かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

辻口雄一郎著『正法眼蔵の思想的研究』  訂正版

2014年09月04日 | 本の紹介


               
 ◆著者名の「辻」は、しんにょうが「`」一つが正しいのですが、反映できず申し訳ありません。
   以下の記事についても同様です。
                 

 大学時代の友人が『正法眼蔵の思想的研究』という本を上梓したことを偶然知った。

 『正法眼蔵の思想的研究』を出版した辻口君(大学時代、そう読んでいたので、ここでも「君」と書かせていただく。)とは「哲学研究会」というサークルで一緒だった。私は結婚してから大学に入ったので仲間はみんな年下だったが、優秀な学生が競い合っている「哲研」で、私はいつも劣等感にさいなまれていた。そんな一齣を第2歌集『いろこの宮日記』のあとがきで、私はこんな風に書いている。

「哲学研究会」の部屋は、地下にあった。七、八人が集まって毎日読書会をしていた。
テキストは、曜日によって現象学だったり仏典だったりしたが、わたくしは先輩たちの言っている内容がほとんど理解できなかった。それでたいてい黙ってうつむいていた。すると「何か言いなよ」というように友人が机の下でわたくしの脚を蹴るのが常だった。

 親切で私の発言を促してくれたのがこの辻口君だったのだが、2年になって妊娠した私は、いつとはなしに哲研から遠ざかってしまった。そんな夏休み、西瓜のようなお腹を抱えた私を辻口君が突然訪ねてきてくれたことがあった。寺で修行しているということで、坊主頭だった。 

 あの頃、ライバルだと思っていた哲研の仲間一人一人が懐かしいが、大学を出てからは誰とも会っていない。辻口君についても駒澤の大学院で禅の研究をしていると風の噂に聞いただけだった。その彼の長い間の研究が実ったというか、中間報告が出されたというか、本に結実したことがほんとうに嬉しい。辻口君、おめでとうございます。

 さて、その本の内容だが、紹介できるほどまだ読み進めてはいない。寝そべっては読めない、心して読む本なので、なかなか進まないのだ。しかし彼らしい論の進め方だと思って読んでいる。論理的で緻密、しかし分かりやすさを心がけて文章に暖かみがある。30年余り考え抜いたことを、何とかして読者に手渡したいという情熱が感じられる。

 でも、内容の具体をここで紹介するのは難しいので、目次を挙げてみる。
・序章  『正法眼蔵』を学ぶ人のために
・第一章 伝統宗学の『正法眼蔵』解釈の批判的検討
・第二章 『正法眼蔵』における中国禅の継承とその創造的展開
・第三章 十二巻本『正法眼蔵』と七十五巻本『正法眼蔵』
・第四章 『正法眼蔵』における時間と存在
・第五章 日本哲学における道元禅の受容
・第六章 現代思想と道元――比較思想の観点から

 序章で、筆者は
  『正法眼蔵』の文脈を透き通って渡ってくる「不染汚」の風に触れ、その源に少しでも遡源したいと願う人たちにとって、
   ――中略――少しでも役に立ちたいと思う。
   とこの本を書く動機を述べている。

第一章は、古註『正法眼蔵抄』について批判的に考察したもの

第二章は、「中国禅が道元禅にどう継承されているのかを明らかにする」
「道元が如浄の下で体得したとされる『心身脱落』をテーマに検討する」

第四章以降は、「哲学的な立場から『正法眼蔵』を論じたもの」

第五章は、「日本哲学における道元禅思想の受容の問題」
「とりわけ、ここに取り上げた道元禅の京都学派の哲学への影響の問題は、
      自己を忘れて道に生きた道元の教えから、『自己を忘れる』ことだけを拾い、
      『道』を忘れてしまった二〇世紀の『禅』の哲学を批判せんとするもの」

 アウトラインは以上のようなものだが、『正法眼蔵の思想的研究』を最後まで読み終わって、何か書けたらまた書いてみたい。


      


 手元に、かつて辻口君から紹介されて折に触れて読む本が3冊ある。左端の『観音経を味わう』の箱が擦り切れているのはこの本をいちばんよく読んだからだろう。購入の日付を見るといずれも1978年1月となっているので、卒業してから1回ぐらい会ったのかもしれない。折に触れてというのは、だいたいにおいて落ち込んだ時だが、これらの本で通俗的な解決がされる訳では全くない。生きる本質とは何かを考えるところまで、これらの本は引き戻してくれるのだ。上記に記した「不染汚」という言葉もこれらの本から教えられた。

  中観や倶舎論まなびて放棄せしが古い友なりときをりさらふ
              鹿取 未放『いろこの宮日記』
                       (「古い友」は、中観や倶舎論を指す。)


渡辺松男句集『隕石』拾遺

2014年09月02日 | 本の紹介
 

「季語がある豊かさとスリル」と題して「かりん」9月号に『隕石』の紹介を書かせていただいた。俳句にくらいので意を尽くせず、著者には申し訳ない気持ちでいっぱいである。魅力的な句が多すぎて、原稿を手放すまで何度も句を入れ替えては迷っていた。残念なので、挙げたかったけれど割愛した句を以下に引用させていらだく。


てふてふや石の口からいづる息

蟭螟(せうめい)や〈この世自体〉はないらしい

みみず鳴くしんそこ昏き阿頼耶識

ががんぼの脚のはづれてから本気

うきくさの浮くことだつて全力だ

るてんして流転してふんころがしの今

虚無なんて元来たまねぎが包む

天井へ、蟻にくははりいきいきす

ふところ手おもたきゆめは下へおつ

このたびは足袋と生まれてきて干さる
 
千年の雨の夜星の夜の欅 

殺し、殺し、殺し、殺して初日かな

白牡丹夢にも重みあるやうに

さくら森乳暈のいろにふくらめる

ででむしとででむしのめとめとめとめ

前世にも前世ありキャベツ剥く中に

筒鳥やくわこぜの、ポ、ポといまの、ポ、ポ

蝙蝠や〈いま〉〈ここ〉〈われ〉の飛びまはる

高村典子歌集『雲の輪郭』

2014年08月14日 | 本の紹介
          
            ◆高村典子歌集『雲の輪郭』十首
 鎌倉支部にもときおり顔を出してくださる高村さんの第二歌集。高村さん、ご出版おめでとうございます。少女が草を踏んで走っている口絵が素敵ですね。
 馬場先生の帯に尽くされているのでコメントは控えて、好きな歌十首、抄出させていただきました。あげてみたら偶然、言う、言わないの歌が多くなりました。閉鎖病棟、身内が入院して通算三ヶ月ほど、毎日通いましたので辛さは身に沁みてよく分かります。渡辺松男さん、お好きですよね、語彙や発想に影響を感じました。


   ひとびとは滅びを言はず 烏座の星の砕ける絵はがき届く          13

   振り向けばもの言はざりし少女期も金雀枝(ほろほろばな)の灯る明るさ   20

   わたしより長く生きてとまた言へばダリより不思議さうなり君は       51

   台風が近道をする十月の雨の日ばかり約束がある              62

   もう何も言はなくていい水桶の蜆はわづか隙間持ちあふ           81

   傷持てる同士ながらも距離たもつベッドとベッドの間のカーテン       104

   レタスの葉一枚づつを解くたびに軋むこころのこゑ出せぬなり        122 

   薬ゆゑゆるき時間を過ごしをりホールの窓辺にわたしはスズラン       126

   すれ違ふのみの混雑新宿駅 ぶつからぬやう殺されぬやう          141

   ピアノ弾くのみにひと世を過ぎ来たる母に褒められしひとつもあらず     147