東京都北区赤羽

2015年03月26日 | 徒然
同名の漫画と、それを底本とした実写ドキュメンタリードラマが
ヒットしています。(北区内と赤羽文化圏にある板橋区の一部では“大”ヒット)

そもそも現在の赤羽は、稲付・袋・岩淵・赤羽・神谷・下(志茂)などの
城下、宿場、集落が集まったもので、明治まで中心は宿場である岩淵でした。

明治中期以降日本鐵道が東北本線を敷設し、
品川線(のち国鉄山手線→赤羽線→埼京線)が赤羽で接続すると、
赤羽は鉄道の要所、そして軍事都市として開けました。

(赤羽駅西口)

(赤羽駅東口)

軍用鉄道専用線や、国鉄の火力発電所への専用線も
赤羽駅の周辺に敷設されていました。

(火力発電所跡は北区清掃工場になっている)

軍用線は赤羽駅北側の荒川橋梁に近い場所から南に向けて分岐して
赤羽八幡の麓、現在埼京線と新幹線のトンネル坑口付近から
勾配を登って兵器庫のあった西が丘競技場へ走っていました。

(バス停を横切るように線路は伸びていた)

(線路跡)

この頃に、岩淵と赤羽の、街としてのポジションが逆転したようです。

赤羽の地名は「赤埴(アカハニ)」の転訛と言われています。
「赤埴」とは、赤い粘土質の土(埴)の意味で、荒川(古入間川)が台地を侵食し、
関東ローム層が剥き出しになっている地形からきています。

関東ローム層は、富士山などによるテフラが多く含まれた地層で
含有される鉄分が酸化し、粘土質の赤土となったものです。
つまり「赤羽」という地名は「関東ローム層」そのものを指す地名なのです。
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