2012年8月6日ロンドン五輪の最中である。四年前の北京五輪前後に私は何をしていたかと自問してみる。2008年の8月には「内傷発熱論」「虚熱論」「玄参」「百日咳」「復脈湯」「一貫煎」「麦門冬」「滋陰降火湯」「滋陰至宝湯」について持論を述べていた。そのころの本論から外れた雑感を振り返ってみる。ブルーが四年前の雑感である。
中医学的な肝の機能の理解はデジタル思考ではなく、全体的なアナログ思考でしか理解できない。
現在はデジタル思考もアナログ思考も無くなって来た。臨機応変である。
先の日中、太平洋戦争の惨禍を悼み、北京五輪の成功を祈りつつ、、200年8月13日
人類の歴史は戦争の歴史でもある。今年も8月15日の終戦記念日がやってくる。先日次のような雑感を述べた。以下、髪は女性の命という表現がある。和紙に包まれた女性の髪を抱き、太平洋に散華した同胞の男子を思い出す。終戦記念日が近くなってくると、「髪」が特別な色彩を放って私の胸に迫ってくる。それは「黒」である。物理学的には黒は色彩ではないが、「命の黒」である。油絵の具のブラックを表現する単語にはカーボンブラック、ミッドナイトブラックなどいろいろあるが、「命の黒」も加えたいと個人的に思う。ジャパニーズブラックと命名したい。有機水銀、カドミウム、砒素、そして放射性セシウムなどによる「命の黒の汚染」。これらは悲しみと同時に怒りである。「脱毛」の本稿の雑感である。
漢方にはある種の「悟り」が必要であるとは、上海曙光病院の蒋副院長の言葉である。
四年後の今、まだ「悟り」の境地には達していない。
終戦記念日の夜に原稿を打った。「もう何十年も同じ盆踊りの歌を聞いてきたがいまだに何を言っているのかわからない」口に出た。弟曰く「兄貴もそうか、俺もだ」笑った。田舎のビアガーデンでは生ビール中ジョッキが300円、つまみの枝豆が100円、実家では窓を開け、蚊取り線香を炊き、クーラーは使わない。低エネルギーエコの生活である。生活費も安い。働き詰めの生活に疲れたら、田舎に帰ろうと思う。「ただ風が吹いているだけ」でない何かを郷里には感じるからだ。
福島原発事故は故郷の福島に荒涼とした風だけが吹いている無人地帯を生んだ。
私自身は一甲復脈湯~大定風珠は現代の臨床では単独では使われないと思っている。西洋医学的な熱病治療の手法が全然無かった時代の漢方医の悪戦苦闘の歴史であると思っている。
四年後の現在、漢方医としての悪戦苦闘は続いている。
北京五輪で女子ソフトボールチームがアメリカを破って優勝した。感動した。終戦から63年。日中戦争の当事者国の中国の首都北京で、太平洋戦争の相手国アメリカと競技する。 感慨深い。
日本卓球史上初の五輪のメダルが決まった。決勝進出で、銀メダル以上が確定した。石川佳純、平野早矢香 福原愛が思わず抱き合い、号泣した。「悲願」という言葉は嫌いだ。「念願」は良い。日本にとっての念願の初メダルとなった。
北京五輪が無事閉幕したのは大変良かった。しかし、中国株式市場は下落の一途、世界の株価の下落傾向が止まらない。世界恐慌なんてことにならないことを切望する。近代大戦争の惨禍は、人類史上必ずやと言っていいくらい経済的大混乱の後に出現する。
欧州危機、世界的不況、局地的戦火の拡大は現実である。直接的に日本が参戦する戦争はまだ起きていない。
北京では、オリンピックが終了して、パラリンピックが開催されています。期間中はあらゆる生薬の航空便での輸送が禁じられています。大変仕事がしにくくなってきています。無事にパラリンピックが終了し、テロ対策としての航空便での輸送規制が無くなることを希望していますが、2010年の上海万博でも同様の規制が行われるでしょう。痛ましい出来事として、アフガニスタンでは邦人が殺害されました。現在、世界は景気低迷、インフレの悪化、食糧不足、異常天候、局地戦争など悪材料が蔓延しています。北朝鮮は核施設の再稼動を始めるとの報道がありました。歳をとるにつれて「若かった時には感じなかった恐怖」を感じています。
老いとともに恐怖はますます増大している。
私の故郷は福島県の会津である。子供のころ、まだ荷馬車が使われていた。特産の会津みしらず柿の出荷の時期になると街道筋には馬が並び、渋抜きのための焼酎の匂いが風に乗って街道を流れていた。すこし大人になったような気がしてその匂いを楽しんだ。柿の朱、天空の青、焼酎の匂い すべてが懐かしい。
全て、現在では「想い出」と化した。田舎は疲弊し尽した。「昔の賑わい」は何処を探しても無い。
昨日は、アメリカの証券大手リーマン ブラザーズが破たんしたのに加え、アメリカの保険最大手AIG(アメリカン インターナショナル グループ)の経営危機もあり、アメリカの金融機関に対する懸念からNYダウが同時多発テロ以来の500ドル以上の大幅安となり、それを受けて日経平均も600円以上の下げになり、ドル安とクロス円の円高が加速し、いったい今後世界はどうなるかと危惧していました。そして昨日NYダウは下げて始まり円は全面高になって始まりました。そして、FOMCの政策金利2%据え置きの発表で、利下げ期待もあったことから、NYダウは急落し下げ幅を拡大、円高も一層進行しそうな雰囲気でしたが、その後、AIGの救済策が発表されるに及んで、一転、NYダウは反発、円高にも一時的にストップがかかったようです。現在17日、5時55分です。今日はどんな一日になるのでしょうか?世界同時不況、それにしても恐慌だけには陥ってほしくないと心配でたまりません。サブプライム問題は何も解決されていないのですから。経営危機の会社に政府特融をした段階なのです。政府特融といえば、以前に、山一證券が破綻した際に、メリルリンチが山一を買収した経緯があります。そのメリルリンチが経営危機でBOA(バンク オブ アメリカ)から救済融資を受けることになりました。嫌な世の中になりました。平気で汚染米を食料として売る大阪や新潟の会社があるとは、、子や孫の時代の暗雲を懸念するようになったのは老いたためだと実感しています。
アメリカの金融緩和は行き着くとこまで来たという感じがある。FRBの超低金利政策は今後2年以上続く可能性がある。ドル円は80円を切ってしまった。そして、消費税アップ法案、シャープ、パナソニック、ソニーも減収減益、赤字に転落、大幅な人員削減、日本経済の先行きは暗い。
私論ではありますが、頭から漢方治療を否定されるような診療内科、精神科、或いは一般内科の医師を受診されることはお止めになった方がいいのです。患者さんに出された処方箋を見ると「これを全部服用しているんですか?」と驚くような大量の睡眠剤、抗不安薬、抗うつ薬の処方が目立ちます。倦怠感 疲労感などが改善した例はごくごく少数です。漢方治療の有効性と安全性について再認識される時代になってきていると思います。
四年後の現在でも、同じ意見である。
サイコセラピー(精神療法)は古代からあったのです。しかし初学者は絶対にしてはなりませんよ。患者さんの心理状態に入り込んで、情緒を変化させる手法は経験のつんだ熟練漢方医でも難しいことなのですから。私はまだその域に達していません。長寿を授かり、80歳を越したころにようやくその門扉を開くことができると期待しています。
あと十数年後にその門扉を開くことができるかどうか?朝の人気ドラマ「梅ちゃん先生」に登場する「坂田医院」の医師(世良公則が好演した)の言葉「医者はそこに居るだけでいい」には感動した。この「居る」には、なぜか感動した。勿論、ボーっと突っ立っているの「居る」ではない。
私が問題とすることは、各専門分野の西洋医が多量に薬剤を処方することです。全部が全部とは言いませんが、心療内科の処方には目を疑いたくなる薬漬けのケースもあることは事実です。患者が眩暈(めまい)耳鳴りなどで耳鼻科を受診することも多く、そうなると、非常に薬剤が多量になってきます。必要最小限の処方ができる医師が良医なのです。
薬漬け診療は変化が見られない。
体質なんてものは簡単に変化するものではない。(私が以前そうであったように)、ほとんどの西洋医は出鱈目である。病名と保険適応薬を見て、誰にでもできる処方をしているに過ぎない。言い過ぎではないかと自問するが、言い過ぎではないと答えが返ってくる。今日は、夕方、秘方の煎じ薬を一服した。快適である。かくして、ブログをしたためる気になったのである。
少し言いすぎであったと反省する点はある。かといって体質を数量的に表現する方法が見付からない。ついつい「便利」なので「体質」という用語を口に出す。自戒。
記憶すること、考えること、観察することの基本条件をとれば、現代医ははるかに劣っているという実感がある。条件反射的な治療の中には、記憶、考察、観察が多分に失われてしまうからである。患者さんの訴えに対して「あっそー」を繰り返す医師がいる。処方は万年変わらない。昭和天皇の「あっそー」は奥ゆかしく厳かなものであられた。「あっそー」の医師は「阿っ呆―」と自認しているようなものではないだろうか?自戒 自戒
標準的治療という言葉がある。ガイドラインという言葉もある。それらが、考察、観察を欠くものにならなければいいと祈るばかりだ。陛下は心臓のバイパス手術から十分に日を置かずに被災者を見舞われた。皇室典範の問題も浮上しつつある。陛下が御健勝であられることを国民の一人として祈念する。
漢方生薬の中には、免疫系を動かすことによって抗ウイルス作用を発揮するものがあると信じています。その複雑系はどこまで解明されているでしょうか? 基礎医学から遠ざかって長年が経ちました。若けりゃ研究生活に没頭したい気分があります。発汗解表袪邪の持つ西洋医学的な意味づけはどのようなものなのでしょうか?否、どのように意味付けをすべきなのかです。真実はそこにあるのですが、人知はまだ到達していません。疑問は果てしなく続くのです。
四年後、相変わらず疑問は果てしなく続いている。
西洋医学オンリーで育った医師は私も含めて、傷寒論に最初に接した時は、どうしても1対1の疾病モデルを脳裏に浮かべながら読み進めていくのです。それで、途中でモデルが浮かばなくなり、というよりあれもこれもと浮かぶようになり焦点がぼけてくるのです。それで、次に「温疫論」「温病学」を読むと、なんとなく脳裏に浮かぶ疾患が現代医学に近い感じがしますが、これもまた読み進めていくうちに焦点が定まらなくなってきます。片や日本の卑弥呼時代の中国後漢時代の理論であり、片や、病原体が特定できていない明代、清代の理論なのですから疾患別、臓器別、病原体別の診断治療で育った西洋医にとって、クリアーに理解できるものではありません。忍耐と寛容と何よりも先人にたいする尊敬の精神がなければ一通り読破することが不可能です。そういうわけで、日常の漢方診療でも、ある時は傷寒論、ある時は温病学、ある時は現代中国医学と西洋医学の混合と、どうしても都合よく利用させてもらうということになってしまいます。弁証にしても、ある時は、六経弁証、ある時は八綱弁証、臓腑弁証、三焦弁証、気血津液弁証、そして衛気営血弁証と、都合のよい弁証を選択するようになります。ご都合主義に近いのですが、これはこれで仕方がないことだと私は思うのです。なにしろ、はっきりしない分だけ奥が深いのです。
四年経ってみても、ご都合主義はそのままである。なにしろ漢方医学は、物質を探求する学問でないからだ。物質(物理学ではエネルギーと同じである)の集合体が人体なのであるから。
1600年前の麻黄湯を飲ませればお咎め無し、近世清代の温病の方薬を飲ませればお咎め必至?では、これぞ時代錯誤の見本のようなものです。日本漢方には、スッポリと削り取られたように温病学が抜けています。近代日本が脱亜入欧を旗印にした割には、後漢時代の方剤に縛られているというのも摩訶不思議ですね。
基本に立ち返るという意味で傷寒論は素晴らしい。雑多な臨床の合間に、時々読み返す。温故知新である。
何しろ、西洋医学には「湿」の概念が無いのですから、面倒くさい単語を並べるしかありません。私に「湿」のイメージを最初に教えてくださったのは、上海中医薬科大学の朱教授です。教授は津液の体内での生成輸布をいつでも頭にシェーマとして思い浮かべられるようにしないといけないと常々おっしゃっていました。シェーマ図はこのブログでは無理なので文章にしてみましょう。津液は脾の運化作用により水穀から小腸、大腸より吸収され、脾の昇清作用により肺に運ばれ肝の疏泄作用とともに肺の主気作用、宣発粛降作用(通調水道作用)により三焦をめぐり、肺の宣発作用の一部として汗になるとともに、腎の気化作用による利尿ならびに、脾の降濁作用により腸に下がった便によってもその量が調節される。現代用語でいう原発性、続発性を問わず、脾の運化失調は正常な津液の代謝を障害させ湿を生じさせる。以上です。シェーマが浮かびましたか?
シェーマは網膜に焼きついている。いわば洗脳状態である。しかし現実の診療の治療効果から判断すると非常に役に立つ洗脳であった。先日、息子さんが大学に入学されたとのメールを朱教授からいただいた。十年一昔という。息子さんに最初に会った時は、まだ牡丹のつぼみのような幼子(おさなご)であった。
漢方の修行は、最初は外国語の勉強に似ています。「湿熱が中焦脾胃に鬱阻する状態」云々といっても、まず脾胃の臓腑弁証を知っていることが前提です。そこで、少し、遠回りかもしれませんが、本稿では脾の中医基礎理論の概要を説明します。「急がばまわれ」です。
「しつこい虱潰し(しらみつぶし)」という研究手法は今でも続いている。
後記)
長らくブログを中止していたのには訳があります。一つには「虚熱論」「内傷発熱論」が「そっくりそのまま」ハングルに訳されているのをグーグル検索で見つけたことです。その時は「心が折れた」という気分になりました。著作権というか、何かしらの連絡があっても然るべきと感じたのです。2009年8月に海外の旅行先でパソコン機器類が盗まれたこともあり、データが完全に失われました。一からの出直しでした。加えて、自費診療オンリーの赤字続きの経営に嫌気が差し、3年前に保険診療も行う「すずき康仁クリニック」を新規移転開院し、当初のドタバタ騒ぎが落ち着いてきたのが去年ぐらいからです。「医者が食えない時代」になりつつあります。ワーキングプアを身近に感じている医師も増えつつあるのが現代の日本です。そう思いませんか?
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