髑髏フラワー

ママの口ぐせお花はドクロ!

魔の3歳児

2016-11-24 | 3歳児
多くの方が聞いたことがあると思うが「魔の2歳児」という言葉がある。

ヨチヨチだった我が子が、身体の動かし方を覚え、知恵もついてワガママの技術が向上して親を困らせるプロフェッショナルになることだ。
我が家も魔の2歳児がくるぞと夫婦二人で身構えていたのだが、長男は想定してたよりも大人しい日々(とは言ってもそれなりに大暴れだけど)を過ごし、もっと甘えてもいいのでは?なんて思っていた。

しかし来ました。
3歳になってから来ましたよ。
「魔の3歳児」です。

現在の長男の基本的生活スタイルは「要求」そして「要求」。
朝起きてから眠るまで様々なことを常に要求してくる。
その要求は「アニメを見せろ」「動画を見せろ」「お菓子を寄越せ」など、ほぼ全てがワガママな要求、もしくは教育的によろしくない要求で、それらが却下されると猛烈に不機嫌になり、泣きわめくか暴力を振るってくるかまったく言うことを聞かなくなる。

簡単に言えば「最初から不機嫌になるために無理な要求をしてくる」としか思えないスタイルである。

お菓子を寄越せ動画を見せろアニメを見せろと騒ぐ暴れる泣く長男をようやく寝かしつけ、翌日の朝起きた瞬間からお菓子を寄越せ動画を見せろアニメを見せろと騒ぎ暴れて泣き出す。

これに加えて、食べ物で遊んだり、網戸を棒で突いて穴を開けたり、カーテンにぶら下がって遊んだり、確実に怒られるようなことしかしない。
なので、長男と1日を過ごしていると、提案の却下、行動の抑制、結果の酷評、こんなことばかりが並びやすい。
これによって長男のストレスが増加して再びワガママを言いたくなってくる負のスパイラルが発生する。
もちろん、楽しく明るく遊ぶ時間も多いが、結果的には長男の怒った顔や泣き顔を見ることが多い。

これだけでも親のエネルギーはけっこう吸い取られるが、これに付け加えて常に長男の遊び相手にならなくてはいけないので、長男と一緒にいるときには、親の時間という物はほぼ存在しない。
夫婦でいるときにはどちらかが長男の遊び相手になるのだが、この時にも、夫婦間の会話は長男によって禁止されている。
「ちょっとちょっとちょっと〜!お話しをしないで〜!僕の話を聞いて〜!」と演説が始まる。
その演説の内容は、だいたいが「ぶどう工場でぶどうパンを買った」「バナナ工場でバナナパンを買った」という謎のお話である。

という訳で「魔の3歳児」として猛威を振るっている長男氏なのだが、これも数ヶ月くらいで終了すると予測している。
3年ほど育児をしてみて分かったことなのだが、何か問題が起きても、その問題に対処しているうちに問題は別の方向に向かってしまうことを学んだ。
おそらく、今回の「魔の3歳児問題」も、親が右往左往しているうちに季節が過ぎて収束し、長男は新しい問題を持ってきてくれるのだろう。

元々は「話せばわかる」タイプなので、今現在は明らかに本人も自覚しながら、ワガママや無理な要求をしているのだと思う。
大変だがこれも子育ての楽しみなのかもな、と思いながら向き合っている。



サンタさんへのお願いが毎日変わる日々です。
ハロウィンといいクリスマスといい、子供がいると楽しいものですね〜
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

乱視

2016-11-01 | 3歳児
3歳の長男が眼鏡をかけることになった。

3歳児検診で指摘をされて、地元の眼科医と大きな病院で検査をして、治療が必要なレベルの乱視だということがわかった。

取り乱す、というほどではないが、この現実を受け入れて飲み込むには少しの時間と様々な思慮が必要だった。

3歳児検診で「もしかすると乱視かも」と指摘をされても、長男はしっかりと目が見えているようにしか思えず、最も身近にいる親も、保育園の先生たちでも気づかなかった。
実際に長男は遠くを走っている電車を見て「特急あずさだ!」と話すし、人ごみの中のママを見つけるのも早い。
ボールを投げればバットで打ち返すこともできるし、飛行機雲を見つけるのも得意だ。

こんなにはっきり見えているんだから視力は十分にあるだろ…

地元の眼科で数時間かけて検査をしてはっきりと「治療が必要です」と言われても、もしかしたら間違っているのかもしれない…と淡い期待をもって大きな病院で再検査をしたが、答えは同じだった。
長男は、視力が発達する成長が遅く、このまま放置すると脳がはっきりとした視界を認識せずに成長してしまい、後になってからでは視力の回復が見込めない、というものであった。
治療としては、眼鏡をかけて視力を矯正し、現時点での長男の視力では見ることができない「はっきりした見え方」を脳に覚えさせ、自らの力で視力が上がるようにする。

長男が通っている保育園で眼鏡をかけている子供はいない(見たことがない)。
地元を歩いていても、3歳くらいで眼鏡をかけている子を見ることは非常に少ない。

自分の子供が他の子供と違っている。

今まで保育園で友達たちとワイワイ楽しそうに遊んでいた長男が、急にみんなに置いていかれて一人ぼっちになってしまう…
そんな感覚が湧いてきて、この現実を認めるのが辛かった。
しかし、一点だけ頭の隅に残っていた光景があった。
今年の夏に行った花火大会で、長男がやたらと花火を怖がっていたことだ。
怖い、早く帰りたいとずっと訴えている長男をなだめて、家族みんなで最後まで花火大会を過ごした。

よくよく思い返してみれば、長男は夜空に打ち上がる花火がしっかりと見えていなかったのだ。
夜の空が突然に明るくなったかと思えば、その後に響く爆発音。
これは怖かっただろうと思う。
しっかりと視力が育っていないことに気づかずに、恐怖を感じるイベントに連れてきてしまって申し訳ない気持ちになった。

しっかりと治療して、綺麗な花火を見せてやりたい…と思った。

また、後になって色々調べてみると、3歳の段階で乱視が見つかるのはとてもラッキーなことだとわかった。
前述したように、検査などで指摘されなければ、日常生活を送っているだけでは親でさえ自分たちの子供の視力が弱いことには気づかない。
当たり前の話だけど、子供にとっては生まれついての見え方なので、自分の視力が弱いことには自分では気づかない。
そうして視力が弱いまま8歳くらいまで育ってしまうと、もう視力を回復する手段がなくなってしまうそうだ。

大きな病院で検査をした後、医師に「どうして息子はしっかりと目が見えるような行動がとれるのか?」と質問したら、子供ならではの鋭い感が働くのですよ、と言われた。また、大人のように細かな文字を読んだりすることがないので、現時点ではよく見えなくても苦には思わないらしい(小学校に上がって初めて「黒板の文字が見えない」と訴えられて乱視が発覚するパターンもあるそうだ)。

そんなこんなで色々あって眼鏡ができあがっていざ眼鏡生活に突入した長男。

親の心配もよそに友達とも変わらずに遊んでいるし眼鏡を嫌がることもなく(まあパパとお揃いだし)、なんにも心配することはなかったな〜なんて一安心。

眼鏡をかける、ということは一つの個性なんだよな、と思えるようになってきた。

本腰入れてじっくりと治療に当たりたい。



手前が長男の眼鏡で奥がパパの眼鏡。価格は約10倍の差があります(長男の眼鏡が高級)。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする