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明日から霜月

2005年10月31日 | 徒然
今日で10月も終わり。
風邪を引いてしましました。
といっても、今はもう治りかけて(?)ます。

月曜は、いつもより早めに家を出て出勤するんですが、
だんだん、朝が辛くなってきました。
もう、冬がそこまで来てるんですね。
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アジア都市シリーズ その4 台北

2005年10月30日 | 
私は、台北の街を、何の目的もなくあるくのが好きだ。
何度となく足を運んだ所為かもしれないが、
普段着の心で、ただめぐりあるくのが好きだ。

そんな歩き方をしている時、ふと入った店で食べた料理が
とても美味しかったりすると、とても幸せな気持ちになる。
そして、そこで出会う人たちとのひと時が、楽しい。

ある繁華街の端の店のオヤジさん。
年のころなら50代半ばだろうか。
台湾語で啖呵を切って客を呼び込む。
となりの店では、外国人相手に英語や日本語のメニューを並べているが
ここのオヤジさんは、決してそんなことはしない。
あくまでも台湾語。
だから当然、客に外国人なんか私以外にほとんどいない。
かくいう私だって、台湾語なんてほとんどわからない。
私の拙い華語と、オヤジさんの、これまた訛りに訛った華語で
なんとか注文をこなしてもらう。
私はこんな店が大好きだ。

朝、寺の前を歩いていたら、日本語で話し掛けられた。
声を掛けたのは、年老いた高山族系の人であった。
彼らは、日據時代には日本語教育を受け、育った。
山岳地域では、民族が異なると言葉も異なるため、
華語をうまく使え(わ)ない彼らは未だに、民族間や家族内での会話に
日本語を用いることがあるらしい。
彼らの話す日本語には、日本語独特の美しさがしっかりと残されている。

都心の高層ビル。
西洋人たちと相席のランチタイム。
彼らとなぜか、英語ではなく中国語で会話を交わす。
黒人が話す中国語に、不思議な気持ちになる。
自分がどこにいるのか、一瞬わからなくなる。
ニューヨークか?

夜、師大近くのPUB。
日本人(私)、香港人、台湾人、韓国人という、珍妙なグループで飲む。
母国語が違うアジア人が、よくこれだけ集まったものだ。
ここまでくると、意地でもタイ人やフィリピン人などを探し出してみたくなる。
残念ながら、我々以外の客は全員西洋人だった。

台北という街は、まったく不思議な場所である。
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午後、横浜にて

2005年10月29日 | 
山手あたりから
港を見下ろせば
ベイブリッジと外国船

どこを切り取っても
額縁の風景になる

そんなこの街が大好きだ
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中国に思う

2005年10月27日 | 徒然
祭りのあとの淋しさは、いやでもやってくる
愛知万博が終わって、名古屋ブームが多少さめてしまった様な気がする。
名古屋へよく行く身としてはとても淋しい。
名古屋は、日本のど真ん中である。
そのど真ん中に、ぽっかりと穴があいてしまったような気がする。

2008年に、北京でオリンピックが開催され、2010年には上海で万博が開催される。
急速に発展している中国の2大都市。
万博が終了した後には、何が残るのだろう。
急激に発展したのと比例して、急激に経済が失速しないだろうか。
中国を学び、中国を愛した人間として、
経済や人間の心が荒むことが無いように、願っている。
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アライアンス

2005年10月26日 | 交通
JAL(以下JL)が、世界的航空連合である「ワンワールド」に参加する意向を発表しました。
いままで、JLは航空連合に参加していなかったので、一部の航空会社を除いて、
国際線でマイルをためる為には、JLグループの飛行機に乗らなければいけませんでした。

私は、ANA(以下NH)とJL、チャイナエア(以下CI)の3枚のマイレージカードを持ってますが、
JLのマイルはそのほとんどが旧JAS時代に貯めた物と、JAC(日本エアコミューター)の
地方ローカル線で貯めたマイルだけです。
一方NHのマイルは、NH独自の国際線だけでなく、かつてからNHが参加している
スターアライアンスの国際線、たとえばシンガポールエアなどでも、かなりマイルが貯まりましたし、
そのほかレンタカーや、レストランでの食事でも、かなり貯まってます。
CIも、航空連合に加盟していないため、他社便でマイルを貯めることは出来ないのですが、
一時期は、かなりCIに乗ってましたし、中正機場の免税店での買い物が割引になるという
あまり意味の無い様なサービスが付いていたため、調子に乗って作ってしまったカードです。
おかげでビジネスクラスに乗ることができましたが♪

JLも、ワンワールドに参加することで、ワンワールド加盟に参加している他社の便で
もマイルが貯めやすくなるわけです。まぁ、私自身はキャセイとBA以外に
乗ることは無いと思いますが(^^;
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25日

2005年10月25日 | 徒然
今日は給料日。

いろいろ欲しい物はあるけれど、

本当に欲しいものって、

お金では買えない物だったりする。
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アジア都市シリーズ その5 ソウル

2005年10月24日 | 
空港に降り立つと、やはり「キムチ」の香りがしました。
韓国の首都「ソウル」
まだ、日本に対する感情は今以上に激しく、理解も乏しかった頃です。

中心部からすこし外れると、未だトタン屋根の市場が立ち並び
地下鉄の走る高架下には、薄暗いビリヤード場で「賭け卓球」。
90ウォンの使い捨て傘の骨は竹で出来ていて、
青いビニール袋が貼られている。
そんな、下町の風景が残っていました。

オリンピックを契機に著しく発展した街。
もちろん都心部はロッテホテルや東大門、南大門を中心に栄え、
梨花女子大周辺にはお洒落な店が建ち並ぶ近代都市に変貌していました。

都心の夜景は確かに綺麗です。でも、それはどこの国にもありがちな、
「ビルが建ち並ぶ」夜景でしかありません。

下町あたりの、低い屋根が並ぶそのところどころから漏れる灯りと、
教会の赤い十字架のネオン。
そんな優しい夜景が、瞼に焼き付いています。

残念だけれども、もうこの街にその風景は残っていません。
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遠くへ行きたい

2005年10月23日 | 徒然
NHKで、俳優の関口知宏さんが、鉄道で日本一周をしていました。
ご覧になった方もいるんじゃないかと思います。
私も今、暇を見つけては、あちらこちらに出掛けています。
さすがに、仕事をしながらなので、全て鉄道でという訳にはいきませんし、
全ての路線に乗るというのも、金銭的、時間的に不可能な状態です。
まだ見ぬ土地、まだ見ぬ人との出会い(それが一期一会なものであっても)は、
とても新鮮です。
揺れる列車の中で、レールの音と汽笛を子守唄代わりに旅をする。
車や飛行機にはない、ゆったりとした時間。
海、山、空。
すべてがその時間を包み込んでくれる。
さて、次はどこにいこうかな。
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ビールの話 その2

2005年10月22日 | グルメ
数日前の話になりますが、
キリンビール株式会社のキリンお酒と生活文化研究所が
2007年にキリンビール100周年を迎えるにあたっての事業として
行っている「『ビール5000年の旅』探究プロジェクト」の第3弾として
日本のビール史における“最初”のビールを「日本のビールのさきがけ」と位置付け、当時の史料に基づいて研究、復元を行いました。
第1弾は、このブログで以前に書いた、古代エジプトのビールの復元です。
キリンビール株式会社(以下キリンビール)によれば、
日本ではじめて醸造されたのは1812年ごろの長崎・出島。
オランダ商館長のヘンドリック・ドゥーフが醸造したビールだそうです。
日本人が最初に作ったのは、兵庫の三田出身の蘭学者 川本幸民が醸造したビールで、1853年ごろだそうです。
そして3つめは、明治3年に初めて日本で産業(販売用)として醸造された「ウィリアム・コープランド」のビール。ドイツ風のラガービールだそうです。
古代エジプトビールを飲んだことがある以上、これらのビールも是非飲んでみたいですね。

さぁ、これから鍋物の季節です!
みんなで美味しい鍋物をつついて、美味しいビールを飲みたいですね!
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惜別(アジア都市シリーズ③ 高雄)

2005年10月21日 | 
台湾南部の大都市 高雄
この街の大学で 本当に短い時間ではあったが 多くのことを学んだ
ただ それは学問ではなく この街の魅力だったのだが…

この島は いつも歴史に翻弄されてきた。
しかしこの街は いつでも人々を見守ってきた

雨の夜 傘も差さずに歩いた並木道

祭りの夜 光に包まれ歩いた川縁の道

夕陽を眺めながら肩を並べた海岸

波の音を聴きながら 口づけをした砂浜

スコール明けの夕暮れ 学友たちとそぞろ歩いた六合夜市

全てが優しかった

工業都市 貿易港
この街の顔は色々あるけれど
どこか芸術的で幻想的な
そんなこの街が好きだ

最後の夜
いつものように暑い夏の夜だった
なにもかも忘れるくらい
酒を飲んだ
明日、東京へ帰らなければならないことを忘れるくらい・・・

友に 詩を贈った
そして いつの日か
また この地へ帰ってくることを約束した


今宵酌酒一堂親

師友気色新

白雨一過山館夜

贈詩歸去遠行身
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アジア都市シリーズ② 上海ラプソディー

2005年10月20日 | 
今、おそらくアジアで一番変わりつつある街
そして、一番元気な街
上海

上海にはJAZZがよく似合う。
租界あたりの、こ洒落たBarのカウンターに腰を下ろし
トランペットやサックスの響きに耳を傾ける。

三明治(サンドイッチ)をつまみながら
静かにグラスを傾け
今日の疲れを洗い流す

初冬の上海は
夜景が一際美しい

雑踏と静けさが 租界の路地裏で交錯する
ヨーロッパでもアジアでもない
不思議な空間

上海の夜は
英語で過ごすのも 洒落ている

少しほろ酔いの頬に
黄浦江を渡る風が
気持ちいい

タクシーの運転手は
中国語で話し掛けてくるが
今日だけは英語で答えさせてくれ

もう少しだけ 酔っていたいから…
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アジア都市シリーズ① 香港ハーバーライト

2005年10月19日 | 
高層ビルの明かり。行き交うフェリー。
色々な言葉が行き交う。
ハーバーライトが、水面を照らす。
最先端のビジネスセンターと、アナログな路地が交錯し、
喧騒の絶えない大都市には「中華的」は似合わない。
中国に返還されてからのこの街のほうが、
お洒落になったような気がする。
イギリス紳士的なこだわりではなく、アジア人的な貪欲さ。
そこから産み出されるものが、この街の混沌でもあり、トレンドではないだろうか。
そして、この混沌こそが、いまの中国でもあるような気がする。
それでも、「中華的」は似合わない。
そう、この街は「アジア的」である。
波止場に立って、生暖かい風に吹かれる。
湿気を含んだ空気に滲んだ、ネオンライト。
この街は、眠らない。
アジアは今日も元気だ。
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2005年10月18日 | 徒然
雨の音に目を醒ます
窓という額縁の向こうに
やわらかく やさしい雨

雨の日が好きになったのは
いつからだろう
物憂げな雨も
その物憂げさが なぜか気持ちいい

雨上がりの
土の香り 草の香り
透き通った空気は
新しい世界のはじまり
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十六夜

2005年10月18日 | 徒然
ふと見上げると いつになく輝く月

その月の灯りは

風雅で美しく 鮮やかにして儚い

遠く離れたあの人も

今ごろ同じ月を見上げているだろうか


見上げれば
袖あわせたる かの人の
面影みゆる
十六夜の月
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鹿児島

2005年10月17日 | 
おそらく、今ごろ東京はもう暗くなっている頃だろう。
しかし、南国である。まだ、空は青い。
人々は元気だ。
それにしても暑い。
それでも、歩いて天文館へ向かう。
連休の所為か、すごい人波である。
正直、この街が、これだけ活気があるとは、
今日まで思っても見なかった。
幼少の頃、「ブルートレインは、西鹿児島まで行くんだよ」
と、聞かされて育った。
子供にとって、鹿児島は、果てしも無く遠い街であり、
ある種の憧れの地でもあった。
新幹線が開通し「西鹿児島駅」は「鹿児島中央駅」となった。
いま。東京からこの街まで直通している夜行列車は一つも無い。
しかし、その距離は縮まった様な気がする。
その鹿児島に、今、私は立っている。
福岡から約1時間。最後のYS11で、鹿児島に降り立ったときに、
ついに、幼少の憧れの地に着いたという喜びと、
しかしそれが、青い列車で来たことではなかったという
少しの寂しさに、複雑な思いがあった。
そんなことを考えながら、白熊アイスを食べる。
次に来る時には、新幹線も博多まで開通しているんだろうな。
否、またこの街へ来ることはあるのだろうか?
旅は、一期一会である。
出会う人も、街角も、すべて二度と出会えないものかもしれないと
そう思いながら、旅をする。
でも、こんな風に考えるのはよくない。
いつか、また来るだろう。

今夜は満月である。
私は、駅へ戻り、宮崎へ向かう列車の右側に席をとった。
いつの間に暮れた空に、一際白く月が輝いていた。
ビールを開けて、窓に映るもう一本のビールと乾杯する。
桜島が、ほんのりと、すこしはずかしそうに照らされていた。
月は、涙で滲んでいた。
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