本日も清心蓮子飲加減の慢性腎炎治療です。随時( )内に私の印象とコメントを入れます。
患者:孫某 22歳 女性 工場労働者
初診年月日:1976年12月13日初診
(印象:文化大革命の終盤期です。その混乱期でも張琪氏は2000年代の医案と同じく、淡々と仕事をしていた証拠が本案です。)
病歴:
患病15ヶ月。発病時全身浮腫、尿少、尿蛋白3+、RBC1~11個/HP、WBC3~5個/HP、顆粒円柱2~3個/LP、中西薬治療を経て浮腫は速やかに消退、尿量も増加した、但し尿検査での好転は無かった。
初診時所見:
腰酸乏力、倦怠、手足心熱、尿黄、舌体胖、脈沈弱。
中医弁証:気陰両傷、湿熱?留
(?とは、拘束する、長くとどめるの意味です)
西医診断:慢性糸球体腎炎
治法:益気滋陰にて扶正、清熱解毒利湿
方薬:
黄耆50g 党参40g 大薊(涼血散瘀止血)40g 白茅根(凉血止血、清熱利尿)50g 白花蛇舌草(清熱解毒利湿)50g 蒲公英(清熱解毒利湿)50g 黄芩(清熱解毒利湿)15g 麦門冬(養陰)15g 柴胡(疏肝理気解熱)15g 滑石(清熱利水通淋)15g 車前子(包煎)(清熱利水)15g 甘草10g
水煎服用 毎日1剤 2回に分服
(印象 石蓮子の配伍が有りませんが、方意は益気養陰、清熱利湿で同じです。業績を編集する側の判断で本案を清心蓮子飲加減治療とみなしたのでしょう。)
二診 1976年12月27日
前方11剤服用、全身の有力を感じ、腰酸は以前より好転した。尿蛋白2+、RBC4~6個/HP、WBC、円柱(-)、前方を継続した。
方薬:前方に同じ
三診 1977年1月4日
前方服用9剤、尿黄、脈沈であるが以前より有力、舌辺紅薄苔有り、舌体やや胖。尿蛋白(-)RBC、円柱全て陰性、前方加減で治療を継続。
方薬:
黄耆50g 党参40g 白花蛇舌草50g 生地黄(養陰清熱)30g 蒲公英50g 白茅根50g 大薊40g 藕節(収斂止血)20g 蒲黄(祛瘀止血)15g 木通15g 黄芩15g 車前子(包煎)15g 甘草15g
水煎服用 毎日1剤
(印象:現代では腎毒性のために木通は使用禁止ですが、1977年には使用されています。隠蔽せずに記載しているのは氏の実直な性格によるものでしょう。)
四診:1977年1月18日
上方服用9剤、すでに自覚症状は無く、反復尿検査で尿蛋白は全て1+、その他全て陰性、停薬し、観察するように言う。
ドクター康仁の印象
四診の「反復尿検査で尿蛋白は全て1+」と正直に記載しているのには驚きました。現代の中国医案でしたら「諸症は改善し、既に仕事に復帰、自覚症状なし」と、蛋白尿が残存していることを隠蔽する中医が多いのです。
私は、この医案を読んで、治療内容もさることながら、当時の若い女性患者や、まだ若かった張琪氏を取り巻く「人間ドラマ」に思いをそそられます。
初診の方薬:黄耆50g 党参40g 大薊(涼血散瘀止血)40g 白茅根(凉血止血、清熱利尿)50g 白花蛇舌草(清熱解毒利湿)50g 蒲公英(清熱解毒利湿)50g、、。
薬剤の量が多いでしょう?その理由は、
70年代の処方は比較的薬剤数が少なく、原方剤に近い薬数が処方されています。ほぼ弁証に基づく薬のみです。2000年代に入ってからは、「中医が西医を学べ」という時代背景から、弁病論が進み、次第に使用される薬数が増えたのです。本案では使用薬数が少なく、各薬剤の使用量も大量になっているのは、そのような弁証論治のみの時代であったということを示しているでしょう。
本稿を持ちまして慢性糸球体腎炎の清心蓮子飲加減治療を終わりにします。
長い間お付き合いいただきまして有難うございました。
再度暗記文を載せますね。特に女性の読者には嫌われたくないのです。
しつこくて、御免なさい。
腎病:気陰両虚、湿熱内蘊に益気養陰、清利湿熱の
清心蓮子飲(せいしんれんしいん)
(参蓍茯車麦冬黄芩地骨石蓮子(さんぎぶくしゃ ばくとうおうごん じこつせきれんし)
人参 黄蓍 茯苓 車前子(或いは車前草) 麦門冬 黄芩 地骨皮 石蓮子 甘草
2014年2月17日(月)
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