『安土城の調査からわかる織田信長の気質!』
建築は、その建物を計画した人物の「性格」まで、わかってしまうモノです。
琵琶湖畔に残る「安土城」を見ると、「織田信長」の気質が、わかる気がします。
「安土城」と言う城は、日本で初めて「天守閣」(天主閣)が作られた城です。
それまでの城は、「山城」で、山の中に作られた「砦」に過ぎませんでした。
…今残る「安土城」は、個人所有の土地なのですが、お金を払えば、誰でも見学出来ます。
びっくりするのは、他の城と全く違って、「大名の屋敷」が城内にあったり、「寺」や「天皇」
を招く為の施設まであったと、言う事です。
入口を入ると、「大手道」と言われる、広い石段があります。
この石段が、大股で登らないといけないほど、蹴上げが高いのです。50センチほどあるのでは
ないでしょうか?
…その石段をよく見ると、所々、「お地蔵さん」が石材として使われているのです!
しかも、お地蔵さんの顔が、足で踏みつけられる様に…
石材が不足したから、石材の代用にしたと言うよりも、「仏教なんて、古くさい宗教だ!」と、
言う様な意思の現れだと、思われます。
この石段に、織田信長の「新しい日本には、新しい宗教を!」と、言う考えが見てとれます。
…織田信長は、カトリックの宣教師を、いつも、身近に置き、西洋の文化、宗教についても、
レクチャーを受けて居たと、伝えられて居ます。
そもそも、宣教師から、西洋には、高い塔を持った「城」があると聞き、「安土城」を思いつい
たとも、言われています。
また、西洋の「科学」にも強い興味を示し、宣教師が地球儀を見せると、地球が丸い事を、即座
に理解したとも言います。
…そんな、革新的な信長ですから、「仏教」なんて古くさいと、考えたのは自然な事です。
…ところが…
安土城の中には、「寺」があるのです!
しかも、安土城が出来た時から…
今でも、山門や三重の塔が現存します。
特に、三重の塔は安土城が出来た当時のままです。
きっと、信長も眺めた事でしょう。
…なぜ、こんな「寺」を「城内」に作ったかは、歴史学者の間でも、議論が分かれる事なの
ですが、恐らく、「仏教擁護派」の「大名」に対し、「私は仏教も保護しますよ。」と、言う
カムフラージュの意味があったのではないか?
…そんな、推理が出来ます!
そうだと、すれば、誠に「大胆にして繊細」な武将であった事になります。
今は、その安土城に「信長の墓」もあります。
中に遺骨は、入ってないのですが、豊臣秀吉が葬儀委員長になって、盛大な葬儀を行った
時に作られた墓で、信長の着物や刀が納められています。
実際に、歴史の舞台に立つと、色んな想像が出来て面白いですね^^
さて、「欠陥建築バスターズ」では、皆様の大切な「城」(家)に関する調査を行ってお
ります。
調査ご依頼は、ホームページからご連絡ください。