かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠291(トルコ)

2016年05月02日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌39(11年5月) 【遊光】『飛種』(1996年刊)P128
     参加者:K・I、崎尾廣子、佐々木実之、曽我亮子、H・T、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子
     司会とまとめ:鹿取 未放

291 驢馬のあざみ驢馬の胡瓜みな棘ある草驢馬はかなしき棘食む馬か

           (まとめ)
 人間の食べる胡瓜にも棘はあるし、蔓には更に鋭い棘がある。あざみにだって花にも茎にも鋭い棘がある。驢馬のと形容されたこれらの植物はどのくらいの大きさなのか、ネットで調べてみるが出てこない。馬のようにこき使われて、馬ほどは大事にされず、棘ある草くらいしかあてがわれない。しみじみと驢馬をあわれんでいる。(鹿取)
 

           (レポート)
 驢馬があざみを食べる。あの棘の多い草を。初めて知った。この1首は初句から3句までが字余りである。が「驢馬」を3回、「棘」を2回用いることによってたたみこむような不思議な調べを作っている。辞書によると驢馬はウサギウマとも呼ばれ粗食に耐え、労役に耐えられるとある。情景ははっきりとは浮かんでこないが、この調べで驢馬の悲しさを表現しているのであろう。このあざみは野にあるあざみなのであろうか。胡瓜は黄熟したものなのか。驢馬だけが棘ある草のおいしさを知っている、と詠っているのかもしれない。結句の余韻を受け止めたい。(崎尾)


         (当日意見)
★「驢馬の胡瓜」「驢馬のあざみ」と呼ばれている野生の草があるのでしょう。「烏のエンドウ」 とか「雀のエンドウ」とおなじよう
 な言い方でしょう。きっと棘があって食べにくいしおいしく ないのでしょう。それを、驢馬はあてがわれて、お腹が空いているから
 仕方なく食べるのです。 作者はそのことに哀れさを感じているのでしょう。(鹿取)