かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 341

2016年08月31日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究41(2016年8月実施)『寒気氾濫』(1997年)
        【明快なる樹々】P140
         参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:渡部 慧子
        司会と記録:鹿取 未放

341 星は冬孤独の位置にそれぞれが張りつめていることの清潔 

           (レポート)
 星はそれぞれの位置にあって互いの隔たりを決して崩さない。その位置関係を星座と呼んでいる。とにかく、動かない、動けない、狎れない、馴れない、その様を清さ潔さとみる。冬は空気も澄んでその状態がきわだつ。(慧子)


      (当日意見)
★「星は冬」と初句切れ、清少納言の「春は曙」のような美意識。(真帆)


渡辺松男の一首鑑賞 340

2016年08月30日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究41(2016年8月実施)『寒気氾濫』(1997年)
         【明快なる樹々】P140
         参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:渡部 慧子
          司会と記録:鹿取 未放

340 湯気あげて日に乾きゆく杉の幹百本千本なべて直立
 
     (レポート)
 杉を植樹した山の斜面をみることがある。霧が晴れようとしていたのか、いかにも高温多湿の日本の風土が思われる。又、線香を供える場面を思ってみよう。杉の葉を粉にして線香は作られる。それを百本には及ばないものの、ある程度束ねられて煙をくゆらせる。こんな光景を想像した。(慧子)


      (当日意見)
★この歌は線香には関係なくて、植林された山の実景。(曽我)
★そうですね、晩秋とか冬の光景でしょうか。日が射してきて木の幹が湯気をあげながら乾いてい
 く。植林された山で木が百本も千本も湯気をあげながら整然と並んでいるのでしょう。その直立
 の姿が清冽ですね。(鹿取)


渡辺松男の一首鑑賞 339

2016年08月29日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究41(2016年8月実施)『寒気氾濫』(1997年)
        【明快なる樹々】P140
         参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:渡部 慧子
         司会と記録:鹿取 未放

339 断言をなしえし後のごとく見え冬陽に浄し欅の幹は

      (レポート)
 葉のちりつくした冬木を言っていよう。枝も含めて冬の樹形をたたえる例は多くみうけられるが、掲出歌は「幹」であることに注目したい。「断言をなしえし後」とあることを考えると、人間だったら胸中、いや精神を思えばよいだろう。その幹が太く真っ直ぐなのだ。そして浄い。(慧子)


     (当日意見)
★人の手で枝を払われた樹形。(M・S)

渡辺松男の一首鑑賞 338

2016年08月28日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究41(2016年8月実施)『寒気氾濫』(1997年)
      【明快なる樹々】139頁
       参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:渡部 慧子
       司会と記録:鹿取 未放

338 槻に葉の一切は散り一切の枝がいよいよ冬空にある

     (レポート)
 ある一切が消え、他の一切がはっきりみえる。一切を二度使っていながら煩わしさがなく、それどころか、ものごとを一切と断言する力が感じられる。日頃よく使う一切は宗教に由来する言葉。言葉の背後の故かまた使い手によるのか、一首がいよいよ精神性を帯びてたちあがる。(慧子)


     (当日意見)
★槻の木って一般には何というのでしたっけ?(鹿取)
★欅です。(慧子)
★それ、レポートに一言書いてくれるとよかったかな。それと、「一切は宗教に由来する言葉」っ
 てありますけど、もう少し詳しく教えてくれますか。(鹿取)
★仏教に一切経ってあります。「国語大辞典」(小学館)に一教について短く触れてありました。
   (慧子)


      (後日意見)
「槻」は欅の古名。「一切経」とはお経を一同に集めた膨大なものだそうだが、この歌はそれほど宗教と結びつけなくともいいだろう。「一切」は「一切知らない」などのように打ち消しを伴って使うことが多いようだが、一つ目の「一切」は「散り」で受けているので普通の使い方だ。2つ目の「一切」は「ある」と肯定に繋がるので少し不思議な感覚にさせられる。「全然」を肯定で受ける語法が芥川龍之介の小説にも出てくるので目くじらを立てる訳ではないが、2つ目の「一切」はわざと捩って使っているのだろう。また「槻に」「空に」と敢えて「に」を重ねてもいる。「槻に」の「に」は所有格と思われるが、これも不思議な用法でたくらみがみえる。
 槻木をうたった『蝶』(2011年刊)の歌をあげる。この歌よりさらに突き詰められているようだ。【きよくたんな寒さに厳と立つ槻のまはだかはえいゑんのいりくち】
  (鹿取)

最終版 渡辺松男の一首鑑賞 225

2016年08月27日 | 短歌の鑑賞
 
   渡辺松男研究27(15年5月実施)【非想非非想】『寒気氾濫』(1997年)93頁
     参加者:石井彩子、泉真帆、かまくらうてな、M・K、崎尾廣子、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:石井 彩子
     司会と記録:鹿取 未放

◆225の最終版です。8月9日の追加版(後日意見)に対する反論が届いたので掲載します。新し
   く載せている部分はいちばん下の項目、(後日意見)に対する反論(2016年8月)(石井)です。

 ◆レポーター添付の《ソロモンの雅歌Ⅳ》の絵は、著作権の関係でブログでは割愛しました。画集
  やネットなどでこの絵を参照してくださると嬉しいです。


225 シャガールの馬浮く界の暖色へほんわりと浮遊はじめるからだ

         (レポート)(石井)(2015年5月)
 マルク・シャガール(1887~1985)は帝政ロシアのユダヤ人居住区に生まれ、パリで学び、両大戦という過酷な時代を生き抜いて、誕生、結婚、死など人間の一生を、生涯のテーマとした。青を基調とする独特の色彩を駆使しながら、のびのびとする人物、花束や恋人たちといった愛に満ちたモティーフの絵は、夢やノスタルジーを呼び起こし、人間に対する限りない悲しみを謳いあげた。
 シャガールの馬が登場する絵はいくつかあるが、この絵は《ソロモンの雅歌IV》1958年、であろう。下の濃い赤は故郷のベラルーシが戦火に包まれる情景であろう。雅歌につつまれた幸福感あふれる優美な世界へ、シャガールに身をゆだね、うっとりと安心しきった表情で「ほんわりと」重力を忘れたように浮遊している「からだ」は、生涯敬愛し続けた亡き妻のベラであり暖色の世界とは、傷つきなくなっていった人々、愛する人をなくしてしまった人々を鎮魂する世界なのだろう。


             (当日意見)(2015年5月)
★レポーターの方は「ほんわりと浮遊はじめるからだ」はベラと書かれていますが、これは作
 者ではないでしょうか?(M・K)
★私も作者が浮遊するのだと思います。(うてな)
★ベラというのもありうる解釈だと思いますが、私は「シャガールの馬浮く界の暖色へ」とい
 うからにはベラもシャガールも一緒に浮いている絵が既に作者の頭の中にあると思うので、
 やはり作者が絵の中に浮遊しはじめるのだろうと思います。(鹿取)
★たとえばこの絵を見ながら浮いていくのは作者よりもベラの方がふくらみがあると思いまし
 た。自分自身だとありきたりで面白くない、シャガールは生涯ベラを慕っていたのベラを中
 心においてやりたい。晩年の絵ですから。(石井)
★シャガールは亡命したりと苦しい生涯を送りましたが、この暖かい絵を眺めていたら〈われ〉
 もその世界に寄り添いたくなったというのではないでしょうか。(鹿取)


           (後日レポート補足)(石井)
 レポート部分の「浮遊している」は、この歌の語句「浮遊はじめる」に訂正。
 「浮遊はじめるからだ」は、シャガールがベラの「からだ」を包み、これから、さらなる暖色の世界へ馬に乗り、向かおうとしている情況を捉えている。「浮遊しているからだ」であれば、浮遊が継続しており、暖色の世界に漂っている状態を描写したのにすぎない。一方、当日意見にもあるように、「浮遊はじめるからだ」の主体は、作者かもしれないが、やはり作者の視点はベラにあるのではないか、ベラを描写した一首と捉えたい。       


           (後日意見)(2016年8月9日)(鹿取) 
 (当日意見)の中で、私は「ベラもシャガールも一緒に浮いている絵が既に作者の頭の中にある」と述べているが、《ソロモンの雅歌IV》を詠った歌だというレポートに引き摺られた意見だったと反省している。さらに、〈主語がなければ作中主体が主語〉というのが短歌の通常の読み方なのだが、時としてそうではない読みをすることもあり、それでつい「(浮遊はじめるのが)ベラというのもありうる解釈」とも発言している。
 しかしここでは改めて〈主語がなければ作中主体が主語〉の原則に従うことにする。するとこの歌で「浮遊はじめる」のは〈われ〉ということになる。だから一首の解釈は、シャガールの馬が空に浮く暖かい色の絵がある。それを見ているとその絵に同化するように「浮遊はじめる」〈われ〉の体よ、となる。これは平凡すぎてつまらない解釈なのだろうか。「浮遊はじめる」のが「自分自身だとありきたりで面白くない」としても、渡辺松男が絶対ありきたりな設定をしないともかぎらないし、〈われ〉が絵の中に同化すべく「浮遊はじめる」のは私にはじゅうぶん魅力的な設定に思われる。

 鑑賞は以上でおしまいである。ただ《ソロモンの雅歌IV》を詠った歌だとという根拠抜きのレポーターの推論はやや強引に思われるので、蛇足になるがもう少し書かせていただく。
 レポーターは絵を《ソロモンの雅歌IV》と推論し、更に「ベラを中心においてやりたい」という思い入れが先行して「浮遊はじめる」のはベラだという結論を導いている。しかし私は、この歌の鑑賞に絵の特定は必要ないという立場である。掲出歌は「シャガールの馬浮く界の暖色へ」としか書かれておらず、暖色の画面に馬が浮いているシャガールの絵は〈雅歌〉だけでもⅠ、Ⅲ、IV、Ⅴとあるし、〈雅歌〉以外にもたくさんある。馬は浮いているが、シャガールとベラはもとより男女が描いてあるとは歌のどこにも書かれていない。もちろん歌の鑑賞には行間を読むことも大切だし、掲出歌が《ソロモンの雅歌IV》を詠んだという可能性も充分に考えられる。雅歌の他の絵に比べてもこのIVは格段に暖かく柔らかく幸福感に溢れた絵だからである。レポーターはそういう理由を丁寧に説明した上で、《ソロモンの雅歌IV》の可能性を示唆されればよかったのではなかろうか。
 仮に《ソロモンの雅歌IV》【中央におおきく馬が浮いていてその馬に花嫁花婿が乗っている。馬の下には街がひろがっている】を詠んだ歌だとしたら、そして描かれた花嫁がベラだとしたら、私の当日発言にあるように「ベラもシャガールも一緒に浮いている絵が既に作者の頭の中にある」ので更にベラが「浮遊はじめる」のはおかしくはないか?という疑問が湧く。それを研究会の後にレポーターに質問したところ(後日レポート補足)で、さらなる暖色の世界へ馬に乗り、向かおうとしている情況だと説明された。それで一応辻褄はあう。
 ところでニースにある国立シャガール美術館には「雅歌の部屋」というのがあって雅歌のシリーズが展示されているそうだ。入り口にはシャガール自身の文字で「僕の楽しみ、僕の喜び、僕の妻ヴァヴァに」という献辞が掲げられているという。「ヴァヴァ」とは1952年に再婚したヴァレンティナ・ブロドスキー(Valentina Brodsky )のこと。彼女は18歳年下でシャガールは再婚当時65歳だった。ちなみに最初の妻ベラは1944年亡命先のアメリカで亡くなっている。レポーターの発言の中に「晩年の絵ですから」とあるがシャガールは97歳まで生きたので、《ソロモンの雅歌IV》制作時は71歳だからまだ晩年とは呼べないだろう。また「雅歌の部屋」の献辞から考えると《ソロモンの雅歌IV》に描かれている花嫁はヴァヴァととる方が順当かもしれない。ただ、シャガールがベラを生涯敬愛していたのはほんとうだろうから、もちろん雅歌に亡き妻ベラが描かれ、背景に描かれている町は雅歌の物語エルサレムではなくベラとの共通の故郷ベラルーシだと解釈しても間違いだとは言いきれない。そんなふうに画家が私生活を何かに仮託して描くことはごく普通のことである。
 しかし、鑑賞者はもう少し普遍的にその絵を見てもいいだろう。それは短歌の作り方と鑑賞の仕方にも同じ事がいえるだろう。おそらく画家自身も作品に私生活を反映させると同時にそれを超越した普遍をも盛り込もうとするだろう。だからこの歌が仮に《ソロモンの雅歌IV》を見て詠ったのだとしても、空飛ぶ馬に乗る二人はダヴィデ王とバテシバであり、シャガールとベラでもありシャガールとヴァヴァでもあり、そして世界中の祝福された花婿花嫁であってもいいのだろう。
あるいは戦争で引き裂かれた夫婦や恋人がふたたび巡りあった場面と考えてもいいのだろう。そして作中の〈われ〉は、自分もうっとりとその絵の中に浮遊していくのであろう。


          (後日意見)に対する反論(2016年8月)(石井)

 (後日意見)では新たな論点を示されので、レポーターとしての意見を述べる。
まず《ソロモンの雅歌IV》を特定した根拠であるが、これは掲出歌の描写に沿って考察すると、この絵以外に該当するものがなかったからである。当然の推論過程であり、改めてこれが根拠と提示するほどのものではないと思う。(後日意見)では「根拠抜きのレポーターの推論」とあるので、除外した絵について述べる。
挙げられている《ソロモンの雅歌Ⅰ、Ⅲ、Ⅴ》では、馬が小さく左上隅や下隅に描かれ、馬が浮いている界へ向うイメージを喚起させない、その上、暖色がすべてIVよりも色褪せている、その他の馬と暖色の配合の絵も同様、到底《ソロモンの雅歌IV》に及ばなかった。私自身、この歌から自然と思い浮かべたのは《ソロモンの雅歌IV》であり、多くの鑑賞者も異論はないであろう。
 では、なぜ「根拠」にこだわりを示されるのか。<この歌の鑑賞に絵の特定は必要ないという立場である。>と述べられている。シャガールには、似たような馬と暖色の絵があるので、作者は特定の絵を詠っていない、鑑賞も特定しなくてもよい、ということであろうか。上述したように私とは異なる見解で、一首がある絵を暗示していれば、その絵を特定するのが良い鑑賞と思っている。
 (後日意見)の解釈は、<シャガールの馬が空に浮く暖かい色の絵がある。それを見ているとその絵に同化するように「浮遊はじめる」〈われ〉の体よ、>である。シャガールの絵に特徴的な馬や暖色といったイメージが、作者の詩的空間で統覚され、詠まれた一首ということであろうか。馬はイデアを導くものの表象で、暖色は向かうべき界であろう。その方向へ(心といわず)〈われ〉から遊離した「からだ」が浮遊はじめるよ、という解釈なのであろう。(後日意見)の解釈は一枚の絵と見立てているようだが、論点がすっきりとしないので心象の絵とする。でなければ、作者が特定の絵を素材として歌を詠んでいるのにもかかわらす、鑑賞は特定しなくてもよい、ということになり、テクストに忠実な鑑賞とは言えないからだ。この解釈を肯えないのは馬や暖色といった表象が理念的であるのはよいとしても、「からだ」が同化するというのが、作意を思わせるからである、たしかに作者には時空をこえて自然物や事象に同化する歌が多いのが特徴だが、その詠われている対象は作者の外にある実体である。この歌の場合は〈われ〉の心象、想念の絵に〈われ〉の「からだ」が同化するということで、単に見立てだけでの平板な歌になってしまっていて、よい鑑賞だとは思えない。では(後日意見)の
「作中の〈われ〉は、自分もうっとりとその絵の中に浮遊していくのであろう。」と述べられているように、《ソロモンの雅歌IV》という実体の絵の中に、同化するというのはどうだろう。これもパターン化した表現で、対象物に感情移入して同化するということであり、鑑賞としてどうか。いづれにしても、「からだ」は作者だとする(後日意見)には同意できない。私の解釈は、「暖かい色で描かれた空に浮いているシャガールの馬のあたりへ、「ほんわりと」と上昇しはじめているからだがある。(その絵を〈われ〉は視ている。)」レポートとは異なっているので、訂正する。〈われ〉が視線となり、「からだ」が暖色の方へ向かう動きを客観的に描写した一首と、捉え直した。そこにはベラだとかベラルーシなどの固有名詞はなく、暖色の美しさや優美な筆致といったものだけがある。作者は同じ芸術の創作者として、シャガールと同じ目線にある。この歌の場合、作者が表現しているのは、描かれたものではなく、「からだ」や「暖色」の描かれ方である。同化、あるいは共感しているのは、シャガールの美的精神であろう。第一義の芸術作品の享受として感動のおもむくところ、そのまま客観描写に徹した作品と捉える。(第一義の享受とは、あらかじめある知識や概念を排除して、その絵に虚心に向かい感動を得る態度をいう。)レポートで述べたのは第二義的な享受で、その絵の歴史的背景や意味を考察した上での解釈であり、本来の作者の意図とはかけ離れた一つの解釈の試みであった。これは掲出歌の鑑賞というよりも、絵そのものの鑑賞である。「ベラ」や「ベラルーシ」という具体的名称を入れたのは、《ソロモンの雅歌IV》の解説書では、定説とされているからである。絵そのものをどのように鑑賞するかは個人的体験で、一人一人違った感動と解釈があるだろう。私自身、初めてこの絵と出合った時、暖かい色と恍惚となっている女性に魅了された。尚、私はこの絵の中に「ほんわりと」同化してゆく感覚などなかった。だからこそ「からだ」と作者が同じだとは思わないのであろう。
 以上、今回は新たな論点を提起されたことにより、曖昧な発言「自分自身だとありきたりで面白くない」を明確化して整理し、新たな観点、解釈を加えた。



馬場あき子の外国詠224(中国)

2016年08月26日 | 短歌一首鑑賞

   馬場あき子の旅の歌29(2010年6月実施)
         【李将軍の杏】『飛天の道』(2000年刊)179頁
          参加者:Y・I、T・K、曽我亮子、T・H、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:T・H
         司会とまとめ:鹿取 未放


224 没法子(めいふあーず) 嗟嘆し賞嘆するここをゴビ灘(たん)と呼ぶただ砂に風

      (まとめ)
「没法子」は、レポートにあるとおり「仕方がない、どうすることもできない」という意味。中国に来て覚えた言葉なのだろうか。「灘」は砂漠である。「ゴビ砂漠」のもったりした言葉ではなく、「ゴビ灘」と切って捨てるような鋭い言葉の選びが、人間を寄せ付けない風景の厳しさをよく伝えている。見渡す限り砂ばかりで草も木も家も何もない、ただ風が吹き荒れ、砂を巻き上げるだけのここをゴビ灘というのだ、だから「嗟嘆し賞嘆する」ことしかできない。嗟嘆、賞嘆、ゴビ灘と「タン」の音の脚韻も、嘆きの息の強さの感覚を伝えている。何もない、何も生まない、砂と風しかない風景に圧倒されている姿が見える。面白いのは不毛の砂漠にむかってただ嘆いているのではなく、嘆きつつ賞めているところで、その点がいかにも馬場の歌らしい。(鹿取)
 

     (レポート)
 「没法子」は、しかたがありません。「嗟嘆」嘆くこと。「賞嘆」感心して、褒めること。仕方がありません、ここ「ゴビ灘」では、一面の砂山、砂礫の中にあっては、ただ嘆いたり感心したりするだけです。日本人のやわらかい感情など入れる余地のないような、この「ゴビ灘」、馬場先生もただただ驚きを表しておられる。(T・H)


馬場あき子の外国詠223(中国)

2016年08月25日 | 短歌一首鑑賞

   馬場あき子の旅の歌29(2010年6月実施)
         【李将軍の杏】『飛天の道』(2000年刊)178頁
          参加者:Y・I、T・K、曽我亮子、T・H、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:T・H
          司会とまとめ:鹿取 未放


223 遠景は蜃気楼とぞ陽関のかなた蹌踉と死者浮かびいづ

     (まとめ)
「陽関のかなた」は、有名な王維の詩「渭城の朝雨軽塵を邑す/客舎青青柳色新たなり/君に勧むさらに尽くせ一杯の酒/西の方陽関を出づれば故人無からむ」(「元二の安西に使ひするを送る」)が下敷きになっている。
 安西は、現代の庫車で烏魯木斉の南方にあり、陽関からタクラマカン砂漠を越えたはるか西にある。帝の使者として安西都護府(とごふ)へ旅立とうとする元二に、陽関を過ぎたら知っている人は誰もいないのだから、もう一杯お酒を飲めよと勧めている詩だ。元二は役人だから兵士と比べれば生きて帰れる確率は高いだろうが、陽関から安西に続く道は熱砂のタクラマカン砂漠である。(「タクラマカン」はウイグル語で「入ったら二度と出られない」意味だという。)馬場はこの歌の中で、生きて帰れなかった古代の無数の兵士や求道者や隊商など、砂漠で死んでいったもろもろの死者たちのことを考えたのであろう。
 「遠景は蜃気楼とぞ」と伝聞でいっている。陽関のかなたの果てしなく続く砂漠に、古代からの無数の死者たちがよろめいている姿が馬場には見えているのだ。それらは実景ではなく蜃気楼なんだよと、誰が言うのでもなく、馬場が自分に言い聞かせているのかも知れない。有名無名の無数の死者たちを悼む馬場の心の目がみている蜃気楼である。
 もちろん、レポーターが書いているように蜃気楼は湖などでもいいだろう。その幻の湖を追って古来無数の人々が「入ったら二度と出られない」沙漠をさまよって亡くなった。それらの無数の死者を馬場が心の目で見ている、と結論は同じ所に行き着く。(鹿取)


     (レポート)
 敦煌は乾燥地帯であるので、しばしば蜃気楼が現れるようだ。きっと車で走っておられた際、遠景に湖などを見られたのであろう。蜃気楼はしばしば人を惑わし死に追いやる。「陽関のかなた」陽関を出ずれば人影もないといわれた遙かシルクロードのかなた。遠景に湖のような蜃気楼を見て、水を求める旅人がそれを目当てに歩いていき、命を落とした人々を、今、先生は思い出しておられ、その死者の霊を慰めたいと願っておられる。(T・H)


馬場あき子の外国詠222(中国)

2016年08月24日 | 短歌一首鑑賞

   馬場あき子の旅の歌29(2010年6月実施)
         【李将軍の杏】『飛天の道』(2000年刊)178頁
          参加者:Y・I、T・K、曽我亮子、T・H、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:T・H
         司会とまとめ:鹿取 未放
  

222 人いまも李広杏(りくわうあんず)と呼ぶ杏購ひて猛将のひと生あはれや

      (まとめ)
 李広は大変な弓の名手で、一念をもって当たれば何事も可能という「石に立つ矢」のことわざも彼から出た、というほどの人である。また若い頃は皇帝の面前で羆と戦い、拳で倒したという逸話もある勇猛な人物である。
 馬場のエッセーによると、李将軍の人となりは、戦闘の後兵が水を飲み終わるまでは自ら飲まず、食べ終わるまでは自ら食べず、人望は比べるものがなかったという。この慎み深い性格から「桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す」のことわざもできたという説もある。(ちなみに、敦煌あたりでは「李広杏」の他に「李広桃」というのも名産としてあるらしい。)しかし、文帝、景帝、武帝三代に仕えた李広は、次第に老い、若い衛青・霍去病などの活躍する前線からは遠ざかった。最後は願って前線に出たが、道に迷い衛青・霍去病らの臨んだ決戦に遅れ、自分の時代が去ったことを悟って自刎したと伝えられる。若い衛青は李広同様に謙虚な性格で、位が李広を超えても彼を敬愛していたという。勇猛ながら結果としてはあまり恵まれなかった武人李広の植えた杏が、その名をつけて今も売られており、その杏を作者は猛将をしのんで買ったという。大幅な字余りになった下の句に懐かしみと深い詠嘆がある。(鹿取)


     (レポート)
 先生は李将軍の一生を哀れに思われて、その杏を求められた。(T・H)


馬場あき子の外国詠221(中国)

2016年08月23日 | 短歌一首鑑賞

   馬場あき子の旅の歌29(2010年6月実施)
         【李将軍の杏】『飛天の道』(2000年刊)178頁
          参加者:Y・I、T・K、曽我亮子、T・H、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:T・H
          司会とまとめ:鹿取 未放


221 李夫人の兄李将軍そのひと生(よ)たたかひて今に杏残せり

     (まとめ)
 馬場のエッセーの中に「前漢の武帝は李夫人を熱愛し」、「政治的駆け引きに疎いその兄李広は恵まれず、一生を戦闘に費やした。」とある。李広は李夫人の兄というところは馬場の勘違いのようだ。
 李夫人には李延年と李広利という二人の兄がいる。長兄李延年は作曲家で、美人の妹を武帝に引き合わせたことで帝の寵を得た。次兄李広利は軍人として活躍したが、匈奴に投降後、匈奴に重用されたがために周囲からは妬まれ処刑されたという。杏を植えたのは李夫人の次兄李広利ではなく李広だが、名前が似ている上に同じ武帝に仕え匈奴と戦った軍人である点、紛らわしい。李広の没が紀元前119年、李広利の没が紀元前88年ということなので、李広利の主な活躍は李広没後ということになるだろう。李広利・李広・李夫人ともに生年が伝わっていないので年齢差は分からない。
 蛇足だが有名な李陵は、杏を植えた李広の孫に当たり、唐の詩人李白は李広の末裔だという。李白は万人が知るところであるが、李陵の方は李将軍に劣らず悲劇的な生涯を送っている。すなわち武将として活躍したが匈奴に降伏し、それがもとで家族は処刑される。しかも李陵を庇った『史記』の作者司馬遷は死刑はまぬがれたものの宮刑に処せられた。後日談がまだあって、李陵の郷里隴西の人々は匈奴に降伏した李陵のことを長く恥じたと伝えられている。ところで隴西に李という名字は多かったのであろうか。中島敦『山月記』の時代設定ははるかに下った唐代だが、主人公李徴は隴西出身の李氏ということになっている。(鹿取)


     (レポート)(2010年6月)
 「李夫人」の兄「李将軍」は、その一生を匈奴との戦いに終始し、晩年はあまり恵まれなかった。馬場先生の「李将軍」への哀惜の情がよく出ていると思う。(T・H)


馬場あき子の外国詠220(中国)

2016年08月22日 | 短歌一首鑑賞

   馬場あき子の旅の歌29(2010年6月実施)
         【李将軍の杏】『飛天の道』(2000年刊)177頁
          参加者:Y・I、T・K、曽我亮子、T・H、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:T・H
          司会とまとめ:鹿取 未放


220 隴西(ろうせい)の雲暗き日の李将軍物思ひ埋めし敦煌の杏

     (まとめ)
 前述のエッセー「李将軍の杏(あんず)」によると、『和漢朗詠集』に、「隴西(ろうせい)雲暗く李将軍家に在り」という詩句があるそうだ。エッセーの中で、馬場はこう書いている。「将軍が家に居るかぎり戦争はない。そんな平穏なある日、李将軍は何を思って砂漠の広がる辺土に杏を植えたのだろう。」と。
 Wikipedia等で調べると、一説には作物の乏しい貧しい民の飢餓対策として杏や桃を植えたとある。李広は勇猛な武将だったので匈奴からは「飛将軍」とあだ名され恐れられたが、必ずしも政治的には恵まれなかった。そんな李広が戦いのない日日鬱々と物思いに沈みながら植えた杏の苗。もちろん、民の飢餓を救いたい純一な思いの他にも、世に思うように入れられない暗いたぎりがあったであろうその複雑な胸中を思いやった歌である。(鹿取)


     (レポート)
 「隴西」中国甘粛省南東部。蘭州の南東部約140キロメートルにある県。李将軍の物語は『史記』下巻列伝参照。彼は幾多の匈奴との戦いに出征し、武功を立てたが、晩年はあまり恵まれなかった。馬場先生は敦煌の杏をご覧になって、その李将軍の心中を思いやっておられる。物思いを埋めたとの言葉に、深い哀愁を覚える。(T・H)