かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

ブログ版 渡辺松男の一首鑑賞 2の82

2018年05月31日 | 短歌一首鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究2の11(2018年5月実施)
    【夢みるパン】『泡宇宙の蛙』(1999年)P57~
     参加者:泉真帆、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放


82 子を孕みひっそりと吾は楠なればいつまでも雨のそばにありたり

     (レポート)
 78番歌(夢にわれ妊娠をしてパンなればふっくらとしたパンの子を産む)は夢の力が働いて作者は妊娠をしたパンであった。掲出歌はいきなり「子を孕みひっそりと吾は楠なれば」と詠う。「樹木と「私」との距離をどう詠うか」という渡辺松男氏の文章が鑑賞の助けとなった。常緑樹でゆたかな樹形、そんなことから楠が子を孕んでいるという内容を違和感なく味わうことができる。そして「いつまでも雨のそばにありたり」は慈雨なのだろう、しみじみいいフレーズである。ものを育てる力が水にあって、母性には水のイメージが添っている。(慧子)


      (当日発言)
★慧子さん、「樹木と「私」との距離をどう詠うか」という松男さんのエッセイは先月私がお配り
 したものですが、それが鑑賞の助けになったのはどの部分で、どう助けになったのか、具体的に
 説明してくれますか?(鹿取)
★説明できないので読み上げます。
   ……私と木との関係はダイナミックで、私の思いのなかに閉じ込めようとしてもはみ出
   してしまう部分、そこに木の本領があるのだし、そこに私は引かれる。(中略)……ダ
   イナミックと言えば昔インドに「AはAでない、それゆえにAである」という発想が生
   まれた。「AはAでない」で実体としての自己同一性を否定した上で「それゆえにAで
   ある」として肯定するのだ。もしAを私とすれば「私は私でない、それゆえに私であ
   る」となるし、木とすれば「木は木でない、それゆえに木である」となる。「私は私
   でない」のだから木であってもよく、「私は木である、それゆえに私」であり、「木は
   木でない」のであるから私であってもよく「木は私である、それゆえに木である」。
   このような考え、というよりも直観は「私はインコである」という未開人にも「私は一
   個の他者である」というランボーにも通ずるだろう。これは観念の遊びではなく、とて
   もダイナミックな相互性を示していると私は思うし、個のかけがえのなさと矛盾するこ
   ともなく、多様性へ向かって私を開いてくれる可能性をもっているだろう。  
「樹木と「私」との距離をどう詠うか」(「短歌朝日」2000年3、4月号)

 この辺がとてもうなずけるような気がしたんですね。「私はインコである」とか「私は一個の他
 者である」というのは直観で分かる気がする。「個のかけがえのなさと矛盾しない」というとこ
 ろは分からないですが。(慧子)
★皆さん、分かりましたか(笑)私は未開人の言葉は分かる気がします。しかしランボーのことば
 はとても複雑で難しい文脈のなかにあって、このことは他のところでも松男さんは書いていまし
 たが、私はよく理解できませんでした。むしろ「個のかけがえのなさと矛盾しない」とか「ダイ
 ナミックな相互性を示している」いうあたりは分かる気がします。今の所でいうと、「木は木で
 ない、それゆえに木である」は前回鑑賞した「木を否定することは木の本意とぞ針金のごとき若
 木が伸びる」の参考になるかもしれませんね。(鹿取)
★連作で詠っていらっしゃるので、夢でパンの子を産んだ、そして今度は孕んで更に木になった、
 とステップアップしている。自分の発想をどんどん出て行く、それを凄いことだと思いました。
 命を宿したので雨のそばにありたいというのにも感動しました。奥ゆきがあるというか深みがあ
 る。「そばに」がすばらしくて、慈雨を浴びていたいというのをこんなふうに表現できることに
 感銘を覚えます。(真帆)
★いや、「ありたり」だから、そばにありたいという願望ではなく、そばにいた、という継続の過
 去ですね。(鹿取)
★分かるようで分からない。さっき「ダイナミックな相互性」とおっしゃいましたが、垂直に立っ
 ている木と人間が交歓する場面があるのかなと思うのですが、「そばにありたり」だから、子を
 孕んだ楠であるわれがずっと雨のそばにいた、それって論理的にどういう事なのか?雨に降られ
 て立っていたのではなく「そばにいた」ってどういうことですか?(A・K)
★真帆さんが言われたように「そばに」がすばらしいですね。魅力的な下句なのであまりいろんな
 色づけはしない方がいいと思いますが、雨のそばにいるのは子を孕んだ楠である私の安堵感でし
 ょうかね。(うん?これも一種の色づけですね)大きなものに包まれているような。子を育てる
 ための慈雨というような功利的なものではなくて、命の本質みたいなものに触れていたいという
 か。主客が普通と違うので分かりにくいのですが、このまま読んでとても好きな歌です。(鹿取)
★分かった!今の聞いてとってもよく分かりました!楠は楠としてある、雨は雨としてある、お互
 いに何かのためにではなくてただある。(A・K)
★そうですね、それぞれがそれぞれのかたちで「在る」、だから雨を浴びているのでもなく受けて
 いるのでもなく、ただそばに「在る」。(鹿取)


ブログ版 渡辺松男の一首鑑賞 2の81

2018年05月30日 | 短歌一首鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究2の11(2018年5月実施)
    【夢みるパン】『泡宇宙の蛙』(1999年)P57~
     参加者:泉真帆、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放


81 ほのかなる雲のにおいの頻伽来て天にちいさなる子宮を鳴らす

     (レポート)
 天にあるもの雲のにおいを初句に据え、頻伽を形容しながら一首に寛やかさを添えている。頻伽とは迦陵頻伽を指して極楽にいるという想像上の美声の鳥。それが飛来してきて天に子宮を鳴らすという。子宮というものを神秘的な器官としてたたえ、同時に儀式に鳴らす楽器のように子宮をとらえているのかもしれない。飛天のいる仏画のようだ。(慧子)


     (当日発言)
★迦陵頻伽は胴体からは鳥だけど頭は人間。ここで鳴らす子宮は鳥なので人間の子宮とは生々しさ
 が違いますね。斎藤茂吉に有名な迦陵頻伽の歌があります。(鹿取)
★このにおいというのは色つやとかではなくて、スメルの匂いなんですよね。(真帆)
★はい、スメルの匂いだと思います。松男さんの雲はとても思い入れがあってたくさん詠まれてい
 ますが、天上と地上を繋ぐものなんでしょうか。(鹿取)
★この一連は産むことをテーマにして歌っていられると思いますが、それでいろんなものに想像を
 飛ばしていく訳ですが、迦陵頻伽が子宮を鳴らすって常人にはできない発想で、でも聞こえそう
 に思えてくる。松男ワールドの面白さだなあと。(真帆)
★前の歌の透き通ってゆくお蚕様や妊娠した女にはなまなまとしたものを感じたのですが、こちら
 は雲の匂いという天上的な形容で、しかもそれが仄かだというところに美しさを感じます。だか
 ら子宮を鳴らすと言われても清らかな音が響いてくる。想像を絶する景というか奇想天外だけれ
 ど、素直に言葉通りに読むといい気分になれる。(鹿取)
★はい、解説なんかしちゃいけなくて、このまま読んですばらしい。渡辺松男は天才だと思います。
 「ほのかなる」がとっても効いていますよね。きっと天上にはこんな美しい世界があるに違い 
 ないと思わせられる、すばらしい歌だと思います。(A・K)


        (まとめ)
  とほき世のかりようびんがのわたくし児(ご)田螺(たにし)はぬるきみづ恋ひにけり
           『赤光』斎藤茂吉



ブログ版 渡辺松男の一首鑑賞 2の80

2018年05月29日 | 短歌一首鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究2の11(2018年5月実施)
    【夢みるパン】『泡宇宙の蛙』(1999年)P57~
     参加者:泉真帆、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放


80 みごもれるおみなの指にわがおもうお蚕様は透きゆきにけり

     (レポート)
 妊娠している女性の身体の指に注目する。指には清潔感があり、そのふっくらしているであろう指に蚕を連想したのだろう。身籠もりということを思う作者の心には、神秘を感じ、つつましさがあるだろう。指を見ながら、蚕を連想しながら作者に恍惚感があったのか、「お蚕様は透きゆきにけり」と表現する。(慧子)


     (当日発言)
★身籠もった女の指が蚕の透き通ってゆく感じに似ているというのでしょうか?よく分からなかっ
 たのですが。お蚕様と妊娠したおんなの指はどういう関係にあるのでしょう?(A・K)
★すみません、調べてこようと思って調べられませんでした。繭になる前の蚕は透き通った感じに
 なっていくのでしょうかね。(鹿取)
★身籠もるとだんだん聖なる感じになっていくのかなと。(真帆)
★「透きゆきにけり」のところは手触りがあるので、作者は養蚕をよく見る機会があったのかもし
 れませんね。(鹿取)
★「透きゆきにけり」には身籠もっているおんなの生臭さみたいなのも感じますね。(A・K)
★作者は「おみな」って表記していて、これはもともとは若く美しい女性を指す語ですが、それで
 も何かマリアさまみたいな清らかさではなくて、原始の女のようなふてぶてしさとか、気味悪い
 印象を持つのは、今A・Kさんがおっしゃったように生臭さがあるからなんでしょうね。まあ、
 気味悪く思うのは細長い虫が苦手って個人的な私の嗜好もありますけど。A・Kさんが生臭さと
 いう言葉にしてくれたので、やっと私も自分のもやもやが言葉になったのですが。(鹿取)


   (まとめ)
 蚕の4齢幼虫は次の眠りに入る前に体に光沢がでるそうだ。その後眠りに入り、5齢幼虫になって7日経つと食べなくなり、透き通った体から中の絹物質が見えるため黄色~飴色のように見えるらしい。この後、繭を作り始めるという。「お蚕様は透きゆきにけり」とはこの4齢幼虫あたりの蚕を言っていて、女性の指とのアナロジーを感じているのだろうか。やっぱり生臭い感じがする。(鹿取)


ブログ版 渡辺松男の一首鑑賞 2の79

2018年05月28日 | 短歌一首鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究2の11(2018年5月実施)
    【夢みるパン】『泡宇宙の蛙』(1999年)P57~
     参加者:泉真帆、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放


79 秋蜻蛉ひかる盆地にみちあふれわれは子宮になりたくなりぬ

     (レポート)
 盆地という地形にひかりがあり、秋蜻蛉がみちあふれている状態。そこから作者は「子宮になりたくなりぬ」という。秋蜻蛉は赤とんぼであろう。生命を象徴する色としての赤が、ひかりとともに満ちあふれている様は、祝福された景で、まるで子宮のようと作者は思ったのであろう。四、五句へ無理なく繋がる。(慧子)
  

     (当日発言)
★慧子さんは「秋蜻蛉」を「あきせいれい」と読まれましたがそれだと6音になるし、ア音の繋が
 りが美しい「あきあきつ」の方がいいだろうと思います。それから、秋蜻蛉が満ちあふれている
 のが子宮のようだと思ったのなら、なぜ更に子宮になりたいというのですか?(鹿取)
★子宮がそんなようなものなら自分も体内に子宮を持ってもいいなと思った。(慧子)
★作者が意識してやっていらっしゃるかどうかは分からないけど、盆地って窪んだものだから子
 宮と繋がるかなと思います。(A・K)
★フロイト的に言えばまさにそうですよね。(鹿取)
★赤とんぼが盆地に満ちあふれている、赤は生命そのものです。盆地にわーとそういうのが群がっ
 ている情景は素晴らしくて、そういう命を生み出したいという願望なのかなあと。(A・K)
★上句は普通の自然詠としても読めますよね。秋、蜻蛉のア音で続ける明るさとか、これだけ巧く
 斡旋できるかどうかは別にして、普通の人でもこういう景だけなら言えそうです。でも、こんな
 下句のような思想を持っているのは松男さんだけですよね。(鹿取)
★蜻蛉が赤いので血液のように見えて、それで子宮を連想したのかなと思います。子宮になりたく
 なりぬって面白い感覚なんだけど、それを硬くではなく柔らかく伝えてくるところがいいなと思
 います。(真帆)


ブログ版 渡辺松男の一首鑑賞 2の78

2018年05月27日 | 短歌一首鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究2の11(2018年5月実施)
    【夢みるパン】『泡宇宙の蛙』(1999年)P57~
     参加者:泉真帆、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放


78 夢にわれ妊娠をしてパンなればふっくらとしたパンの子を産む

           (レポート)
 何にでもなりきる作者はこの度とげとげしくないもの、パンになり、妊娠によってパンの子、そのような柔和なものを産む。掲出歌において、作者は夢によって規定を越え、妊娠をするパンになるのだが産む性へ越えてゆくことに含羞のようなものがあったのか、夢の力を借り、性のないパンという設定をしているように思える。掲出歌は眠りの中の夢であろう。が、様々な境界を越えゆけるものとしての夢というものもある。(慧子)


          (当日発言)
★初めてこの歌を読んだとき、男性が子を産む歌を作ることにほんとうにびっくりしました。しか
 し柔らかくはうたわれていますが、性を越えて出産をうたうということに斬新なものを感じまし
 た。(真帆)
★この歌は歌壇でも話題になりましたよね。A・Kさん、いかがですか?
★私は今日初めて参加しました。事前に送ってもらった資料に鹿取さんが渡辺松男さんのこんな
言葉を引用されていました。
   
……在ることの不思議、無いことの不思議、生命のこと、そういう次元を詠まなかったなら、
  私(に)とって歌は意味のないものになっていました。存在に寄り添うこと、それを掬うこと、
  それを包むこと、あるいは包まれること、それに成りきること、それらのことはいつもこちら
  側にいる自己同一的実体的作歌主体にとどまっているかぎり不可能なことでした。
                   (「かりん」2010年11月号)

 それから今日鹿取さんが配ってくださった寺井淳さんの評論(「居心地の悪い親切――『けやき
 少年』と『ヰタ・セクスアリス』」「かりん」2005年8月号)を読んで、ああ、渡辺さんっ
 てこういうんだと。この二つの文章を前提にすると何となく分かるような気がします。宇宙的な
 幻想的なものと現実的なものが溶け合ったような感じ、夢想なんだけど分かるような感じ、「夢
 に」と断っているところが用意周到だと思うのですが、感覚的に触感として伝わるような、言葉
 をうまく使っていますよね。(A・K)
★そうですね。この歌は「夢に」とあるので、本人の述懐や寺井さんの論を読まなくとも、こちら
 側の歌として奇抜だけど充分楽しくかわいらしく読めます。この先だんだんそういう枠が取り払
 われるんですけど。『けやき少年』のあとがきで、この歌集に収められた歌は平行世界の記憶の
 断片で自分にとってはリアルなんだというようなことを言っていますけど。掲出歌は何かを生み
 出したいって思っているわけで、世界に対する松男さんの立ち位置が出ている歌だと思います。
 幼児的な感じもするのですが、世界を投げ出していないところが読者としても希望が持てて楽し
 いなと思います。(鹿取)


     (まとめ)
 当日配布した寺井さんの渡辺松男歌集『けやき少年』に対する評論は長いので引用しきれないが、要点のみ箇条書きにする。(鹿取)

  ・歌群の向こうにひとりの人間の像が結べないから居心地が悪い
  ・近代的な自我主体による発話ではない
  ・意図して現代短歌を異化しようとしている

 また、川本千栄氏が掲出歌と82番歌(子を孕みひっそりと吾は楠なればいつまでも雨のそばにありたり)ほか数首を引いて次のように書かれているので紹介する。

   ユングによると全ての男性は深層意識にアニマ(内なる女性)、女性はアニムス
  (内なる男性)を持っているとされている。そう考えると、これらの歌は渡辺の深
  層にあるアニマの声なのだと言うことができる。
    私の知らない「私」―渡辺松男に見る「深層の私」
     二、ユング心理学で読む渡辺松男
              (「D・arts」創刊号 2003年4月)
 

ブログ版 馬場あき子の外国詠262(韓国)

2018年05月26日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠1(2010年12月実施)
   【白馬江】『南島』(1991年刊)74頁~
   参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
        T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放

           (鹿取注:下の3行はこの章全体の詞書き)     
日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
  ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
                 へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。


262 国敗れ死にしをみなの亡骸(なきがら)を生きしをみなはいかに見にけむ

     (レポート)
 テーマだけを投げ出したような一首だが「をみな」に絞られていて、やはり女の側から鑑賞したい。かつて子供を育てながら、時代と時代の子と格闘していると考えたことがある。そうは言いながら、おおよそ人々が時代の子であるのは、子供に限ったことではない。そしてその生は世と親和し、また葛藤している。たとえば風俗、宗教また個の情念に切実に懐疑的に、一方では家族のための衣食住に、ひたすらな生活者であるをみなとして、そのようにありながら女性の側から時代への暴挙など考えられないまま、戦争等圧倒的な時代勢力にのまれてしまったりする(「国敗れ死にしをみなの亡骸」)。また生きしのいだりする(「生きしをみな」)。「死にしをみなの亡骸」とは、その背景の伝統、文化などふくめての生きざまをたどることをせず、ここでは伝聞であろう状態に即するのみの表現として、「生きしをみなはいかに見にけむ」と、時代の負への告発を同時代の「をみな」に託しているのではないか。あまりにもはるかな歴史的事象、無惨に対して、作者は言葉を失っているのか、ひかえているのか、いかがであろう。(慧子)


     (当日発言)
★レポーターの言わんとすることが、私にはほとんど理解できなかったんだけど。宮女三千が身を
 投げたことに対して、作者自身は261番歌(旅にきく哀れは不意のものにして宮女三千身を投
 げし淵)で「哀れ」と情を吐露している。次にこの歌では、同時代、現場にいて実際亡骸を見た
 女たちはどう見たのかと問うている。宮女の中には生き延びた人もいたかもしれないし、庶民は
 死なずにすんだのかもしれない。そして死なずにすんだ女性たちは死んでしまった宮女たちの亡
 骸を見て、かわいそう、とか自分は助かってよかったとか、そんな単純な思いであったはずはな
 い。
  この歌も、冒頭の詞書から推して沖縄戦の果て身を投げた女性たちのことが背景にあって詠ん
 でいる。そこで生き残った女性たちは言葉を絶したもろもろを心のうちに抱え込んだに違いない。
 そして、そういう沖縄に代表される犠牲を、内地にいた人々はどう見ていたか。少なくとも作者 
 は重く大きなものを抱え込んだのだ。それがどんなに重いものだったかは、韓国旅行詠の載る『南
 島』と同の歌集に収められた「南島」一連を読むとよく分かる。たとえば高名な一首「石垣島万
 花艶(にほ)ひて内くらきやまとごころはかすかに狂ふ」などにもよく反映しています。 
   (鹿取)


ブログ版 馬場あき子の外国詠261(韓国)

2018年05月25日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠1(2010年12月実施)
   【白馬江】『南島』(1991年刊)74頁~
   参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
        T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放

           (鹿取注:下の3行はこの章全体の詞書き)     
日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
  ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
       へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。


261 旅にきく哀れは不意のものにして宮女三千身を投げし淵

      (レポート)
 敗れた側の百済王宮の女性たちは、追いつめられて、死を選んだと思われる。どのような心の状態だったのだろう。敵軍に辱めを受けないためであろう。その数※三千とは誇張されていようが、当時もチマチョゴリに近い民族衣装をまとっていたのか。そうならば淵へ身を投げて、風をはらんではなびらが散るようではないか。哀れは三千という数と共に落花そのものの遠景が見える。
 ※三千 ①数の多いことを表す語。李白の白髪三千丈など 
     ②白居易の「長恨歌」から、特に後宮の女性の数多いこと
      (慧子)

     (当日発言)
★13世紀になってはじめて韓国では「三国遺事」という史書が書かれた。しかし、この書にも「日
 本書紀」にも宮女三千が身を投げた話は載っていない。(実之)
★冒頭に載せた詞書きからすると、この歌には沖縄戦の折、断崖から身を投げた多くの民間人の 
 姿が重ねられているのだろう。そう考えると、百済の宮女たちも、レポーターの言うように「追 
 いつめられて死を選んだ」かどうかはあやしい。飛び込んだ断崖を後世のひとが「落花岩」と美
 化して呼んでいるのだが、落下するとき衣が花びらのように飜ったとして、それを美しいといえ
 るだろうか。水死はことさら苦しいもので、私には身を投げたひとりひとりの恐怖が思われてな
 らない。実之さんのさっきの発言だと史書には載っていないお話しだそうだから後世の作話かも
 しれない。「不意のものにして」と詠っているから、作者はガイドの説明などによって現地では
 じめてこの話を知ったのだろうか。その驚きや感慨が投げ出したような結句の名詞止めに凝縮さ
 れている。(鹿取)

分ロブ版 馬場あき子の旅の歌260(韓国)  

2018年05月24日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠1(2010年12月実施)
  【白馬江】『南島』(1991年刊)74頁~
   参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
        T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放

           (鹿取注:下の3行はこの章全体の詞書き)     
  日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
  ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
       へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。


260 秋の水みなぎるとなく逝くとなく白馬江あかき夕日眠らす

      (レポート)
 私達は旅にあって、大河に落ちる夕日にのぞむとしたらどんな一首を残すだろう。朝日にはたくさんのものをはじき出すような力があるが、メッセージ性の強い赤でありながら、夕日の場合は、没細部的な景となり、充足や安堵へ導かれるだろう。掲出歌は作者と白馬江の距離のためか「みなぎるとなく」「逝くとなく」として静的な大景が示されている。この二つの否定は悠然たるうちに生きていて永遠のような感じを導き出している。また「秋の水」「あかき夕日」の二つのア音のあかるさが働き、「夕日眠らす」という終末ではない大景へ自然に落ち着いている。
 印象深い動詞を3カ所配しながら、どれも邪魔にならず、大きな息づかいのうちに仕上がっているのは、白馬江の名による歴史性へのふかい感慨のゆえであろう。(慧子)


      (当日発言)
★否定語を2度も使っているのに、こせこせしていなくて、ゆるやかな言葉遣いが白馬江の雄大
 な景を見せてくれる。白と赤の対比は、下手をするとわざとらしくていただけないが、ここで
 はさりげなくて成功している。とうとうと流れる大河ではなくゆったりとたゆたっているゆえ
 に、白馬江が夕日を入れる揺籃のようで、作者の感動もよく伝わってくる。(鹿取)

ブログ版 馬場あき子の外国詠259(韓国)

2018年05月23日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠1(2010年12月実施)
   【白馬江】『南島』(1991年刊)74頁~
   参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
        T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放

           (鹿取注:下の3行はこの章全体の詞書き)     
日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
  ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
       へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。


259 斉明軍百済とともに滅びたる白村江(はくすきのえ)の静かなる秋
      (レポート)
 掲出歌の意味はよく分かるので、事項を明らかにし、鑑賞にかえたい。 (慧子)
 斉明天皇:第37代天皇。(559~661没)(594~661在位)皇極天皇の重祚、舒明
      天皇の皇后。天智天皇の母。
 百済:朝鮮の三国時代、半島西南部にあった国。4世紀初の馬韓から起こるが、伝説ではその前
    身伯済国の始祖温祚(おんそ)王は、高句麗から移った扶余の系統と伝える。首都は漢山、
    のち熊津。任那の滅亡後、新羅、高句麗と抗争。日本、中国南朝とは友好関係を保ち、わ
    が国には仏教その他の大陸文化を伝える。660年、新羅・唐連合軍に滅ぼされた。
 白村江:村の意を古代朝鮮語で「スキリ」と言い、それが日本書紀に生きていて「白村の江」
     (はくすきのえ)という。地図は省略。
 白村江の戦:天智天皇2年(663)白村江で行われた日本・百済と唐・新羅の水軍同士の
         会戦。唐・新羅連合軍に侵略された百済の救援に向かった日本軍はこの戦いに
         大敗し、その結果百済王は高句麗に逃れ、王族・貴族の大部分は日本に亡命し、
        百済は滅びた。日本も多年の半島経営を断念。
以上 小学館 国語大辞典

             (まとめ)
 『日本全史』(講談社)によると、日本軍が白村江の地で大敗したのは8月28日という。旧暦の8月は当然秋であるが、ここは馬場が旅をしていにしえの戦地、白村江を眺めている秋のことを「静かなる」と形容している。もちろん、663年の白村江の景を二重写しに読んでもいいのだろう。(鹿取)


ブログ版 馬場あき子の外国詠258(韓国)

2018年05月22日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠1(2010年12月実施)
  【白馬江】『南島』(1991年刊)74頁~
   参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
        T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放

           (鹿取注:下の3行はこの章全体の詞書き)     
日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
  ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教                 
         へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。


258 たゆたひの心しばしば暗かりし韓国に来つズックを履きて

     (レポート)
 どのようなたゆたいなのだろう。日本と韓国の中世から近世へつづくながい確執を思うと作者の生きてきた時間の中に暗く立ち上がる罪意識に似た思いがあったというようなものであろうか。そんな思いを抱かせる韓国にこの度は「ズックを履きて」やってきたのだ。上の句の暗い心とは反対に下の句は旅にふさわしい軽装を言い、一首に明暗を織り込んでいるのだが、「ズックを履きて」暗くなりがちの心を引き立てているのかもしれない。(慧子)


           (当日意見)
★負い目があってのたゆたい。(曽我)
★そうですね、日本人として負い目があるから韓国の旅をしようかしまいか、たゆたいがあった
 が、ようやく決心して旅に出てきた。謝罪の気持ちを表すなら正装すべきかもしれないが、旅の
 移動に楽なようにズックを履いてきた。ますます韓国には申し訳ないような気がする。「ズック
 を履きて」の卑近な例示がリアルだ。
 「日本と韓国の中世から近世へつづくながい確執」とレポートにありますが、そこは違います。
 白村江の戦いは古代ですし、明治から続いた韓国併合、戦争中の諸々など20世紀も21世紀も
 大きな問題を抱えて、今なお確執は続いています。(鹿取)