被災地のこと 宮城・気仙沼 前編

2015年03月17日 | 徒然
気仙沼は宮城県沿岸部北部の、リアス式海岸南端の漁港。
この街をあの日、津波が襲った。

多くの大型漁船が所属する漁港の為、大きな防潮堤の無い、入り組んだ港町は津波によって多くの被害が出た。
建物は破壊され漁船は内陸まで流された。

(現在の気仙沼漁港)

斜面に作られた気仙沼の街は、JR線の気仙沼駅まで津波を襲わせなかった。
これは救いでもあった。

(気仙沼駅)

(気仙沼駅のピカチュウ)

大船渡線の一ノ関から気仙沼の区間は走れたのだ。
この区間は地震の翌月には復旧した。
これによって、多くの人が気仙沼に入る事が出来た。

(大船渡線)

(BRTの電気バス)

大船渡までは、BRTという、一部専用道を使ったバスで運行を再開した。
道路には、坂道ごとに津波の到達地点が標識で示されている。

(BRT専用道路は、元線路の敷地)

(一般道の標識)

高台に登れば、穏やかな海が見えるが、その海があの日は多くの命を連れ去った。

遺された人達は悲しみから立ち上がり、復興に向けて色々な取り組みを行っている。
特産の牡蠣やフカヒレは、今も震災前とかわらず気仙沼の特産品だ。

いや、震災前以上に人気商品になりつつある。
工場や養殖業者が、震災前の生産体制をとりもどすべく
漁師町特有の明るさと活気でがんばっている。



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