髑髏フラワー

ママの口ぐせお花はドクロ!

パパの人間としての小ささは世界一ィィィ!

2017-08-30 | 育児
先日、4歳の長男と二人でマクドナルドへ行き、私はアイスコーヒーを飲み、長男はソフトクリームを食べていた時のこと。

長男は嬉しそうにソフトクリームをなめていたが、みるみる溶けて行くので、ほら!こっちが溶けたぞ!あっ!今度はこっちだ!ああ〜っ!下からも溶け出してきたぞ!吸え!などと言っていたら、もういらない…と残してしまった。

ハッと気づいていやいやゆっくり食べて良いよ〜と言ったが時すでに遅し。
長男のテンションはすっかり下がってしまった。

パパは海より深く反省…

どうにも長男の事を観察していると小うるさく口を挟んでしまい、長男を萎縮させてしまって後になって後悔するパターンが多い。

私の親としての器が小さいのだ。

こういった場面で、嫁さんの場合だと、ソフトクリームが溶けようが垂れようが長男の好きなように食べさせて、満足に食べ終わってから拭いてあげて片付ける。結果、ソフトクリームが幸せの記憶として長男に刻まれる。

しかし私は人間の器が小さいので、ソフトクリームを一滴も残らず摂取する計画を立て、計画通りに摂取し、尚且つ手も口の周りも汚さずに食べ終わりウエットティッシュも節約したい…などと考えてしまう。結果、ソフトクリームが苦難の記憶として長男に刻まれる。

私は小さいしセコい。

「俺はこんなにセコかったよ。これからはイワン・セコヴィッチと名乗るよ」

と嫁さんに話すと、子連れで出かけている場合、ママだけよりもパパだけのほうが色々と口やかましく怒ったりする場面を見ることが多いそうだ。

その話を聞いてから公園へ出かけ、パパたちを観察すると、なるほどパパのほうが色々とうるさい。

すべり台の上方に待機して、すべり終わった下の子がいなくなるのをじっと待ち、整列をしろ、順番を守れ、周囲の安全を確認しろ、すべり終わったら速やかに退避しろ、などと自分の子供にやかましく指示を飛ばしている。

それと比べママさんたちはにこやかに子供たちを見守っている。
怪我さえしなけりゃ好きなように遊びな!
といった構えだ。
人間としてのスケールがでかい。

たぶん、パパさんたちは公園や外へ出かけると「子供の上司」になってしまうのだろう。
部下の失態は上司の責任。
責任問題にならぬようしっかり管理して安全安心に遊び、周囲と軋轢を生まないよう配慮して、無事に遊びを終了する。
突飛な行動をして周囲に影響を与えてしまわぬようなるべく無難な線で終わらせる…

多分、パパが小うるさく指示を飛ばすのは、良くも悪くも将来、自分の子供が社会の歯車として、最低限の機能を持てるように訓練をしているのだと思う。
若いころには「社会の歯車になんかならねえぜ!」といきがってきたが、最終的には何かしらの歯車として定着していく、ということを実感してきた人生なので、私の場合はなおさらだ。

息子たちには、ママのスケールのでかさと、パパの人間的な小ささ、どちらもバランス良く学んで欲しい。



長男が描いてくれたパパの顔。現実よりも毛を多く描いてくれた。
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魔法だろうか

2017-08-16 | 育児
先日の朝、私を起こすために寝室へ来た長男(4歳)が「パパ!朝だよ!」と肩を叩いてきたので顔を見たら、ニコッと笑ってから私の隣にゴロンと寝転んだ。

その瞬間に気持ちを鷲づかみにされたような感覚になって
「俺は自分の一生をこの子に費やさなければ…」
と感じてしまった。
「恋に落ちる」感覚に似ているのかもしれない。
一言で言えば、「胸がキュンとなった」のだ。

魔法だろうか。
子供はみんな魔法使いなんだろうか。
こんな気持ちは、親であれば誰でも感じることなんだろうか。
44歳なのに胸キュンしてもいいのだろうか。

素直な人間が発する素直な気持ちの伝わり方を学んだ朝であった。

息子たちを見ていると、羨ましくなるほどに素直だ。

長男は嫌いなものが食卓に上がると、しっかりと「これは嫌いです」と宣言するし、1歳の次男もトマトは大好きだからバクバク食べるけど、ブロッコリーは放り投げる(正確に描写すると、ブロッコリーをゆっくりとつまみ上げて、親の目の前に晒した後に、親から目線を逸らさずにポトリと床に落とす)。

こんな素直な態度は、大人になると出来なくなる。
まあ出来なくもないんだけど、やると収入がなくなる。

日常生活で笑みを見ることは多くあれど、だいたい大人のする笑みは、笑み以外の様々な意味が含まれている。しかし、ここで長男がした笑みは、ごくごく単純な愛情表現の笑みだった。

長男だけではなく、早起きの次男も起床した私と目を合わせると、ニコッと微笑む。

これを見ただけで胸がキュンキュンして苦しくなる。

もう一度書くが、こんな気持ちは親なら誰でもしているものなんだろうか?



「ちょームカつく!」の表現も板についてきた次男。1歳4ヶ月にして急成長中。つい先日は、初めて「パパ」と言ってくれた。
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地獄ツーリング再び!宿の消失!39度の灼熱と台風のアウターバンドの果てに!

2017-08-12 | ツーリング
そんな訳で、Kawasakiの250TRで8月5日(土)に東京から石川県志賀町へ行き(途中4時間睡眠あり)、8月7日(月)に東京へ帰ってきた。
往復1120キロの旅をここに記録する…つもりだったが、帰りに巻き込まれた台風5号がもたらした豪雨で、細かいことはどうでもよくなってしまった。

豪雨に巻き込まれた部分をハイライトに記録する。

筆者スペック
バイク:Kawasaki 250TR 2012年式かな? 走行距離約8000キロ どノーマル
ライダー:44歳チビハゲソフトデブメガネいて座AB型





8月5日(土)19:00

仕事を終えて世田谷の真ん中へんから出発。ルートは

関越自動車道練馬

上信越自動車道

北陸自動車道

のと里山海道

志賀町

片道560キロ。
往路は上信越自動車動の新井ハイウェイオアシスにある、とあるホテルに宿泊し、しっかり休息を取ってから石川県を目指す予定だった。
25時に新井ハイウェイオアシスに到着し、疲れた身体でホテルに入ると、私が予約した部屋はホテル側によってキャンセルされていた。
施錠されたホテルの入り口に設置された電話機で夜間コールセンターに連絡すると、このホテルは24時を過ぎると自動的に予約が取り消されるらしい。
予約する際に、チェックインが23時から24時くらいになるかもしれないことは伝えてあったのに、この自動キャンセルの話は聞かされていなかった。

今夜の宿が消失した。

アルバイトらしきコールセンターの男性に文句を言っても仕方がないので、再び重い身体を引きずってバイクに跨った。
次のインターで下に降りて宿を探すしかない。





上越高田というインターで降りて、料金所のおじさんにホテルがあるか聞いてみたら、地図を出してルートを記入して教えてくれた。時間帯が時間帯なので後続車が来ることもなく、しっかり説明を聞けた。この優しさだけで心と身体が軽くなる。
高田駅というところまで走り、暗い中うろうろ駅周辺をさまよい、2軒断られ3軒目でようやく1室だけ空室を見つけることができた。

26時。

シャワーを浴びてベッドに倒れ込んで4時間だけ眠ることができた。

8月6日(日)9:00

しっかり朝食を食べてエネルギーを蓄えて出発。
夜は見えなかったが、この周辺はホテルがたくさんあったようだ。

8月6日(日)13:00

志賀町のおばあちゃん家に到着した。
身体の疲れはなく、先に到着していた家族と海で遊んでBBQを楽しんだ。



巌門の近く。下道に降りるとホッとします。


おばあちゃん家。この青空に出会いに行きました。


8月7日(月)11:00

しっかり朝食を食べてエネルギーを蓄えて出発。



この後に地獄が待っているとは誰が予想できたであろうか…!
しかしこの画像を見ていると、でかいテールランプで命拾いしたよな、なんて思います。


帰りのルートは何度も何度も考え直した。

この石川県志賀町と東京を結ぶルートは、下道を使うルートを合わせると4通りくらい選択肢がある。
来た道をそのまま戻るか、長野県松本市を経由した中央道ルートか。 はたまた下道を爆走する飛騨経由ルートか。
兎にも角にも帰路は疲労が溜まるので、なるべく身体的にも精神的にも負荷の少ない道を通りたい。
峠道を走る飛騨ルートは、ツイッターのフォロワーさんからもお勧めできないとのリプライを頂いたので却下。
自分の自宅は中央道の出口から近いし、中央道であれば何度も走ったことがあるので、精神的には中央道を選びたい。

走り出した時は中央道ルートで帰ろうと決めていた。 しかし、あまりの暑さで体力と精神力を消耗し、走りながらやはり来た道を戻ろうと決めた。
だが岐路である長野県の更埴ジャンクションに到達するまでたっぷり時間があるので、走りながらもかなり迷っていた。 記憶が定かではないが、確か更埴ジャンクションに到達する前に、中央道の渋滞情報を見たのか、圏央道の渋滞情報を見たのか、ふんわりと、なんとなーく中央道を避けた。

本当になんとなく避けた。

この判断が正しかった。
というかこの判断をしなければ、この日のうちに帰宅はできなかったと思う。

この数時間後に、中央道は大雨と土砂崩れのために通行止になった。

8月7日(月)11:39

道の駅高松

暑い。暑すぎる。 特に路面からの熱が酷い。 下から10本くらいのドライヤーで熱風を吹き付けられているような感じか。 頭痛もしてきたので熱中症の手前なんだろうと判断。 ともかく無理はせずに進むことを思う。
帰宅してから知ったが、この日私が通過した石川県かほく市は、観測史上初となる39度を記録した。
あまりにも暑いので、出だしは半袖グローブなしで走り始めたが、ここで嫁さんから借りた日焼け止め用の「袖」を装着した。
これが意外と効果を発揮して、痛みのあるような暑さがすこし和らいだ。

今回のツーリングは、小まめに休憩をしながら走ることにしていた。
久しぶりの長距離走だったし、体力にも自身がなかったからだ。
北陸道から上信越道に入るといつの間にかひどい暑さは和らいで、グイグイと距離を稼げるようになった。

信濃町のあたりでザッと雨に当たる。
ここでカッパを着込んで、結果最後までカッパを脱ぐことはなかった。
ちなみにカッパは近所のホームセンターで買った安物。
チャックを閉めてボタンをかけていたが、最終的に身体の前面はチャックの隙間から雨が伝わってきて服は濡れた。
それでも夏だったのであまり気にはならなかった。
靴を雨から守るために靴のレインカバーを持っていたが、面倒だしあとは帰宅するだけだったので、そのままずぶ濡れで走った。
こちらもそれほど不快感を感じることもなく過ごせた(というかそんな事を感じる余裕がなかっただけか?)。

細かく細かく休憩をしながら、ようやく群馬県に差し掛かったところだろうか。
この辺りから雨脚が酷くなり、何度かサービスエリアに避難しながらの帰路となる。
雨雲レーダーアプリで先を確認しながら進むことにした。
当たり前だがバイクで走り始めればアプリなど開けないので雨雲がどこに進んでいるのかはわからなくなる。





この先で私は台風の外側にできた雨雲「アウターバンド」の直撃に遭う。






これが「アウターバンド」。台風本体が近くなくても豪雨がきます。


8月7日(月)18:00〜18:30ごろ

突然に視界が真っ白になり、前の車のテールランプが光って急接近。
自分も無意識にアクセルを放して減速していたので接触はなかったが、全身から汗が吹き出る。
豪雨地帯に入った。
しかも並みの豪雨ではない。
全身に叩きつけるバチバチという雨音と、暴風の轟音が耳をふさぐ。
ふーと息を吹いて落ち着く暇もなく状況判断。
ひとまず自分の身体の中で不快に感じる部分はない。水と風を防ぐ装備は万全だ。

真っ白になった視界の中、かすか前方に車のテールランプが見え、右下にセンターラインが後方に流れているのが見える。
左側は灰色になっていて距離感は掴めない。
バックミラーには後方を走る車のヘッドライトの明かりがかすかに見える。
下に目をやると、水の膜の先にボヤけて見えるスピードメーターは50~60キロくらいを指していた。

もう一度視線だけを動かして周囲を見てみるが、やはり真っ白だ。

これだけの情報だと、自分が乗るバイクが高速道路を走っている、という感覚がない。
真っ白な景色の中で、ただバイクに跨って立っているだけだ。
しかし、はっきりと分かるのは「死」がすごく近い場所にある。ということ。
現状を維持する感覚を失えば、簡単に死ぬことができる。

現状を維持。

現在走っているコースの維持と前車との距離の維持。
これが破綻したら死ぬ。

視界の右側に流れているセンターラインをチラ見して、車線の左側をキープするよう努める。

轟音が背後から近づき、右後方から巨大な黒い物体が追い越して行く。
雨でもものともしない大型トラックの通過。
走行している車線の中でキープレフトを続けなくてはこの大型トラックに巻き込まれる。

前車との距離を維持するのは、前車が見えなければ、ぼんやり見えるセンターラインの情報だけでは走り続けることが困難だからだ。前車を見失えば、恐らく恐怖で減速をして、背後から突っ込まれることになる。
定期的にブレーキを踏んで、後方に自分の存在を教える。
それだけでは足らないと感じて左のウインカーも着けっぱなしにした。
なんとかこの輝きを見てバイクがいることに気づいて欲しい。

死が近すぎる。 ともかく止まりたい。地面に足を着きたい。

昨年だったか、台風が接近している豪雨の中、東名高速をバイクで走って転倒し、複数の後続車に轢かれて亡くなった方がいたよな。
などと思い出す。
恐らく現在の自分と似たような状態だったのだろう。
豪雨の最中に走り始めた訳ではなく、走っている間に豪雨に巻き込まれたんだろう。
止まりたくとも止まれず、ただ前へ進むことしかできず、何かの拍子に現状を維持できなくなってしまったのかも知れない。

なんとか左側に寄せるスペースはないかと視線を向けるが、時々見えるのは灰色の壁と人ひとり立てるくらいの路肩だ。
このわずかな部分に的確に停車する自信もないし、停まったところで車やトラックの暴風で飛ばされるか突っ込まれるだけだろう。
パーキングエリアかサービスエリアはしばらくはないと分かっていた。
あと考えられる希望は出口だけだ。

ここで緑色の看板が左上に見えた。
どこかわからないが出口まで2キロ。

このまま生きて2キロを耐えることができればこの地獄から抜け出せる。

しかし豪雨はさらに激しくなる。

多分そろそろ出口にたどり着くはずだが緑色の看板が見えない。
出口の黄色い点滅信号も分かりそうにない。
しかしここで出なければ本当に死んでしまうかも知れない。

左側のラインが点線になればそこが出口だ。
グッとバイクを左側に寄せてラインが点線に変わるのを待った。
そしてラインが点線になったところで左側にハンドルを切って下降していった。
カーブが怖くかなり減速したが、幸いにも後続車はいなかった。

料金所手前の左側にバイクを停めて足を地面に着け、死が遠ざかり現在生きていることに感謝した。
停まって改めて周囲を見回しても酷い豪雨だった。
真っ暗で料金所の先の道路がどうなっているのかも見えない。街があるのか、山の中なのか。
豪雨だけではなく、雷鳴も轟く。
まだピンチは続いている。

もうスピードを出して走らなくても良いが、その前にバイクで走ること自体が難しい。
しばらく考えて、ここからUターンして再び高速に乗ることはなさそうだし、このままここにいても荷物が濡れるだけなので、出口から出ることにした。

出口のおじさんに、どこでもいいので屋根がある場所はないか?と尋ね、職員専用の自転車置場を教えてもらった。
多分、一般の人は入れないゾーンだったと思うが、あまりの天候の酷さに独断で教えてくれたのだと思う。
「すぐそこを曲がって…」と教えてもらったが、すぐそこが豪雨で見えないので何度も聞き返した。
ヘルメットのバイザーを降ろしてると前が見えないので、豪雨の中メガネをびしょびしょに濡らしながら職員専用の自転車置き場を目指した。
一台も自転車が停まっていない自転車置場があり、ひとまずそこへバイクごと逃げ込んでヘルメットを脱ぐことができた。

すぐにiPhoneを取り出し雨雲の確認。

現在がピークであることを確認した。



駐輪場の中から。屋根があるだけでも安心できました。


死ぬかも知れない思いをしたにもかかわらず、10分くらい休憩したら再び高速道路を走っていた。
そこからは豪雨にはならなかったが、そこそこ雨に打たれながらの道となった。

8月7日(月)22:00ごろ

無事自宅へ帰着。

560キロを11時間かけて帰ってきた。
シャワーを浴びてからビール風飲料をがぶ飲み。
絶対に生きて帰ってコレをやるんだ!と誓っていたので五臓六腑に染み渡る。

しばらくしてから、まだ石川県にいる嫁さんに、無謀なチャレンジをしてすまない、と謝罪のメッセージを送った。
今後はここまで天候が酷くなることが予測できたら、ツーリングに出ることは辞める。
というか、昨今の夏の天候はもはや予測不可能に近いので、台風が来る季節は遠出をしないことにした。









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