かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 265

2015年10月31日 | 短歌一首鑑賞
 渡辺松男研究32(15年10月)【全力蛇行】『寒気氾濫』(1997年)110頁
    参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、N・F、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木 良明
     司会と記録:鹿取 未放
       
265 逃げてゆく子蛇を追えばしゅるしゅると子蛇は全力蛇行で逃げる

     (レポート)
 動物が逃げる時は、一直線に逃げるのが普通だ。ところが蛇は蛇行しないと前に進めないため、逃げるときでも「全力疾走」ではなく、「全力蛇行」しながら逃げるほかはない。子蛇のその姿は滑稽でさえあるが、それが追うものに対してはフェイントをかけることにもなり、種の保存に繋がる。(鈴木)


     (当日意見)
★面白い歌。普通は全力疾走だけれど、どうしようもなく哀しい業というか直線的に進め
 ない、生き物としてのかなしさ。(真帆)
★真っ直ぐに逃げればいいのに蛇行するというだけの歌ではないと思うのですが、何が隠
 れているのか分かりません。(M・S)
★業とか生き物の哀しさとか言いましたが、ユーモラスで楽しい歌だと思います。(真帆)

渡辺松男の一首鑑賞 264

2015年10月30日 | 短歌一首鑑賞
 渡辺松男研究32(15年10月)【全力蛇行】『寒気氾濫』(1997年)110頁
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、N・F、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:鈴木 良明
     司会と記録:鹿取 未放        

264 蒼空を念じておればわが抱けるキャベツから蝶がつぎつぎに湧く

      (レポート)
 「蒼空」は青空であり、前の歌の「虚空」である。青空から様々な雲が生まれてくるように、「虚空」は何もない「無」ではなく、あらゆるものがそこから生まれてくる源泉だ。そのような「蒼空」を心にとめて思っていると、抱いているキャベツからも次々に蝶が湧いてくるようだ。(鈴木)


      (当日意見)
★色即是空、空即是色って言葉がありましたよね。空というのはいろんな色彩を持つ、
 いろんなものを含んでいる。そこから何かを発生してゆく。空からはあらゆるものが生
 まれるという考え方がある。虚空というのは空と同じかは分からないけど。この歌は文
 芸なので哲学とは違うけれど、こういう哲学を念頭に置くと解釈しやすいかなと。
   (N・F)
★この歌は東洋的なんですか?聖書にもそういう考えがあるように思うのですが。(石井)
★聖書には空(くう)という考えは無いです。(N・F)
★解釈の仕方ですけれど、もしこれが神話ですとこれは東洋の神話ではないですね。(石井)
★東洋と西洋というように分けていくとおかしくない?日本人の哲学者の中にも「空」的な
 捉え方をしている人はいますよ。(鈴木)
★これは石井さんのようにサルトルを勉強してきた人には非常にわかりにくい歌。サルトル
 の言う「存在と無」の「無」と「空」は全く違うのですよ。(N・F)
★まあ、渡辺さんも哲学科ですからサルトルもやっていますよ。『寒気氾濫』にもサルトルを
 詠った歌が何首かありますし。それから、無から有が生まれるというのは東洋思想でなく 
 ても科学だってそうです。ビッグバンから時間も空間も生まれた、ビッグバン以前は何も 
 なかったって科学で説明されてます。しかし、渡辺さんのこの歌には「無」とはどこにも
 書いてないです。レポーターが前の歌の関連で「蒼空」と虚空を繋げられたけれど、この
 歌は蒼という色と無数の蝶がわいて飛びだしていく映像的な美しさを味わえばいいので 
 はないかと思います。(鹿取)
★ただその背景に虚空があるということは大事だと思います。ギリシャ神話の混沌のイメ
 ージです。だからいろんなものが生まれる。(鈴木)
★キャベツから蝶が生まれてくるのは楽しいですね。命の根源のようなものを蒼空に向か
 ってひたすら念じていたら、その力が働いたというのはよく分かる。いい歌だと思う。
   (慧子)
★私も慧子さんと同じ意見ですよ。ただ背景をいわないとこの歌の深さが出ないと思って
 虚空など余計なことを書いて誤解されましたけど。(鈴木)
★表面的な歌でも必ず渡辺さんの歌には大きな背後がありますね。何か煙に巻いているよ
 うな上の句があるからこの歌はいいのだと思います。(慧子)
★スクリーンの向こうにいつも何か隠れている。何かざらざらしていて、万葉の歌のよう
 にすーと心に入ってこない。哲学をやった人の歌だからですね。特殊な歌人ですね。
   (N・F)
★元に戻るようですが、蒼空を念じていたら蝶がわいてきた、色が美しい。でもキャベツ
 から蝶を出すためには初句は雪解けなどでもよかった。わざわざ蒼空と言っているのは
 やはり虚空から命がわき出るんだよと言っている。「念じておれば」がかなり強くて、
 蒼空と虚空を繋げても問題ないと思います。(真帆)
★「念じておれば」が渡辺さん的ですよね。マグリットの海の上の虚空に大岩が浮いて
 いる絵なんかをふっと思い出しましたが。(鹿取)
★キャベツって形状的に脳の形に似てますよね。(真帆)
★「キャベツの中はどこへいきてもキャベツにて人生のようにくらくらとする」も以前鑑
 賞しましたね。 (鹿取)


      (後日意見)
 「色即是空」の「空」は色彩ではなく、色や形のある物質的現象全てを指す。「色即是空」とはこの世の全ての物質的現象はさまざまな原因や条件によって生じたもので実体のないものだという意味。昔、少し仏教を囓ったけれど、論理が大変緻密に構築されていて、諸行無常とか刹那滅とかどこをとっても現代の科学と矛盾しない。例えば全てが流動し、一瞬たりとも同じではないというのは今日、細胞レベルで実証されている。2500年も前に科学を先取りし、その本質を掴んでいることにとても興味を覚えたものだ。
 ただ、このキャベツから蝶が生まれる歌は仏教には関係が無くて、むしろ道教に近いような気がする。荘子の「胡蝶の舞」等を思い出した。次の歌は同じ道教でも老子。(鹿取)
 「もしもわれ老子であらばおもしろや菠薐草を抱えて帰る」(『歩く仏像』)

        

渡辺松男の一首鑑賞 263

2015年10月29日 | 短歌一首鑑賞
 渡辺松男研究32(15年10月)
    【全力蛇行】『寒気氾濫』(1997年)110頁
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、N・F、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木 良明
     司会と記録:鹿取 未放        


263 地の中に虚空があるという神話地の中へ樹は伸びてゆくなり

     (レポート)
「地の中に」虚空があると直接明言した神話は知らないが、光も形もない「虚空」あるいは「混沌」から、大地の女神であるガイアが生まれたとするギリシャ神話などからも、このことは窺い知ることができる。自然界における樹は、天の虚空に伸びるばかりでなく、地の中の虚空にその根を広げ、伸びてゆく。それによってこの世界のバランスが保たれるのだろう。
     (鈴木)    


      (当日意見)
★「地の中へ樹は伸びてゆく」とあって、土を境に天へも地へも張っていく感じ。鏡に上下が相似の形で映されているような。1首めからの関連での中というのに意味を込めていると思います。以前、私が担当したところで地に汗が染みていくというような歌があって、作者は土というものに深い意味を見出していると思います。(真帆)
★レポートに「世界のバランスが保たれる」とありますが、これ、バランスでしょうか?そういっては面白くないと思います。
     (石井)
★虚空があるという神話は知りません。ここがポイントだと思うのですが。(N・F)
★私も調べたけど、そういう神話は見つかりませんでした。「世界のバランス」って言ったのは最近の傾向として空にばかり広がって根っ子が浅いというか、街路樹なんかはそういう感じで、それで地中にも伸びてバランスを保っているよと。虚空って仏教的には「空」というのでしょうかね。(鈴木)
★この歌には空想が入っている。バランスではなくて、幼児体験とか。(曽我)
★上の句の神話を除けば、地の中に木が伸びていくのはごく当たり前と思うのですが。(藤本)
★地中はおどろおどろしい世界のような気がします。すでに鑑賞した歌で「直立の腰から下
 を地の中に永久(とわ)に湿らせ樹と育つなり」という歌があったりして、渡辺さんには木が地下に潜っていくことに特別な関心があるようです。しかし、この歌、「虚空があるという神話」は分かりません。地の下は根の国だったり冥界があるという神話なら分かりますが。伊邪那岐(いざなぎ)にしてもオルフェウスにしても死んだ妻を捜しに地の下の国へ行くし、ダンテの「神曲」では地の下にある地獄巡りをしますよね。天に向かうだけでなく、土の下というおどろおどろしい部分に繋がってやっと生命を維持できる、そういう悲しみでしょうか。でもそんな理屈いうと歌が全くつまらなくなりますね。(鹿取)
★地面は固くて実体があるように思われているけれど、ミクロで地面を見ると隙だらけじゃないかと。その間隙を縫って根っ子は下に行く訳です。地の中は虚空、混沌状態なんです。  (鈴木)
★レポーターは科学的な見方と詩を混同されているんじゃないか。この歌は詩的空間です。それを味わえばいいのです。
     (石井)
★仏教哲学には空(くう)だから有を生じるというのがあるんです。キリスト教文化の中にもそういう表現があります。地の中の虚空に根が伸びていくことによって地上の木、つまり有が生じる、そういう歌かなあと。虚空というのは何もないのではなくて有を生じるものなのです。(N・F)
★空(そら)だって何もないかと思っていたらダークマターとか出てきたりして。だから天も地も虚空だと言われると納得するんだけど。(鈴木)
★はい、空は全然虚空じゃないんですね。ハッブル望遠鏡で見ると何もないと思われていたところに、それこそ無数の銀河が見えるそうです。その銀河ひとつひとつに1000億以上の星があるそうですから、気が遠くなりますけど。でも神話というからには、この歌はそういう科学の話ではないので。(鹿取)


     (後日意見)
 「虚空」は広辞苑に、仏典では「一切の事物を包容してその存在を妨げないことが特性とされる」と出ている。虚空に物があるかないかより「存在を妨げないことが特性」という点に感じ入った。そうすると地の中の虚空も根っ子が伸びるのを妨げないわけだ。(鹿取)

渡辺松男の一首鑑賞 262

2015年10月28日 | 短歌一首鑑賞
 渡辺松男研究32(15年10月)
   【全力蛇行】『寒気氾濫』(1997年)110頁
    参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、N・F、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:鈴木 良明
        司会と記録:鹿取 未放        

262 岩宿の地層断面に春日射し土やわらかく土にかさなる

       (レポート)
 岩宿は、赤城山の近くにある旧石器時代の遺跡で、それまでの「日本には旧石器時代はない(土器時代から)」という常識を打ち破った遺跡。天体に過去の時間の光が在るように、大地の地層断面に過去の時間が穏やかに積み重なっている。現在に過去の時間が露わに存在していることの不思議。(鈴木)


      (当日意見)
★関東ローム層なんですね。昭和20年代の初めに地元の古代研究をやっている人が発見して、これが旧石器の遺跡の第1号です。現在は群馬県立の岩 宿博物館があって旧石器、マンモスなども一緒に展示されています。(N・F)
★相沢忠洋という人が発見されたんですね。(曽我)
★そうです。渡辺さんはこの岩宿博物館に勤められていたことがあるのかなと想像しています。(N・F)
★旧石器時代というと2万年くらい前って事ですね。(石井)
★渡辺さんの下の句、層で地層が見えるそうですね。(N・F)
★断層の土って時代を重ねて固くなると思うのですが。(M・S)
★関東ローム層というのは富士山の噴火の砂ですから、柔らかいんです。(N・F)
★渡辺さんの歌は、旧石器うんぬんという知的なことは言わないで、下の句で土の描写を、それこそやわらかくしていますね。(鹿取)
★土が2回出てくるリフレインがよくて、春の日が射していて柔らかい土が重なっている、いい歌だなあと思いました。(藤本)


      (後日意見)
 歌とは直接関係ないが、この(岩宿遺跡の)発見によって、それまで土器時代以前の日本列島に人類は居住していなかったとされた定説を覆し、日本にも旧石器時代が存在したことが証明された。旧石器時代は人類が日本列島へ移住してきた時に始まり、終わりは1万6000年前と考えられている。いつ人類が日本列島へ進出してきたかは分かっていないが、今のところ日本列島で最古の旧石器は出雲市の砂原遺跡から出土しており、12万年前ものとされている。(Wikipediaその他の情報による)(鹿取)


馬場あき子の外国詠82(スペイン)

2015年10月27日 | 短歌一首鑑賞
  馬場あき子の外国詠9(2008年6月)
      【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P55
       参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:藤本満須子
      まとめ:鹿取未放


82 静かの海のさびしさありてマドリッドのまつさをな虚にもろ手を伸ばす

      (レポート)
 空路マドリッドに到着したときの歌だろうか。地中海だろうか。はたまたロカ岬からマドリードへの空路、大西洋であったかもしれない。「静かの海のさびしさ」はやはり地中海を見たときの気持ちだろう。3句、4句は抽象的な表現であるが、マドリッドの空をうたっているのだろうか。「まつさをな虚」にこの歌の眼目があると思われるが、「虚」という言葉の指すものは何だろう。歴史も含めて作者の感じているものだろうか。(藤本)


      (発言)
★自分の心の寂しさをいっている。(慧子)
★「静かの海」は、月にあるへこんで見える部分の名称です。(鹿取)


      (まとめ)
 月には「静かの海」以外にもたくさんの〈海〉が存在する。「まつさをな」とあるからこの場面は昼であるが月は見えているのだろう。虚空のことを81番は「空」と表記し、82番のこの歌では「虚」と表記されている。この「虚」、「そら」と読むのか「きょ」と読むのか不明だが、意味は「虚空」である。「静かの海」を抱えた月を浮かべる虚に向かって「もろ手を伸ばす」ときの思いとはどういうものであろうか。「空」ではなく「虚」であるところに特別な思い入れがあるのだろう。そう考えると単純に旅の途次にあるさびしさのみをいっているのではないだろう。西洋思想に呑み込まれてしまいそうな湿潤な東洋思想のことを思っているのだろうか。それともそれらを飛び越えた生や命ということに思いを馳せているのであろうか。(鹿取)


馬場あき子の外国詠81(スペイン)改訂版

2015年10月26日 | 短歌一首鑑賞
  馬場あき子の外国詠9(2008年6月)
      【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P54
       参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:藤本満須子
      まとめ:鹿取未放


81 ジパングの国より来たる感情の溺れさうなる西班牙の空

       (レポート)
 本や写真集で見るとどれも深く青い空が写っている。湿度の少ない日本よりやや気温の低いこの時期、地理的な条件や肥沃な土地等、思い浮かべてみる。
 この歌は3句めから4句めにかけての「感情の溺れさうなる」というところに眼目がある。しかし空の下に存在する人間の営みや古い歴史ある建造物、そして観光都市として栄えているスペインであるからこそである。「ジパング」と古い言い方が初句にありその国よりやってきた作者、ここには、スペインの歴史、侵略と征服の象徴でもある王宮その他の富、……この歌の作者の気持ちはいかばかりか、私には推しはかることはできない。(藤本)


      (発言)
★年齢によって空の受け止め方が違う。(T・S)


       (まとめ)(2015年改訂)
 80の歌に見られるような日本のあいまいな情緒的な空ではない、きっぱりとしたスペインの空を仰いでの感慨。かつてジパングと呼ばれたはるか東洋の小国から来てみると何もかもがあまりにも違う。日本的情緒を纏ったアイデンティティーが異国で見失われるような不安を詠んでいるのではないだろうか。
 また、ジパングといった時、ザビエルはじめさまざまな宣教師たちがスペインから派遣されて来ていた両国の交流の歴史にも当然思いを馳せている。(ザビエルはポルトガル人だが、スペインから派遣されて来日している。)つまり布教だけでなくその後のキリスト教禁止令や逮捕処刑なども含めた両国の関わり合いである。だから「ジパングの国より来たる感情」とは単なる両国の気質の違いなどではない、複雑な物思いを背景にもっている。(鹿取)


馬場あき子の外国詠80(スペイン)改訂版

2015年10月25日 | 短歌一首鑑賞
  馬場あき子の外国詠9(2008年6月)
       【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P54
       参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:藤本満須子
      まとめ:鹿取未放


80 海と空のあをさほのけさヤジローとふ日本最初の切支丹帰る

      (レポート)
 初句から2句にかけて「海と空のあをさほのけさ」は3句以下の事実を述べるにおいて、序の言葉のような役割を果たしているように思う。ヤジローとザビエルはマラッカからどのような船旅あるいはどの島を巡りながら、また布教活動をしながら日本へたどりついたのであろうか。罪人として日本を逃れたヤジローがキリスト者としての使命に生きようと決意したのであろう。「黙秘の塩したたらす」ヤジローの精神の強さは並大抵のものではないだろう。切支丹として帰ることがまたいかに困難な道であったか容易に想像できよう。
 「海と空のあをさほのけさ」と美しい自然、変わらぬ自然を情緒的にうたい、下の句のヤジローの精神の強さ、「切支丹帰る」と用言で言い切った歌い方等、この歌の独自のものをひきだしているように思う。生没不詳、歴史に名を残さぬヤジローの孤独とキリスト者としての行き方を作者は深く考察しながら、スペイン、マドリッドの旅が始まるのだ。(藤本)


      (発言)
★よい目をしていた日本青年に宣教師が惹かれたという旅行記を読んだ。この時まだ日本ではキリ
 スト教は禁止ではない。(慧子)
★そうですね、キリスト教の存在自体がほとんど知られていない時代ですから、切支丹として帰国
 することは危険ではなかったと思います。過去の犯罪歴の方がむしろ心配でしょ う。レポート
 には用言で詠いきって独自と言っていますが、結句が用言になるのはごく 普通のうたいかたで
 しょう。(鹿取)


     (まとめ)
 切支丹となったヤジローがザビエルに伴われて帰国した日本は、しかし西洋とは全く違う考え方をもつ国だった。あいまいさを好む日本的情趣を海と空の境界も定かではない「あをさほのけさ」という情景によって示している。犯罪者ヤジローが帰国することに身の危険は伴わなかったのであろうか。日本的情緒に布教する難しさを、ザビエルたちは考えたであろうか。(鹿取)


     (後日意見)(2015年10月)
 ザビエルは、マラッカの長官の手配した中国のジャンク船に乗って1549年4月15日マラッカを出発している。一行はヤジローも入れて8人で、インド総督やゴアの司教の親書を携えていた。帆船であるから風頼みで、レポーターが書いているような各国に自由に寄り道しながらなど悠長なことは考えられない旅だったようだ。一行が鹿児島に着いたのはちょうど4ヶ月後の8月15日である。
 ザビエルは日本に来る前に出来る限りの情報収集をしたようだ。ヤジローにもゴアの神学校時代にその長に命じて日本についての聞き取りをさせている。しかし、いざ日本で布教活動をしてみると思ったほどたやすくなく、程なく仏教界とも領主とも摩擦がひどくなったようだ。さまざまな事情が重なったようだが、ザビエルは来日わずか2年余の1551年11月日本を去っている。(鹿取)

馬場あき子の外国詠79(スペイン)改訂版

2015年10月24日 | 短歌一首鑑賞
  馬場あき子の外国詠9(2008年6月)
      【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P54
       参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:藤本満須子
      まとめ:鹿取未放


79 逃亡者ヤジローの海灼けるほど熱き黙秘の塩したたらす

        (レポート)
 罪人として逃亡し続けているヤジロー、ザビエルと出会ったのはマラッカとあるから場としてはマラッカを想像してよいだろう。気温の高いマレーシア、「海が灼けるほど熱き沈黙」の塩をしたたらしているヤジロー、日本の九州、薩摩の人ヤジローは南へ南へと小舟で逃亡し、マレーシアに到着したのだろうか。(日本軍が占領していた時期もある。)あるいは幾多の島を逃亡しながらザビエルと出会ったのだろうか。その頃はポルトガル領として栄えた港町である。当然異国の侵入者として取り調べ、あるいは拷問にかけられたであろうか。言葉が通じるわけではなく、肉体の限界まで黙秘したのであろうか。そのヤジローの状況、様子を結句で「塩したたらす」と表現している。何と強い言葉であろう。また、この結句によってヤジローと呼ぶ一人の日本人によむ者は思いを巡らすのである。(藤本)


        (まとめ)
 ヤジローは殺人を犯したというが、それはどういう事情からだったのだろうか。敵討ちのような肉親の情か、金銭のトラブルか。分からないが、ストーリーとしてはささいなことで激情にかられて殺人を犯し逃げていた人間が、ザビエルという偉大な思想家に魅せられキリスト教の深淵に触れ、改心をして洗礼を受け、以後敬虔な信者になって生涯を貫き通したと考える方が面白い。
 「黙秘」という言葉から推察するとやはりキリスト教信仰と関係があるように思われるが、海外で殺人や不法入国の罪をとがめられて「黙秘の塩したたらす」場面というのはどうも考えにくい。ただ「海灼けるほど熱き」はレポーターのいうようにマレーシアなど南洋の海を思わせられるので、ザビエルに従って帰国した後の場面とは考えにくい。もっともザビエル在日中に大伴氏から禁教される場面もあり、邪教を説く者達として行く先々での迫害はあったかもしれないが、まだ拷問にかけるというところまではいっていないだろう。政治の中心にあった幕府や朝廷でも、キリスト教をどうこうという段階ではまだなかった。(家康が全国にキリスト教禁止令を出したのは、ザビエル来日のおよそ70年後、支倉常長が帰国したちょうどその年、1620年のことである。)
 もしかしたら作者によって、後のクリスチャンに対する拷問とヤジローがふっと二重写しにされたのかもしれない。それにしても、灼けるほど熱い海と対比された黙秘、じりじりと全身から塩をしたたらせて耐えているヤジローの意地の強い人格を見せられるようだ。
 「黙秘は後の弾圧の際とも考えられる。」というご意見を後日、歌友のM・Tさんよりいただいた。(鹿取)


      (後日意見)(2015年10月)
 ヤジローについて書かれた本を何冊か読んでいるところだが、事実にそってその足跡を記しているものではない。ヤジローに対する文献が非常に少ないため、誰もがある時点から空想に頼らざるをえないようだ。「人を殺して逃亡した」点は、ヤジローが書いたポルトガル語の書簡の写しが残っているので事実である。また、日本にいた時からポルトガル人の知り合いがいてポルトガル語は少しは話せたらしい。日本からマラッカに渡ったときもポルトガル人である商船主への紹介状をもらっており、交渉して載せて貰ったことが船主への聞き書きとして残っているという。「小舟で逃亡し」たのではないことが分かる。また、時代背景が違うので殺人というのも今日考える凶悪な人間が犯すというイメージとはかなり違う見方もあるようだ。ともかく彼の生業は何だったのか、なぜ人を殺したのか、なぜザビエルと共に帰国したとき罪に問われなかったのかなど今までの本では解明されていない。調べが進んだら、この一連は加筆しようと考えている。(鹿取)

馬場あき子の外国詠71(スペイン)追加版

2015年10月23日 | 短歌一首鑑賞
  馬場あき子の外国詠8(2008年5月)
       【西班牙 Ⅰモスクワ空港へ】『青い夜のことば』(1999年刊)P51
       参加者:N・I、M・S、H・S、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:H・S
       まとめ:鹿取未放

   ◆後日意見を追加しました。

   ◆ものを書くことや鑑賞に不慣れな会員がレポーターをつとめています。不備が多々ありますが
    ご容赦ください。

71 歌は癒しおもしろうしていつしかに見えずなりたる心の癒し

     (まとめ)
 「歌は癒しだ」などと巷では軽々しく言われたりしているが、ほんとうにそうかなあ、癒しなんかじゃないんじゃないの、という皮肉か。70とセットになった歌だろう。「おもしろうしていつしかに見えずなりたる」だからある時期までは癒しであったというのか。私自身は「癒し」という言葉自体に何か不信感をもっているので、どうもこの歌の真意がよく見えてこない。今後の課題としたい。(鹿取)


      (発言)
★レポーターの「繰り返し耳にすると色あせた響きとなって聞こえてくる」ってどういううこと? 
 もしかしてこの「歌」歌謡曲など唱う歌として解釈されたかしら?馬場の歌だから当然「短歌」
 がテーマでしょう。(鹿取)


         (レポート)
 歌には人の心を癒す力があるのかもしれない。だが興に乗りすぎると表層的になりがちな面も持つ。また繰り返し耳にすると色あせた響きとなって聞こえてくることも多々ある。癒す力も弱まる。作者の思いはそこにあるのであろうか。今、何かと安易に使われているように思える癒しという言葉。人の心を癒す。何と難しいことか。慣れから来る恐さの一面を表現しているのであろうか。目には見えないものに深く心を傾ける大切さに気づかされる。(H・S)


     (後日意見)(2015年10月)
 癒しを肯定的に捉えている。想起されるのは芭蕉の「おもしろうて やがてかなしき 鵜舟哉」という句である。にぎやかに、かがり火を焚いて行われる鵜飼は興が尽きないものであるが、
やがて闇の彼方にかがり火とともに舟が消え去ると、いいしれぬもの悲しさ、空虚さにとらわれのである。時間の経過に沿って移ろいゆき、失われるものの、かなしさという点では似かようものがある。
 東日本大震災の際、歌を詠むことによって、悲痛な体験した人は癒された、という話がある、
素朴で臨場感あふれる歌は、読者の気持ちを惹きつけ、感動を呼ぶのである。歌作は癒し、と一口に括ることはできないが、少なくとも短歌という定型様式は癒しの要素が多い表現媒体である。
見えなくなったのは、このような「心の癒し」ではないだろうか、歌を作ることは興の尽きないことであるが、表現者として作品を昇華させてゆく過程で、「心の癒し」はゆるやかに、失われていくのである。癒しが見えなくなってしまうのは、歌人としての宿命だと、捉えておられるのではないだろうか。(S・I)

馬場あき子の外国詠78(スペイン)改訂版

2015年10月22日 | 短歌一首鑑賞
  馬場あき子の外国詠9(2008年6月)
      【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P53
       参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:藤本満須子
      まとめ:鹿取未放


78 西班牙より見ればヤジローとザビエルの対座の秋の無月邃(ふか)しも

       (レポート)
 76の歌でも「秋」とうたっている。この時期、日本より少し気温は低いスペイン、マドリッドであろうが、乾燥し、湿度の低いこの地の青空の深さを「秋」とうたわずにはいられなかった作者である。青い空、深い青空は高知の秋の空を思い浮かべるのだが。下の句に作者の深い感慨が込められている歌と思う。
 ザビエルとヤジロー、互いに孤独な二人が対座している。キリスト者としてのザビエルの生き方に強く惹かれ、罪人として逃亡していたヤジローは受洗し、ザビエルを案内して日本に帰るというのである。日本は安土桃山時代、小田信長が天下を取ろうとしていた頃である。(鹿児島藩、琉球、奄美、黒糖専売、密貿易、江戸時代を通じてほとんど一揆がなかった。)結句の「無月」とは?白い月が浮かんでいる天空の様子だろうか。(藤本)


         (発言)
★ふたりが対座した当時のことをうたっているので、作者が旅行した季節を「秋」ととらえてい
 るわけではないでしょう。「無月」は、「空が曇って月が見えないこと」と漢和辞典に出てい
 ます。(鹿取)
★ヤジローとザビエルの対峙を扱ったすごさ。(T・H)


        (まとめ)
 東洋の一犯罪者であるヤジローとキリスト教国の最高の知性であり情熱を秘めた神父との魂と魂のぶつかり合い、あるいは魂同士の寄り添うさまを扱って、まことに奥深い味わいのある歌である。
 スペインに旅することで、16世紀というはるか昔にこの地を発って地の果てのような日本に布教活動に出向いた一宣教師のことが作者にはしきりに思われているのである。日本に上陸したザビエルのある秋の無月の夜の対座の様をありありと想像している。無月は特に中秋の名月に月が見えないことをいうが、ふたりが上陸したのは1549年8月15日、正に中秋の名月その日であった。(しかし天候悪く彼らの上に名月が輝くことはなかったのかどうか、私には調べきれなかった。何かの本に無月の記述があるのかもしれないし、作者の想像の中で無月であったのかもしれない。)月が無い深いふかい闇の中で二人はいのちがけの真剣勝負の鋭い議論を交わしたのであろうか。あるいは言葉の壁に阻まれて深遠な議論を闘わすことは不可能だったろうか。その場合はそれぞれがそれぞれの思いを抱えて言葉少なに向かい合っていたのだろうか。西洋人と東洋人、宣教師と罪人という異色の組み合わせながら、「対座」という言葉には相手を包み込むような優しさも感じられる。犯罪者であるヤジローを神に導き、対等にむかいあっているザビエルの人間としての大きさが詠み込まれているようだ。また、そう読むことによって馬場あき子の人間への愛の大きさも思わせられる。(鹿取)


        (後日意見)(2015年10月)
 新村洋『天文十八年』によると、ヤジローは、マラッカでザビエルに会い、1546年、その後を慕ってインドのゴアに渡った。ゴアでは聖信学院に通い、アジア13カ国から来た60名くらいの生徒に混じってポルトガル語とキリスト教を学んだという。その後1549年、ヤジローはザビエルに従って通訳として日本にやってきた。だから、上記(まとめ)とは違って、ヤジローは教義内容に立ち入って議論できるくらいの語学力は身につけていたはずである。しかし、馬場のこの歌は「無月」や「邃し」の語感からおしてあまり言葉を交わさずに向かい合っている静謐なイメージをおこさせる。ここではやはり言葉のない深さを味わうべきなのだろう。(鹿取)