goo blog サービス終了のお知らせ 

髑髏フラワー

ママの口ぐせお花はドクロ!

景信山 景信茶屋 青木さんまで蕎麦を食べに

2019-02-26 | 高尾山から
2/16(土)今年3度目の高尾山に行ってきた。中々のハイペースである。


前回は高尾から景信山まで行ったので今回は高尾から陣馬山まで行きたかったのだが、午後に用事があったので、前回と同じく高尾山(599m)まで登ってから隣の景信山(かげのぶやま 727m)までを歩いた。


本日の目標は景信山頂上の「景信茶屋 青木」さんでなめこ蕎麦を食べることだ。
前回はお財布を忘れて頂上で非常食だったので、今回はお財布を5回くらい確認して臨んだ。


先に時間を記録しておく。
13時頃には帰宅したく、逆算して始発での出発となった。


高尾山口駅(06:11)
  ↓(76分)
高尾山頂 (07:27)
  ↓(42分)
一丁平 (08:09)
↓(67分)
景信山  (09:16)
  ↓(62分)
昼食休憩 (10:18)
  ↓(40分)
小仏バス停(10:58)
  ↓(15分くらい)
高尾山口駅(11:30ごろ)


当日の日の出の時刻は6時28分。
日中でも薄暗い登山口なので、もしや真っ暗な中登り始めるのか?などと緊張していたが(ヘッドランプなどの装備は揃えた)、現場についてみればそこそこ明るかった。
しかし暗闇の中の登山はすごく興味深く、災害時にも役立ちそうな技術だと思われるので、今後体験できるチャンスがあればぜひやってみたい。



朝のケーブルカー清滝駅。始発でやってきたにもかかわらず目に見える範囲で前に4人も先行している人がいた。また追い抜いていく人も3〜4人。





私は初心者らしく写真をパシャパシャ撮りながらのんびりと登った。

たぶん気持ち良いだろうなと想像しながら到着した高尾山山頂は期待以上に気持ちよく、年間270万人も来るのに5~6人くらいしか人がおらずなかなか贅沢な時間が過ごせた。



山々の間にもやがかかって水墨画のよう。



汗だくだったのでしばらく風を仰いだりしていたがさすがに2月。
すぐに急激な冷えが来る。
ここで朝食としておにぎり2個を吸収して水を一口飲んで出発。

ここからが人がグッと少なくなってとても楽しい。
1人になる時間を楽しみに来ているので落ち着く。
チラチラ見える富士山を楽しみながら歩いた。



初心者なのでよく理解していないのだが、山から山への縦走なので高低差が少ないのだろうか。下りだったり平坦な道だったりで、歩くことが辛くない。

聞こえてくる草のかすれる音から判断するに、中型の犬か人間くらいの大きさの動物が近くにいる音がするんだけど姿は見えない。猿かイノシシか人間か。
何度かそんな音が聞こえる場所があり、立ち止まって目を凝らしてみたが何も見つけられなかった。





午前中にしかない光の差し方が木肌を照らし光と陰のコントラストが美しい。



台風の影響か、こうして倒れた木が多く見られる。



自然が作り出すフィルタなのか、光に青みが入っていて、モヤが青く見えたり、葉の緑が青っぽく見えたりしてとても不思議で楽しい景色である。



上の画像に見える道路は中央高速。
ここから自分の足元の小仏トンネルに入る。
小仏トンネルは私用でも仕事でも何度も通ったが、まさか小仏トンネルの上に登山道があるとは知らなかったし、まさか自分がそこを歩くなどとは思いもしなかった。

9時少し過ぎ。
高尾山も景信山も頂上直前で苦しめられる。
ぜえぜえ息を切らしながら到着した景信山山頂は本日も素晴らしい眺めであった。
人はまばらで目に見える範囲では4~5人くらい。
やはりこの時間だとまだ反対側から登ってくる人も少ないのか。

奥高尾 景信山 景信茶屋 青木さん

まだ開店の準備をしているのか、数名の方が忙しそうに仕事をしていた。

なめこ蕎麦 500円
ビール大瓶 700円

2点を注文し、先にビールの大瓶を頂いて一番の特等席へ。

ビールの大瓶にはおつまみに野菜の煮物が付いてきて、その煮物が味がしっかりしていてビールとともに疲れた身体に染み渡る。
まだ朝の9時過ぎだが5時に起きて3時間歩き続けたのだからがぶ飲みさせてもらう。



これが最高でなかったら何が最高なんだろうか。
自分は人生の勝ち組だと断言したくなるような美味さである。

遅れてなめこ蕎麦の完成。



むちゃくちゃうまい。
巨大なめことゆずがポイントだろうか。
個人的にはちゃんと七味を付けてくれるところがとても嬉しい。
ここまで歩いてきたからこその美味さ。
はーうま、はーうま、と独り言を言いながらあっという間に完食した。
こちらも疲れた身体に染み渡るような滋味であった。



スカイツリー
埼玉とかその辺
新宿の高層ビル群
相模湖
富士山
その他色々山々



これだけの絶景付きで1200円。
大満足である。

しっかりトイレに入ってから今度は下り。

40分で一気に下りた。

少しずつ高速道路の音が大きくなって登山口に到着。
小仏バス停より帰路に着いた。

本日も素晴らしい小旅行であった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高尾山から景信山へ

2019-02-19 | 高尾山から
2019年2月3日(日)今年2度目の高尾山へ行ってきた。
中々のハイペースだ。

今回は高尾山(599m)まで登ってから隣の景信山(かげのぶやま 727m)まで足を伸ばす。

先に時間を記録しておく。

高尾山口 (08:16)
  ↓(71分)
高尾山頂 (09:27)
  ↓(96分)
景信山  (11:03)
  ↓(49分)
昼食休憩 (11:52)
  ↓(62分)
小仏バス停(12:50)
  ↓(15分くらい)
高尾山口 (13:15すぎ)

京王線高尾山口駅から出発して高尾山頂、小仏峠を経由して景信山山頂へ。そこから小仏バス停に下りバスで再び高尾山口駅に戻ってきて、休憩を含みおおよそ5時間くらい。
距離は測っていないのでネットからの拾いだが約10キロ。

季節はずれの暖かさに加え天気は良好で、 光の具合が良くて写真をばしばし撮りながらの山行となった。

駅から登山口に向かうまでに雪が残っていて驚いた。
ちなみに高尾山は、東京都八王子市にあります。




思えば3日くらい前に東京は少しだけ降ったかも知れない。
しかし平地はまったく雪は残らず、雪が降ったことさえ忘れていたのでけっこう驚いた。
怖いなどうしようどうしようと入口でつぶやいていたお婆ちゃんはあの後どうしただろうか。。



約一ヶ月前に登ったばかりの道も、雪があるとまた違った趣があって楽しい。





高尾山山頂。
前回はここが到達点だったが今回は通過点。
富士山をぱしゃっと撮ったらサッサと移動を始めた。

ここからは未体験ゾーンに入る。



奥高尾に入ると人がいなくなる、とは聞いていたが、確かに途中は人の気配がまったくせず完全に1人で歩けて嬉しかった。
1人になるために来たということもあるし。
チラチラ見える富士山がすごく綺麗でニヤニヤしながら進んだ。



登りになれば息が上がり暑く感じ、平坦になれば呼吸も落ち着き寒さを感じる、ということを何度も繰り返し、なんと言えば良いのか分からないが、ああ俺って生きているよなあ正常だよなあという感覚が味わえた。

途中の一丁平は、一面が雪だった。



ちょっと想像すれば数日前に雪が降ったので当たり前だろ、という話になるが、平地の暮らしだと山の上の想像は難しい。
しかもその寒々しい雪景色を見ている自分は登りの暑さで汗だくになっている。
インターネットで何でも調べられる時代になっても、やはり行ってみないと分からないこと、感じられないことってたくさんあるんだろうなと理解した。
この知見を得たのが今回の山行の大きな収穫。









ぜえぜえ言いながら景信山の山頂に到着し、ずっと楽しみにしていた茶屋の蕎麦やてんぷらを食べようと財布を捜して、家に忘れてきたことを確認した。





致命的な失敗だったがあせらず慌てず、持ってきた非常食で腹を満たした。
前回に引き続きめちゃめちゃ美味しい。



ここから小仏バス停まで下山。
わりと急な下りで、汗をかいたりはしないが足裏と膝に衝撃が走り続ける。

帰りの景色もすごく楽しめた。



自然が作り出した直線と曲線が圧倒的な質量で視界に入ってくる。



木肌に当たる光、土に当たる光、葉と葉の隙間からもれてくる光、暑さで立ち上がる水蒸気に当たる光。
それらが混ざって一成に目に飛び込んでくる。



静かな景色は視覚だけではなく、鳥のさえずりや風の音、自分の足音と呼吸音、土の匂いなど、聴覚にも嗅覚にもたくさんの情報を寄せてくれるので胸がいっぱいになる。



こんなことは山登りを趣味にしている人にとっては当たり前の景色で今さら感動はしないのかも知れないけど、自分は初心者なので、見る景色のすべてが新鮮だ。
初心者であることは楽しいもんだよなあ、ということを痛感した。



数ヶ月前までは高尾山は高尾山で終わりで、隣の山と繋がっていて歩いて行けるなどとは知らなかった。
それが、隣の山どころか隣の隣の山まで歩いて行けて、バス停があって電車までのアクセスも良好。
こんなに遊べる環境が自宅の近くにあるというのは幸運なんだろうなと思う。

今回も素晴らしい小旅行であった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふるつわものになりました

2019-01-26 | 古強者(ふるつわもの)
20代から30代ごろに感じていた、のんびりとした体力の落ち方が、この数年で「急降下」といっても良いくらいに暴落している。
その体力低下感に加えて、記憶力の低下、視力、聴力の低下も始まり、いよいよ人生の折り返し地点を過ぎて、終了に向かって歩き始めたんだなと感慨深いものがある。

現在は46歳。
少し悲しみを覚えるが、これが自然な流れなので受け入れるしかない。
よく広告で見る、老人なのに兄ちゃんのような外見の人間のほうが異常なのだ。

35歳の時に肺炎で死にかけて、三途の川を半分渡ってから戻ってきた人生なので、よくぞここまで生きてこれたと自分を褒めてやりたい。

本日よりこのブログの新しいカテゴリーに
「老い」
を追加することにした。

何故かというと、老いていくことがとんでもなく興味深く、面白いからだ。

何が面白いかざっと箇条書きにすると、
・ちょっと膝が痛いなーなんてのが一ヶ月以上続く。
・ちょっとひじが痛いなーなんてのが一ヶ月以上続く。
・ぎっくり腰をループ。
・散歩に出かけて筋肉痛になる。
・夜、起きていられなくなる。
・酒が飲めなくなる。
・名詞が出てこない。
・物忘れが多くなる。
・老眼が進み食卓がよく見えない。
・老眼が進み手元のiPhoneがよく見えない。
・耳が老化したので新しい音楽が聴けなくなった。

若い人には分からないことだが、上記のようなことが、ほんの数年のうちに同時多発的にやってくる。
気がついたら老けていくものなんだろうと想像していたが、ここまでしっかりはっきりと老化を感じられるとは思わなかった。
これはむちゃくちゃ新鮮な体験だ。
人生の折り返しを過ぎて、こんなに面白い未体験ゾーンが待ち受けているのがちょっと嬉しい。

そしてさらに面白いのは、老化による機能低下だけではなく、どうやら部分的に機能向上しているところも少しだけあるっぽいということ。
一番に向上した機能は「忍耐強さ」だろう。
若い頃は焦って失敗していたような場面でも、しっかりと時間をとって着実に物事を進められるようになった。
また、ずっと10年20年考え続けてきたものごとの答えが見つかったりする。

経験の長さから自然と備わる能力なのかも知れないが、頭の中で、点と点だったものごとが少しずつ線で繋がっていく感覚がある。
いわゆる「ベテラン」というものに近づいたのかも知れない。

「ベテラン」をググると 「老練者。古強者(ふるつわもの)」と出る。
さらに「古強者(ふるつわもの)」をググると
① 戦いの経験を積んだ老巧な武士や軍人。
② 経験を積み、その道に通じた人。老練。ベテラン。

ふるつわもの…かっこいいじゃないかッ…!
本日よりこのブログの新しいカテゴリーに

「老い」

を追加するのはやめて
「古強者(ふるつわもの)」
を追加することにした。

そんなわけで、自分自身の「老い」をつぶさに観察して記録していくことにする。



思えばお花を飾るのも力が抜けて時間かけずにちゃちゃっとできるようになった。
「ふるつわもの」になれば時短も可能です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高尾山に登ってきた話

2019-01-13 | 高尾山から
2019年1月4日(金)
高尾山に登ってきた。
今年の密かな目標に「山登りを始める」というものがあり、正月休みでひょいと1日空いている日があったので、京王線に揺られて高尾山口へ向かった。

46歳になって、なぜ趣味として山登りを始めるのか?
その理由をひと言で言うと

「自分の身体能力が衰えてきたんだけど子供たちはまだ幼い」

からである。

20代半ばくらいから「俺ももう歳だからさー」などと言って老化を茶化していたが、40を過ぎると身体と脳の反応が遅すぎて、うっかり躓いて受身が間に合わず頭からコンクリートに突っ込んで頭蓋を骨折するんじゃないかとか、笑い事にできないような切迫感が感じられるようになってきた。
2歳と5歳の男の子相手には、まだまだこの先20年くらいはパワフルに振舞っていなければならないので、ここで身体と脳の老化に抗ってみようと思ったのだ。

まったく身体を動かさない部署に異動してしまったので、1年くらい前から簡単な筋トレは始めていて、腕立てと腹筋、スクワットと爪先立ちで、なんとなーく身体が軽くなったような感覚はあった。
しかし、比較的簡単に強化できる上半身に比べ、下半身は筋力がついたような実感が薄く、このままの負荷で過ごせば確実に下半身の筋力の衰えを待つばかりだろうなと思っていた。
そして街中を杖をついて歩く老人を見ながら「やっぱり足腰の強化だよなー」と感じた。

だったら家の近所でジョギングでもすればいいじゃん

と言われればその通りなのだが、もう一方の趣味であるキャンプなどのアウトドア活動との相乗効果を考えると、登山の方が圧倒的にその先の広がりが大きい(山を走るトレイルランニングもすごく楽しそうだけど)。
そして、登山を趣味としていれば、普段の通勤などでもエレベーターやエスカレーターを使わずに登ったり、日々体力向上に勤しめるように思う。

「バイクでツーリングを楽しんで登山口に到着してテント担いで山に登ってキャンプ」

と書けば、だいたい自分のやりたいことは全部詰まっているので、ここにテンカラ釣りでも加えられたらもう死んでもいいかも知れない。

それともう一つの理由は

「 人工物から離れて、自然に近づきたい 」

から。

先ほどは「老化に抗ってみよう」などと書いたが、これは「老化を楽しむ」とでも言えばいいのだろうか。

この数年で自然に対して親近感を感じることが多くなった。
一つ一つの季節が大過なく過ぎ去っていく有り難みの大きさが、歳を重ねるにつれて膨らんできた。
家族が増えたことが関係しているのかはわからないが、これは自分の中では、若い頃には感受できなかった、歳を重ねたからこそ感じられるようになったアンテナだ。
自分にとって新しく芽生えたこのアンテナは、これから先も研ぎ澄ませていきたい。



そんなこんなで10時くらいに高尾山口に到着して、登山素人らしく準備運動もせずエネルギーの補給もせずすたすたと6号路を登り始めた。
服装も普段着とコンバースローカットだ。



高尾山は世界で一番登山客が多い山で、世界で登山をしている700万人のうち、260万人が高尾山に来ているそうだ。多すぎる。電車を降りてすぐに登り始められるのも人気の理由だろう。
まあ自分も高尾山に来たのは10回目くらいだろうか。小学生や中学生の頃も遠足で来たと思う。

始めはぞろぞろ遠足のように連なって歩いていたが、次第にばらけてきて孤独を楽しみながら歩く事ができた。



次々とお年寄りや子供たちに抜かれていく。
46歳にしてまだまだ「ひよっこ」というのが嬉しく感じる。


10回くらい来ている、と上に書いたが、こんな険しい道なんてあったかな?
※2019年1月15日(火)追記。後々調べてみると、2018年夏の台風による被害が大きかったようです。別の場所でも大きな倒木を見たりしました。自然の力の大きさを目の当たりにしました。

スタート時点では耳が痛くなるほどの寒さであったが、中盤を過ぎたあたりから気温と体温が上がってきて、上着をザックにしまって歩いた。



周囲から登山初心者と見抜かれないように、努めて真顔で足を交互に前へ出し続けていて、途中から息が上がって苦しくなるかと思いきや、後半まではずっと真顔で登り続けられたので、内心はニヤニヤしながら真顔を保った。

最後の階段までは。

そこからは鬼の形相で登っても登っても終わらない階段地獄が始まった(実際は200段だそう)。

自分の身体が重すぎて地面に足をついてから上へ上がるのが苦しい。
体温は上がり続けて汗だくになり、もはやTバック一枚あれば他に衣服はいらないと思えるくらいには暑くなった。
息が切れて生きる希望もなくなったので、何度も何度も休みつつ水をがぶ飲みし、人生を呪い、人を恨み、世界の終焉を願い、憎悪をたぎらせながら階段を登った先に頂上が見えた。



時刻は11時過ぎ。
登り始めから約1時間。



特に大きな達成感というものも感じず、やっと忌々しい階段が終わったか!という気持ちを抱えたまま、そそくさと山めしの準備にとりかかった。

周囲はみなさんガスバーナーを使っていて、アルコールバーナーなどという貧弱な装備は私だけだった。
まあ貧弱なだけあって、約400mlのお湯を沸かすのにずいぶんと時間が掛かった。



その時は調べなかったのだが、NISSINのカップヌードルのお湯の目安は300mlだそうだ。
これで次回からは無駄なお湯を作らずに済む。



1月の晴天の下、真っ白な富士山を見ながら食べるカップラーメンはさすがに美味しく、350mlのビールと共に、あっという間に腹の中へ消えた。

帰りは4号路、1号路と淡々と歩いて帰った。

ここ4年くらいはずっとデスクワークばかりしていて身体を動かすことがなく、正直体力が心配であったけど、 約3時間の登り下りは(忌々しい階段を除いて)余裕だった。
やはり2歳5歳の息子たちに毎日殴る蹴るの暴行を受け、それに耐え続けている事が活きているのだと思う。これからももっと暴行を受け続けたい。

朝起きて子供たちの準備をして保育園に送り届けてから高尾山頂まで登ってラーメン食べてビール飲んで下りてきて14時には帰宅できる、という貴重なデータを得ることができた。
このペースなら、高尾山からの縦走や温泉を組み込んだプランなど、色々と遊びの幅も増やすことができそうだ。


山頂の近くで人だかりができていたので尋ねてみると「霜柱の花」ができていたそうだ。
「霜柱」という植物の茎から水分がにじみ出て凍り、それが花のようになることから 「霜柱の花」というみたい。
いつでも見られるものではないそう。

素晴らしい小旅行であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子育てをしていると、子供を通してまた人生を生き直す

2018-12-23 | 育児
子供たちに対して、しつけのために毎日あれやこれやと口うるさく言っているが、ふと自分が2歳当時だったら言うことが理解できただろうか。。5歳当時だったら言うことが聞けただろうか。。

などと考えることがある。

2歳や5歳でも理解できるように伝えるためには、自分自身が2歳や5歳の理解力まで戻らなくてはならないので、一度46歳の自分を封印して2歳や5歳レベルまで目線を下げる必要がある。
毎日そんなことを繰り返していて、46歳の人生と2歳や5歳の人生を行ったり来たりしているような不思議な感覚があった。
特に、自分が5歳だった頃はどんな子供だったのだろう?
などと記憶を掘り返すこともしばしば。
自分の親のこともよく思い出す。

先日、嫁さんと晩酌をしながら

「子育てをしていると、子供を通してまた自分の人生を生き直すような感覚があるよね」

と話していたら、嫁さんは

「私は長男が生まれたときに自分も一緒に生まれたよ」

と言っていて、ああなるほどなあと納得した。

自分も嫁さんも、長男の誕生と共にまた新しく生まれたのだ。

そう思えば、自分の内面の変化がよく理解できる。

以前にもブログに書いたが、30代までは圧倒的な革新派だったのに、結婚して子供ができたら、今度は圧倒的な保守派になった。
若い頃は兎にも角にも人が歩かないような道を選んで歩き、誰も思いつかないような新しいやり方をたくさん試し、またそれが大当たりしたり大外れしたりで毎日が刺激的だった。
しかし現在では、なるべく多くの人が歩く道を選び、その中でもさらに真ん中を歩き、どの方面から攻撃を受けても最後まで生き残れるような、刺激の少ない生活を望んでいる。
そして、自分でもびっくりするくらい「まじめ」になった。
それも「保守」の内に入るのだろうけど、ルールを守り、責任と誠意をもって事に当たり、嘘をつかず、真剣に生きようとしている。

正直、自分の中にこんな自分の姿があったとは…しかも40を過ぎてからこんなにも自分が変わるのか…!
と本当に驚いていた。
新しく生まれたがゆえに、同じ人間とは思えないほどの変化が自分に訪れた。

私の人生は、嫁さん、5歳、2歳の子供達とともに新しく始まった。いや始まっていた。
生まれたてなのでやる気と希望には満ちあふれているが、なぜか体力が枯渇している。
永遠の若さとまでは言わないので、体力だけ何とかならないものだろうか。



会社と自宅の往復だけだとどーしても身体が乾いたような感覚になってしまい、土を踏みたくなってしまうお父さんに付き合って近所の山にハイキングに付き合ってくれた子供達。
大きな落ち葉を拾ったり木に登ったり虫を見つけたりと、お金がかからない割にはけっこう遊べます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする