渡辺松男研究31(15年9月)
【はずかしさのまんなか】『寒気氾濫』(1997年)109頁
参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:泉 真帆
司会と記録:鹿取 未放
261 はずかしさのまんなかにある耳の穴卯月はつかな風にふるえる
(レポート)
〈解釈〉はずかしさの真ん中にあるのは耳の穴だという。卯月のはつかな風にふかれその耳が震えているよ。
〈鑑賞〉「恥」という漢字の偏がなぜ耳なのかという話を昔聞いたことがある。目が見えなくても口がきけなくても生きるのに恥ずかしくはないが、自分の言葉がきけないほど恥ずかしいことはない。小学校の道徳の授業で、担任の先生が教えてくれたそんな話を思い出した。
「はずかしさ」はなんだろう? 恥ずかしい気持になって草原にいる?でもじゃあなぜ「まんなか」なの?羞恥心のど真ん中にある穴とは?生殖の春を見ていることか。ひらひら風になびいている兎の耳を景の最後にすえ、連作は読者に文芸鑑賞の楽しさと、あたたかなゆとりを残してくれているようだ。(真帆)
(当日意見)
★この年頃は何でもかんでも恥ずかしいと思う年頃でしょ。主体がお嬢さんだと思うので。
(曽我)
★「兎の耳を景の最後にすえ」とありますけど、どこにも兎の耳とは書いてないです が、
「卯月」を読み間違われたかしら?〈われ〉の耳なのではないですか。(鹿取)
★これは自分の耳の穴です。(石井)
★私は人間の存在そのものが恥ずかしいものであって、その象徴としてこの耳の穴を持っ
てきたのかなと思います。(慧子)
★私もそう思います。「恥」っていう字、心は耳に現れて、恥ずかしいと耳がまっ赤
になったりしますよね。だから「耳」に「心」と書くのだとばかり思っていました。
(鹿取)