かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠104(スペイン)

2017年04月30日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子の外国詠12(2008年10月実施)
  【西班牙3オリーブ】『青い夜のことば』(1999年刊)P62
   参加者:F・I、N・I、T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:N・I
   まとめ:鹿取未放


104 文久三年日本にオリーブ伝はりき日本は生麦事件の賠償しをり

      (まとめ)
 生麦事件が起こったのは、幕末の文久2(1862)年で、生麦事件はレポーターが書いているとおりだが、4人のうち1人がその場で藩士に斬り殺されている。イギリスは幕府に謝罪と賠償金を請求、紆余曲折の末、翌文久3年5月賠償金10万ポンドを支払った。しかし別途犯人の処罰と賠償金を要求された薩摩藩はこれに応じず、同文久3年7月薩英戦争が起こった。薩英両方に被害が大きく、10月講和、薩摩藩は2万5000ポンドをイギリス側に支払った。この事件は尊王攘夷運動のさなかの出来事だったが、それから6年後の1868年、幕藩体制は終焉をむかえた。
 そんな世相騒がしい時代に日本にオリーブが伝わったのだという。外国の文物が押し寄せた一環だったのだろう。オリーブの可憐さと事件の生々しさがコントラストをなしているが、オリーブの枝は平和の象徴とまでは歌の背景として作者は意味を込めていないであろう。オリーブの可憐さに寄り添う気分を大切にしたい。(鹿取)


     (レポート)
 文久3年にオリーブの種は持ち込まれたのでしょうか。前年には薩摩の大名行列を乱したかどでイギリス人4名のうち一人が刺殺された。日本はポンドで賠償したという歴史が下敷きにあるのでしょうか。この歌集は西洋の歴史、日本の歴史を風化させないように三十一文字で詠まれているのです。短歌の力です。(N・I)



馬場あき子の外国詠103(スペイン)

2017年04月30日 | 短歌の鑑賞

 馬場あき子の外国詠12(2008年10月実施)
  【西班牙3オリーブ】『青い夜のことば』(1999年刊)P62
   参加者:F・I、N・I、T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:N・I
   まとめ:鹿取未放


103 大聖堂に一生かけて手彫りせし黒きオリーブのやうなる男ら

     (まとめ)
 大聖堂だけなのでどこのものか分からないが、ここは特定しなくてよいのだろう。大聖堂にはオリーブの彫刻がされており、細やかさと数の多さから何人もの職人の男性が一生かけてやっと彫りあげるほどの圧倒的なものなのであろう。そういう職人気質を讃えている歌であろう。黒きオリーブに浅黒くたくましい男たちを重ねている詠みぶりが面白い。(鹿取)


     (レポート)
 イスラム時代に建てられたモスクを取り壊し1世紀掛けて建てられたカテドラル大聖堂は、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次いで3番目。キリストとマリアの生涯が36の場面からなっている。その仕事をした男達を讃えているのでしょうか。スペインでは不滅のシンボルである神話のオリーブの木である。(N・I)

                             
     (当日発言)
★レポーターが書いている「カテドラル大聖堂」だが、「カテドラル」が「大聖堂」という意味な
 ので名称がおかしい。「セビリア大聖堂」というのがあって大きさにおいてサン・ピエトロ大聖
 堂、セント・ポール大聖堂に次ぐ世界第3位だそうなので、レポーターの書いているのは「セビ
 リア大聖堂」のことだと思います。大聖堂は他にトレドにも有名なものがあるそうです。特定し
 なくてもいいと思うんですけど、どちらにも繊細・壮大な彫刻があるようです。(鹿取)


馬場あき子の外国詠102(スペイン)

2017年04月28日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子の外国詠12(2008年10月実施)
  【西班牙3オリーブ】『青い夜のことば』(1999年刊)P62
   参加者:F・I、N・I、T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:N・I
   まとめ:鹿取未放


102 オリーブを竿に落してゐる二人紀元前からずつとかうして
                             
     (まとめ)
 オリーブの実を竿で叩いて落とすという紀元前からの収穫法が小規模の農家では今も採られているのだ。旅行者にとってそれは牧歌的な風景かもしれないが、はなはだ効率の悪い農法であろう。機械化をはかりたくとも資力が伴わず、国も貧しいため援助も期待薄なのだろう。旅行者としてははがゆい面があってもどう手出しすることもかなわない。おそらくアフリカやネパールなど貧しい国に働く人々を前にした感慨は、似たようなものがあるのだろう。眼前の懐かしげな光景に反して、そんな認識も働いているのかもしれない。(鹿取)


    (レポート)
 太古からの使用法を今に続けている。労働の働くということの驚き。スペインの希望は農業の機械化である。(N・I)



馬場あき子の外国詠101(スペイン)

2017年04月27日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子の外国詠12(2008年10月実施)
  【西班牙3オリーブ】『青い夜のことば』(1999年刊)P61
   参加者:F・I、N・I、T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:N・I
   まとめ:鹿取未放


101 生きる智恵や努力はさびし整然とオリーブ植ゑて乾ききりたり

       (まとめ)
 オリーブの山々を震動させて機械で実を落とすダイナミックな前歌(震動幾山河震動させにつつオリーブの実を落す西班牙)から一転する。実を棹で落とす次の歌からするとこれは小規模な農園を詠んでいるのだろうか。生きるために人々はオリーブを植える。持てる智恵を全て傾けて、整然とオリーブは植えられている。しかし努力もかいなく厳しい風土に土地は乾ききっているのだ。「生きる智恵や努力はさびし」と風土に生きる人々の厳しい生活状況を捉えながら、「さびし」に作者のやさしいまなざしがある。(鹿取)


      (レポート)
 広大な荒野に整然とあるオリーブ畑には智恵とか努力以前の、人間の原点の逞しさ、土俗性を見たのだと思います。(N・I)

                             

渡辺松男の一首鑑賞 407

2017年04月26日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究48(2017年4月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【睫はうごく】P163
     参加者:T・S、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部 慧子
      司会と記録:鹿取 未放


407 コスモスのきいろき花粉風にとび突然にくる君の発熱

      (レポート)
 上句は実景でありながら下句のための序の働きをしていよう。嘴が黄色いと慣用句にあるように上句は」未熟さを伸していることを感じさせる。しかし「突然にくる君の発熱」とは何だろう。若さによくみられる熱にうかされたような精神状態や物言いをさしているのだろうか。(慧子)


     (当日発言)
★私は本当に熱が出たと読んでいたのですが。発熱が比喩だとするとあまり新鮮じゃないというか
通俗的ですよね。せっかく雪渓や銀河やきらきらした美しい空気感が出ていたのに「熱にうかさ
 れたような精神状態」だとそれが濁る気がします。本当の発熱だと唐突な感じは確かにするんだ
 けど、比喩とはとりたくない。(鹿取)

渡辺松男の一首鑑賞 406

2017年04月25日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究48(2017年4月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【睫はうごく】P163
     参加者:T・S、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子
     司会と記録:鹿取 未放


406 秋晴れのつづく天気図君と見て嘴つつきあうごとき快

      (レポート)
 「嘴つつきあうごとき快」がなんとも若々しい。口づけを戯れのように繰り返しているのかもしれない。秋晴れのつづく天気図をみながら気分は鳥。(慧子)


     (当日発言)
★「嘴つつきあうごとき快」の表現が面白いですね。なんかじゃれ合っているというか。(T・S)
★そうですね、前の歌よりも小さいところに入ってきていて、「いいかげんにせい!」という気 
 もするけど。天気図見ながら次の休日はその山に登ろうか、とか言っているんでしょうね。でも
 壮大な歌ばかり続いてもダメだから、これもテクニック、連作の妙かもしれませんね。(鹿取)

渡辺松男の一首鑑賞 405

2017年04月24日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究48(2017年4月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【睫はうごく】P163
     参加者:T・S、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子
     司会と記録:鹿取 未放


405 音楽に満つる銀河と君はいうここにコーヒーカップがふたつ

      (レポート)
 どこかのお気に入り空間でよい音楽につつまれていよう。二人の今という現実が「音楽に満つる銀河」と詩的にとらえられる。さらに「ふたつ」とはつくづくよい数であり、又、よい和語だ。ゆたかな空間に二人のよい時が流れる。(慧子)


     (当日発言)
★下句、唐突に画面が変わりますが、鮮やかな感じです。(A・Y)
★この歌は好きな歌で哲学的な感じがします。「音楽に満つる銀河」って世界は音楽にみちみちて
 いるっていう、それは現実に演奏された音楽ということではなくて、小鳥の声も自然界の音も、
 いろんなものをさして「音楽」って言っているんだと思います。もちろん、喫茶店でも音楽は流
 れているのでしょうけど。まあ「君」がそう感じるのはふたりがここちよい関係にあるからだと
 思いますけど。肯定感がいいですね。(鹿取)
★漱石のどの小説だったか忘れましたが、ふたりでいるときに空に銀河が掛かるんですね。私はそ
 れを思い出しました。(慧子)

渡辺松男の一首鑑賞 404

2017年04月24日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究48(2017年4月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【睫はうごく】P162
     参加者:T・S、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部 慧子
      司会と記録:鹿取 未放

404 はろばろと雪渓は見えまぶしすぎるひかりのなかに睫はうごく

     (レポート)
 詠いおこしの「はろばろ」から全体の流れがきれいで作者の気分の壮大さと結句の細やかさまで表現され、その間のつなぎ「まぶしすぎるひかり」もよく効いている。とおく見えている雪渓から「睫はうごく」の結句まで景がみごとにひきしぼられ、ひかりの美しさもよく感じられる。(慧子)


      (当日発言)
★雪渓がきれいですね、それと睫っていわれたときにやっぱり黒々としたきれいな睫が浮かんで、
 相手も雪渓を眺めているのでしょうか、睫を揃えて瞬きをする、美しいって書いてないけど清楚
 で美しい顔が浮かびます。遠景と近景、雪渓の白と睫の黒、そしてまぶしすぎるひかり、コント
 ラストが美しいですね。(鹿取)
★この「睫はうごく」は、歌からすると本人だと思うのですが。(慧子)
★遠い雪渓を女性は見ている、そして作者はその女性の睫を見ている。(T・S)


渡辺松男の一首鑑賞 403

2017年04月22日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究48(2017年4月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【睫はうごく】P162
     参加者:T・S、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子
     司会と記録:鹿取 未放


403 あゆみくる君をひかりはあばくなよ夏帽深くまなじりはある

      (レポート)
 夏帽子の君があゆんでくる。「夏帽深くまなじりはある」という美しい描写に対して上句の命令形の表白がいい。夏の強い光りに照射されて傷つきはしないかと相手を思うこころ。(慧子)


      (当日発言)
★まなじりって強い感じを受けますが。上句がいいですね。(T・S)
★「夏の強い光りに照射されて傷つきはしないか」というのはちょっと違って、秘めた恋だから夏
 帽子を目深に被って君は逢いに来るんですよね。だからひかりにあばくなよと言っている。まな
 じりは、いかにもキッと強そうなイメージですが恋を遂げたいっていう決意がにじんでいるの 
 かもしれませんね。(鹿取)

渡辺松男の一首鑑賞 402

2017年04月21日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究48(2017年4月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【睫はうごく】P162
     参加者:T・S、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子
     司会と記録:鹿取 未放


402 ゆうぐれはいっぽんの樹へ向くこころ樹というは霧のなかなる耳

      (レポート)
 ゆうぐれは作者の「いっぽんの樹へ向くこころ」が意識される。そしてその樹というのは「霧の中なる耳」だと詠う。霧の中では、あらゆるものの細部が没して、作者にとって、たとえば樹は本質的な存在になるのだろう。つまり作者の心に寄り添って耳を傾け、聴くものとなる。「いっぽんの樹」としていることから特定の樹であるし、特定の一人を心に置いているのだろう。(慧子)


      (当日発言)
★こういうふうに深く読むんですね、参考になります。(A・Y)
★レポートで解説していただいても、「樹というは霧のなかなる耳」というのが理解できないんで
 すが。(T・S)
★うーん、慧子さんの本質論はよく分かります。なるほど、そうなんでしょうね。T・Sさん、具
 体的にいうと霧が深い時に立っている樹が耳のように、その垂直だけが見える、そういうイメー
 ジを浮かべると分かりやすいかも。でも、「いっぽんの樹」だから特定していますよね。後の歌
 集では亡きお母さんのことを木に耳となって出るとか詠っていますが。(鹿取)


      (後日意見)
 次の歌が第2歌集『泡宇宙の蛙』にある。

   死後の母も母なれば苦しかるらんやくらくらと木に人の耳でる

 こちらは、死んでも母だから遺してきた子供の声を聴きたいとか、何か情報を得ようとかで木に耳となって出てくるというのだろう。(鹿取)