かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠299(トルコ)

2016年05月10日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌40(11年6月) 【夕日】『飛種』(1996年刊)P132
       参加者:N・I、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、H・T、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:藤本満須子
       司会とまとめ:鹿取 未放


299 夜に入りて知るエーゲ海に波音なし魔のごときやみが人奪(と)りにくる
  
     (まとめ)
 具体的な殺戮の歴史というより、もっと本質的な生の恐怖を闇の中で感じているのではないだろうか。見えないがそこに海があるのに波音の聞こえない、日本と違う環境が闇の怖さに拍車をかけているようだ。(鹿取)


      (レポート)
 上の句は波音もなく静かな夜のエーゲ海をうたい、下の句で真っ暗な闇の中のエーゲ海、〈魔のごときやみが人奪(と)りにくる〉と突然恐怖と不安にかられる作者がいる。波のおだやかなエーゲ海であるが、眺めている作者は闇の中の音も無き海に不安をかりたてられている。ここでは歴史や民族の殺戮の恐怖などとか考慮に入れる必要はないだろう。(藤本)


    (当日意見)
★ここの海岸は石が大きいので波音がしない。(曽我)
★日本には失われた漆黒の闇がここにはある。生死のある畏敬の念。(慧子)
★結句は、エーゲ海を舞台とした民族間の争いを考えている。そこに繰り広げられた殺戮の歴史を回想している。(H・T)


馬場あき子の外国詠298(トルコ)

2016年05月09日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌40(11年6月) 【夕日】『飛種』(1996年刊)P132
       参加者:N・I、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、H・T、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:藤本満須子
       司会とまとめ:鹿取 未放

298 “人生は短く金はすくない”と言つたのはだれだエーゲ海の夕日

     (まとめ)
 引用部分については既に発言したが、諺のようなもので誰が言い出したとも特定できないし、する必要も無いだろう。誰だい、そんな馬鹿なことを言ったのは、という気分だろう。エーゲ海の夕日は金銭には換えられない美しさで、感嘆して眺めていたのだろう。(鹿取)
 
  
       (レポート)
 279「晩年の浪費のごとくエーゲ海の夕日しづかに沈むまで見る」の歌と同様にエーゲ海の美しい夕日、爛熟し沈んでゆく夕日に作者はおのれの人生を重ねて沈思しているのであろうか。(藤本)


(当日意見)
★“人生は短く金はすくない”という引用部分は通俗に落としつつ、エーゲ海の美しさを讃えている。(鹿取)

渡辺松男の一首鑑賞 304 追加版

2016年05月08日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究37(16年4月)
    【垂直の金】『寒気氾濫』(1997年)125頁
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆
     司会と記録:鹿取 未放

304 幽霊を真上から見てみたきなりぞくぞくと闇を泳ぐ幽霊

      (レポート)
(解釈)幽霊を真上からみて見たいものだ。きっとぞくぞくと闇を泳ぐ幽霊たちがいるにちがいない。
(鑑賞)前の303番を受けているのではないだろうか。この連作ではタテとヨコに動くものに目を向けている。闇にいる霊はヨコに這うように泳ぐ。(真帆)


      (当日発言)
★幽霊って前から来たり横から来るからぞっとする。それで作者はユーモラスに上から見て高みの見物をしてみたいなと考えた
 のじゃないかな。泳ぐ烏合の衆のようにぞくぞくとやってくる幽霊たちを上から見る。(慧子)
★これ空中を泳いでいるんですよね、まさか水の中を泳いでいる訳じゃない。確かに向こうにボーと立っているから幽霊は怖い
 ので、泳いでいたらきっと怖くないよね。(鹿取)
★幽霊って足が無いのよね。それで上から見るとまるで泳いでいるように見える。そういう視点の面白さ。時空を超えている訳
 です。「ぞくぞくと」は怖い意味ではなくて、何かそういう泳ぐ形の形容。(石井)
★「ぞくぞくと」は私も怖い意味だとは思わない。集団の意味だと百鬼夜行みたいで楽しいけど、あれはお化けで幽霊ではない
 か。でも、この歌、書いてある通りに読んで楽しくて好きですよ。(鹿取)
★人間界に置き換えると人間界もそんなものかと。(石井)
★松男さんは上から見る視点が斬新ですね。横から見たら怖くても上から見たら全然怖くない。まさに高みの見物ですよ。ぞく
 ぞくはたくさんいるってこと。面白い歌ですよ。(鈴木)


      (後日意見)(2016年5月)
 せなけいこ作の絵本『ねないこだれだ』が登場する記事を読んだ。(朝日新聞1016年5月7日夕刊)絵本は読んでいないので、読み聞かせのYouTubeを見てみた。最後は夜更かしする子自身がオバケになって、他のオバケに手を繋がれて夜空を飛んでいくお話しだ。絵本なので「オバケ」となっているが、絵のイメージはいわゆる幽霊である。「オバケは怖いけれど楽しい存在でもある」とせな氏は言っている。1969年刊行以来、読み継がれているそうだが、刊行時、渡辺松男は十代半ばだ。もしかしたらこの本を読んだ経験があったかもしれない。刊行当時でなくとも子育て時代に手にした可能性もある。もちろん、自在に想像力を馳せることのできる作者なので、この本に触れていなくても闇を泳ぐ幽霊の歌など充分に作ることは出来る。しかし、この絵本に触れた経験が反映していると考えてみるのも逆におもしろいかもしれない。(鹿取)

馬場あき子の外国詠297(トルコ)

2016年05月08日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌40(11年6月) 【夕日】『飛種』(1996年刊)P132
       参加者:N・I、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、H・T、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:藤本満須子
       司会とまとめ:鹿取 未放


297 晩年の浪費のごとくエーゲ海の夕日しづかに沈むまで見る

     (まとめ)
 レポーターが言うように「心を苛んでいる」とは思わない。「沈むまで見る」のだから、かなり長い時間、見ほれていたのだろう。そしてその景は作者の心を充たし豊かな気分になったのだろう。その喜びがあまりに大きかったので「晩年の浪費のごとく」と形容したのだろう。エーゲ海の夕日を讃えた文章は無数にあるだろうが、たまたま手元にある本から見る位置は違うが引用しておく。
     (鹿取)

私はパルテノン神殿の巨大な大理石の円柱のかげに立ち、エーゲ海にまっさかさまに落ちて行く太陽を望見した。息づまる美しさとは、あのような美しさを言うのであろう。美しさを通りこして、それは荘厳であり崇高でさえあった。太陽が姿を消すと同時に急速に寒さが加わってきたが、私は身じろぎ一つしないで、残照の空と海を見比べていた。(小田実『何でも見てやろう』)
  

       (レポート)
 エーゲ海と聞けばトルコを代表する高級リゾート地、港には数多くのクルーザーが係留され、真っ白い家並みが丘の斜面にまぶしく光る。紺碧のエーゲ海の深い色合い。どこかの城塞か、丘か、どこから眺めているのか分からないが、それは問題ではない。美しいエーゲ海に夕日が沈んでいく景をじっと見つめている作者、その沈んでゆく夕日を見ている行為は、作者の晩年をまるで浪費しているように心を苛んでいる。1、2句の「晩年の浪費のごとく」に思いが込められている。 (藤本)


      (当日意見)
★世界の人々が浪費していることを自分に引きつけて歌った。(慧子)


馬場あき子の外国詠296(トルコ)

2016年05月07日 | 短歌の鑑賞

 馬場あき子旅の歌39(11年5月) 【遊光】『飛種』(1996年刊)P131
          参加者:K・I、崎尾廣子、佐々木実之、曽我亮子、H・T、鹿取未放
          レポーター:崎尾 廣子
          司会とまとめ:鹿取 未放

296 大河のやうなトルコの歴史のかたはらにただ耕して生きしも歴史

      (まとめ)
 以前に鑑賞したいくつかの歌で気の遠くなるようなトルコの歴史を見てきた。作者はそれらの長い長い歴史と人々の営みに思いを馳せ、圧倒されているのであろう。それは「王権と宗教のむごき葛藤」の1万年であった。しかし、庶民の大多数は争いの傍らで、細々とそしてしたたかに地を耕してひたすらに生き継いだのである。そういう名もない歴史もあるのだと庶民のひとりひとりの生に思いを馳せている。(鹿取)

  
      (レポート)
 歴史を再び詠っている。トルコは一万年を超す歴史を秘めているという。様々な出来事が記されている。その流れの中では語られていないが、土を耕し稔りの秋をもたらしてくれた人々もまたいたのだと詠っている。あたりまえのことではあるが人は食なしには生命を保てない。歴史の流れの中でこの人々は大きな役割を果たしたのだと表現している一首であると思う。目に見えないものは尊い。(崎尾)


馬場あき子の外国詠295(トルコ)

2016年05月06日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌39(11年5月) 【遊光】『飛種』(1996年刊)P130
     参加者:K・I、崎尾廣子、佐々木実之、曽我亮子、H・T、鹿取未放
      レポーター:崎尾 廣子
     司会とまとめ:鹿取 未放

295 実りたる向日葵の種子嚙みしむる脂は甘くしづかに渋く 

     (まとめ)
  この辺りでは向日葵の種子を普通に売っているのであろう。かみしめるとその脂は甘くもあるがじんわりと渋さもある。渋いというところにキリスト教のもろもろも含めてトルコの経てきた苦い歴史や現代の苦悩を語らせているのだろう。「しづかに」のこころにしみ入るようなじんわり感が効いている。(鹿取)


       (レポート)
 アジアとヨーロッパが交錯する場所であったアナトリア半島の中央部にあって、今豊かに実っているのであろう向日葵の種子を嚙んでいる。嚙むほどに脂は濃厚で少しばかり渋いのであろう。あぶらは油ではなく脂なのである。その味わいの複雑さにトルコの歴史を、旅の日々を重ねているのかも知れない。トルコの歴史は深く魅力に富んでいるのよと言っているようである。(崎尾)


馬場あき子の外国詠294(トルコ)

2016年05月05日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌39(11年5月) 【遊光】『飛種』(1996年刊)P130
     参加者:K・I、崎尾廣子、佐々木実之、曽我亮子、H・T、鹿取未放
      レポーター:崎尾 廣子
     司会とまとめ:鹿取 未放

294 地下都市はずんずん深し産屋(うぶや)あり死の部屋あり クオ・ヴァディス・ドミネ

      (まとめ)
 「ずんずん深し」に勢いがある。大きい都市は地下八層まであったというが、産屋も死の部屋も備えたまったき生活空間であった、その様に圧倒されているのであろう。そして有名な「クオ・ヴァディス・ドミネ」の語句を反芻している。
 迫害が激しくなったローマから立ち去ろうとしたペテロが、十字架に架かって処刑されたはずのキリストに出会い、驚いて発する言葉が「クオ・ヴァディス・ドミネ」(主よ、いずこにいらっしゃるのですか)である。キリストは「再び十字架に掛けられるために」ローマに戻るのだと答える。それを聞いてペテロは逃げ出すことをやめ、ローマに引き返す。しかし、やがてペテロも捕らえられて十字架に掛けられたという。その出会いが言い伝えられた場所は、アッピア街道に近いローマ近郊の小さな村であるが、その地に後世ドミネ・クオヴァディス教会が建てられた。現在の建物は17世紀の再建という。
 この歌では地下都市の景に、クオ・ヴァディス・ドミネの言葉を添えることで、293番の歌「転向の心はいかなる時に湧くや地下都市低く暗く下りゆく」を補強し、不自由と苦難を強いる地下都市で信仰を保ち続けることの難しさを思いやっている。転向のこころが兆しても何ら不思議ではない。自分ならどうするか、この地下都市を見た者に突き付けられる鋭い問いであろう。(鹿取)
 

        (レポート)
 292では「くだりて」と、293では「下りゆく」と詠い深まっていったであろう信仰心を表現していると思うが、この一首は具体が鮮明である。この地で日常生活を営んだ人々の日々の姿が映像を見るように浮かんでくる。特に「産屋」という言葉の持つ力が人々の動きまでも想い描かせてくれる。そこでクオ・ヴァディス・ドミネ(ラテン語。主よどこへ行かれるのですか。インターネットより)と詠う。終末はまだ来ていないがと問いかけているのであろうか。「磔刑」にあったキリストは常にこの人々と共にあったのだと感じたのかもしれない。この地下都市に暮らした人々にとってゆるぎない信仰心を持ちつづけることはむしろ自然であったのであろうと想像は深まる。また「ずんずん」という言葉が一首の中でいきいきとしている。地下都市の不思議さが、修道士らの信仰心の深さが伝わってくる。(崎尾)
         ×××
 カッパドキアの地下都市は100を超えるという。現在見学できるのはデリンクユ、カイマックル、オズコナックである。デリンクユは変形した8層で、内部空間もかなり広く、中には祭室、台所、ワイン醸造所、トイレなどがあり、そこで長期の修道生活も可能であったであろう。異教徒からの迫害を恐れたキリスト教徒が一万から二万人、生活していたといわれているが、実際可能なのは千人単位ではなかったろうか。
        (大村幸弘『カッパドキア トルコ洞窟修道院と地下都市』集英社)


馬場あき子の外国詠293(トルコ)

2016年05月04日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌39(11年5月) 【遊光】『飛種』(1996年刊)P129
     参加者:K・I、崎尾廣子、佐々木実之、曽我亮子、H・T、鹿取未放
      レポーター:崎尾 廣子
     司会とまとめ:鹿取 未放

293 転向の心はいかなる時に湧くや地下都市低く暗く下りゆく

     (まとめ)
 迫害を受けたキリスト教徒達はあくまでも信仰を守るために地下都市を造って隠れ住んだ。しかし、長期間不自由な生活を強いられたり様々な条件から、ある人にふっと転向の心が忍び寄ってきたとしても不思議ではない。暗い地下都市を下りながら、作者はそんなことを考えたのだろう。2、3句の8、6音という字余りがそんな心のたゆたいを表現しているようだ。
 私はふっと太平洋戦争末期、沖縄のガマに暮らした民衆達のことが心をかすめた。遣欧使節団の帰国後のそれぞれの末路を勉強したことも思い出した。(鹿取)
 

       (レポート)
 地下都市を下へ下へと下り暗さも深まっていくなかで転向の心を思っている。地下深く暗い地に身を置いた修道士らの信仰心は深まっていくばかりであったであろう、と想像する。「転向の心はいかなる時に湧くや」と詠っている。だがおそらく転向した修道士はいなかったはずであると作者は思ったのだと解釈したい。「低く暗く下りゆく」と詠ったその言葉がそれを語っていると思う。そこでの暗さは作者の胸にしみ入ったことであろう。(崎尾)
     ×××
 カッパドキアの景観は数百万年前に噴火した火山が生みの親である。初期キリスト教時代の1世紀から4世紀にかけて、彼等はこの地に入ってきた。そして彼等の掘った洞窟修道院・聖堂の数はカッパドキア全体で1000を超えるといわれている。
(大村幸弘『カッパドキア トルコ洞窟修道院と地下都市』集英社)


      (意見)
★転向の心が湧くから、次のクオ・ヴァディス・ドミネの歌に繋がっていくんだと思います。
  (鹿取)


馬場あき子の外国詠292(トルコ)

2016年05月03日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌39(11年5月) 【遊光】『飛種』(1996年刊)P129
     参加者:K・I、崎尾廣子、佐々木実之、曽我亮子、H・T、鹿取未放
      レポーター:崎尾 廣子
     司会とまとめ:鹿取 未放

292 歴史とは苦しみの嵩地下都市をくだりて深く匂ふ土あり

     (まとめ)
 紀元前400年頃の資料には既に地下都市の存在が記録されているそうだが、ここは有名なカッパドキアの地下都市であろう。4世紀初め(ディオクレティアヌス帝による大迫害は特に有名である)迫害を受けてキリスト教徒達が地下に隠れ住んだといわれている。その跡を尋ねて深く深く下っていった時に匂う土の香、そこに人間の生の実体をあざやかに感じ取っているのであろう。そこの生活は信仰の喜びだけではない、さまざまな苦を伴っていたことも感じとっているのだろう。(鹿取)
 

       (レポート)
 作者は100を超えるというこの地の地下都市の一つに踏み入り、下って行った。そこで目にした光景の中で特に土から深い匂いを嗅ぎ取っている。人は生まれること、老いること、病むこと、死ぬことという四つの苦しみと向き合う。ここで一人一人が積み重ねていった年月に想いを重ねているのであろう。だが「深く」と詠っている。信仰心に充ちた日々の暮らしの中で深い喜びもまたあったはずである。との思いを抱いたであろう作者がこの言葉から見えてくる。(崎尾)
      ×××
 トルコ共和国、アナトリア半島は古来、アジアとヨーロッパが交錯する場所であった。一万年を超す歴史が謎を秘めたまま眠っている。その中央部のカッパドキアは、火山岩台地に長年の風雪による浸食作用がもたらした、見る者を驚かさずにはおかない奇観の地である。終末を予感し、この荒野に祈りの場所を求めた人々がいた。彼等は岩山を掘って洞窟修道院・聖堂を造り、信仰心に満ちた絵画を描いた。数千人の共同生活が可能な、8層に及ぶ地下都市や険しい岸壁に祈りのための洞穴を窄っている。
          (大村幸弘『カッパドキア トルコ洞窟修道院と地下都市』集英社)


      (意見)
★レポートにある生老病死という四つの苦しみは仏教の思想だから、ここではもちださない方がい
 いかなと思います。(鹿取)


馬場あき子の外国詠291(トルコ)

2016年05月02日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌39(11年5月) 【遊光】『飛種』(1996年刊)P128
     参加者:K・I、崎尾廣子、佐々木実之、曽我亮子、H・T、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子
     司会とまとめ:鹿取 未放

291 驢馬のあざみ驢馬の胡瓜みな棘ある草驢馬はかなしき棘食む馬か

           (まとめ)
 人間の食べる胡瓜にも棘はあるし、蔓には更に鋭い棘がある。あざみにだって花にも茎にも鋭い棘がある。驢馬のと形容されたこれらの植物はどのくらいの大きさなのか、ネットで調べてみるが出てこない。馬のようにこき使われて、馬ほどは大事にされず、棘ある草くらいしかあてがわれない。しみじみと驢馬をあわれんでいる。(鹿取)
 

           (レポート)
 驢馬があざみを食べる。あの棘の多い草を。初めて知った。この1首は初句から3句までが字余りである。が「驢馬」を3回、「棘」を2回用いることによってたたみこむような不思議な調べを作っている。辞書によると驢馬はウサギウマとも呼ばれ粗食に耐え、労役に耐えられるとある。情景ははっきりとは浮かんでこないが、この調べで驢馬の悲しさを表現しているのであろう。このあざみは野にあるあざみなのであろうか。胡瓜は黄熟したものなのか。驢馬だけが棘ある草のおいしさを知っている、と詠っているのかもしれない。結句の余韻を受け止めたい。(崎尾)


         (当日意見)
★「驢馬の胡瓜」「驢馬のあざみ」と呼ばれている野生の草があるのでしょう。「烏のエンドウ」 とか「雀のエンドウ」とおなじよう
 な言い方でしょう。きっと棘があって食べにくいしおいしく ないのでしょう。それを、驢馬はあてがわれて、お腹が空いているから
 仕方なく食べるのです。 作者はそのことに哀れさを感じているのでしょう。(鹿取)