元素プレート

2023年12月21日 | 埼玉のお散歩
東武東上線、地下鉄有楽町線副都心線和光市駅南口から、理化学研究所までの道は、2015年に理化学研究所が合成・発見に成功したニホニウムにちなんで、ニホニウム通りと名付けられています。

足元には、水素からオガネソンまでの118元素のプレートが理化学研究所のちょっと先まで埋められていますが
もちろん113番のニホニウムは理化学研究所の入り口前に設置されています。




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風鈴

2023年07月04日 | 埼玉のお散歩
風鈴が並ぶ川越氷川神社



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仙波東照宮

2023年07月01日 | 埼玉のお散歩
日本三大東照宮のひとつ、仙波東照宮。

元和二年(1616)に家康公が薨去し、遺言に拠って一旦駿府久能山に埋葬され、日光山への改葬にあたって、その法要を川越喜多院で行った事から、久能山、日光山に次いで東照宮が造営されました。

また、手毬唄「あんたがたどこさ」は、熊本の歌とされていますが、歌詞が関東方言であることや、「肥後どこさ熊本さ」と、説明調になっていることから、この地(川越)が発祥ではないかとも謂われています。
「仙波山のタヌキ」は仙波東照宮の祭神、家康公を指すという考察もなされているようです。




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どろぼう橋

2023年06月16日 | 埼玉のお散歩
川越の喜多院と東照宮の境内の堀にかかる橋「どろぼう橋」。

江戸時代、境内は神領かつ幕府の御朱印地でもあり、川越藩の町奉行の支配が及ばない場所であることを知っていた一人の盗賊が、町奉行の与力同心に追われ、この橋から境内に逃げこんだが、盗賊は寺男たちに捕えられ寺僧に諭され悪いことがふりかかる恐しさを知り、盗賊は厄除元三大師 に心から罪を許してもらえるよう祈り、ようやく真人間に立ち直ることができた。
そこで寺では幕府の寺院奉行にその処置を願い出たところ、無罪放免の許しが出た。その後、町方の商家に奉公先を世話されると、全く悪事を働くことなくまじめに一生を過ごしたということから、この橋をどろぼう橋と呼ぶようになったそうです。






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川越の成田山

2023年06月15日 | 埼玉のお散歩
成田山川越別院本行院は、成田山新勝寺の別院「第1号」で
廃寺になっていた本行院を嘉永六年(1853)に石川照温が再興した後
明治十年(1877)に成田山別院となりました。



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喜多院

2023年06月14日 | 埼玉のお散歩
天長七年(830)、淳和天皇の命によって慈覚大師円仁(慈覺大師圓仁)が天台の教えを東国へ広めるために無量壽寺として建立された寺院で、
一度衰退したものの鎌倉時代に再興し後奈良天皇から星野山の山号の勅額を賜りました。

戦国時代に再度衰退したものの、慶長四年(1599)に天海僧正が住職となり喜多院と名を改め、さらに老中で川越藩主であった酒井忠利によって再興されました。

東国における天台総本山ということで山号を東叡山に改めましたが、のちに寛永寺に譲り星野山の山号に戻りました。



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とおりゃんせ

2023年06月13日 | 埼玉のお散歩
川越城跡に鎮座する三芳野神社は大同二年(807)の創建とされています。三芳野は川越地域の旧称で伊勢物語などにもその名が見られる事からも、平安時代の創建である事が窺えます。

武蔵國一宮氷川神社を勧請したとも、京都北野神社を勧請したとも伝えられていますが、創建年代や祭神を考えると氷川神社を勧請した後に菅原道真を合祀する際、北野天満宮から菅公を勧請したと考えられます。

太田道灌による河越城築城の際には天神曲輪に位置しており、この時点ですでに天神社となっていたことになります。

このため、お城の天神様と呼ばれ庶民の参拝ができなくなりましたが、厚い信仰を集めていたため、時間を区切って入城を認めましたが
密偵の入城をおそれ、退出の際は参拝客を厳しく検べたと言われ、これが城下の子どもたちの間でわらべ唄となり、『行きはよいよい帰りは怖い』の「とおりゃんせ」になったそうです。


城下からの参拝客は富士見櫓の下を通って参道に向かった


寛永元年(1624)、家光の命により城主酒井忠勝が造営した社殿

看板にも「とりゃんせ」発症の地の記載



天神様の細道



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川越城本丸御殿

2023年06月12日 | 埼玉のお散歩
川越城址に現存する松平斉典が藩主だった嘉永元年(1848)に建築された入母屋造の本丸御殿。

現在は大唐破風の玄関と大広間、家老詰所だけが遺されていますが、それでも現存する城郭建築としては大変貴重な建物です。





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川越氷川神社の大鳥居

2023年06月11日 | 埼玉のお散歩
川越氷川神社の東参道に建つ木製の明神型大鳥居は、高さ15mで日本最大級の木造鳥居です。

社名の扁額は勝海舟の揮毫によるもので、神社ではそれにちなんだ「勝守」なども頒布しています。






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川越氷川神社の御神水

2023年06月09日 | 埼玉のお散歩
川越氷川神社の御神水。
正真正銘の湧水です。



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氷川神社の風車

2023年06月08日 | 埼玉のお散歩
川越氷川神社の風車

湿った風に吹かれてグルグル回っていました





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恋手水

2023年06月07日 | 埼玉のお散歩
6月初旬とは思えない暑さなので、涼しげに川越熊野神社の手水舎「恋手水」をどうぞ




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御田植祭の御神幸

2023年04月07日 | 埼玉のお散歩
秩父神社での祭典の後、今宮神社まで御神幸し、今宮神社での水分(みくまり)神事で龍神池の御神水を授かり
秩父神社へふたたび戻り配膳の儀を斎行します。

写真は秩父神社を出発する御神幸の行列



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秩父神社の枝垂れ桜

2023年04月06日 | 埼玉のお散歩
秩父神社神門と、その傍らで咲き誇るシダレザクラ




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秩父今宮神社

2023年04月05日 | 埼玉のお散歩
秩父今宮神社は、国内有数の古社とされ、西暦100年頃に信州諏訪の勢力がこの地に移住し
その際に武甲山の湧水を霊泉として水神を祀った事が起源と言われているそうです。

壬申の乱の際には役行者の導きで天武天皇側に協力し、そのことから知知夫(秩父)は発展しました。
このときに役行者は観音菩薩の守護神である八大龍王を霊泉の傍らに祀り、今日まで崇敬されています。

明治になるまでは修験道の霊場、今宮坊として栄え、神仏分離以降は今宮神社となりました。








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