欠陥建築バスターズ

土地・建物の調査研究が専門。日本の地震や災害に備えた建築や、不動産市場や世界経済の未来鳥瞰について述べています。

坂本龍馬は明智光秀の子孫だった!!

2013年06月20日 09時54分47秒 | 建築のうんちく



『建築を研究するうちに、歴史の真実が見えて来た!』



歴史と言うモノは、時の権力者が勝手に書き換えるものです。

ですから、今、私達が知っている「歴史」が正しいとは限りません。



徳川家康の御霊を祭る、日光東照宮には、徳川家の家紋の「三つ葉葵」意外に、「桔梗」の

家紋が、あちこちに使用されています。



「桔梗紋」と言えば、「本能寺の変」で主君織田信長を殺した、明智光秀の家紋として、あ

まりに有名です。



その、明智光秀の家紋が、なぜ、神聖な徳川家の霊廟、日光東照宮に使われているのだろう?





…その、疑問から、私の推理の旅が始まりました…




もしかすると、徳川家康と、明智光秀は、切っても切れない関係にあったのではないか?

そう考えると、つじつまが合って来るのです!


「本能寺の変」当日のアリバイが無い大名は、徳川家康と、明智光秀だった事は明らかです。



しかも、明智光秀が本能寺に入った時、寺の門は、開かれた状態だった事も分かっています。

つまり、「本能寺」には、明智光秀が来る前に、誰か来て居た事になるのです。



なぜならば、織田信長と言うVIPが宿泊している寺の門ですから、当然、警備の為に閉められ

て居て当然です。



…もしかしたら、この時、既に、織田信長は殺害された後だった可能性があります!

芝居や、ドラマでは、織田信長自身が出て来て、敵に弓を引くシーンが有名ですが、如何に

も、芝居じみて居て、後世の作り話に思えます。




…私の推理ですが、織田信長は、明智光秀が本能寺に到着する前に、徳川家康に命じられた

忍びの者が、織田信長を殺害し、その直後に、明智光秀が本能寺に到着したものと、推理し

ます。


この事件は、徳川家康が明智光秀に罪を被せる為に、周到に用意された「冤罪事件」だと、

思われるのです。



…最近、ある大名の日記が発見され、明智光秀が本能寺に行った理由は、本能寺の茶会に参加

した客人が、「信長の軍隊を見たい。」と言ったので、信長自身が明智光秀に命じて、本能寺

に兵を連れて来させたからだと、書かれているのです。



…だとすれば、織田信長は、明智光秀が来る事も知っていた事になります!





織田信長を徳川家康の配下の者が、殺害したと考えれば、その冤罪によって、裏切り者として

葬られた明智光秀に対し、徳川家康は負い目を持っていたはずです。


その、明智光秀に申し訳ないと思う、徳川家の気持ちが、日光東照宮の桔梗紋だと思う訳です!





そもそも、明智光秀が織田信長を殺害する事は、考えにくい事なんです。



織田信長は、琵琶湖に「安土城」を築いた後に、すぐ近くの琵琶湖南部に「坂本城」と言う城

を建設しました。

この「安土城」も「坂本城」も、日本で初めて「天守閣」(天主閣)を持った、壮大にして

華麗な城であったそうです。



そして、信長は「安土城」を自らの居城とし、「坂本城」を明智光秀に管理させたのです。



…そのような信頼関係があった二人に、少々のゴタゴタがあったとしても、「謀反」は考えに

くい訳です。




…さて、源氏の血を引き、文武にすぐれ、雅な一面を持つ、明智光秀さんは、「裏切り者」の

汚名を着せられ、家は没落します。







しかし、子孫は生きて居たんです!

琵琶湖畔にあった「坂本城」から、名前を取り、「坂本」姓を名乗って!





…その「坂本一族」で、最も有名なのは、「坂本龍馬」その人です。





そもそも、坂本家は「商人」でしたが、「武士の身分」をお金で買って武士になりました。

なぜ、武士の身分を買う必要性があったのでしょうか?



…もし、明智光秀の子孫である「坂本家」が、「徳川」への復讐を考えて居たとしたら、この

行動も理解出来ます。

少しでも、武家社会に入り込み、様々な情報を探る必要性があったからです。




…皆さんの中には、「そんなの嘘だ!」と言う意見もあると思います。



ならば…



「坂本龍馬」の家紋をご覧になってください!

家業である造り酒屋の象徴として、「酒升」が二個、少しずらして重ねた中に、あの「桔梗」

の家紋が描いてあるではないですか!


これは、まさしく、明智光秀の使用した「桔梗紋」であります!




「坂本城」から坂本姓を名乗り、先祖の家紋「桔梗」を使う拘りは、やはり、「坂本家」が

「裏切り者」と言われた明智光秀の子孫だからでは、無いでしょうか?



「坂本龍馬」が「徳川」を倒すきっかけを作った事は、「先祖の恨み」を果たす意味があった

からではないかと、思えて仕方ないのです。





…当初、日光の東照宮を見た時の疑問が、点と点がつながって線になる様に、私の推理の旅は

ここに完結したのです!



この推理を、信ずるか信じないかは、皆さん次第です^^







「欠陥建築バスターズ」のHPも多くの方に見て頂いております!

裁判をしないで、欠陥建築事件を解決する手法が、スタンダードになり、毎日、日本全国を、

スタッフが食事の時間も取れない位、飛び回る毎日でございます。


皆様の、ご支援と応援に、深く感謝致します!


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これも、ひとえに皆様のお陰で御座います。有り難う御座います!


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