かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

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馬場あき子の外国詠256(中国)

2014年07月31日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)165頁
              参加者:N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
               レポーター:T・H
                司会とまとめ:鹿取 未放


196 靡くもの女は愛すうたかたの思ひのはてにひれ振りしより

      (まとめ)(2010年3月)
 靡くものを女は愛するようになった。はかない恋の思いの果てに領巾を振ったあの昔から。
 万葉集に載る「ひれ振る」歌を幾首かあげてみる。

 a 松浦県佐用姫(まつらけんさよひめ)の子が領巾(ひれ)振りし山の名のみや聞きつつ居らむ
      (巻五・八六八) 山上憶良

 b 遠つ人松浦佐用姫夫恋ひに領巾振りしより負ひし山の名  
     (巻五・八七一)   作者不詳、一説に山上憶良とも

 c 海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫
      (巻五・八七四) 大伴旅人

 これらの歌はいずれも佐賀県唐津市に伝わる佐用姫伝説をもとにして後世の歌人達が詠ったもので、伝説はこうである。
 537年、百済救援の為、兵を率いて唐津にやってきた大伴狭手彦(さでひこ)は、軍船建立まで滞在した長者の家で、長者の娘佐用姫と恋仲になった。やがて狭手彦は出航し、姫は鏡山に登って領巾を振り続けた。その後、七日七晩泣き続けてとうとう石になってしまった。そこで領巾を振った鏡山を領巾振山(ひれふりやま)と呼ぶようになった。そうして今も唐津市に鏡山(領巾振山)は残っている。ところで憶良や旅人は7世紀後半から8世紀前半にかけて活躍した歌人だから、領巾振山の伝説からは既に150~200年の時が経過していたことになる。
 ともあれ、馬場のこの歌は万葉集のこれらの歌を背景におきながら、悲恋の姫に想いをよせ、そこから女のはかなげな習性を思っているようだ。


     (意見)(2010年3月)
★歴史的なものをふまえているのではないか。(慧子)
★「袖を振る」と「領巾を振る」は、違う。また、「うたかたの思ひ」とはかつての自分のことだ
 ろうか。(藤本)
★佐用姫伝説の主人公が、せっかく恋仲になった大伴狭手彦と瞬く間に別れがやってきて、領巾を
 振って泣くことになるんだけど、「うたかたの思ひ」ってそのことじゃないですか。(鹿取)


  (レポート)(2010年3月)
 このお歌も、莫高窟内に描かれた「飛天」たちの衣を詠われたものと思う。「飛天」は天空を飛んで、仏陀を礼賛・讃美する天人。しばしば散華や奏楽器の姿で表現される。天空を降りてくるのであるから、衣も乗っている雲もたなびいている。「たなびくもの」を女は愛す。そうかな?確かに柔らかな衣・スカーフなどをたなびかせて女は歩く。「うたかたの思ひのはてに」はかない思いの果てに、「ひれ振りしより」布を振って以来。これは万葉集の「~いもがそでふる」を引用されているのかも知れない。
(万葉集20「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」など)
   (T・H)

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馬場あき子の外国詠255(中国)

2014年07月30日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)164頁
                 参加者:N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                  レポーター:T・H
                   司会とまとめ:鹿取 未放


195 蜃気楼の国のやうなる西域の飛天図を見れば夜ふけしづまる

     (まとめ)(2010年3月)
 この歌は現地に行って飛天を見ての感慨か、蜃気楼の国のようだと考えていたその西域に正に自分が旅しようとして、あこがれの飛天図を写真か何かで眺めている図か、二通りに考えられる。四首めに富士が出てくる構成から考えると、行く前のあこがれの気分と読んで欲しいという作者のメッセージかもしれない。
 蜃気楼の国のようだというのは、ぼんやりと見えるがすぐに消えてしまう蜃気楼のように、ほんとうに存在するのかも危ぶまれるような、それゆえ強い憧れをかきたてるそんあ西域なのだろう。夜は更けて静かだが、自分はあこがれの飛天図を飽きもせずに見入っているのだ。


     (レポート)(2010年3月)
 馬場先生ご一行は、今、中国はシルクロードの旅をしておられる。そして今日は敦煌の莫高窟
を見学して来られたのだと思う。「蜃気楼の国のやうなる」とは、歴史的にも遙か彼方、漢の武帝の時代より(B・C140年頃)注目されていた西域・シルクロードへ、今、足を踏み入れられた。それはまさに日本からも「蜃気楼の国のやう」に遙かに遠い「西域」であり、また今日見てこられた「飛天」の多くは、天上遥かから、音曲を持って、仏の来迎を讃美する姿である。それらを見てこられて、今、夜のしじまの中を寝付こうとしておられる。しかし目は冴え渡って、今日見てこられたさまざまな莫高窟内の図柄が目の前に浮かび、なかなか寝付かれない。周囲は沙漠である。物音一つしない。ますます目は冴え渡ってゆく。あき子先生の思い、お姿が目に浮かぶようである。(T・H)
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馬場あき子の外国詠254(中国)

2014年07月29日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)129頁
                参加者:K・I、N・I、Y・I、曽我亮子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                レポーター:N・I
                 司会とまとめ:鹿取 未放


194 夏さやと来てゐる土に這ひ出でて若きみみずらつやめきをれり

      (まとめ)(2010年1月)
 直前の歌の一切後悔しない若さの一例が若いみみずのつやめきに反映しているのだろうか。「夏さやと」という気持ちの良い出だしに、つやめくみみずを配するところが馬場流である。(鹿取)


       (レポート)(2010年1月)
 初夏の新鮮な土壌からはい出てきたみみずに若々しい官能を?感じられたのではないでしょうか?(N・I)
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馬場あき子の外国詠253(中国)

2014年07月28日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)129頁
               参加者:K・I、N・I、Y・I、曽我亮子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                レポーター:N・I
                司会とまとめ:鹿取 未放


193 えご咲けり一切後悔せずといふ若き元気も遠くかへり来

     (まとめ)(2010年1月)
 えごは白い清楚な花だが、語感がエゴにも通じる。一切後悔しないで思った通りに生きようという若さの持つ元気が蘇ってきた。それは中国旅行の疲れからの快復というより、中国旅行で得たおおらかさとか底力が、心身の疲労の回復と共にふつふつと自分に戻ってきた、というのだろう。
「遠く」だからまだ本格的ではないが。とはいえ、「かへり来」だから、中国で得たものを加味すると矛盾する解釈になるのだろうか。(鹿取)

  
     (意見)(2010年1月)
★レポーターは「若き元気も遠くなって、日本に帰ってきた」という意味にとられたようだ。しか
 し「かへり来」の主語は「若き元気」であって〈われ〉ではないだろう。だからレポートの「す
 でに遠くなった」は意味が逆です。(鹿取)


     (レポート)(2010年1月)
 初夏に下向きの白い花を枝一杯に広げる花が咲く頃帰国した。一切後悔しないという突き進むきっぱりとした若さも元気もすでに遠くなった思いがえごの花に表現されているのではないでしょうか。(N・I)
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馬場あき子の外国詠252(中国)

2014年07月27日 | 短歌一首鑑賞
 
馬場あき子の旅の歌【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)128頁
               参加者:K・I、N・I、Y・I、曽我亮子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                レポーター:N・I
                 司会とまとめ:鹿取 未放


192 大陸を見てきしまなこ遊べよとさやさやとせり木草のみどり

      (まとめ)(2010年1月)
 大陸であまりにもたくさんのことを見てきて未だ整理できない心境にある。とりあえず目前の
やさしい「木草のみどり」が、疲れたまなこを遊ばせなさいと呼びかけているようだ。大陸に比べたら何ともささやかな、しかしやさしい情景が目の前には広がっているのだ。良くも悪くもそれが日本という国である。(鹿取)


      (意見)(2010年1月)
★作者は充分中国に感動して歌を詠んでいるので、レポートの「中国でのあまりよくなかった印象 を忘れたい」というのとは少し違うと思います。(鹿取)


      (レポート)(2010年1月)
 中国を見てきた眼には日本のやさしい草木に心が和まされる。それは眼あそべよと詠んだこと、中国でのあまりよくなかった印象を忘れたいということなのではないでしょうか。(N・I)


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馬場あき子の外国詠251(中国)

2014年07月26日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)128頁
                   参加者:K・I、N・I、Y・I、曽我亮子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                    レポーター:N・I
                     司会とまとめ:鹿取 未放


191 貧しからねど豊かならざる表情に水牛は耕し終へて我をみる

     (まとめ)(2010年1月)
 動物側から「我をみる」という詠み方は馬場がよくする技法。何度かこの旅の歌シリーズにも例歌を挙げてきた。「貧しからねど豊かならざる表情」とはどういう感じなのだろうか。牛のことではないが、「紺」では「民衆は豊かならねどくつろぎて飲食に就く暗き灯のもと」のように歌われている。この豊かは経済上のそれである。しかし牛には経済上の解釈はできないので(もちろん、その反映として心地よい牛舎や美味しい餌をもらえるということはあろうが。)あくまでも内面の表情である。それも耕すという労働が終わってほっとしたひとときである、貧しくはないけれども豊かではない表情で我をみて、水牛は何を思っているのであろうか。(鹿取)


     (レポート)(2010年1月)
 肉牛はビールを飲まされブラシで磨かれ高く売られることに価値があるのですが、水牛は労働のために使われ又ある種の競技にも用いられます。泥に近い畑を耕し終えた水牛の眼にある種の険しさを見たのでしょう。人間にも、また今の世相にも通じる含蓄の深い歌と思いました。(N・I)
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馬場あき子の外国詠250(中国)

2014年07月25日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)127頁
               参加者:K・I、N・I、Y・I、曽我亮子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                レポーター:N・I
                 司会とまとめ:鹿取 未放

190 売られたる鶏は水見てゐたるかな二丁艫(ろ)に漕ぐ蘇州運河に

     (まとめ)(2010年1月)
 二丁艫だから艫が2本しかない小さな船、そこに売られた鶏たちが乗せられている。何羽とかは書かれていないが、小さな船だからせいぜい10羽というところだろうか。たぶん脚でも縛って数珠繋ぎにされているのだろう。鶏たちはしょうことなしに運河の水を見ている。水は先の歌にあったように濁っていて水中は見えない。売られた花嫁、ではないが、拘束された鶏たちは直感的に自分の運命を把握しているだろう。自分たちの乗る観光船と擦れ違ったときの属目だろうが、「水見てゐたるかな」のところにそこはかとないあわれが滲む。(鹿取)


     (レポート)(2010年1月)
 蘇州は日本人観光客にも人気のある地。買ったのではなく売られてきたと詠み、鶏の眼に注目したのはさすがだと思います。川は人生にも例えられます。その流れが見えているのだろうかと、言い差しで終わっているのが深みを与えていると思いました。(N・I)


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馬場あき子の外国詠249(中国)

2014年07月24日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)127頁
               参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                レポーター:T・S
                 司会とまとめ:鹿取 未放


189 石の船何に早きぞ朱の揀瓦積みてしづけき蘇州に下る

     (まとめ)(2009年12月)
 石の船は排水などを運ぶ用をすることもあるらしいが、現在では飾りのように運河に浮かべているらしい。1983年当時の馬場の旅では煉瓦を積んで働いていたのだ。それがまた石のくせに早いので、「何に早きぞ」(どうしてこんなに早いのだろう)と驚いているのである。もしかしたら自分たちの乗る観光船を追い抜いていったのだろうか。(鹿取)


     (レポート)(2009年12月)
 石の船でありながら何に早きである。馬場先生の目がここから離れない。私はこの「何に早きぞ」に惹かれる。探っていくとさまざまな意見が出るはずだ。石の船が重い煉瓦を積んでいく。石の船を調べようとしたが私の目には届かなかった。(T・S)



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馬場あき子の外国詠248(中国)

2014年07月23日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)126頁
                     参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                      レポーター:T・S
                       司会とまとめ:鹿取 未放


188 楊花散りて蘇州春逝く季に来つ濁れる運河一日下りて

     (まとめ)(2009年12月)
 「君がみ胸に抱かれて聞くは 夢の船唄鳥の唄 水の蘇州の花散る春を 惜しむか柳がすすり泣く」とある「蘇州夜曲」の歌詞に似た場面である。写真で見ると楊の花は白くてふわふわした感じだが、その花の散る景色を濁った運河を行く船に乗って眺めているのである。芭蕉の「行く春を近江の人と惜しみけり」ではないが、蘇州の運河に楊の花の散る情景はいかにも春を惜しむ旅情をそそられそうだ。「あの春の蘇州は夢のように美しかった」と語った作者の感慨が伝わってくる。(鹿取)

      (レポート)(2009年12月)
 かわやなぎの花。とくに白楊の種から白い綿毛とぶ。「楊花茫々として人を愁殺す」(李白)
   (T・S)

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馬場あき子の外国詠247(中国)

2014年07月22日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)126頁
               参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                レポーター:T・S
                司会とまとめ:鹿取 未放


187 街衢曲れば窓しみじみと歪みたる西安民屋に夜は満ちてゐつ

     (まとめ)(2009年12月)
 先月の「紺」にも「暗き灯の一つを点し民屋は土間に据ゑたり一つのかまど」があった。ここも同じ場面だろうか。それとももう少し夜が更けた場面だろうか。少し細い路地へ曲がったところ歪んだ窓を持つ民衆の家があった。窓が歪んでいるくらいだから貧しい家である。一軒とも数軒とも書かれていないが、その一角には窓が歪んの家々が連なっていたのかもしれない。「暗き灯の」の歌のようにぼんやりと暗い灯りが漏れていたのかもしれない。歪むの形容が「しみじみと」であるところが面白い。それは上から目線ではない、西安の貧しい民の捉え方のようだ。(鹿取)


     (レポート)(2009年12月)
 夕刻街を歩いている。みると窓が歪んでいる。「しみじみと歪みたる」歪んでいるのを見て馬場先生がここに心が着くのは決していまいまの歪みではないとの実感があってこそである。「西安民屋に夜は満ちてゐつ」で、さらにこのしみじみの効果を高め内容を深めた一首と言っていいだろう。(T・S)


      (意見)(2009年12月)
★T・Sさん、このレポートで何を言っているのか意味不明です。もっと分かりやすく書いてください。(藤本)
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