かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠302(中国)

2014年09月30日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)189頁
                           参加者:N・I、Y・I、T・S、曽我亮子、鹿取未放
                            レポーター:N・I
                            司会とまとめ:鹿取 未放


242 しづしづと沙漠広がるまひるまの砂の音ちさく笑ふ声する

     (まとめ)(2010年10月)
 一読、砂の笑いがかわいらしく太平の歌のようだが、次の243番歌と合わせて読むと、不気味で恐ろしい歌だということが分かる。沙漠が広がるのは夜でなくまひる、しかも荒々しくではなく「しづしづと」であるところがかえって怖い。広がりつつ小さく笑う砂が、やがて人間界を席巻し尽くすのであろう。(鹿取)


         (レポート)(2010年8月)
 茫々とした真昼間の沙漠は無音、砂の動くさまを笑う声と捉えたところがポエムだと想います。
    (N・I)

    
       (意見)(2010年8月)
★初句で能が浮かんでくる。沙漠と合っている。(T・S)
★この日は風が無かったのではないか。よけいに静かな感じがする。(曽我)
★風というより空気感である。(N・I)

馬場あき子の外国詠301(中国)

2014年09月29日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)189頁
                               参加者:N・I、Y・I、T・S、曽我亮子、鹿取未放
                                レポーター:N・I
                                司会とまとめ:鹿取 未放


241 月牙泉に沐浴(ゆあみ)し天女風早(かざはや)の三保の浦まである日飛びたり

     (まとめ)(2010年10月)
 歌集『飛天の道』あとがきに作者は次のように記している。
 「……何よりその旅の間じゅう私の心を占めていたのは、飛天の優しさとたおやかな美しさだった。それはこの荒々しい砂の曠野とあまりにも対照的だった。……中略……日本の天女伝説はすでに『風土記』の中にあるが、能「羽衣」によって定着し、一般化した三保松原の天女も、このシルクロードから飛来してきた天女の一人だったと思うと特別ななつかしみが湧く。」
 『飛天の道』という歌集名が示すように、シルクロードの旅で作者がいちばん心を捕らえられたものが飛天であったことが分かる。そしてその飛天はシルクロードから日本に飛来して来たのだという懐かしみの情が濃くただよっている。そのことを考えるとこの歌は、旅のテーマとなる重要な意味を持っていることがわかる。壁画に描かれた飛天は、日本に発つ前に沙漠のオアシス、優美な月牙泉で沐浴して身を浄めたのだ。そうしてある日三保の浦までやってきたのだ。「風早の」は三保にかかる枕詞だが、スピード感の演出にも一役買っている。風土記の天女伝説を下敷きにして、さわやかでロマンのある歌である。(鹿取)


          (レポート)(2010年8月)
 日本の伝説の地、三保の松原にある日天女が降りた。月牙泉は3000年来水が涸れることがないと言われる泉。葦に囲まれた三日月の形をした湖で、不老長寿の魚が棲んでいる。(N・I)


       (意見)(2010年8月)
★「ある日」にどういう効果があるのか。(Y・I) 
★「ある日」を考えると、何となく飛んできて日本でひでえ目に遭った、の方がくすっと来る。
  シルクロード一連は、シルクロードと日本・われを繋げる作用をしているのだろう。また、月
  牙泉の「月」は、死と再生の象徴と考えられる。(11月・佐々木実之)
 

馬場あき子の外国詠300(中国)

2014年09月28日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)188頁
                               参加者:H・A、T・S、藤本満須子、T・H、鹿取未放
                                レポーター:欠席
                                 司会とまとめ:鹿取 未放

 ◆ レポーター欠席のため、元のレポートはありません。

240 低く飛ぶ飛天は靴を穿きてをりまだ仙ならぬ男ぞあはれ 

(まとめ)(2010年8月)
 靴を穿いた飛天も多く描かれているようだ。また飛天は女性とは限らない。まだ仙人になるには若く生まの肉体と欲望をもっているであろう、俗界を離れきっていない男の飛天を特別な思い入れをもって眺めている。修行の足りない人間の男だから低くしか飛ぶことができないのであろう。同情よりももっとその男に寄り添っているこころの在りようが面白い。(鹿取)

馬場あき子の外国詠299(中国)

2014年09月27日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)188頁
                        参加者:H・A、T・S、藤本満須子、T・H、鹿取未放
                         レポーター:欠席
                          司会とまとめ:鹿取 未放

 ◆ レポーター欠席のため、元のレポートはありません。

239 緑青の兜率天宮に近づけば樹あり人居りて唐初なりける

      (意見)(2010年8月)
★樹下美人図を連想する。(T・H)


      (まとめ)(2010年8月)
 これも莫高窟の壁画であろうか。写真等で見るかぎり、壁画には緑と青が印象的に使われている。兜率天宮というのは弥勒菩薩がいるところと辞書に出ている。人間を救済してくれる菩薩の住まい(が描かれた壁画)に近づいていくと樹や人が描かれていて、いかにも唐の初めといっ佇まいである。唐初という時代に立ち返ったような懐かしさがにじんでいる。    (鹿取)


馬場あき子の外国詠298(中国)

2014年09月26日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)187頁
                         参加者:H・A、T・S、藤本満須子、T・H、鹿取未放
                          レポーター:欠席
                          司会とまとめ:鹿取 未放

 ◆ レポーター欠席のため、元のレポートはありません。

238 暗窟に飛天閉ぢられ極彩の幻覚の闇を飛びし二千年

     (まとめ)(2010年8月)
 「幻覚の」が誰の幻覚なのか分かりにくかった。「飛びし」が過去だからそれがネックになって鑑賞を邪魔したようだ。莫高窟などを見学したようだが、それらの窟には極彩の飛天が描かれている。二千年は大げさかもしれないがそれらの壁画は長い年月をかけて営々と描きつがれてきた。描かれた飛天は暗窟のなかにいるので自分が飛んでいる姿を見ることはできない。だから幻覚の中でその闇の中を二千年間自在に飛びまわっていたのだ、というのか。それではどうも腑に落ちない。そうすると作者の幻覚ということになる。
 暗窟を見学する時は、ほんの少しの間だけガイドが懐中電灯で壁画を照らしてくれるそうだ。その一瞬に作者は極彩の飛天像を見た。そしてまた後は暗闇。作者は二千年間暗闇を飛び交っていた飛天たちの姿を幻視したのであろう。なお、莫高窟の壁画は古いもので366年の記録があり、14世紀ごろまでかかって制作されたとある。(鹿取)

馬場あき子の外国詠297(中国)

2014年09月25日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)187頁
                        参加者:H・A、T・S、藤本満須子、T・H、鹿取未放
                          レポーター:欠席
                          司会とまとめ:鹿取 未放

 ◆ レポーター欠席のため、元のレポートはありません。「火焔山」の「焔」は、原作では旧字体です。

237 言葉失う奇観の中の火焔山つひに低頭の思ひわきくる
            (「失う」の「う」は、歌集のママ)

      (意見)(2010年8月)
★青年僧の玄奘の思いに頭を垂れる思い。(藤本)
★236番歌「畏れ」から237番歌「低頭」へと深まりが見られる。(H・A)                             

      (まとめ)(2010年8月)
 236番歌に見られるようにあまりの山容の凄まじさにただただ見とれ、茫然自失となって言葉も出ない。そうして圧倒されて眺めているうちに、最後には頭を下げるしかない敬虔な気持ちになったというのである。ここには(藤本説)の玄奘は登場しないので、「低頭の思ひ」の対象は火焔山、自然の圧倒的な強さに低頭の思になったと私は解釈する。作者は旧かな表記なので「失う」は「失ふ」とあるべきだが、歌集は「失う」となっている。誤植であろう。(鹿取)

馬場あき子の外国詠296(中国)

2014年09月24日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)186頁
                         参加者:H・A、T・S、藤本満須子、T・H、鹿取未放
                          レポーター:欠席
                          司会とまとめ:鹿取 未放


 ◆ レポーター欠席のため、元のレポートはありません。「火焔山」の「焔」は、原作では旧字体です。


236 火焔山みれば奇怪なり真つ赤なり畏れつつ西遊記の山裾に入る

(まとめ)(2010年8月)
 火焔山に圧倒されている作者の姿が見えるようだ。西遊記で有名な火焔山の山容のあまりのすさまじさに人間が平伏しているような感じがする。四輪駆動の頑丈な車で旅しているのであろうが、「畏れつつ」「山裾に入る」と人間や文明が小さくなって、ゴメンナサイ、トオラセテネと謝りつつ入っていく感じがする。それだけ原初のままの自然は人間などが侵せない力強さをもっているのであろう。ちなみに火焔山は標高500メートル、中腹にベゼクリフ千仏洞がある。(鹿取) 


渡辺松男の一首鑑賞 128

2014年09月23日 | 短歌一首鑑賞

【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)69頁
               参加者:石井彩子、泉可奈、泉真帆、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
                レポーター:泉 真帆
               司会と記録:鹿取 未放


161 はるかなるあたたかき闇夢見ればうぼんうぼんと海亀が鳴く

     (レポート)(2014年9月)
距離か年月なのかずっとずっと遠くにあるあたたかな闇。その闇を夢見るわたしの耳にいま「うぼんうぼん」と海亀の鳴く声が届いているよ。
「うぼんうぼん」が海中で鳴く声のように響く。上の句にあたたかな冥界を思う。作者が冥界を肯定的に詠っているように感じた。(真帆)


    (意見)(2014年9月)
★158番歌の〈亀鳴くと君は目を閉ずうつうつととじこめられているものは鳴け〉に続いて亀が
 鳴く歌です。こちらは海亀ですけど。こちらの「はるかなるあたたかき闇」は冥界なのでしょう
 か?(鹿取)
★「はるかなるあたたかき闇」が全く分からなかったので、真帆さんの解釈を見て、そうか冥界と
 も考えられるなあと思いました。(崎尾)
★私は単純に南方のどこかかと思いました。(鈴木)
★南方の世界だと下の句がぐっと生きてきますよね。(崎尾)
★私はまじめに考え過ぎたのかも。皆さんがおっしゃるようにもっと楽しい世界かもしれないです
 ね。(真帆)
★やっぱり死後の世界なんじゃないですか。(曽我)
★私は帰って行きたい場所のように思いました。(石井)
★「うぼんうぼん」というこのオノマトペが凄いですね。(曽我) 
★松男さんじゃないと出てこないオノマトペですよね。(鹿取)
★海亀がこういった音で鳴くことはないんだけど、音的に惹かれますね。(鈴木)
★158番歌の「君は目を閉ず」から考えて「はるかなるあたたかき闇」を私は女体のようにも感
 じましたし、母の胎内のようにも思いました。暖かくて安心できる闇への回帰願望ですね。もち
 ろん、死後の平安のようにとることもできますが。(鹿取)
★いろんな解釈ができるのが、松男さんの歌のよいところですよね。(鈴木)
★「夢見れば」はどう解釈すればいいんですか?夢を見ておれば、ですか?(真帆)
★憧れじゃないですか。(鹿取)
★憧れですか。まあ、実際の夢の中で亀が鳴いているのも変かな。(鈴木)
★離れてしまった女体とか胎内にもう戻ることはできないけど夢見ることは可能かと。(鹿取)
★よく歌会なんかで、この言葉が唐突に出てきているとか言われるけど、松男さんの歌は唐突のよ
 うで唐突ではない。(真帆)

渡辺松男の一首鑑賞 127

2014年09月22日 | 短歌一首鑑賞

【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)69頁
                参加者:石井彩子、泉可奈、泉真帆、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
                 レポーター:泉 真帆
                司会と記録:鹿取 未放


160 欠陥とみなされているわが黙も夕べは河豚のようにすずしい

      (レポート)(2014年9月)
 私の沈黙を欠陥だと見なしているものがいる。けれどその私の黙しも、夕方ともなればまるで河豚のようにすずしいものだ。
 結句に清々しさの実感があると思う。(真帆)


     (意見)(2014年9月)
★皆さん意見がないようですけど、あまり考えすぎないでいいんじゃないですか。〈われ〉が寡黙
 なことを周囲では(主に職場でしょうかね)欠陥のようにみなしているけれど、この寡黙も夕べ
 は河豚のように涼しいと素直に読みました。「夕べは」ととりたてているのは職場がはねた後と
 いうことでしょうか。「すずしい」というのも松男さん愛用の感覚表現で、気温や衣服のすずし
 さとかを超えた、何か手ざわり感のある言葉なのですが説明するのが難しい。でも、共感できま
 す。同じような「すずしい」はこれまでにも出てきたし、後の歌集にも出てきます。この160
 番歌は寡黙と河豚の取り合わせが余裕があるようで面白いですね。(鹿取)
★河豚刺しを思っちゃうんですよ(笑)。お皿が透けて見えるでしょう。あの涼しさったらないです
 よ(笑)。(鈴木)


       (まとめ)(2014年9月)
火口原わが耳となるすずしさよ夏の夜深く落石つづく『寒気氾濫』
透りたる尾鰭を見れば永遠はすずしそうなり化石の石斑魚(うぐい)『泡宇宙の蛙』

渡辺松男の一首鑑賞 126

2014年09月21日 | 短歌一首鑑賞

【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)69頁
               参加者:石井彩子、泉可奈、泉真帆、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
                レポーター:泉 真帆
               司会と記録:鹿取 未放


159 地獄へのちから天国へのちから釣りあう橋を牛とあゆめり

      (レポート)(2014年9月)
地獄へむかっている力と、天国へむかっている力とが、ちょうど均衡を保っているところに橋がある。その橋をわたしは牛となって歩んでいるよ。

 「牛とあゆめり」を私は〈牛と成って〉という意味にとった。漱石が芥川龍之介と久米正雄に宛てて送った言葉を一首の鑑賞のヒントにした。「たゞ牛のやうに図々しく進んで行くのが大事です」「牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。」天国地獄というのは善悪の思想だとおもうと、そのどちらでもない中庸を、作者は独り漱石の牛のように歩んでるのではないか、と思った。(真帆)


     (意見)(2014年9月)
★私は牛と一緒にだと思いますが、牛と一緒じゃまずいですか?(鈴木)
★禅に牛の十牛図というのがあって、そういうのを全部呑み込んだうえで松男さんは書いていらっ
 しゃると思う。だから牛になるのではなく牛と一緒にでないといけない。(可奈)
★私はニーチェなんかを思いました。『ツァラツストラはかく語りき』に、彩牛(まだらうし)と
 いう町が出てきて、そこでツァラツストラは若い弟子達に超人になるための精神の変化を説いた
 りするんですけど……「橋」というのもツァラツストラによく使われる比喩です。たとえば「人
 間が偉大なのは、人間が橋であって、目的でない点にある」というように。こんな短い引用では
 何も伝わりませんけれど。159番歌は意識の上でこのニーチェの句と重なる部分があるように
 思います。それと「釣り合う」というのも松男さん愛用の思考パターンですよね。今日死ぬ鳥と
 千年生きる木が釣り合えよ、という意味の歌もあるし。159番歌はとてもスケールが大きくて
 好きです。地獄からも天国からも釣り合う所にある橋、距離ではなくてちからが釣り合うところ
 が深いし難しいですね。力と言っても善悪は超えたものだと私は思いますけど。中空に架かった
 橋を牛と一緒にゆっくり歩いている〈われ〉がリアルに見えるようです。(鹿取)
★作者は中庸を行く、ということを言いたかったのではないでしょうか。(曽我)
★いや、地獄と天国とは言っても、人間の作った道徳的な概念とかいうものは超えたところで思考
 している歌だと思います。それは松男さんの歌全般に言えることだと思いますけど。(鹿取)
★牛と歩めりというところ、とても意志的なものを感じました。(石井)
★レポートで漱石が牛のように進めと言っているのが面白かった。幸田文がエッセーで父の露伴が
 「牛の歩み」をしようという意味の句を作っていたと読んだことがある。あの時代の文人の共通
 認識なんでしょうかね。明治という激動の時代だから、政治家はやたら走りまわっているけど、
 立ち止まって深くものを考える人は時代にブレーキの必要性を感じていたのでしょうかね。
   (鹿取)
★それと牛が出てくるのは、今よりありふれていて、牛はどこにでもいる身近な動物だったからじ
 ゃないですか。(真帆)


(まとめ)(2014年9月)
発言中の鳥と木が釣り合う歌は、第2歌集『泡宇宙の蛙』にある。
 〈釣り合えよ 今日死ぬ鳥のきょうの日と千年生きる木の千年と〉
 釣り合う歌は、『寒気氾濫』にもあった。
 〈存在ということおもう冬真昼木と釣りあえる位置まで下がる〉
 幸田露伴の句は〈天鳴れど地震(ない)ふれど牛の歩みかな〉
 ちなみに露伴と漱石は同じ1867(慶応3)年生まれ。露伴は〈蝸牛庵〉と号したのでゆっくり歩むことはモットーだったのだろう。

 ところで、私はニーチェに思い入れがあるので、〈彩牛〉とか勝手な発言をしているが、松男さんは哲学を体系的に研究し、哲学以外にも広い知識を持っている人だ。また何よりも思索の深さや広さははかりしれない。自分の狭い知識からニーチェなど持ち出して批評しているのはとても恥ずかしい。(鹿取)