かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠 121(スペイン)

2014年01月31日 | 短歌一首鑑賞
   【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P53
                 参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                 レポーター:藤本満須子
                   まとめ:鹿取未放


77 日本史の粛然とせる失念に影のごとザビエルに添ひしヤジロー

(レポート)(2008年6月)
 ヤジロー=アンシロー(弥次郎):生没不詳、薩摩の人。殺人の罪を犯しマラッカに渡りそこでザビエルの教えを受け受洗。1549年、ザビエルを案内し鹿児島に上陸、各地を伝道、」のち迫害を受け行方不明。

 作者はスペイン、マドリッドに降り立ち、そこでまず歌った内容ははるか16世紀に遡る。ザビエル、そして日本人のヤジローである。この歌の「日本史の粛然とせる失念」の主語は誰だろうか。主語がないときは作者であるという決まりから思うと失念しているのは作者に違いない。ヤジローとザビエルの出会いを考えた時、この歌の主眼は上の句の「日本史の粛然とせる失念」にあるのではないか。作者はスペインの旅で初めてヤジローという人物に思い至ったのである。その作者の感慨を「粛然とせる失念」とうたったように思うのである。犯罪者であるヤジローはザビエルに洗礼を受けキリスト者として再び日本に戻る。そしてザビエルに従って各国を巡礼したのであろうと想像する。(藤本)
 

(発言)(2008年6月)
 ★ヤジローは犯罪者だったから。裏の歴史。(T・S)
 ★「日本史も記述せず、作者も忘れていたことに『粛然と』しているのだ」というご指摘を後日
  田村広志さんからいただきました。


(まとめ)(2008年6月)
 ヤジローは生没年もつまびらかでないが、若い頃に人を殺し、薩摩に来航していたポルトガル船に乗って逃れ、マラッカでザビエルに罪の告白をしたとも言われている。また、修験道系の陰陽師だったという説や海賊だったという説もある。そのヤジローがどういう経緯からかザビエルに従って鹿児島に上陸したのである。
 以後二年間、各地を転々としながら布教活動をするザビエルに常に従ったヤジローだが、日本史はヤジローについては詳細を伝えていない。記述するには憚られることがあったのだろうか。「日本史の粛然とせる失念」とは不思議な言いまわしだが、「日本史」が主語だろう。日本史が失念をした、それは「粛然とせる」失念だった、というのではないか。つまり「粛然とせる」は日本史の韜晦を遠回しにいっているのではないか。かしこまった日本史にはアウトローであるヤジローの詳細は書かれていないが、実はいつも影のようにザビエルに寄り添っていたのだよ、というのだ。みなし子ようなザビエルと、ザビエルを慕うゆえに身の危険もかえりみず常に彼に付き従うヤジローとの関係に暖かい気分を呼び覚まされると共に涙ぐまれるような感動を覚える。(鹿取)

馬場あき子の外国詠 120(スペイン)

2014年01月30日 | 短歌一首鑑賞
   【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P53
                        参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                        レポーター:藤本満須子
                          まとめ:鹿取未放


76 ただ孤なるみなし子のやうなるザビエルの心乗せたる秋の雲ゆく

(レポート)(2008年6月)
 4句め、5句めにこの歌の眼目がある。宣教師ザビエルはただ一人みなしごのようにインド、日本、中国へと布教のために旅をする。ザビエルの孤独と天空の秋の雲との取り合わせ、特に夏ではなく「秋」と歌ったところに憂愁の気分も漂っている。
 
 みなし子と自らを称(よ)びし長明の心にありし詩のやうな空  馬場あき子『ゆふがほの家』
(藤本)


(発言)(2008年6月)
 ★「秋の雲」は漂白している心(N・I)
 ★宣教師は次々に日本へ来て、イエズス会にレポートを書いて送っていた。(T・H)
 ★日本の国で死にたかったザビエルの心。ザビエルの心はスペインに帰ってきていたのかもしれ
  ない。(崎尾)


(まとめ)(2008年6月)
 みなし子とは祖国から切り離された布教のあてどなさを言っているのであろうか。もちろん、ザビエルはたった一人で日本に来たわけではなく、仲間もいたのだけれど。作者達のスペイン滞在は六月初旬なので、「秋の雲」はザビエルが日本に滞在した遠い秋のことを思い描いているのだろう。(鹿取)

渡辺松男の一首鑑賞  66’

2014年01月29日 | 短歌一首鑑賞
 ◆64から66に飛んでしまいましたので、66’としました。

          【『精神現象学』】『寒気氾濫』(1997年)43頁
                           参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
                            レポーター:鈴木良明
                           司会と記録:鹿取 未放


100 捨てられし自動車が野に錆びていて地球時間に浸りていたり

(レポート)(2014年1月)
 錆びるという現象は、水や酸素が豊富にある地球の現象であることを改めて思わせる。そればかりではなく、「地球時間に浸りていたり」と詠むことで、地球という時空のなかに捨てられ、錆びてゆく自動車の存在がくっきりと浮かびあがってくるのだ。また、地球時間の外側にある宇宙時間のことなどをも想像させ、思いは広がってゆく。捨てられて野積みになった自動車は、昔、裕福なアメリカの象徴であったが、そのような、声高ではない静かな文明批評としても読むことができる。


(記録)(2014年1月)
 ★人間の手から離れて日常とは違った、スケールの大きな地球時間に投げ出されて錆びてゆく自
  動車って、言われてみればよく分かるし、この言葉の発見がすばらしいですね。(鹿取)
 ★棄てられにゆく鋸の歌があったけど、その後を書かれますね。(慧子)
 ★言葉が正確、的確ですよね。核心ついて。普通は地球時間なんって言えないけど。(鈴木)

渡辺松男の一首鑑賞  66

2014年01月28日 | 短歌一首鑑賞
          【『精神現象学』】『寒気氾濫』(1997年)43頁
                                  参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
                                   レポーター:鈴木良明
                                  司会と記録:鹿取 未放


99 赤城山から双眼鏡に見ゆるもの霜の柱の新宿のビル

(レポート)(2014年1月)
 赤城山から双眼鏡で遠望すると、現代文明の象徴であるような新宿のビル群は、なんと霜柱のように危ういものに見えてくる。そのように詠む作者の姿からは、子供のころから馴染んできた赤城山(1828m)に対する揺るぎない信頼が感じられる。


(記録)(2014年1月)
 ★望遠鏡だと赤城山から新宿が見えるんですね。うちは、南側のベランダからランドマークはじ
  め「みなとみらい」のビル群が見えて、北側の玄関からは都庁のビル群が見えるんですけど、
  もちろんどちらも肉眼で。別に都庁が見えても有難くないですけど。(鹿取)
 ★でもこの歌から鈴木さんが「赤城山に対する揺るぎない信頼」を導き出すなんってすごい。
   (崎尾)
 ★おそらく歌集全体からそう感じたんですね。この一首だけで誰が詠んだか知らなかったらこう
  は判断できませんから。(鈴木)
 ★赤城山の赤が命の赤赤って感じがします。下の句は白っぽくてかそかなものという感じ。
   (慧子)
 ★まあ、かそかなものというか、実際は揺るぎない工法で立てられているのでしょうけれど、人
  工物であるビル群を霜柱のように脆くて危ういものと作者はみてるんでしょうね。銀色の冷た
  い感じの人工物。この一連の最初の方でも言ったけどバベルの塔みたいな。(鹿取)
 ★「ような」としなかったのがいいね。「ような」がないと不完全だけど「ような」を入れると
  歌が弱くなるから。(鈴木)
 ★隠喩って技法でしょう。「ような」とか「ごとく」とか言わないけど比喩になっている。
    (鹿取) 

渡辺松男の一首鑑賞  64

2014年01月27日 | 短歌一首鑑賞
          【『精神現象学』】『寒気氾濫』(1997年)42頁
                            参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
                             レポーター:鈴木良明
                            司会と記録:鹿取 未放


98 むかし疎外ということばあり今もあるような感じに吹けるビル風

(レポート)(2014年1月)
 「疎外」という言葉は、ヘーゲルが「自己を否定して自己にとってよそよそしい他者になること」の意で用いたが、後にこれを継承したマルクスが「人間が自己の作りだしたものによって支配される状況」の意で用いている。ビル風は、自然の風ではなく、人間がわざわざビルを建てたことによって発生した。そのようなことを思い、感じながら作者は、ビル風に吹かれつつ「みなとみらい」地区を歩いたのである。


(記録)(2014年1月)
 ★街路灯からすんなり続く歌。われわれの世代には疎外ということがすごくよく分かる。当時は
  やった言葉で。渡辺さんは私より6歳年下だけど、私は6年遅れて大学に入ったので、大学時
  代は同じ空気を吸って暮らしたから。(鹿取)
 ★疎外はマルクスが言ったような意味で使ってましたよね。(鈴木)
 ★ええ、自己疎外とか言ってね。あれ、マルクスの概念なんだ。(鹿取)
 ★ヘーゲルの方は抽象的過ぎるからぴんと来ないけど。マルクスの方は直接的で。(鈴木)
 ★「疎外」を広辞苑で引いたらどう出ているのでしょう?(慧子)
 ★この通りのことが書いてあると思いますよ。(鈴木)
 ★では、引いて見ましょう。前半は鈴木さんのレポートと同じです。マルクスの項で、自己の創
  り出したものは(生産物・制度など)と括弧書きの注がついています。次に「さらに資本主義
  社会において人間関係が主として利害打算の関係と化し、人間性を喪失しつつある状況を表す
  語として用いた」とあります。あの頃、この最後の方の意味でしきりに「人間疎外」って言葉
  を使っていましたよね。立て看なんかにもよく使われていた気がする。(鹿取)
 ★私なんかこの歌が当たっても「疎外」を辞書で引くなんってしなかったと思います。(慧子)
 ★「今もあるような感じに」あたりが歌を分かりやすくしていますね。難しい言いまわしを使わ
  ないで。(鈴木)

渡辺松男の一首鑑賞  63

2014年01月26日 | 短歌一首鑑賞
          【『精神現象学』】『寒気氾濫』(1997年)42頁
                                  参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
                                   レポーター:鈴木良明
                                  司会と記録:鹿取 未放


97 「みなとみらい」のこんな街路灯の一本がかのダム底の家より明し

(レポート)(2014年1月)
 都市部と山間部の電灯の明るさのちがいから、それぞれに住む人たちの暮らしの格差を詠んでいる。「みなとみらい」の明るさは白色光であるのに対し、「ダム底の家」は白熱電球でやや黄ばんで見える。また、通りすがりの街路灯の一本と暮らしの拠点である家の明るさを比較することで、一層その格差が際立ってくるのだ。


(記録)(2014年1月)
 ★「かのダム底の家」というのは、かつてあつたが今はダム底に沈んでしまっている家というこ
  とでしょうか?今でもダムの底に家自体はあるかもしれないけど、灯りをともていることはな
  いわよね。ダムの底に沈む以前の暮らしの中で、あの家にともっていた灯りはここの街路灯の
  一本よりも暗かったなあ、というのでしょう。こういう方向に考えが及ぶのが渡辺さんらしい
  ですよね。(鹿取)
 ★過去と比較しているというよりも、現に見えるものとして考えている。過去と比較したのでは
  あの時代ならしょうがないと弱まっちゃうから。そうじゃなく詠んでいるのが面白い。みなと
  みらいは白色光でいいのかなあ、よく分からないけど。(鈴木)
 ★昔の明りだから暗かったというのではなくて、今はダム底に沈んだ家を作者はありありと現前
  に感じていて、それを街路灯と比較している。みなとみらいの街路灯が白色光か何かは知らな
  いけど、無駄に明るいというか、無機質な感じを言いたいのでしょうね。ダム底になった家に
  は貧しいけど人間らしい、人が寄り添っていた灯りがあったわけです。(鹿取)
   

渡辺松男の一首鑑賞  62

2014年01月25日 | 短歌一首鑑賞
          【『精神現象学』】『寒気氾濫』(1997年)41頁
                            参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
                             レポーター:鈴木良明
                            司会と記録:鹿取 未放


96 『精神現象学』的巨大ビルを染め真鍮色の日は落ちてゆく

(レポート)(2014年1月)
 真鍮色は、黄色っぽいのだが、なつかしくあたたかみのある山の夕陽とはちがい、よそよそしくつめたい人工的な色彩だ。そのような日が、「『精神現象学』的巨大ビル」、すなわち人間の煩悩・欲情等が作り出したビルであり、※その中身も業務・文化・商業など雑多で不統一なものを内包している巨大ビル、の輝きを象徴するかのように染めて、やがて沈んでいったのである。
※『精神現象学』は、初版に異常なほど誤植が多く、目次の内容が不統一、序文がふたつあるなど制作過程の混乱とヘーゲル自身の立場の動揺がからまって、混乱に満ち、難解である。このような混乱がこの巨大ビル建設の際にもあり、たとえば業務・文化・商業など雑多で不統一なものをひとつのビルに収める混乱などが現実にあっただろうことは、推測がつく。 作者は、このような思いを抱きながら「精神現象学的」という言葉を選んだに違いない。


(記録)(2014年1月)
 ★こころのところが、さっき鹿取さんが『精神現象学』読んで非常に分かりにくかったというところ
  と関係している。分からなくて当然のような統一がとれていない本だから。私は解説本で読んでき
  たんだけど、それでも分かりにくかった。渡辺さん自身もこの難解な本の不統一な感じが頭にあっ
  てこの歌になったのではないか。意馬心猿のようなものが作り上げたビルであり、雑多で不統一と
  いう両方があったのではないか。(鈴木)
 ★私は前に出た意馬心猿のところを『精神現象学』的って言い換えた歌だと読んでいたけど、鈴木
   さんはもっと複雑な背景をもっているんだという訳ね。(鹿取)
 ★みなとみらい地区は1回しか行ったことがないけど、何だかとりとめもない街だと思った。独特な
  変な場所ですね。(崎尾)
 

渡辺松男の一首鑑賞  61

2014年01月24日 | 短歌一首鑑賞
          【『精神現象学』】『寒気氾濫』(1997年)41頁
                                参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
                                 レポーター:鈴木良明
                                司会と記録:鹿取 未放


95 高さ二百七十三メートルに働くおみなあり新竹のごときしなやかな脛

(レポート)(2014年1月)
 ランドマークタワーの展望台があるのが、高さ273mの69階だ。そこでは、新しい施設を案内・誘導するために、若いコンパニオンが働いていたのだろう。「新竹のごときしなやかな脛」が、そこではたらく女性の比喩として、絶妙である。人工物のなかにおける「新竹のしなやかさ」の対比がすこぶる新鮮だ。


(記録)(2014年1月)
 ★こういうところにいる女性はみんなスカートなのよね。(崎尾)
 ★ここでもやっぱり超高層の建物と、生き生きした生身の女性のあしを並べているのよね。無機
  的なものに取り込まれないように。(鹿取)

鉄格子から解放されました

2014年01月23日 | 日記


 修繕の足場が外された。
昨日はベランダに工事の人の影が行き交い、話し声が聞こえるので、終日カーテンを閉めて息を殺していたのだが、今朝、やっと鉄格子から解放された。4ヶ月ほど洗濯物も自由に干せず、うっとうしい思いをしたので、まずは嬉しい。もっとも玄関側の足場は残っていて、ドアのすぐ外では今も何やら大きな音がしている。

 ところで認知症の症状が出始めた母が、しばしば多量の野菜類を送ってくる。息子は忙しくてほとんど家に戻らないし、娘はダイエットで私の料理はほとんど食べないから、私一人が食べられる分量だけ送ってというが、これは全く通じない。

 今月初め、お餅や野菜類が大量に届いた。人参、干し柿、とろろ芋、柚子、土生姜は短歌教室や源氏の会、校正室などに持参して皆さんに貰っていただいた。5個もあった大振りの聖護院大根はべっこう煮にして源氏の会に持参、残りは他の野菜も添えて工事の人に差し上げた。白菜、キャベツ、菠薐草、蕪、牛蒡、ジャガイモは何とか料理した。届いた時点で既に駄目そうな南瓜と梨は目を瞑って棄てた。お餅も、見かけは何でもないが食べると黴臭くなってきたので半分ほど棄てた。



 そして最後に残ったのがこれ!送ってきた段ボールの中にうっかり放置していたら、タマネギ15個がこんな状態になっていた。とりあえず芽だけを残して水を張った器に移した。(写真は昨日食べた残り)

 ネットで調べるとタマネギの芽のレシピがたくさん出ていたので、昨夜はいちばん簡単そうな肉巻きにしてみた。レシピは牛の薄切りに巻いていたが、手元の豚うすぎりを使った。肉に塩こしょうして束にしたタマネギの芽を巻いて焼くだけ。芽が色鮮やかで美しくできあがった。お味は、たぶん美味しいのだろうが、芽の中が普通の葱よりねっとりしていて私はちょっと苦手。ポン酢をかけていただくと少しさっぱりするだろうか。

渡辺松男の一首鑑賞  60

2014年01月23日 | 短歌一首鑑賞
          【『精神現象学』】『寒気氾濫』(1997年)41頁
                           参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
                            レポーター:鈴木良明
                           司会と記録:鹿取 未放


94 超高層のカーテンウォールのとの曇り求愛飛翔の鳥を見ぬなり

(レポート)(2014年1月)
 ここでもランドマークタワーの超高層ビルを詠んでいる。あまりに高いので壁面が霞んで見えるのを、「カーテンウォール(帳壁)のとの曇り」と詠み、「求愛飛翔の鳥」をうまく導き出している。高いものを見ると山や樹木のように思い、そこを翔る鳥のことを思ってしまう、作者はやはり山人である。


(記録)(2014年1月)
 ★「見ぬなり」って否定しているんだけれども、言葉として 「求愛飛翔の鳥」って言っちゃってい
  るので、読者は一瞬求愛のために飛翔していく鳥をイメージしますよね。作者は鳥がいないことに
  代表させて無機質な都市の殺伐感を言いたいのでしょうけれど、かえってか、意図してか抒情的な
  歌になっている。カーテンウォールという言葉もいいですね。辞書的には「建築物で、構造上の荷
  重を支えない壁。総ガラスの壁やパネルの外壁などをいう」とありますが、装飾用のものというこ
  とでしょうか。全体にことばが緊密でイメージがうまく繋がっていて、いいなあと思います。
    (鹿取)
 ★カーテンウォールのとの曇り」と生命というものがそぐわないから、こういう表現になっているの
  かなと思いました。(慧子)
 ★単なる鳥ではなく、求愛飛翔の鳥というところが大事なんでしょうね。(鈴木)
 ★生殖、命を繋ぐってことがここには無いということですね。(鹿取)