かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

渡辺松男の一首鑑賞 234

2015年07月14日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究28(15年6月)【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)100頁
      参加者:石井彩子、泉真帆、M・K、崎尾廣子、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:曽我 亮子
       司会と記録:鹿取 未放

234 山よ笑え 若葉に眩む朝礼のおのこらにみな睾丸が垂る
  
            (レポート)
 山よ、笑いなさい、若葉の力強い生命力に目がくらんで朝礼の男の子等の睾丸―みなしょんぼりと垂れ下がっている様子を。
 ・山笑ふ=俳句の季語=春。山の木々が芽吹き花が咲き色づいていく様子を、ほがらかに笑う人に例えて「山笑ふ」と言い表す。語源は「春淡冶にして笑ふが如く(北宋の画家・郭煕の言葉)『季節のことば』(自由国民社)
           (曽我)


          (当日意見)
★しょんぼりと垂れているわけではないと思いますが。思春期前の少年達なんですね、若
 葉でいきいきと輝いている山を背景に、朝礼に並ばされている少年達がいる。若葉の照
 り返しで眩しくてくらくらとしている少年達にはみんな睾丸が垂れている。何かかわい
 らしい感じがしますけど、思春期ちょっと前あたりの少年達の恥ずかしさ、滑稽さも見
 ているのかな。「山よ笑え」はおかしいから笑いなさいと言うのではなくて、曽我さん
 が書いてくれているように「山笑ふ」という季語の命令形ですね。(鹿取) 
★「若葉に眩む」で全体が肯定的な輝かしい感じになっていると思います。さわさわとし
 た中に、男の子達がいっちょうまえに睾丸を付けていて、楽しい感じ。(真帆)
★「眩む」というのが曽我さんの意見の裏付けになると思います。眠たいわけですよ、だ
 から睾丸もしょんぼりしている。しかし山よ笑えは季語ですけど、滑稽と言えば滑稽で
 すよね、服を透明にしてみたらみんな睾丸が垂れているんだから。アパートを縦に割っ
 て透明にしてみているような視点です。人間のそれぞれの行為って滑稽じゃないですか。
 そんな舞台の書き割りを見ているような滑稽さがある。(鈴木)
★山にはもっともっと萌えて欲しいと願っている。そして男の子達のこれからの活躍を秘
 めているよと言っていると思いました。(M・S)
★未来を包含しているような歌で、いい歌だと思います。子ども達にエールを送っている
 ようで。(石井)
★睾丸が「ある」ではなく「垂る」がいいですね。(崎尾)

コメント

渡辺松男の一首鑑賞 233

2015年07月13日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究28(15年6月)【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)99頁
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・K、崎尾廣子、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:曽我 亮子
      司会と記録:鹿取 未放

233 水道管を水はひたすら走りきて君の素足へほとばしりたり
  
          (レポート)
 この歌も暗喩で歌われており、射精管を精液がいちずに走り降りて君のはだしに勢いよく飛び散ってしまった…。(曽我)

         (当日意見)
★曽我さんが解釈してくださった通りだろうなとも思うのですが、やはりこれもさっきの
 欅の歌と同じで、そのままにも読めて、水道管を迸ってきた水が君の素足にばーんと 
 かかる、それを見てこの水は水道管をひたすらに走ってきたんだなと感じた。(真帆)
★私は泉真帆さんの説に賛成です。曽我さんの感じも分かるけどそれをもろに言っちゃう
 と恥ずかしいじゃないですか。素足に対して水が走ってきたというのは、その素足が魅
 力的だからですよ。水を主体にしていて単純な歌ではない。(鈴木)
★私は曽我さんにこう書かれるまで、性愛の歌だとは思っていませんでした。まあ、曽我
 さんのように読めなくないけど、素足に迸る水というだけで清冽な感じがあるし、美し
 いなまめかしい素足が想像できます。谷崎の「鍵」でしたっけ?エロテックに素足が強
 調して描かれていますよね。これはあくまで美しい足に迸る清冽な水の歌で、清楚な印
 象を受けました。(鹿取)

 
コメント

渡辺松男の一首鑑賞 232

2015年07月12日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究28(15年6月)【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)99頁
   参加者:石井彩子、泉真帆、M・K、崎尾廣子、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:曽我 亮子
       司会と記録:鹿取 未放

232 どこへでも行きたいけれど君といて座っていればうれしき臀部
  
          (レポート)
 あちこち行きたいとは思うけれど君と二人で抱き合って座ればなお心地よくお尻もきっと喜んでいることだろう。(曽我)


         (当日意見)
★曽我さんが解釈した通りです。(崎尾)
★とても楽しい気分になります。これは性愛の場面ではなくて、どこかに恋人と並んで座 
 っているんですね。そうすると座っているお尻がうれしがっている。君と旅に行っても
 いいんだけど、一緒に座っているだけで楽しいよと、文字通り読んでかまわない歌だと
 思いますが。(鹿取)

コメント

渡辺松男の一首鑑賞 231

2015年07月11日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究28(15年6月)【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)99頁
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・K、崎尾廣子、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:曽我 亮子
      司会と記録:鹿取 未放

231 けやき巨樹はずかしげなき図体の全裸は春の朝焼けのなか
  
          (レポート)
 欅の大木は恥ずかしげもなく芽立ちもまだの素っ裸の身で春の美しい朝焼けの中によくも立っているものだ。
 春の朝焼けの美しさを汚してはいけないよと欅をたしなめているようだ―作者の親心を思います…(曽我)


         (当日意見)
★欅を全裸の女性とみたのでしょうか、そういう視点をすごいと思います。(M・S)
★男性であれ女性であれ、春の朝焼けの中に全裸でいる姿を欅に託して詠われたのだと思い
 ます。(慧子)
★言葉選びが素晴らしいなと思いました。「はずかしげなき」とつけたことでとても恥ずかし
 い場面のような、でも堂々としているような感触的なものが出てきている。(真帆)
★同感です。「図体」もいいですよね、欅の巨樹だから図体が出てきているんだけど、活きて
 いる。朝焼けに自分の全裸を立たせて(まあ女性のかもしれないけど)、恥ずかしいんだけ
 ど結局これ肉体、命、生の讃歌ですよね。(鹿取)
★これは前の方の歌と関係づけなくても、欅の自然描写としてよいと思います。(鈴木)

コメント

渡辺松男の一首鑑賞 230

2015年07月10日 | 短歌一首鑑賞
 渡辺松男研究28(15年6月)【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)98頁
   参加者:石井彩子、泉真帆、M・K、崎尾廣子、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:曽我 亮子
      司会と記録:鹿取 未放

230 重力は曲線となりゆうらりと君の乳房をつたわりゆけり
  
          (レポート)
 愛する力は曲線を描きながらゆったりと君の乳房を舐めるように伝い流れていった。 
 美しい歌だと思う。(曽我)


         (当日意見)
★力って何でしょう?例えば汗なら重力で落ちてきますけれど。(石井)
★重力というと太い強い力を感じてしまいます。それを柔らかい線でもって重力が伝わっ
 ていくって、重力のもう一つの面がよく出ていると思います。(崎尾)
★一首目から続いているので、曽我さんがいうような……そういう歌です。(真帆)
★うーん、人間の手とか舌とかだったら重力ではなく人為的な行為なので……(鹿取)
★曽我さんが書いた「愛の力」、ごまかしているけど、そういうことだと思う。曽我さん
 のすばらしい表現です。女性の体が自分で揺れる場合があるじゃないですか、上田三四
 二の歌にそういうのがあったかな。でも、これ男性の手ですよ。その手の動きが重力と
 なって女性の体に伝わっていったという。(鈴木)
★男性の手と考えなくても、重力だから自然界に備わっているもので、女性の体からまた
 どこかへ行くような気がして、そこがいいなと思いました。(慧子)
★手だとありふれている。もっと情熱的な何かだと思いました。(石井)

コメント

渡辺松男の一首鑑賞 229

2015年07月09日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究28(15年6月)【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)98頁
   参加者:石井彩子、泉真帆、M・K、崎尾廣子、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:曽我 亮子
      司会と記録:鹿取 未放

229 星微光いまだ届かぬものもあり待ちきれざればわれら抱きあう
  
          (レポート)
 遠い宇宙から来るかすかな星の光は中々届かないものもあるように、恋人との仲もまだ良い雰囲気が醸されたとは言い難い。けれどとても待ちきれなくて私達は抱き合ってしまった。(曽我)


         (当日意見)
★「待ちきれざれば」は曽我さんと違って、お互い求め合っているから待ちきれないのだ
 と解釈しました。だから「良い雰囲気が醸されたとは言い難い」も違う意見です。
   (鹿取)
★鹿取さんと同じ事を言っているんだけど、書き方が悪かったかな。(曽我)
★待ちきれずに抱きあう恋人同士に星微光が取り合わせられているところが面白いです
 が、他の方いかがでしょう?(鹿取)
★星のひかりはまだ届いていないものがたくさんあって、見えないところで爆発している
 星がいっぱいある、と考えました。それで「待ちきれざれば」とうまく結びつかなくて、
 よく分からない一首でした。(真帆)
★詠い起こして結句に行くまでにどう繋ぐかというのがあるのですが、これはうまく繋い
 でいると思います。星の微光が届かないというのと待ちきれないのがうまく合っている
 と思います。(慧子)
★どううまく繋がっているのですか?(鹿取)
★抱きあいたいのですね。だけど、それに何を付けるかというと日常のちまちましたもの
 でなくて宇宙を持ってこられた。待ちきれないこころの中が届かない星微光でようく見
 える。とても上手いつなぎ方だ。(慧子)
★届かない星の光を待つ気分が、早く抱きあいたいという思いと似通っているというこ
  と?星の光を待つ茫洋とした気分と、抱擁を待ちきれない切迫感とは少し遠い気がする
 のですが。(鹿取)
★まだ夕方で周囲が明るいので星の光が届かない。もっと暗くなれば星は輝き出す。二人 
 で星を見ようと思うけれど、その時間を待っていられない。それで抱きあっちゃう。
  (鈴木)
★なるほど、星が光り始める暗さまで待ちきれないで抱きあっちゃう、その解釈だと星微
 光と待ちきれないがすんなり繋がりますね。(鹿取)
★スケールの大きなものと身近な恋人同士の対比が面白い。星というのは爆発して何万光
 年とか届くまでかかるけれど、そういうことを暗示しているのかなあと。(石井)

コメント

渡辺松男の一首鑑賞 228

2015年07月08日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究28(15年6月)【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)98頁
    参加者:石井彩子、泉真帆、M・K、崎尾廣子、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:曽我 亮子
      司会と記録:鹿取 未放

228 恋人の御腹(おなか)の上にいるような春やわらかき野のどまんなか  

          (レポート)
 恋人のおなかの上にのっかっているような心地よくほんわかとした春のたけなわである。
 春の形容に恋人のおなかまで登場させるとは凡人にはとても思いつかない発送ですね。(曽我)

         (当日意見)
★恋真っ最中の人ならこういう発想ができるのかな。私などの歳になればとてもですが。
     (M・S)
★春ののどけさ、心地よさを表現するのにこういう環境をもってきて非凡な方だなと思いま
 す。(崎尾)
★自然との一体感を渡辺さんの場合はこういう形で表現している。うまいなという感じがあ
 る。他の人はこういう詠み方しないですね。今恋人がいるからとかではなくて、自然との
 関係でこういうイメージを出してきている。(鈴木)
★この歌は大好きです。安堵感というか心も体も繋がりあっている幸せな気分が、春の暖か
 い野のど真ん中にいる気分と自然につながっています。男性の安堵感って、こういう感じ
 かなあって。詠み方もやわらかくまあるく、いい感じです。(鹿取)
★うららかな春の気分を詠っていらっしゃるのですね。(曽我)
コメント

渡辺松男の一首鑑賞 227

2015年07月07日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究28(15年6月)【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)97頁
  参加者:石井彩子、泉真帆、M・K、崎尾廣子、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:曽我 亮子
     司会と記録:鹿取 未放

227 汗かけば別のまぶしき宇宙見え陰陽石が突っ立っている   

          (レポート)(15年6月)
 一生懸命になれば異なった美しい世界が見えてきて男と女の二種の気の充ちた石(陰陽石)が突っ立っている。
 ・まぶしき宇宙=美しい世界   ・汗かく=一生懸命
 ・陰陽=中国の易学で相反する性質を持つ二種の気
     男=日、春、東、昼
     女=月、秋、北、夜      ( 岩波 広辞苑より)
 この一首は暗喩で歌われていて、男が恋人を思い一生懸命自慰すれば性愛が醸され陰茎が立ち上がってくるのだ。  (曽我)


        (当日意見)(15年6月)
★ネットで調べると、男のモノと女のモノが対で祀ってある、そういうのを陰陽石(いん
 ようせき)というそうです。自然の営みの中にそういう陰と陽が存在している。汗をか
 くのが一生懸命とか、まぶしき宇宙は美しい世界だとか、曽我さんのいうことはよく分
 かります。(鈴木) 
★私は「汗かけば」は226の歌の続きで読めると思います。谷を行きながら汗をかくと
 昂揚して別の世界が見えてくる。その別世界に陰陽石が突っ立っている。あるいは昂揚
 した気分になると、自分が踏みしめている大地が全く違う世界のように見える。そうい
 うことってハイキングでも山歩きでもあることですよね。だから陰陽石は〈われ〉の頭
 の中に見えていてもいいし、現実に突っ立っていてもいいと思います。しかもその陰陽
 石はとても自然でおおらかに存在していたのだと思います。この歌は、だから男性身体
 の暗喩ではないと私は思います。(鹿取)
★性愛のことを詠っているとは思いますが、スポーツをして汗をかくと別人になったよう
 な気分がする。そんな感じかな、上句のすばらしさを思いました。(慧子)
★言葉の取り合わせがとてもおもしろい。宇宙ということば、陰陽石という言葉など。陰
 陽石は神社の裏手などで見たことがありますが、子孫繁栄とかを願っているんですね。
 おもしろい歌だと思います。(石井)
★先ほど慧子さんがおっしゃったのを聞いて、スポーツによる別世界というのがすとーん
 と胸に落ちました。陰陽石は男性女性問わず生々しい生き物のようなぎょっとする感じ
 がします。汗をかくと、この世とは別にある生々しい石の宇宙が見えてくるのではない
 でしょうか。(真帆)
コメント

渡辺松男の一首鑑賞 226

2015年07月06日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究28(15年6月)【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)97頁
  参加者:石井彩子、泉真帆、M・K、崎尾廣子、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:曽我 亮子
        司会と記録:鹿取 未放

   
226 汗ばむということ秘密めきていて春霞する谷(やと)を行くなり

         (レポート)
 汗ばんでいるということは何か心に隠し事を秘めて昂ぶっているように見えるので、そのような気配を人に覚えられぬよう、春霞の立ちこめる谷間を隠れてゆくのだ。
 「汗」は端的に言えば「体温調節」の為にあるが、「精神的緊張」によっても出る。
 この「陰陽石」の一連は暗喩法を交えながら男女の「性的心象」が歌われており、今までの歌とはかなり異なった印象を受ける…。


        (当日意見)
★曽我さんが書いているように、汗ばむは性的なことに関連する。谷(やと)という言葉
 には女性のホトと共通する何かがあるようだ。(鈴木)
★今回の一連は性の交わりをおおきな自然の中でみていくという意図があるのではない 
 か。それを暗い感じではなく明るく性を讃えるという感じで詠っている。この歌は春霞
 があるところに露が降りている質感だとか、スモークがかかっているような質感が面白
 かった。(真帆)
★このⅢに収められている歌は、朝日歌壇に載った歌だと本人がおっしゃったか、どこか
 に書いていらしたかの記憶があります。ですから、Ⅰ、Ⅱから比べると比較的分かりや
 すい歌だと思うのですが。真帆さんがおっしゃったように、この一連は明るくというか
 天真爛漫という印象を受けます。性は別に隠すべきものではないという、陰陽石という
 題からしてあっけらかんとしていますから。私は楽しい一連として読みました。この歌
 についていえば、春霞する谷を歩いていると汗ばんできた、その汗にふっと秘密めいた
 性愛の場面などを思っているのでしょう。だから決して隠れて谷を行くわけではない。
   (鹿取)

コメント

馬場あき子の外国詠143(ネパール)

2015年07月05日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子の外国詠 (2009年4月)【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)88頁
        参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:T・H
         司会とまとめ:鹿取 未放


143 標高三千に稲の道あり不可思議の情熱のごと稲は稔れり

     (レポート)(2009年4月)
 「稲の道」これは遠くベトナムから標高三千メートルの高地・ムスタンまでずっと続いている稲作りの道である。通常では考えられない寒冷地での稲作である。それが近藤翁の情熱に応えるように稔ったのである。そこに馬場先生は、通常の人間の情熱を超えた神の恩恵・采配を感じられたのかも知れない。「不可思議の情熱のごと稲は稔れり」にそのお気持ちが現されているように思う。(T・H)

     (まとめ)(2009年4月)
 稲の起源についてはインド、中国など様々な説があるようだし、「稲の道」についても複数のコースが考えられているらしい。しかし、ここで馬場が使っている「稲の道」は、そういう厳密な学問としての考察ではないだろう。近藤亨氏が標高三千の荒れ果てた高地に稲を稔らせたのは、はるか何千年もの間にたどった「稲の道」ではない。ルートを外れた人工の強引な技の結実であり、それは貧しい土地の人たちに何とかして豊かな稔りを届けたいというひたすらな情熱の結果である。それを讃えて、ここにも稲の道があるよと作者は言っているのだろう。新潟大学等で果樹の専門家だったという近藤氏がリンゴやメロンを稔らせたのは分かりやすいが、稲については大変なご苦労があったようである。(鹿取)
コメント