かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

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馬場あき子の外国詠 私家版完成♪

2018年11月01日 | 短歌の鑑賞
                
           

                 

                


 このブログに毎日一首掲載している「鑑賞馬場あき子の外国詠」を印刷して私家版を作ってみた。A4サイズで、写真を挿入したりして2センチ以上の嵩になった。写真は、わざとボカしてあります。


 かりんの鎌倉支部で2007年から2012年にかけて外国旅行の歌を鑑賞したもの。全部で433首ある。


 ブログは10日間ほどお休みしますが、また旅の歌の鑑賞を再開しますので、どうぞよろしくお願いします。
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ブログ版 渡辺松男の一首鑑賞 『泡宇宙の蛙』ミトコンドリア・イブ一連について

2018年08月02日 | 短歌の鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究2の12(2018年6月実施)
    【ミトコンドリア・イブ】『泡宇宙の蛙』(1999年)P60~
     参加者:泉真帆、K・O(紙上参加)、T・S、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆 司会と記録:鹿取未放


 ※この「ミトコンドリア・イブ」の一連は話題になった問題歌で、この回では川野里子氏の評
  論【文中ではAと略記】、鶴岡善久氏の評論【文中ではBと略記】、坂井修一氏の評論【文中
  ではDと略記】を参考にさせていただき、それぞれから多大なご教示をいただいた。お礼申し
  上げます。なお、川野氏の評論はご本人の承認を得てHP「川野里子の短歌とエッセイ」  
   (http://kawano-satoko.com/ja/173/)から引用させていただきました。
   また、「かりん」掲載の鹿取の評論【文中ではCと略記】を引用した。さらに、会員のK・
   Oさんの紙上参加の文章【文中ではEと略記】も掲載した。K・Oさん、ありがとう。
    ただしAは「ミトコンドリア・イブ」一連に焦点を当てた論、Bは『泡宇宙の蛙』の歌集
   評で「ミトコンドリア・イブ」の占める位置は小さく、Dは「汎生命と人間」という観点か
   ら「ミトコンドリア・イブ」の一首に触れており、Cは「渡辺松男の死の歌」がテーマで、死
   の観点から「ミトコンドリア・イブ」一連にも触れている。このようにそれぞれの書き手によ
   ってスタンスの違いがあるのでお断りしておく。
 
  A 川野里子 〈おばあちゃん〉を連れて——渡辺松男と現代
                        (「かりん」1999年11月号)
  B 鶴岡善久 森、または透視と脱臼——渡辺松男歌集『泡宇宙の蛙』を読む——
                (「かりん」2000年2月号)
  C 鹿取未放 渡辺松男の〈死〉の歌 批評用語からこぼれるもの
               (「かりん」25周年評論特集2003年5月号)
  D 坂井修一 汎生命と人間   (「かりん」渡辺松男の軌跡特集2010年11月号)
        
  E K・O 紙上参加


 ※A、C、Eのうち、ミトコンドリア・イブ一連全体にわたって触れているものを個々の歌の
  鑑賞に先立ってここに挙げておく。

  ○(A)渡辺の「ミトコンドリア・イブ」一連は近年の短歌を見慣れた者にとって強いイン
   パクトを持つ一連だ。モチーフにおばあちゃんを選ぶということがまず驚きであるし、その
   おばあちゃんの視線に自らの視線を合わせようとする試みもまず見当たらないものだ。しか
   しこれは安易な弱者への思いやりやヒューマニズムなどから発想されてはいない。むしろ
   〈おばあちゃん〉の呼びかけにこもる微かな毒が読み取られるべきだろう。
   (略)この一連の〈おばあちゃん〉という呼びかけはあくまでも優しいが、なにか落ち着か
   ない気分にさせる過剰なものを含んでいる。浅薄なヒューマニティが感じさせるのとは全く
   異質な居心地の悪さである。〈おばあちゃん〉と語りかけることで閉じ込めてきた時間に触
   れ、過去というパンドラの箱をあえて開くようなザラつき、〈おばあちゃん〉が繰り返され
   るたびに、〈おばあちゃん〉から生まれた私たちのなかに消せない時間と過去とが頭をもた
   げるのだ。〈おばあちゃん〉は呼びかけられるたびに無用者として田んぼの畦に居ながら私
   たちに痛みを呼び覚ますことになる。〈おばあちゃん〉は忘れられてきたゆえに奇妙に木霊
   し、乱反射しながら私達の背後を問い、忘れられた共同体を浮かび上がらせる呼びかけなの
   だ。(川野)

  ○(C)(……)ミトコンドリア・イブの一連は読み手の心をざらつかせる。たぶんわれわれ
   が避けて通りたい、あまり正面から見たくないものを見せられるからだろう。ミトコンドリ
   ア・イブ一連から受けるざらつき感は、人間の実存という今では古びきってしまった感のあ
   るテーマに深く根ざしているせいのように思われる。また、時代や戦争の影が色濃く滲んで
   いることにもよろう。その上、仕掛けとしての「おばあちゃん」という呼びかけの、知から
   遠いぞんざいさが読み手のこころを妙にいらだたせるのだ。(鹿取)
  ○(E)「ミトコンドリア・イブ」のエピソードからインスパイアされた、物語。どこか子供
   の目が入った、話言葉から浮かびあがる思考。おばあちゃんの姿、おばあちゃんと僕の姿、
   時間の長さ、景色の映像が見えてくるような一連です。
   渡辺松男さんにしか出せない独特のリズムは、おばあちゃんの個人史を通り越して、もっと
   源である、命の起源につながるところ、原初の土地の感触すら彷彿させる、独特のリズムで、
   物語が浮かびあがってきます。人類史の中で繰返し起こる 戦争、はここで外せないでしょ 
   う。(K・O)



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ブログ版 馬場あき子の外国詠416(ドイツ)

2018年07月24日 | 短歌の鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠58(2012年11月実施)
   【ラインのビール】『世紀』(2001年刊)213頁~
    参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子(紙上参加)、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部 慧子
   司会とまとめ:鹿取 未放

  
416 長い長いソーセージ二本で飲むビールドイツの秋の陽ざしは静か

      (レポート)
 「長い長い」という「ソーセージ」は文献によると14世紀までさかのぼり、〈歴史的ソーセージの店〉や〈ことに長いソーセージの店〉などあるらしいが、世界的に有名なドイツの「ビール」と「ソーセージ」の絶妙な味わいに舌鼓を打ったであろう。ところは「ドイツ」「秋の陽ざしは静か」と訪問先の名品をそろえ挨拶歌である。(慧子)


      (紙上参加意見)
 歌集も終わりに近づく頃の一連である。ドイツと言えば長いソーセージ、ビールであろう。夜の店でたくさんのお客が飲み、うたいおどりという情景ではなく、旅の観光の途中おそい昼食をかねてか静かにビールを飲んでいる。やわらかな秋の日射しの中に。少々旅愁も漂っているうた。(藤本)


      (当日意見)
★ドイツはソーセージもビールもおいしいので有名な国。そのおいしいものを二つながら味わって、
 満たされている感じが伝わってくる。「秋の陽ざしは静か」にその気分が出ている。(崎尾)
★慧子さんのレポートに挨拶歌とあるが、馬場先生もそんな気持ちで読まれたのか。(T・H)
★軽い挨拶の気分だと思う。(鹿取)
★いかにも平和でのどかな様子が伝わってくる。(曽我)
★先生は土地と食べものを結びつけて詠むのがお上手。(慧子)

 
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ブログ版 馬場あき子の外国詠429(韓国)

2018年06月29日 | 短歌の鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠(2013年12月実施)
   【発光 武寧王陵にて】『南島』(1991年刊)P90~
    参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾 廣子
   司会とまとめ:鹿取 未放


429 「倭人伝」がやまとに無しと記したる鵲ぞ飛ぶ純白の胸

     (レポート)
 「倭人伝」は三世紀前半における日本の地理・風俗・社会・外交などについてまとまって記した最古のものである。(言泉 小学館)(崎尾)
 ■かささぎ
  カラス科の鳥。全長約45センチメートルでカラスより小さい。腹面および肩羽は白色でほか
  は金属光沢を帯びた色。尾羽は長い。生息地は中国。朝鮮に多く分布、日本では佐賀平野に限
  られる。天然記念物に指定。鳴き声がカチカチと聞こえるのでカチガラスともいう。古来、文
  学上では、七夕説話の星の仲立ちをする鳥として知られる。ちょうせんがらす。(言泉 小学館)
       


     (当日発言)
★「倭人伝」については皆さんよく知っていると思うけど、レポーターはもう少し丁寧に書いて欲
 しいですね。これだとどこの国の書物か分からないけど、中国の魏の時代の史書「魏志」のこと
 で、東夷伝倭人の条のことを「魏志倭人伝」と呼ぶようです。それを略して「倭人伝」です。
    (鹿取)
★これも428の歌(武寧王筑紫各羅(かから)に生(あ)れしとふ伝承は問はでひとり温む)と
 同じで日本には鵲はいないだろうと言われていても、日本にもいるよってこと。(曽我)
★これは現地で見ているんだから、日本にはいない鳥だというからどうれ、よく見てやろうって
  感じじゃないの。(鹿取)
★でも、日本にもいるんでしょう?(曽我)
★さっきの辞典によればそうだけど、ここは日本にはいないって信じているのかもね。作者はレポ
 ーターと同じ辞典を見ている訳じゃないから。「倭人伝」には日本にいないと書いてあるけど佐
 賀にはいるよって作者が知っていたかどうかは別にして、珍しい鳥ではあるので、その純白の胸
 なんかをロマンチックだなあと興味深く見てるんじゃないの。恋の橋渡しをする鳥だから。
      (鹿取)
★鵲が飛ぶって何かいいことがあるっていうわね。瑞鳥です。(曽我)

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ブログ版 馬場あき子の外国詠337(スイス)

2018年06月21日 | 短歌の鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠46(2011年12月実施)
   【氷河鉄道で行く】『太鼓の空間』(2008年刊)167頁~
    参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、曽我亮子、たみ、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾 廣子
   司会とまとめ:鹿取 未放


337 美しく遠く思ひのとどかざるアルプスの雪ゆめならず見る

      (当日意見)
★「遠く思ひのとどかざる」をレポーターはどう解釈されますか。(鹿取)
★自然とは意識の疎通ができないことを言っている。(崎尾)
★遠かったが実際に来ているアルプス全体を現在形で詠っている。しかし、見ているけれど一体化
 はできない。(藤本)


     (まとめ)
 「とどかざる」は現在形だから、あこがれていた以前に届かなかったのはもちろん、実際に眺めている今も思いは届かないというのだろう。もし現実に見て思いが届いたのなら、ここは「届かざりし」と過去形になるはずだ。だから「遠く」は物理的な遠さのみではなく、精神的な距離を含んでいるのだろう。憧れていたアルプスにやってきて、夢ではなく目の前にその雪山を見ている。しかしその余りにも美しいアルプスの崇高さにはとても思いは届かない。人間には触れることを許さないような圧倒的な神々しさがそこに在ったのだろう。「とどかざる」と人間の思いを拒絶することで、賛美を際だたせている。(鹿取)

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ブログ版 馬場あき子の外国詠9(ロシア)

2018年05月17日 | 短歌の鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠1(2007年10月実施)
  【オーロラ号】『九花』(2003年刊)135頁~
   参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、Y・S、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:K・I   司会と記録:鹿取未放

9 ロマノフ王朝の宝石はざくざくの乱反射青い光赤い光深く野性的

     (まとめ)
 下句の破格の詠い方が魅力である。3句めも「大判小判がざっくざくざっくざく」などと使い古された感のある擬態語だが本来のイメージ力をもって迫ってくる。それほどふんだんに宝石類が使われ、見飽きるほど展示されてもいたのだった。宝石類は、エルミタージュ美術館でもエカテリーナ宮殿でも見たが、この場面はモスクワ、クレムリンの武器庫のものであろう。
 「ロマノフ王朝」は、1613年、ミハイル・フョードロヴィッチ・ロマノフがツァーリとなった時から1917年ニコライ二世がロシア革命で廃位されるまで300年余り18代続いた王朝。
ワイルドな詠い口が、ロマノフ王朝自体のもっていた野生をそのまま掴んでいるようだ。それゆえに苦しめられた民衆のことはここでは考えなくていいのであろう。(鹿取)


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ブログ番 馬場あき子の外国詠 326(トルコ) 

2018年04月28日 | 短歌の鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠44(2011年10月実施)
   【コンヤにて】『飛種』(1996年刊)P146~
   参加者:泉可奈、K・I、N・I、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・H    司会と記録:鹿取未放

326 木ぞ一つ立てると見ればアナトリアを耕せる家族暗くまどゐす

     (当日意見)
★曽我さんのレポートにある316番歌に関連して読むとよく分かる。コンヤは古い宗教都市であ
 る。(藤本)
★豊かでないアナトリアで田畑を耕し、宗教に支えられて暮らしている。(慧子)
★アナトリアを耕す過酷さを言っている。(崎尾)
★宗教画のようだ。(鹿取)


     (まとめ)
 ミレーの宗教画を思い出した。一本の木の下に集まって憩いをしている情景は静かだ。家族で一塊になっている姿が孤立しているようで「暗く」見えたのかもしれない。夕暮れだったかも知れないが、「暗く」はあくまで精神的なものであろう。一本の木を詠うことによって、かえってアナトリアの大地の広さが見えるようだ。
 藤本さんの意見にある曽我さんの316番のレポートを参考にあげておく。(鹿取)

 「316 神は偉大なりといひて瞑想に入りしとぞアナトリア大平原の寂寞」 
      (レポート)
 アナトリア平原の過酷なありようも全て偉大なるアッラーの神の思し召しと考え、「よろしゅうございます。何事も神の思し召しのままに……」と静かに黙って受け入れたアナトリア大平原とそこに住むイスラムの人々の宗教観の強じんさと哀しみが詠われている。(曽我)


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ブログ版 渡辺松男の一首鑑賞 2の59

2018年04月10日 | 短歌の鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究2の8(2018年1月実施)
    【百年】『泡宇宙の蛙』(1999年)P40~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:泉真帆 司会と記録:鹿取未放


59 妣(はは)はいまいずくのくにを旅ゆくや大欅揺れ水ふりこぼす

     (レポート)
亡き母(妣(はは))を思い大空をみあげる作者。欅の大樹からざーっと水滴がおちてくるというのだが、作者の涙もあるようだ。欅の木肌のもつ少し女性的なすべらかさも妣への連想とうまくつながってゆく。(真帆)


     (後日意見)
 「妣(はは)はいまいずくのくにを旅ゆくや」の「いずく」はたぶん宇宙的なスケールなのだろう。大きな欅が風に揺れて雨滴をふりこぼした時、ふっと妣の通り過ぎた気配を感じたのかもしれない。母性と水は繋がりやすいが、「水滴」でも「雨滴」でもなく本質的な「水」を選択したところが、歌を大きくしている。(鹿取)
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ブログ版 馬場あき子の外国詠316(トルコ)

2018年03月23日 | 短歌の鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠43(2011年9月実施)
【コンヤにて】『飛種』(1996年刊)P142~
   参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
        渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:曽我亮子    司会と記録:鹿取未放


316 神は偉大なりといひて瞑想に入りしとぞアナトリア大平原の寂寞 

      (レポート)
 アナトリア平原の過酷なありようも全て偉大なるアッラーの神の思し召しと考え、「よろしゅうございます。何事も神の思し召しのままに……」と静かに黙って受け入れたアナトリア大平原とそこに住むイスラムの人々の宗教観の強じんさと哀しみが詠われている。(曽我)

      (当日意見)
★「神は偉大なり」というのは、イスラムの言い回し。(曽我)
★一読、自然であるアナトリア大平原が「神は偉大なり」と唱えて瞑想に入ったようで面白いが、
 そこに寂しく住まう人々と大平原はある意味一体となっているのであろう。(鹿取)


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ブログ版 馬場あき子の外国詠311(トルコ)

2018年03月17日 | 短歌の鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠42(2011年8月実施)
   【キャラバンサライにて】『飛種』(1996年刊)P139~
   参加者:N・I、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、
        T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部慧子    司会と記録:鹿取未放


311 キャラバンサライの廃墟に胡桃の木ぞ立てる机を置きて眠る人あり

     (まとめ)
 廃墟となったキャラバンサライに立つ胡桃の木の存在感が、係り結びとなって強調されている。おそらくその胡桃の木陰であろう、机を置いて眠っている人があるという。この人間の体のリアリティが生々しく迫ってきて、長い長い歴史を負ったキャラバンサライを読者にくっきりと見せてくれる。(鹿取)

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