かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠245(中国)

2017年10月31日 | 短歌一首鑑賞

    馬場あき子の旅の歌32(2010年10月実施)
       【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)191頁
        参加者: N・I、Y・I、T・S、曽我亮子、鹿取未放
        レポーター: N・I
        司会とまとめ:鹿取 未放


245 ツービートに体ゆすりて見てあればめいめいざらりとゴビに陽は没(い)る

         (レポート)
 沙漠の入り日はそれは壮大なものであろうと期待に体も自然と踊る。明明として表しようのない感じで日は沈んでいった。ざらりがとらえどころのない様として出ていると想います。(N・I)


      (まとめ)
 沙漠の日没は壮大な大パノラマで、現代の旅の景物の一つであろう。日没を待つ間、乗ってきた車からはツービートの曲が響いていたのだろうか。それとも日没のダイナミックな様子をツービートと感じたのだろうか。
 「めいめいざらり」は室町の小唄調の囃子ことばで、京都の時代祭には「室町洛中風俗列」の風流踊りでこの囃子ことばがこんなふうに歌われるそうだ。

  あー あのひをごらうぜ いーさーんやーれさんやーれ 
  やまのはにかかった いーさーんやーれさんやーれ 
  めいめいざらりのさんやーれ いーさーんやーれさんやーれ
      
 とすると、「めいめいざらり」と没する夕陽はざらざらした砂のような語感をいうのではなく、華やかで熱狂的なものなのだろうか。ツービートを背景に沙漠に没する壮大な夕日を眺めている愉快な気分が「めいめいざらり」を呼び起こしたのだろうか。本歌集『飛天の道』から6年後の歌集『ゆふがほの家』に「めいめいざらり」の章があり、「秋の陽はめいめいざらり庭ざくろ実りて揺れて笑ふほかなし」の歌が載っている。(鹿取)

              
 

馬場あき子の外国詠244(中国)

2017年10月30日 | 短歌一首鑑賞

    馬場あき子の旅の歌32(2010年10月実施)
       【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)190頁
       参加者: N・I、Y・I、T・S、曽我亮子、鹿取未放
        レポーター: N・I
        司会とまとめ:鹿取 未放


244 張騫(ちやうけん)のききし砂漠の夜想曲しんしんと人麿以前の孤独

         (レポート)
 十余年余匈奴に囚われていた張騫の心境を沙漠の森羅万象の中で育んでいった。張騫は漢の冒険家で匈奴迎撃の為巡検を申し出許された。逆に匈奴に抑留された後に脱出に成功して東西のシルクロードの発展の先駆者。(N・I)


     (当日意見)
★沙漠の音がノクターンに聞こえる。(曽我)


    (まとめ)
 この歌は一転して、紀元前の話である。どうして国も違い、時代も違う人麿(7~8世紀の飛鳥時代の人)が張騫に並べられているのか、考察してみたい。
 とりあえず張騫の説明から入る。張騫(紀元前114年没)は中国前漢時代の政治家で、武帝の命により匈奴に対する同盟を説くために大月氏へと赴き、漢に西域の情報をもたらしたとされている。漢は大月氏と組んで匈奴の挟撃作戦を狙って張騫らを使節団として送ったが、張騫は匈奴に捕らえられ、その後十余年間に渡って拘留された。匈奴は張騫に妻を与え、その間に子供も出来たが、張騫は脱出に成功する。月氏の王に漢との同盟を説いたが、月氏の王はこれを受け入れなかった。その上帰路またしても匈奴に囚われた。しかし今回は匈奴の後継者争いの隙をついて1年余りで脱出、紀元前126年に遂に漢へと帰還した。張騫の死後、張騫の打った策が徐々に実を結び始め、西域諸国は漢へ交易に訪れるようになり、漢は匈奴に対して有利な立場を築くようになる。
 ところで張騫と人麿の共通項といえば、旅であろうか。人麿は役人として各地を旅し、石見の国で死んだと伝えられている。もちろん人麿の時代の旅も命がけだっただろうが、敵国を通って同盟を説く為に沙漠の中の、まさに道無き道を旅した張騫の危険さとは比べようもない。張騫の往来によって道ができたと言われるほどである。囚われの身の時も当然だが、道無き道を行くときにも、張騫は常に命の危険にさらされていたはずだ。そうして、たぶん張騫は人麿のようには歌を(詩を)詠まなかったであろう。すると張騫の聞いた沙漠の夜想曲とは何であったろうか。最初は匈奴に捕らえられていた時に、囚われの身で聞いた敵国匈奴の歌だろうと思っていたが、242番歌の「しづしづと沙漠広がるまひるまの砂の音ちさく笑ふ声する」などからみると、沙漠そのものの奏でるもの悲しい音のことかもしれない。また、人麿と並べられたところをみると、己の中に歌を持たない張騫は、歌を持っていた人麿よりずっと孤独だったろうというのだろうか。ここで馬場は、砂漠化が進む現代のシルクロードの国々を旅しつつ、己が言葉を持つことの意味、歌を持つことの意味を自問していたのだろうか。(鹿取)
 

     (後日意見)
★曽我さんのいう通り、砂の鳴る音を聞いていたのだろう。レポートは主語と述語が捻れているし 目的語もない。何を言いたいのか分からない。(11月・藤本)
★鹿取さんの「まとめ」にある異民族の匈奴の歌を聞いていたと解釈したい。張騫詩文は伝わって いないので、作らなかったと考えていいだろう。たとえば『三国志』では劉備だけが詩を作らな かったと書かれている。(11月・実之)


           (2016年10月追記)
 余談だが、私の持っている『鬼の研究』(1977年度版)の扉に著者馬場あき子の署名があって「晩菊のくさむら冬に耐えておりやすらわぬかなことばをもてば」の歌が書かれている。
   (鹿取)


馬場あき子の外国詠243(中国)

2017年10月29日 | 短歌一首鑑賞

   馬場あき子の旅の歌32(2010年10月実施)
     【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)190頁
       参加者: N・I、Y・I、T・S、曽我亮子、鹿取未放
     レポーター: N・I
     司会とまとめ:鹿取 未放


243 砂漠いまにすべてを埋づめつくすべし無為にしづかと誰か言ひたる

         (レポート)
 沙漠は今静かに変化している。かつての時代、沙漠で繰り広げられた諸々のことはなかったかのように砂が覆っている。(N・I)


     (まとめ)
 地球温暖化のせいか砂漠化のスピードが速まっていると聞く。そうして沙漠の民たちは今も水不足に苦しめられている。いつか地球全てが沙漠と化すのかもしれない。「誰か言ひたる」は作者がよく使う手法だが、同行者とか、自分とかの実際の声ではなく、作者の心の中のつぶやきではないだろうか。もちろん声を聞くのは文献による知識があってのことであろう。「無為にしづか」はそういう未来のいつかを思う空恐ろしさを反映したことばだろう。(鹿取)




馬場あき子の外国詠242(中国)

2017年10月28日 | 短歌一首鑑賞

   馬場あき子の旅の歌32(2010年10月実施)
    【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)189頁
     参加者: N・I、Y・I、T・S、曽我亮子、鹿取未放
     レポーター: N・I
    司会とまとめ:鹿取 未放


242 しづしづと沙漠広がるまひるまの砂の音ちさく笑ふ声する

         (レポート)
 茫々とした真昼間の沙漠は無音、砂の動くさまを笑う声と捉えたところがポエムだと想います。(N・I)


     (当日意見)
★初句で能が浮かんでくる。沙漠と合っている。(T・S)
★この日は風が無かったのではないか。よけいに静かな感じがする。(曽我)
★風というより空気感である。(N・I)

     (まとめ)
 一読、砂の笑いがかわいらしく太平の歌のようだが、次の243番歌「砂漠いまにすべてを埋づめつくすべし無為にしづかと誰か言ひたる」と合わせて読むと、不気味で恐ろしい歌だということが分かる。沙漠が広がるのは夜でなくまひる、しかも荒々しくではなく「しづしづと」であるところがかえって怖い。広がりつつ小さく笑う砂が、やがて人間界を席巻し尽くすのであろう。(鹿取)





馬場あき子の外国詠241(中国)

2017年10月27日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌32(2010年10月実施)
    【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)189頁
     参加者: N・I、Y・I、T・S、曽我亮子、鹿取未放
     レポーター: N・I
     司会とまとめ:鹿取 未放


241 月牙泉に沐浴(ゆあみ)し天女風早(かざはや)の三保の浦まである日飛びたり

              (レポート)
 日本の伝説の地、三保の松原にある日天女が降りた。月牙泉は3000年来水が涸れることがないと言われる泉。葦に囲まれた三日月の形をした湖で、不老長寿の魚が棲んでいる。(N・I)


          (当日意見)
★「ある日」にどういう効果があるのか。(Y・I) 


          (後日意見)(2010年11月)
★「ある日」を考えると、何となく飛んできて日本でひでえ目に遭った、の方がくすっと来る。
  シルクロード一連は、シルクロードと日本・われを繋げる作用をしているのだろう。また、月
  牙泉の「月」は、死と再生の象徴と考えられる。(佐々木実之)


         (まとめ)
 歌集『飛天の道』あとがきに作者は次のように記している。
 「……何よりその旅の間じゅう私の心を占めていたのは、飛天の優しさとたおやかな美しさだった。それはこの荒々しい砂の曠野とあまりにも対照的だった。……中略……日本の天女伝説はすでに『風土記』の中にあるが、能「羽衣」によって定着し、一般化した三保松原の天女も、このシルクロードから飛来してきた天女の一人だったと思うと特別ななつかしみが湧く。」
 『飛天の道』という歌集名が示すように、シルクロードの旅で作者がいちばん心を捕らえられたものが飛天であった。そしてその飛天にはシルクロードから日本に飛来して来たのだという懐かしみの情が濃くただよっている。そのことを考えるとこの歌は、旅のテーマとなる重要な意味を持っていることがわかる。壁画に描かれた飛天は、日本に発つ前に沙漠のオアシス、優美な月牙泉で沐浴して身を浄めたのだ。そうしてある日三保の浦までやってきたのだ。「風早の」は三保にかかる枕詞だが、スピード感の演出にも一役買っている。風土記の天女伝説を下敷きにして、さわやかでロマンのある歌である。(鹿取)


馬場あき子の外国詠240(中国)

2017年10月26日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌31(2010年8月実施)
     【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)188頁
      参加者:H・A、T・S、藤本満須子、T・H、鹿取未放
     レポーター:欠席
     司会とまとめ:鹿取 未放

 ◆ レポーター欠席のため、元のレポートはありません。

240 低く飛ぶ飛天は靴を穿きてをりまだ仙ならぬ男ぞあはれ 

      (まとめ)
 靴を穿いた飛天も多く描かれているようだ。また飛天は女性とは限らない。まだ仙人になるには若く生まの肉体と欲望をもっているであろう、俗界を離れきっていない男の飛天を特別な思い入れをもって眺めている。修行の足りない人間の男だから低くしか飛ぶことができないのであろう。同情よりももっとその男に寄り添っているこころの在りようが面白い。(鹿取)



馬場あき子の外国詠239(中国)

2017年10月25日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌31(2010年8月実施)
    【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)188頁
     参加者:H・A、T・S、藤本満須子、T・H、鹿取未放       
    レポーター:欠席
    司会とまとめ:鹿取 未放

 ◆ レポーター欠席のため、元のレポートはありません。

239 緑青の兜率天宮に近づけば樹あり人居りて唐初なりける

    (当日意見)
★樹下美人図を連想する。(T・H)


     (まとめ)
 これも莫高窟の壁画であろうか。写真等で見るかぎり、壁画には緑と青が印象的に使われている。兜率天宮というのは弥勒菩薩がいるところと辞書に出ている。人間を救済してくれる菩薩の住まい(が描かれた壁画)に近づいていくと樹や人が描かれていて、いかにも唐の初めといった佇まいである。唐初という時代に立ち返ったような懐かしさがにじんでいる。(鹿取)


馬場あき子の外国詠238(中国)

2017年10月24日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌31(2010年8月実施)
     【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)187頁
     参加者:H・A、T・S、藤本満須子、T・H、鹿取未放
     レポーター:欠席
     司会とまとめ:鹿取 未放

 ◆ レポーター欠席のため、元のレポートはありません。

238 暗窟に飛天閉ぢられ極彩の幻覚の闇を飛びし二千年

      (まとめ)
 「幻覚の」が誰の幻覚なのか分かりにくかった。「飛びし」が過去だからそれがネックになって鑑賞を邪魔したようだ。莫高窟などを見学したようだが、それらの窟には極彩の飛天が描かれている。それらの壁画は長い年月をかけて営々と描きつがれてきた。描かれた飛天は暗窟のなかにいるので自分が飛んでいる姿を見ることはできない。だから幻覚の中でその闇の中を二千年間自在に飛びまわっていたのだ、というのか。それではどうも腑に落ちない。そうすると作者の幻覚ということになる。暗窟を見学する時は、ほんの少しの間だけガイドが懐中電灯で壁画を照らしてくれるそうだ。その一瞬に作者は極彩の飛天像を見た。そしてまた後は暗闇。作者は二千年間暗闇を飛び交っていた飛天たちの姿を幻視したのであろう。なお、莫高窟の壁画は古いもので366年の記録があり、14世紀ごろまでかかって制作されたとある。(鹿取)


馬場あき子の外国詠237(中国)

2017年10月23日 | 短歌一首鑑賞

    馬場あき子の旅の歌31(2010年8月実施)
       【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)187頁
       参加者:H・A、T・S、藤本満須子、T・H、鹿取未放
       レポーター:欠席
       司会とまとめ:鹿取 未放

 ◆ レポーター欠席のため、元のレポートはありません。「火焔山」の「焔」は、原作では旧字体です。

237 言葉失う奇観の中の火焔山つひに低頭の思ひわきくる
  (「失う」の「う」は、歌集のママ)

     (当日意見)
★青年僧の玄奘の思いに頭を垂れる思い。(藤本)
★236番歌(火焔山みれば奇怪なり真つ赤なり畏れつつ西遊記の山裾に入る)「畏れ」から23
 7番歌「低頭」へと深まりが見られる。(H・A)                             

      (まとめ)
 236番歌に見られるようにあまりの山容の凄まじさにただただ見とれ、茫然自失となって言葉も出ない。そうして圧倒されて眺めているうちに、最後には頭を下げるしかない敬虔な気持ちになったというのである。ここには(藤本説)の玄奘は登場しないので、「低頭の思ひ」の対象は火焔山で自然の圧倒的な強さに低頭の思いになったと私は解釈する。作者は旧かな表記なので「失う」は「失ふ」とあるべきだが、歌集は「失う」となっている。誤植であろう。(鹿取)


馬場あき子の外国詠236(中国)

2017年10月22日 | 短歌一首鑑賞

     馬場あき子の旅の歌31(2010年8月実施)
      【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)186頁
       参加者:H・A、T・S、藤本満須子、T・H、鹿取未放
       レポーター:欠席
       司会とまとめ:鹿取 未放

 ◆ レポーター欠席のため、元のレポートはありません。「火焔山」の「焔」は、原作では旧字体です。

236 火焔山みれば奇怪なり真つ赤なり畏れつつ西遊記の山裾に入る

     (まとめ)
 火焔山に圧倒されている作者の姿が見えるようだ。西遊記で有名な火焔山の山容のあまりのすさまじさに人間が平伏しているような感じがする。四輪駆動の頑丈な車で旅しているのであろうが、「畏れつつ」「山裾に入る」と人間や文明が小さくなって、ゴメンナサイ、トオラセテネと謝りつつ入っていく感じがする。それだけ原初のままの自然は人間などが侵せない力強さをもっているのであろう。ちなみに火焔山は標高500メートル、中腹にベゼクリフ千仏洞がある。(鹿取)