神田川は、三鷹市の井の頭池を水源と
する現延長24.6kmの河川。
現在は隅田川水系の河川だが、江戸時代以前は平川(平河)という単独河川で
そのまま日比谷入江に流れ込んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/6e/50db4becb2d5b546b42c1bd117057ea2.jpg)
(井の頭池)
桃園川や善福寺川、妙正寺川などの支流を集めたあと、高田と戸塚の間を流れ
椿山荘の谷からの水が合流するすぐ下流で、江戸時代に神田上水が分流された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/93/6c532e1d528c82baacb03d43d7718429.jpg)
(椿山荘内の流れ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/2c/8639e44b1476fb79caada8ab6de818bb.jpg)
(椿山下)
分水堰のあった付近は、現在「関口」と呼ばれ、
川はこれより飯田橋付近まで「江戸川」と呼ばれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/b0/41eab793aa6e659f98bf34887af9322c.jpg)
(分水堰付近)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/14/32fdbd6a16b4974afbacfaadac54c59f.jpg)
(大洗堰由来碑)
分流付近には大滝とよばれる滝が過去にはあり、
現在でも満潮時にはこの付近まで東京湾の海水が遡上してくる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/02/005c5f53f18c95e6774102246e9ebe3d.jpg)
(大滝付近)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/0b/6c095b98a6b0b258f593dce02039f156.jpg)
(江戸川橋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/95/a48ae20c3792e465f7065fe350fd7318.jpg)
(左の道が上水道、右が本流)
池袋からの2つの流れ、弦巻川と水窪川を江戸川橋で合流すると
高速道路の下を流れながら、途中で90度のカーブで右折し南下する。
この付近を大曲というが、江戸時代以前は白鳥池と呼ばれる大きな池が
この付近にあったとされている。
飯田橋で江戸城外濠と合流するが、本来の流れはそのまま現在の首都高下を南下し
一ツ橋付近で小石川と合流したのちに平川として
現在の大手濠付近を流れて日比谷入江に流れていた。
德川家康入府以降は、平川の流れを濠として利用し、和田倉門付近から道三堀を掘り
洪水対策と江戸城の護りを固め、さらには神田山に人工河道を開削し
新たに神田川として河口を隅田川(当時は大川と呼ばれた荒川本流)に付け替え
平川は埋めたてて分離することで江戸市内の洪水を制した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/c3/8f2253d9870505e3f61a1b81c00f015d.jpg)
(江戸城平川門)
のちに平川を再度開削し、逆に道三堀を埋めたてて日本橋川を水路とした。
飯田橋より下流は斯様にして、人工開削と埋めたてが繰り返された
河川土木工事の歴史が詰まった川なのである。
また昭和の人間は、神田川といえば洪水を思い浮かべる。
平成に入ってから、それどころか21世紀に入ってからも
何度か洪水を起こしているが、そのために中流域では分水路が作られ、
洪水のリスクを軽減する策が練られている。