った料理を嫁さんが少ししか食べてくれない。
空腹になると気持ち悪くなるため、ちょこちょこと小刻みにお菓子やパンなどを食べて、私のように「1日3食」ではないためだ。
そして、妊娠前には好んで食べていた味にも変化があり、つい数週間前まではパクパク食べていた料理も食べられなくなったりしている。しかし、食べる時には食べるので、作る量が難しい。
少なめに作ればあっという間に食べる時もあるし、しっかり2人ぶん作ると一口二口で残し、丸々と私が平らげる時もある。

作った本人を目の前にして「食べたくない」とは言いにくいので、何が食べられなくなったのかは、本人に聞くか推測するしかない。

まあ妊娠初期は好き嫌いして、食べたいものだけ食べればいいようなので、気楽に考えるように切り替えた。
とある本には「妊婦のママに合わせて栄養のある食事にして、パパも健康になっちゃおう♪」と書いてあったが、嫁さんはどんどんと体重を落として、私だけ栄養を着々と蓄えている状況だった。

妊娠22週を抜けた現在では、あのつわりの時期がウソだったかのように食べる量が増えた。
そろそろ食べる量が私と逆転しそうな勢いである…!

結論。
かしゆか好きっス!
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子宝に恵まれて

2013-01-05 | 妊娠、出産
ずっとPerfume専用で書き続けてきた「髑髏フラワー」だが、実はけっこうこのブログ自体の歴史は古い。
7年ほど前に開設して、下北沢でゴミクズのような煌めく一人暮らしをしていた頃は、毎日のネタを書くために使っていた。
当時働いていた職場にこのブログの存在がバレたりして、色々と鬱陶しいので記事をすべて消去してしばらく別の場所にブログを書くようになり、そしてある日にPerfume専用としてこの「髑髏フラワー」は復活した。
仕事をしていても食事をしていても寝てても脳内の8割はPerfumeのことを考えている「パフュ脳」状態で、ここまでの「髑髏フラワー」は書き綴られてきた(時にバイクの記事を挟みながら)。

しかし、昨年(2012年)の9月ごろから、この「パフュ脳」に陰りが出てきたのである。
別にPerfumeに興味が無くなったとか、別のアイドルが好きになった…などと言うことではない。

ついに自分も「父親」になる予定が立った。
昨年に結婚した嫁さんとの間に、初めての子供が出来たのだ。
現在の生活は、妊娠した嫁さんと、新しく増える家族と、これからの人生設計を考えることが中心になっている。

2012年9月の終わりごろ、嫁さんが真夜中に「妊娠したかも」と、妊娠検査薬を取り出してチェック。
どうやら検査薬の表示は妊娠を示しているらしい。
ずっと前から「生理が来ない」と言っていたので、冗談で「おめでとう!」などと言っていたのだが、かなりびっくりした。
その数日後、嫁さんと一緒に地元の産婦人科に行き、雑誌を手に取りパラパラしながら診察室に入った嫁さんを待っているとすぐに戻り「妊娠してた!」と告げられた。

子作りに関しては、早々と産みたい願望を持った嫁さんと、経済的な不安を抱えた私とで、展望の相違があった。
「出来ちまえば後はどうにでもなるんだよ!細けえこたぁ~心配すんな!」という男らしい嫁さんと「いや…後々を考えるとお金がまだ足りないんじゃ…」とナヨナヨした私。

結果から言えば、嫁さんが妊娠して良かったと思う。
私のようにいつまでもナヨナヨと考えていれば、あっという間に時間は過ぎ去ると思う。
もう現段階では迷ったり考えたりしている時間はないのだ。
前へ進むしかない。

すぐに本屋に行き、妊娠関係の本を買い、その晩から熟読した。
当たり前の事だけど、まったく知らない情報だらけで頭がパンパンになる。
自分がこれから父親になる実感はまったくない。
ハッキリと分かることは、夫である私の身体には何一つ変化はないが、嫁さんのほうは、ホルモンバランスが崩れ、肉体も精神もガラッと変わってしまう、ということだった。

自分に出来ることは、家事を積極的にすることくらいしかない。

「これからどうなるんだ?」という不安が大きくて、嬉しいとか、おめでたい気分とか、晴々した気持ちなどはあまり感じなかった。

これから大事を迎えるだろう嫁さんが、ただただ愛おしく感じるだけだった。

2007年に、ひょんなことからPerfumeに出会った。
ずっと応援し続けていたら、同じPerfumeファンの女性と出会い、結婚した。
その結婚を、Perfumeの3人に直接祝福もされた。
2012年に、その女性との間に子供の種を宿すことになった。

自分の人生の伴侶を、広島から夢を持って東京に出てきた、Perfumeという3人の女性が連れて来てくれた。
それだけでなく、一生を以って愛する家族を、3人は連れて来てくれたのだ。
まるで、このタイミングを狙ったかのように、Perfumeは海外ツアーに出かけて、新作の発表もない(この文章を書いているのは11月の半ば)。

2012年はJPNツアーで北海道から沖縄まで飛んでって楽しんだ夫婦だったが、今年2013年はいったいどうなることやら…!

2008年の頭に肺炎を患い、数日間の危篤状態に陥り(私の家族には「最悪の事態を想定するように」と告げられていた)、人生を終了する予定だったが、それから数年後には子孫を残そうとしているのだから、人が生きる道には何があるか分からないものだ。

これからしばらくは、Perfume以外のカテゴリーを増やし、嫁さんの妊娠についての記述が多くなります。
Perfume大好きな40歳のおっさんの、出産サポート、育児奮闘ブログになる予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
コメント (19)
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