東京大空襲

2015年03月04日 | 徒然
この時期になると必ず話題にあがる
東京大空襲。

この空襲は3月10日の下町空襲のことを指すが
実際には4月13日深夜(14日未明)の城北大空襲や
4月15日の城南京浜大空襲、5月25日の山手大空襲も
忘れてはいけない。

当時、警視庁消防部で署長であった祖父は
空襲の際には消火は無駄な事なので、子どもたちを連れて
近所の人共々埼玉方面へ逃げるように祖母へ厳命していたようである。

防空法が云々ではなく、元軍人で所轄署の署長の言う事であるから
隣近所もこぞって避難をしたらしい。

当時、末娘である私の母はまだ産まれてなかったので
祖母と伯父伯母たちは、バラバラになりつつも中山道を北へ逃げたそうである。

戸田橋あたりで夜が白んできて、どうやら空襲は終わったとの事から
自宅へ戻ってみると、一面焼け野原になっているものの
我が家の一角は焼けずに残っていたようで
旧街道と上水の尾根伝いは平成に入るまで戦前の家が残っていた。

私の家もその後、庭に防空壕を掘ったりしたそうだが
幸いにも、その後も焼けることなく、また戦死者や戦災死者を出すことなく
今日までこの地に居座り続けている。

死者の多くが下町大空襲によるものなので
とかくクローズアップされてしまうが
山手や城北、城南地区でも大空襲があったことを
ぜひ忘れないでいてほしい。

我が家の空襲の日は、今でも4月13日である。

コメント
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