馬場あき子の外国詠1首鑑賞 13
【牛】『ゆふがほの家』(2006年刊)P96
164 カトマンズ王宮通り赤牛は痩せ痩せて夜行する聖家族なり
(まとめ)
163番歌のと「遊行」と違い、こちらは「夜行」である。163番歌とは見ている牛の種類が違うのだろうか、百鬼夜行を連想する。ネパールの王制はこの旅行後5年を経た2008年に崩壊したが、王宮のある通りを痩せ痩せて夜行する牛たちに聖なるものを見ている点に諧謔があるのだろう。世界でもっとも貧しい国のひとつであるネパールだが、王の一族はおそらくは贅沢に暮らしているのだろう。また、ネパールではカースト制が根強く残っていると聞くが、王と庶民の対比ではなく牛をもってきたところに歌のひろがりが出た。「聖家族」はレポーターが言うようなマリアやイエスなどのキリスト教のものではなく、一般名詞であり、聖なる家族というくらいの意味であろう。(鹿取)
(レポート)2009年8月
夜のカトマンズのメインストリートを、痩せた赤牛が2、3頭、ゆっくりと歩いている。それはまるでヨゼフとマリア、イエスの聖家族のようだと先生は言われる。比喩の背景には何があるのだろうか。(T・H)