明治維新、戊辰戦争の後、日本は「脱亜入欧」を果たしたかに見える。しかし、漢方医学においては、現実を直視するに、「中医学」を師として「漢方理論」を語るにおいて、過去に一度たりとも「後塵を拝する」立場から脱却してはいない。
いかなる理由からか?
問題点を挙げれば、
① 同じ漢字文化圏である中国伝統医学に対して「組み易し」と傲慢に侮った。
② 定量化、再現性についての探求を怠った。
③ 「先人」の中医学理論に甘え、真髄を科学的に分析する態度を怠った。
④ 国民皆保険制度下での「生薬」「方剤」の効能、適応に誤りがあった。
⑤ 病名さえ適応に合えば、弊害を起こす医者の処方を看過した。
⑥ 薬事法で、薬局の漢方販売を許可したものの、薬剤師教育に漢方医学を欠いた。
⑦ 官僚支配下での医療保険制度の監査委員に無能な医師を指定した。
⑧ 漢方医と称する医師、薬剤師の出鱈目な診療、投薬が蔓延しきってしまった。
⑨ ⑧を助長増大させたのが「利益追求を第一とする通信情報網の拡大」である。
⑩ ⑨は際限なく続く故に、⑧⑨は増大する一方である。
⑪ 欧米医学、特に抗がん剤、抗精神薬の如きは、闇雲に受け入れ、検証するに官僚制度下での御用学者に任せた。
⑫ ⑪の結果、巨大な利権が生じた。
総括するに、侮り、怠慢、誤り、看過、欠如、無策、堕落と利権である。
これらが、排除され革命が起こらない限り、いつまでも、日本漢方は「中医学」に後塵を拝することになるであろうと確信する。
⑧⑨⑪が現実の日本である。
全て形のある物質である薬剤を用いて効能を期待するということは、「陰中求陽」に他ならないのである。その「哲学」を無視し、定量化と検証を怠った結果として堕落しきった現在の日本漢方の姿を見るのは慙愧に堪えない。
ドクター康仁 記