20年
2017年09月30日 | 旅
信越本線の横川・軽井沢間の碓氷峠を越える、通称「横軽」が廃止されて
今日で20年が経ちました。
この区間は、急勾配越えるために、勾配の下側に機関車を連結して運行する
特殊な場所であったため、避暑地軽井沢への、まさにネックとなっていましたが
それがために、一層「軽井沢」という地名が、特別な響きを持っていました。
それまで快走してきた特急列車も、この区間では機関車の力を借りて
ゆっくりと峠を登って行く様は、古く中山道碓氷峠を旅した人たちのようで
時間こそかかるものの「旅情」たっぷりの鉄道でした。
軽井沢駅に着いて、開いた扉から入ってくる高原の冷たい風や
素早く切り離されて、後方へ去って行く機関車のブロワー音は
東京からわずか70分弱で着いてしまう新幹線では、味わえない愉しさでした。
今日で20年が経ちました。
この区間は、急勾配越えるために、勾配の下側に機関車を連結して運行する
特殊な場所であったため、避暑地軽井沢への、まさにネックとなっていましたが
それがために、一層「軽井沢」という地名が、特別な響きを持っていました。
それまで快走してきた特急列車も、この区間では機関車の力を借りて
ゆっくりと峠を登って行く様は、古く中山道碓氷峠を旅した人たちのようで
時間こそかかるものの「旅情」たっぷりの鉄道でした。
軽井沢駅に着いて、開いた扉から入ってくる高原の冷たい風や
素早く切り離されて、後方へ去って行く機関車のブロワー音は
東京からわずか70分弱で着いてしまう新幹線では、味わえない愉しさでした。