【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P53
参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:藤本満須子
まとめ:鹿取未放
77 日本史の粛然とせる失念に影のごとザビエルに添ひしヤジロー
(レポート)(2008年6月)
ヤジロー=アンシロー(弥次郎):生没不詳、薩摩の人。殺人の罪を犯しマラッカに渡りそこでザビエルの教えを受け受洗。1549年、ザビエルを案内し鹿児島に上陸、各地を伝道、」のち迫害を受け行方不明。
作者はスペイン、マドリッドに降り立ち、そこでまず歌った内容ははるか16世紀に遡る。ザビエル、そして日本人のヤジローである。この歌の「日本史の粛然とせる失念」の主語は誰だろうか。主語がないときは作者であるという決まりから思うと失念しているのは作者に違いない。ヤジローとザビエルの出会いを考えた時、この歌の主眼は上の句の「日本史の粛然とせる失念」にあるのではないか。作者はスペインの旅で初めてヤジローという人物に思い至ったのである。その作者の感慨を「粛然とせる失念」とうたったように思うのである。犯罪者であるヤジローはザビエルに洗礼を受けキリスト者として再び日本に戻る。そしてザビエルに従って各国を巡礼したのであろうと想像する。(藤本)
(発言)(2008年6月)
★ヤジローは犯罪者だったから。裏の歴史。(T・S)
★「日本史も記述せず、作者も忘れていたことに『粛然と』しているのだ」というご指摘を後日
田村広志さんからいただきました。
(まとめ)(2008年6月)
ヤジローは生没年もつまびらかでないが、若い頃に人を殺し、薩摩に来航していたポルトガル船に乗って逃れ、マラッカでザビエルに罪の告白をしたとも言われている。また、修験道系の陰陽師だったという説や海賊だったという説もある。そのヤジローがどういう経緯からかザビエルに従って鹿児島に上陸したのである。
以後二年間、各地を転々としながら布教活動をするザビエルに常に従ったヤジローだが、日本史はヤジローについては詳細を伝えていない。記述するには憚られることがあったのだろうか。「日本史の粛然とせる失念」とは不思議な言いまわしだが、「日本史」が主語だろう。日本史が失念をした、それは「粛然とせる」失念だった、というのではないか。つまり「粛然とせる」は日本史の韜晦を遠回しにいっているのではないか。かしこまった日本史にはアウトローであるヤジローの詳細は書かれていないが、実はいつも影のようにザビエルに寄り添っていたのだよ、というのだ。みなし子ようなザビエルと、ザビエルを慕うゆえに身の危険もかえりみず常に彼に付き従うヤジローとの関係に暖かい気分を呼び覚まされると共に涙ぐまれるような感動を覚える。(鹿取)
参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:藤本満須子
まとめ:鹿取未放
77 日本史の粛然とせる失念に影のごとザビエルに添ひしヤジロー
(レポート)(2008年6月)
ヤジロー=アンシロー(弥次郎):生没不詳、薩摩の人。殺人の罪を犯しマラッカに渡りそこでザビエルの教えを受け受洗。1549年、ザビエルを案内し鹿児島に上陸、各地を伝道、」のち迫害を受け行方不明。
作者はスペイン、マドリッドに降り立ち、そこでまず歌った内容ははるか16世紀に遡る。ザビエル、そして日本人のヤジローである。この歌の「日本史の粛然とせる失念」の主語は誰だろうか。主語がないときは作者であるという決まりから思うと失念しているのは作者に違いない。ヤジローとザビエルの出会いを考えた時、この歌の主眼は上の句の「日本史の粛然とせる失念」にあるのではないか。作者はスペインの旅で初めてヤジローという人物に思い至ったのである。その作者の感慨を「粛然とせる失念」とうたったように思うのである。犯罪者であるヤジローはザビエルに洗礼を受けキリスト者として再び日本に戻る。そしてザビエルに従って各国を巡礼したのであろうと想像する。(藤本)
(発言)(2008年6月)
★ヤジローは犯罪者だったから。裏の歴史。(T・S)
★「日本史も記述せず、作者も忘れていたことに『粛然と』しているのだ」というご指摘を後日
田村広志さんからいただきました。
(まとめ)(2008年6月)
ヤジローは生没年もつまびらかでないが、若い頃に人を殺し、薩摩に来航していたポルトガル船に乗って逃れ、マラッカでザビエルに罪の告白をしたとも言われている。また、修験道系の陰陽師だったという説や海賊だったという説もある。そのヤジローがどういう経緯からかザビエルに従って鹿児島に上陸したのである。
以後二年間、各地を転々としながら布教活動をするザビエルに常に従ったヤジローだが、日本史はヤジローについては詳細を伝えていない。記述するには憚られることがあったのだろうか。「日本史の粛然とせる失念」とは不思議な言いまわしだが、「日本史」が主語だろう。日本史が失念をした、それは「粛然とせる」失念だった、というのではないか。つまり「粛然とせる」は日本史の韜晦を遠回しにいっているのではないか。かしこまった日本史にはアウトローであるヤジローの詳細は書かれていないが、実はいつも影のようにザビエルに寄り添っていたのだよ、というのだ。みなし子ようなザビエルと、ザビエルを慕うゆえに身の危険もかえりみず常に彼に付き従うヤジローとの関係に暖かい気分を呼び覚まされると共に涙ぐまれるような感動を覚える。(鹿取)