Happy Halloween!!

2015年10月31日 | 徒然
日本では、仮装を楽しむ日として定着しつつあるハロウィン。

池袋では、池袋東口の中池袋公園などを中心にハロウィン当日である今日と、
明日の二日間にわたってハロウィンコスプレフェスが行われます。





池袋のご当地キャラ、ブクロのジョニーも参戦していました。
(記念に写真を撮りましたが、RAW現像がまだなので、写真は無しですm(._.)m )
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東京モノレールの車窓 首都高羽田線旋回橋

2015年10月30日 | 車窓
東京モノレールは、そのほとんどを高架線で作られていますが
空港周辺は航空安全上、トンネル区間になっています。

また海老取川は、沈埋函工法で作られたトンネルで通過しますが
並行する首都高速羽田線も、同じようにトンネルとなっています。

実はその隣に、首都高速羽田線の橋梁があります。
首都高速羽田線上りの空港西入口から、本線に合流するまでの車線で
現在はトンネル手前で本線に合流するために使用されなくなっている
羽田可動橋と呼ばれる旋回橋です。



海老取川を航行する船舶のために、このような構造になりましたが
交通量の減少から、トンネル手前での合流を主車線として
可動橋は運用休止となりました。
しかし、今後の交通量増加などを考慮して、橋梁はそのまま残し
定期的にメンテナンスを行い、再使用できるよう整備は続けているようです。
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東京モノレールの車窓 大井競馬場

2015年10月29日 | 車窓
東京モノレールの線路は、建設当時の海岸線のさらに海側に作られましたが
現在は埋め立て地が増えて、運河上を走る線形となりました。

その、建設当時の海岸線も、実は埋め立て地なのです。

勝島は、支那事変(日中戦争)当時に埋め立て地が進められていた地で
戦勝祈願の意を込めて、海軍省によって「勝島」と名付けられました。

戦後の昭和二十五(1950)年に、この地に大井競馬場が開場しますが、
公営ギャンブル場の所在地が「勝島」というのも何か因縁めいていて面白いものです。

(大井競馬場)

勝島といえば、昭和三十九(1964)年に発生した勝島倉庫爆発火災も忘れてはいけません。
火災第四出場が指令され、19人もの消防吏員が殉職した大火災です。

この時の爆発音や火炎は、遠く池袋でも確認できたそうです。
この時には既に東京モノレールは建設中でした。
もし、すでにモノレールが運行を開始した後であったら、
一般人の被害が多く出ていたかもしれません。

対岸の埋め立て地には渚が作られ、野鳥もやってくる、古い大森の海のような
穏やかな風景が広がっています。

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東京モノレールの車窓 バス、新幹線、そして新線

2015年10月28日 | 車窓
東京モノレールの車窓からは、いろいろな乗り物も眺められます。

(都営バス港南支所)

首都高速をはじめ、都営バスの港南支所(はとバスへ業務委託)や、
東海道新幹線の回送線、そして東海道線の貨物支線などが車窓から眺められます。

(JR線の高架橋との交差部)

東海道貨物支線は、浜松町から東海道新幹線の回送線に並走して
東京貨物ターミナル駅まで、休止状態となっている路線です。
東京貨物ターミナル駅からは、羽田空港付近の地下をトンネルで通り
川崎の塩浜経由で武蔵野線や東海道本線に合流する、貨物の大動脈路線です。

この貨物支線を、羽田空港アクセスの旅客線として復活させようという計画もあり
そうなると、湾岸エリアの人の流れも、また大きく変わるのかもしれません。
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東京モノレールの車窓 レインボーブリッジ

2015年10月27日 | 車窓
JR線からわかれて、運河とビルの間をすり抜けるように走ったモノレールは
いよいよ東京湾に近づきます

建設当時の海岸線に沿うように右にカーブする頃、
左側の車窓にはレインボーブリッジが見えてきます。

羽田空港からであれば右側に見えるその白い姿は、「東京に来た」実感を沸かせてくれる
最初のランドマークでもあります。

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東京モノレールの車窓 芝浦

2015年10月26日 | 車窓
東京モノレールは、浜松町から羽田空港(羽田空港第2ビル)間17.8kmを結ぶ
アルヴェーグ式モノレールです。

開業は前回の東京オリンピック開会式の23日前。
どんどん悪化する東京の道路事情の中、空港から都心へのアクセス鉄道として作られました。

その車窓風景は、開業からの50年間で様々に変化しました。
今日から数日にわたって、その沿線の車窓風景をご紹介します。

浜松町を発車したモノレールは、JR線を大きく跨ぎ、しばらく並走したのち
左にほぼ直角にカーブして海側へ進みます。

(JR在来線と新幹線を越える)

左側の車窓には、ビルの間に運河が走っているのがわかります。
この運河沿いには、日本の経済成長を象徴する場所がありました。

一つは、ジュリアナ東京。
バブル景気を象徴するディスコとして有名なジュリアナ東京も
実は、たったの3年3ヶ月ほどしか営業していない、まさに伝説のディスコでした。

(運河の奥、左側にジュリアナはあった)

もう一つは、テレビ番組でもお馴染みであったボーリング場、田町ハイレーン。
こちらは昭和四十七(1972)年にオープンし、今年3月に閉館するまで
多くのドラマやバラエティー番組、ボーリング番組の収録に使用されていました。

(左が田町ハイレーン跡)
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関口芭蕉庵

2015年10月25日 | 東京のお散歩
永青文庫と野間邸の間にある、胸突坂という坂を下るとその左側に関口芭蕉庵があります。

(芭蕉庵扁額)

(胸突坂)

ここは、松尾芭蕉が神田上水の改修工事を請け負った際の延宝五(1677)年から4年間、
「龍隠庵」と名付けた水番屋に住んだとされているのが、始まりとされている庵です。

(芭蕉庵)

芭蕉の没後33回忌に芭蕉堂と呼ばれる、芭蕉とその弟子を祀る建物が建てられ
以降、いつしか龍隠庵は、関口芭蕉庵と呼ばれるようになりました。

従前の建物は戦災で焼失しましたが、戦後復元され、今でも風情のある造りとなっています。

(庭園内の池)

(芭蕉真筆の句碑)
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講談社野間記念館

2015年10月24日 | 東京のお散歩
椿山荘と永青文庫の間に、講談社野間記念館という美術館があります。



これは、その名のごとく講談社初代社長である、野間清治氏の自邸だった建物で
現在は、氏の「野間コレクション」と呼ばれる美術品を展示する美術館となっています。

また、講談社の持つ貴重な出版文化に関する遺産も、多く公開されています。

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千川上水遺構

2015年10月23日 | 東京のお散歩
元禄年間に開削が行われた、江戸の上水道のひとつ、千川上水。

現在、練馬区以東は西武新宿線との交差部数m以外、暗渠となっています。

その暗渠へは、本来開削された凹部に1000mmのヒューム管が埋められており
一部区間を除いて通水していない状態のまま
通常の上下水道とは別に、千川上水として管理されています。

このヒューム管は以前、観察する機会があったのですが、
今回はじめて、開渠時代の遺構を見る機会に恵まれました。

護岸は舗装面下30~50cmを最上面として、
L字型に切込み接ぎで組まれているように見受けられます。

流路の埋め立てには、道路工事の際の現状復帰用の土砂としては使われない
大きめの丸い石などが多く見られます。

これは昭和三年の暗渠化工事に際して、使われたもののようです。

その上部に路面用の土、舗装工事用土砂、舗装面と重なります。

その使用土砂の材質に、時代ごとの技術が反映されている
いわば「土木技術の地層」でもあるわけです。

東京空襲で焼け残った稀有な場所だからこその
貴重な近代遺産のひとつではないでしょうか。

(護岸の石組遺構)

(通常の舗装では使用されない大きめの石も散在)

*画像は全て許可を得て撮影しております。
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永青文庫

2015年10月22日 | 東京のお散歩
目白台の崖線には今昔多くの“お屋敷”が建ち並んでいます。
永青文庫は、昭和二十五(1950)年に肥後細川家16代当主細川護立氏によって
目白台の細川家の屋敷に、自らの蒐集品や代々伝来の美術品保管を目的に設立されました。



その名の由来は、細川家菩提寺である「永源庵」(建仁寺塔頭正伝永源院)の「永」と
細川家氏祖細川藤孝の居城であった、青龍寺城の「青」から名付けられました。

一般に公開されるようになったのは、17代当主護貞の代、昭和四十七年で
現在も当代(18代)当主細川護煕(79代内閣総理大臣)が理事長として管理されています。
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大田黒公園

2015年10月21日 | 東京のお散歩
荻窪の閑静な住宅街にあった、音楽評論家大田黒元雄氏の自邸。
この邸宅と庭を、氏の遺志によって公園として整備されたのが大田黒公園です。







公園内には、可能な限り原形を残した状態で、回遊式庭園として整備された日本庭園や
巨木の立ち並ぶ正門の並木道、アトリエであった煉瓦造りの洋館などがあり
和洋折衷の様相を呈しています。



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祭りの季節

2015年10月20日 | 徒然
昨日・今日は日本橋の寳田惠比寿神社でした。
子供の頃から、10月のこの頃から年末にかけては、祭りに連れて行ってもらうことが多くて
鬼子母神の御会式や、今はもう行われていない、大銀座まつりの「音と光のパレード」など
毎年のように連れて行ってもらっていました。

これから年末に向けて、酉の市などもあります。

自分が親にしてもらっていたことを、我が子にも…というのは口実で
実際には自分が出掛けたいだけだったりします。
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角川庭園

2015年10月19日 | 東京のお散歩
杉並区立角川庭園は、角川書店(現在は株式会社KADOKAWA傘下)創業者で国文学者ある
角川源義氏(春樹氏、歴彦氏、辺見じゅん氏の父)の自邸を整備したものです。

(角川邸)

数寄屋造の邸宅は、昭和三十(1955)年竣工の建物で、現在は国登録有形文化財となっています。

(庭園からみた邸宅)

庭は善福寺川の谷の斜面に作られていて、水琴窟を有する趣のあるものとなっています。

(水琴窟と手水と茶室)
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威光山法明寺 鬼子母神御会式

2015年10月18日 | 東京のお散歩
昨日に引き続き…

今日は御会式のクライマックス、池袋駅前からの万燈行列。

これが終わると、雑司ヶ谷界隈に晩秋がやってきます。

(三門)

(本堂)

(鬼子母神堂の扁額)

(名物のみみずく)
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鬼子母神御会式

2015年10月17日 | 東京のお散歩
昨日から明日までの3日間は、法明寺鬼子母神の御会式です。



今日と明日は、万燈行列。特に明日は池袋西武百貨店前から、明治通りを通る盛大な行列です。



御会式の頃になると、万燈行列の間を吹き抜ける風の冷たさに、秋も深くなったなと実感します。

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