かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 『泡宇宙の蛙』10

2017年08月31日 | 短歌一首鑑賞

   ★★「渡辺松男研究」に参加してくださる方を募集しています。
     母胎は「かりん」の鎌倉支部ですが、
     短歌経験の無い方、他の結社の方でもかまいません。
     どうぞお気軽にお越しください。
     場所は鎌倉駅東口2分の「鎌倉生涯学習センター」
     (0467-25-2030)です。
     今後の予定は9月1日(金)、10月14日(土)、11月3日(金)、
     いずれも13時からです。


  渡辺松男研究2の2(2017年7月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【蟹蝙蝠】P15
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:泉 真帆
      司会と記録:鹿取未放

10  体臭ははばかるべからざるものと山を行くなり猪独活(ししうど)を折り

     (レポート)
 猪独活は芹(セリ)科の植物で、笠状の白い小花をつける。
 山へ行くと様々な植物の発する匂いに出会うが、その匂いのどれもが、誰に遠慮することもなく己が匂いを発し、調和している。猪独活に強い匂いがあるかどうか私は知らない。たぶん猪独活を手折ろうと腰をかがめる先々で、山の自生植物の匂いが、作者の嗅覚を刺激したのだろう。「べからざるもの」という作者の主張が、きっぱりとしている。
 清潔になった現代社会で臭いものは大抵嫌われ、排除される。中年以降の体臭を加齢臭と厭う風潮すらある。だから自分の発する体臭にも敏感になり、つい遠慮が生じる。しかしどうだ。この山の自然を行くとき、存在を明らかにする固有の匂いを発し、植物は遠慮なんかしていない。作者はあるがままの匂いを美しいと感じたのかもしれないし、己が体臭を憚る行為の小ささに、嫌気がさしたのかもしれない。(真帆)


     (当日意見)
★猪独活は薬用であり食用でも在るらしいです。芹科ですね。猪だから臭いが強いのかもしれませ
 んね。(A・Y)


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渡辺松男の一首鑑賞 2の9

2017年08月30日 | 短歌一首鑑賞

   ★★「渡辺松男研究」に参加してくださる方を募集しています。
     母胎は「かりん」の鎌倉支部ですが、
     短歌経験の無い方、他の結社の方でもかまいません。
     どうぞお気軽にお越しください。
     場所は鎌倉駅東口2分の「鎌倉生涯学習センター」
     (0467-25-2030)です。
     今後の予定は9月1日(金)、10月14日(土)、11月3日(金)、
     いずれも13時からです。


  渡辺松男研究2の2(2017年7月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【蟹蝙蝠】P14
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:泉 真帆
      司会と記録:鹿取未放

 9 蟹蝙蝠(かにこうもり)大群生して霧深したれに逢いたくて吾は生まれしや

      (レポート)
 蟹蝙蝠はキク科の多年草で、山の針葉樹林の下に群生する。霧深い山奥で、蟹の甲羅に似た葉が、辺り一帯に群生しているを見ながら作者はふと、自分は誰に会いたくてこの世に生まれたのだろうと問う。
 私は一首を読み、まず「蟹蝙蝠大群生して」という表現に引き込まれた。「蟹蝙蝠」は植物なのに、初句にポンと置かれたことにより、字面からまるで蟹がうじゃうじゃ、蝙蝠がバタバタ飛んでいるかのような錯覚をしてしまった。霧深い中で、植物のむせかえるような生命力が、匂いや肌に帯びる湿り気とともに伝わってくる。生の目的を問うのではなく、誰に逢いたくて生まれたのかと問うところに、作者の存在自体が相聞歌であると思わせるような、壮大なロマンを感じた。「大群生して霧深し」と巧みな三句切れの修辞が、下句の自問する心情に余韻を醸す効果をもたらしていると思った。(真帆)


     (当日意見)
★霧がポイントかなあと思います。登山をしていて霧に巻かれると幻想的な気分になります。お母
 さんのことを思い出されたのかもしれませんね。(A・Y)
★今のはいい意見ですよね。蟹蝙蝠ってインパクトのある言葉ですけれど、霧が深いことも大事で
 すよね。さっきまで見渡す限り蟹蝙蝠が群生している谷か何かを見下ろしていたんだけど、霧が
 深いのでもう自分の周囲しか見えなくなった。そんな時に自分は誰に逢いたくて生まれてきたん
 だろうって問いがふっと浮かんでくる。問いへ繋がる気分がとってもなだらかで余韻があります
 ね。真帆さんが書いているように、ホント壮大なロマンを感じます。(鹿取)


     (後日意見)
 「短歌」二〇〇四年八月号の特集「現代秀歌101首」で前登志夫はこの蟹蝙蝠の歌を挙げて渡辺松男の歌について書いている。その中から抄出して紹介する。(鹿取)

・救世主ぶった偉そうなところや傲慢さがなく、むしろ剽げてさえいる。
・(掲出歌以外の三首を挙げて・鹿取注)渡辺松男氏の歌のユニークなのは、おのれのいのちの全
 体が、一木一草であり、蛇であり蛙であるという発想である。
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馬場あき子の外国詠201(中国)

2017年08月29日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌26(2010年3月実施)
     【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)167頁
      参加者:N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:T・H
      司会とまとめ:鹿取 未放


201 烏魯木斉に天池(てんち)あり標高二千なり西王母の雪風に匂へり

       (レポート)
 烏魯木斉には、標高2000メートルのところに天然の池がある。雪消水で作られた池であろう。「西王母の雪風に匂へり」とはどんな雰囲気なのであろうか。神々しい雰囲気、それは下界とは違い、とおい過去の伝説を思い出させる。(T・H)
 西王母:中国の伝説上の仙女。災害と刑罰を司る、と考えられた。漢の武帝が長命を願って       いることを知り、3000年に一度実がなるという仙桃を捧げた、と言われている。
        

     (まとめ)
 その名もズバリ天池という風光明媚な池が烏魯木斉にある。標高二千という高度にあって、周囲には雪を頂いた山々が連なっている。山々の峰には雪が積もっていて、風に乗って雪が匂ってくる。それは西王母の降らす雪であって、清新このうえもない。
 二句め「あり」、三句め「なり」と二箇所に切れがあり、結句は「匂へり」とi音の脚韻を踏んで力強くシャープなリズムを生み、作者の感動の強さを伝えている。もっといえば二句めの「あり」は音数上は「天池あり/標」と句割れになって複雑なリズムを作っている。
 ところで作者が訪問した時の天池は、ひっそりして人もまばらだったのだろうか。いまや観光地化してレジャーランドのようなにぎわいで、国の内外から連日観光客が訪れてごった返していると聞く。土産物屋などもたいへんな数のようだ。(鹿取)

 

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馬場あき子の外国詠200(中国)

2017年08月28日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌26(2010年3月実施)
      【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)167頁
       参加者:N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:T・H
        司会とまとめ:鹿取 未放


200 匂ふといふ色雪にあり烏魯木斉の空に天山は暮れ残りゐつ

       (レポート)
 「匂ふといふ色」とは、どんな色だろう。今、白雪を被った7千メートルを超す天山山脈の山々は、夕暮れを迎えている。が、まだ暮れていない。我々の知る夕焼けでもない。夕暮れのかすかな光に淡く浮かんだ山々。それが「残りゐつ」(残っていた)の雰囲気だろうか。(T・H)


      (まとめ)
 夕暮れの天山の被る雪を「匂ふといふ色」と捉えたところがすばらしい。「匂ふ」は美しい色つやをいう語だが、今でも「匂うような黒髪」などの言い回しに意味の名残がある。暮れ残っているのだから天山の裾野は徐々に暗くなっているが雪を被った天山の頂の方はまだ夕日が雪を染めているのだろう。かそかな光りをたたえたはかなげな夕暮れの山を何色とも言い難く、「匂ふといふ色」と捉えた。作者の感動のほどもしのばれる。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠199(中国)

2017年08月27日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌26(2010年3月実施)
    【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)166頁
     参加者:N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H
     司会とまとめ:鹿取 未放


199 おお天山その新雪のかがやける静かなる身もて機窓に迫れ

       (レポート)
 今、飛行機の窓外に天山山脈が見えてきた。その山頂は新雪に輝いている。シルクロードは天山南路・天山北路と、その山脈の裾野の南北を東西に走っている。山々の中には7千メートルをこすものもある。当然、雪を被っている。新雪を被って、照り輝いている様子に、今、馬場先生は感激を新たにしておられる。「静かなる身もて機窓に迫れ」「迫ってくる」ではなく、「機窓に迫れ」と呼びかけておられる先生のお気持ちは、どんなものなのか?「迫ってきてくれ」とは?(T・H)


      (当日意見)
★どちらが迫ってくるか錯覚。ネパールの山の歌と歌いぶりが違う。(慧子)


      (まとめ)
 全体に昂揚した詠いぶりである。新雪を被った天山の偉容に圧倒されている作者が見えるようだ。「迫れ」は命令形ではなく、「こそ」という係助詞の省略された已然形で強調を示しているのだろう。「新雪かがやく天山が機窓に迫ってきたことよ」という意味になり、山自体がこちらに向かって迫ってくる迫力を感じる。
 ネパールでは「夢と思ひしヒマラヤの雄々しきマチャプチャレまなかひに来てわれを閲せり」と詠われているが、この天山の歌よりおよそ5年後のことである。
 掲出歌についても『飛天の道』あとがきから作者のことばを少し引用する。(鹿取)

   旅では白雪を被いた天山の並はずれた大きな美しさに日々感嘆の声を発していた……
(馬場あき子)

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馬場あき子の外国詠198(中国)

2017年08月26日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌26(2010年3月実施)
     【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)166頁
      参加者:N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:T・H
       司会とまとめ:鹿取 未放

198 富士よ富士しだいに小さく日本は沈みゆき濃きスモッグに満つ

       (レポート)
 今、馬場先生ご一行は、敦煌に向けての飛行機の中に居られる。先生は今、飛行機の窓から、遠ざかり行く富士山を眺めておられる。その姿が小さくなって遠ざかるのを、日本の現状と考え合わせられて、下界はスモッグに覆われた日本の現状に思いを馳せられて、その現状を嘆いておられる。(T・H)


     (意見)
★T・Hさんは「敦煌に向けての飛行機の中に居られる」とお書きですが、細かいことですみませ
 んが、その窓から富士山が見えるのは変だと思います。現在もあるかどうか知らないのですが、
 2000年以前に、日本から敦煌への直行便ってあったのでしょうか?普通、敦煌に行くには中
 国の都市から国内便の小さな飛行機に乗り換えて行くので、ここは「中国に向けて」でないとお
 かしいと思います。(藤本)


     (まとめ)
 前歌【風早(かざはや)の三保の松原に飛天ゐて烏魯木斉(うるむち)に帰る羽衣請へり】を受けての作だから、烏魯木斉に帰る飛天とこれから行こうとする自分たちを意識の上で重ねているのであろう。「富士よ富士」と呼びかけるとき日本を離れる飛天の寂しさも投影させているのだろう。スモッグに満ちた日本が小さく沈むように遠ざかってゆく。「スモッグに満つ」に象徴される日本の現状は自然破壊や環境汚染の問題だけではなく、汚染を生み出す政治状況の不透明性までを含んでいるのだろう。「沈みゆき」にそんな祖国日本に対する悲しみと哀惜が滲む。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠197(中国)

2017年08月25日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌26(2010年3月実施)
     【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)165頁
      参加者:N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:T・H
      司会とまとめ:鹿取 未放


197 風早(かざはや)の三保の松原に飛天ゐて烏魯木斉(うるむち)に帰る羽衣請へり

       (レポート)
 今、馬場先生は「飛天」から、三保の松原の「羽衣」を思い出しておられる。謡曲「羽衣」はよく知られた内容で、天女が隠された羽衣を返してくれるよう、漁師に頼む。その際、漁師は舞を所望する。天女は羽衣を纏い、舞を舞いながら天に帰って行く。馬場先生は今、その天女を烏魯木斉に帰るためにその羽衣を要求したのだと規定される。なぜ烏魯木斉なのだろうか。
 敦煌から、まだ遙か西方である烏魯木斉へ、馬場先生ご一行は、これから向かわれるのであろう。その烏魯木斉は、日本の三保の松原から考えると、それはもう遙かに遠い天空のようなところと思われる。それで「烏魯木斉に帰る~」と言われたのであろう。(T・H)
烏魯木斉:新疆ウイグル自治区の区都。海抜900メートルにあり、町の名はウイグル語で
        「優美な牧場」の意。市街ではポプラ並木が三、四列と連なり、その間を清水が
        流れるオアシス都市特有の光景を持つ。北京より約2700キロ。東京~北京間
        より300キロも遠い。


      (当日意見)
★烏魯木斉の字面のおもしろさを狙っている。(慧子)


     (まとめ)
 歌は「三保の松原に飛天がいて烏魯木斉に帰る羽衣を返して欲しいと言った」の意。「風早の」は風が激しく吹く意味だが古歌では「三保」に掛かる枕詞のようにも使われている。(万葉集に「風早の三穂の浦廻(うらみ)の白つつじ」(四三七)などとある)しかし「風早の」がこの歌では意味としてよく機能していて、三保の松原から烏魯木斉までの途方もない距離を帰っていく飛天にスピード感や爽やかさを与える役目をしている。
 羽衣伝説は日本各地にあるが、近江、丹後、三保の松原のものが特に有名である。謡曲「羽衣」は三保の松原が舞台で、羽衣を見つけた漁師が、天女の舞と交換にこれを返す美しいお話。飛天が帰って行く場が作者らがこれから尋ねようとしている烏魯木斉だという断定がほほえましい。歌集『飛天の道』のあとがきに、この歌に関連する部分があるので長いが引用させていただく。 (鹿取)

  シルクロードという東西の文物の交流の道は、同時に仏教やイスラム教や、道教などの思想・
   宗教の伝来の道でもあり、その激しい葛藤の道であった。しかし、天翔る飛天の表情はどれも
  温雅で、閑雅な楽の音とともにある。それは魂を癒すべき無辺の愛を導き運ぶもののやさしく
  強い意志の力にかがやいていた。その飛天の道の終点が日本であることも感慨深い。日本の天
  女伝説はすでに『風土記』の中にあるが、能「羽衣」によって定着し、一般化した三保松原の
  天女も、このシルクロードから飛行してきた天女の一人だったと思うと特別ななつかしみが 
  湧く。



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馬場あき子の外国詠196(中国)

2017年08月23日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌26(2010年3月実施)
       【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)164頁
        参加者:N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:T・H
        司会とまとめ:鹿取 未放


196 靡くもの女は愛すうたかたの思ひのはてにひれ振りしより

       (レポート)
 このお歌も、莫高窟内に描かれた「飛天」たちの衣を詠われたものと思う。「飛天」は天空を飛んで、仏陀を礼賛・讃美する天人。しばしば散華や奏楽器の姿で表現される。天空を降りてくるのであるから、衣も乗っている雲もたなびいている。「たなびくもの」を女は愛す。そうかな?確かに柔らかな衣・スカーフなどをたなびかせて女は歩く。「うたかたの思ひのはてに」はかない思いの果てに、「ひれ振りしより」布を振って以来。これは万葉集の「~いもがそでふる」を引用されているのかも知れない。 
(万葉集20「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」など)  (T・H)
  


          (当日意見)
★「袖を振る」と「領巾を振る」は、違う。また、「うたかたの思ひ」とはかつての自分のことだ
 ろうか。(藤本)
★佐用姫伝説の主人公が、せっかく恋仲になった大伴狭手彦と瞬く間に別れがやってきて、領巾を
 振って泣くことになるんだけど、「うたかたの思ひ」ってそのことじゃないですか。(鹿取)


      (まとめ)
 靡くものを女は愛するようになった。はかない恋の思いの果てに領巾を振ったあの昔から。
 万葉集に載る「ひれ振る」歌を幾首かあげてみる。

 a 松浦県佐用姫(まつらけんさよひめ)の子が領巾(ひれ)振りし山の名のみや聞きつつ居ら
   む(巻五・八六八) 山上憶良

 b 遠つ人松浦佐用姫夫恋ひに領巾振りしより負ひし山の名  
     (巻五・八七一)   作者不詳、一説に山上憶良とも

 c 海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫
      (巻五・八七四) 大伴旅人

 これらの歌はいずれも佐賀県唐津市に伝わる佐用姫伝説をもとにして後世の歌人達が詠ったもので、伝説はこうである。
 537年、百済救援の為、兵を率いて唐津にやってきた大伴狭手彦(さでひこ)は、軍船建立まで滞在した長者の家で、長者の娘佐用姫と恋仲になった。やがて狭手彦は出航し、姫は鏡山に登って領巾を振り続けた。その後、七日七晩泣き続けてとうとう石になってしまった。そこで領巾を振った鏡山を領巾振山(ひれふりやま)と呼ぶようになった。現代も唐津市に鏡山(領巾振山)は残っている。ところで憶良や旅人は7世紀後半から8世紀前半にかけて活躍した歌人だから、領巾振山の伝説からは既に150~200年の時が経過していたことになる。
 ともあれ、馬場のこの歌は万葉集のこれらの歌を背景におきながら、悲恋の姫に想いをよせ、そこから靡くものを愛するようになったと女のはかなげな習性を思っているようだ。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠195(中国)

2017年08月22日 | 短歌一首鑑賞
 
    ◆192番~194番までは、帰国後の歌なので195番に飛びます。   


  馬場あき子の旅の歌26(2010年3月実施)
    【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)164頁
     参加者:N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H
      司会とまとめ:鹿取 未放


195 蜃気楼の国のやうなる西域の飛天図を見れば夜ふけしづまる

     (レポート)
 馬場先生ご一行は、今、中国はシルクロードの旅をしておられる。そして今日は敦煌の莫高窟
を見学して来られたのだと思う。「蜃気楼の国のやうなる」とは、歴史的にも遙か彼方、漢の武帝の時代より(B・C140年頃)注目されていた西域・シルクロードへ、今、足を踏み入れられた。それはまさに日本からも「蜃気楼の国のやう」に遙かに遠い「西域」であり、また今日見てこられた「飛天」の多くは、天上遥かから、音曲を持って、仏の来迎を讃美する姿である。それらを見てこられて、今、夜のしじまの中を寝付こうとしておられる。しかし目は冴え渡って、今日見てこられたさまざまな莫高窟内の図柄が目の前に浮かび、なかなか寝付かれない。周囲は沙漠である。物音一つしない。ますます目は冴え渡ってゆく。あき子先生の思い、お姿が目に浮かぶようである。(T・H)


     (まとめ)
 この歌は現地に行って飛天を見ての感慨か、蜃気楼の国のようだと考えていたその西域に正に自分が旅しようとして、あこがれの飛天図を写真か何かで眺めている図か、二通りに考えられる。四首めに富士が出てくる構成から考えると、行く前のあこがれの気分と読んで欲しいという作者のメッセージかもしれない。
 蜃気楼の国のようだというのは、距離の遠さもさることながら何千年という時代的な距離感なのだろう。ぼんやりと見えるがすぐに消えてしまう蜃気楼のように、ほんとうに存在するのかも危ぶまれるような、それゆえ強い憧れをかきたてるそんな西域なのだろう。夜は更けて静かだが、自分はあこがれの飛天図を飽きもせずに見入っているのだ。(鹿取)



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馬場あき子の外国詠191(中国)

2017年08月21日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌25(2010年1月実施)
  【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)127頁~
    参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:N・I
    司会とまとめ:鹿取 未放

 ◆レポートに不慣れな者が担当しています。多々不備がありますがご容赦ください。

191 貧しからねど豊かならざる表情に水牛は耕し終へて我をみる

      (レポート)
 肉牛はビールを飲まされブラシで磨かれ高く売られることに価値があるのですが、水牛は労働のために使われ又ある種の競技にも用いられます。泥に近い畑を耕し終えた水牛の眼にある種の険しさを見たのでしょう。人間にも、また今の世相にも通じる含蓄の深い歌と思いました。(N・I)


     (まとめ)
 動物側から「我をみる」という詠み方は馬場がよくする技法。何度かこの旅の歌シリーズにも例歌を挙げてきた。「貧しからねど豊かならざる表情」とはどういう感じなのだろうか。牛のことではないが、この中国旅行では「民衆は豊かならねどくつろぎて飲食に就く暗き灯のもと」のように歌われている。この豊かは経済上のそれである。しかし牛には経済上の解釈はできないので(もちろん、その反映として心地よい牛舎や美味しい餌をもらえるということはあろうが。)あくまでも内面の表情である。それも耕すという労働が終わってほっとしたひとときである、貧しくはないけれども豊かではない表情で我をみて、水牛は何を思っているのであろうか。
   (鹿取)




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