馬場あき子の外国詠12(2008年10月実施)
【西班牙3オリーブ】『青い夜のことば』(1999年刊)P62
参加者:F・I、N・I、T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:N・I
まとめ:鹿取未放
104 文久三年日本にオリーブ伝はりき日本は生麦事件の賠償しをり
(まとめ)
生麦事件が起こったのは、幕末の文久2(1862)年で、生麦事件はレポーターが書いているとおりだが、4人のうち1人がその場で藩士に斬り殺されている。イギリスは幕府に謝罪と賠償金を請求、紆余曲折の末、翌文久3年5月賠償金10万ポンドを支払った。しかし別途犯人の処罰と賠償金を要求された薩摩藩はこれに応じず、同文久3年7月薩英戦争が起こった。薩英両方に被害が大きく、10月講和、薩摩藩は2万5000ポンドをイギリス側に支払った。この事件は尊王攘夷運動のさなかの出来事だったが、それから6年後の1868年、幕藩体制は終焉をむかえた。
そんな世相騒がしい時代に日本にオリーブが伝わったのだという。外国の文物が押し寄せた一環だったのだろう。オリーブの可憐さと事件の生々しさがコントラストをなしているが、オリーブの枝は平和の象徴とまでは歌の背景として作者は意味を込めていないであろう。オリーブの可憐さに寄り添う気分を大切にしたい。(鹿取)
(レポート)
文久3年にオリーブの種は持ち込まれたのでしょうか。前年には薩摩の大名行列を乱したかどでイギリス人4名のうち一人が刺殺された。日本はポンドで賠償したという歴史が下敷きにあるのでしょうか。この歌集は西洋の歴史、日本の歴史を風化させないように三十一文字で詠まれているのです。短歌の力です。(N・I)