何年か前、建築家として、伊勢神宮に興味を抱き、調査した際に、いくつかの奇妙なものを発見しました。
その一つですが、もう何回もこのブログの記事でも取り上げて来ました。
『伊勢神宮の灯篭に古代エジプトの蓮の花の文様と、ダビデの星の文様が使われており、そのうちの蓮の花の文様を、天皇家が菊の紋として使用している』
ということです。
これは明らかに、伊勢神宮は、古代ユダヤ人が、出エジプトによってエジプトから逃げ、やがて日本列島にやってきて、作った神社ではないのか?
そのような仮説が生まれました。
そもそも、伊勢神宮の由来は、あまりよくわかっていません。
誰がいつ作ったのかさえ、不明です。
ただ、伊勢神宮の社の多くは、弥生時代の米の倉庫の形状をしています。
そこから、伊勢神宮の始まりは、弥生時代なのかもしれません。
そして、弥生人は、日本列島の外からやってきたこともわかっています。
このように考えてみると、今から3,300年前にエジプトで奴隷として働かされていた古代ユダヤ人たちが、モーセによりエジプトを脱出し、1,000年以上かけて中国に辿り着き、そこから日本海を渡って日本列島にやってきた古代ユダヤ人たちこそが、弥生人だった可能性が出てくるのです。
そうであると考えると、伊勢神宮のどこかに、古代ユダヤ人の残した足跡が、まだあるはずです。
そこでもう一度、伊勢神宮に点在するいくつもの社に注目してみました。
すると、また、変なものを発見してしまいました。
伊勢神宮宇の中にある多くの社は、弥生時代の米の倉庫の形状をしています。
その証拠に、米をネズミから守るために、高床式になっています。
普通なら「ふ~ん」で終わってしまう話なのですが、問題は、その高床式倉庫の形をした社の地面部分なのです。
そこには、なぜか、必ず3個の自然石が置かれています。
伊勢神宮の中を歩き回ってみると、必ず、社の下には、3個の自然石が見つかります。
なかには、社がないのに、地面に3個の自然石だけがあることもあります。
きっとこれは、以前は社があったけれども、今は社がなく、石ころだけが残ったと考えられます。
実は、この3個の自然石が、ユダヤ教やキリスト教に関係が深いと考えられます。
なぜならば、3という数字は、ユダヤ教でもキリスト教でも、非常に重要な数字だからです。
特に、キリスト教においては、三位一体と言い、「父と子と聖霊の御名においてアーメン」と言います。
この時の父とは、天の神のことであり、子とはキリストのこと、聖霊とは私たち人間の魂に宿る神のことなのです。
そして、これらは別々の神ではなく、一体であるとの考え方が、三位一体の意味なのです。
もしかしたら、伊勢神宮の社の下にある3個の自然石は、キリスト教における三位一体を表現しているのではないでしょうか。
そして、伊勢神宮の社が弥生時代の米の倉庫の形状をしている理由も、神の恵みである食料に、感謝する意味があるのではないでしょうか。
実際に、これらの考えを持っている人たちがいます。
それは、イスラエルの考古学者たちです。
イスラエルの考古学者は、今から3,300年前に、エジプトから脱出したユダヤ人が、長い年月をかけて中国までやって来た証拠を見つけました。
今から2,000年前に、古代ユダヤ人のリーダーが、当時の中国皇帝に謁見し、イエス・キリストの話や、旧約聖書に出てくるノアの箱舟の話をしたことが、中国の公式記録に残っています。
その時に、古代ユダヤ人が皇帝にキリスト教をわかりやすく教えるために作った漢字が『天』という文字と、『船』という文字です。
天という文字は、分解すると、一と大になります。
大はキリストの体を表します。
そしてキリストが天国に昇っていったので、空を表す一が加わり『天』という文字になりました。
また、船という文字は、ノアの箱舟には、8人の人間と動物が乗っていたので、『舟』という文字に、八つの口を加えて、『船』という文字にして、中国皇帝にキリスト教をわかりやすく説明したのです。
そして中国皇帝に謁見した古代ユダヤ人は、神に導かれ、約束の地である日本列島にやってきました。
この人たちこそが、弥生人であり、今の日本の先祖です。
そして彼らは、伊勢神宮に自分たちの神を祀ったものと考えられます。
このように考えてみると、伊勢神宮は当然のことながら、ユダヤ教やキリスト教の影響を強く残した神社と言えます。
私たち、日本人のルーツを考えた時、私たちの祖先というのは、”エジプトのファラオの元から命がけで逃げてきた”、このことこそがまさに奇跡なのかもしれません。
確か、春分の日だったと思いますが、伊勢神宮の鳥居の向こう側から真っ赤な朝日が昇ってきます。
このことも、ファラオ時代のエジプトの太陽神の名残と言えるのでしょうか。