馬場あき子の旅の歌【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)82頁
参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子
司会とまとめ:鹿取 未放
◆ネパールは先月の大地震によって、まだまだ混乱の中にあるようです。ネパールの一日も早い復興
と人々の平安を願いつつ、ネパールの歌の鑑賞を再掲載します。
──── ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。)
126 ニルギリは処女(をとめ)なり蒼き爽昧(ひきあけ)の光に染みてひたをとめなり
(まとめ)(2009年1月)
「ニルギリは処女なり」というのは、人間に汚されていない崇高な処女峰だからだろう。その山に向かって化粧をしていた〈われ〉は、朝の光に照らされてあけぼの色に染まっていく山の姿に見とれているのだ。あまりの気高さに言葉を失い「ひたをとめなり」と繰り返す。その畳みかけに作者の感嘆の声がある。「爽昧」を「ひきあけ」という和語に読ませているのも処女のやわらかさを出して効果がある。(鹿取)
(レポート)(2009年1月)
未踏峰ゆえに「ニルギリは処女(をとめ)なり」とうたったように思ったが、それは124,125番歌に囚われている。掲出歌では未踏峰とはうたっていない。ヒマラヤ連峰のなか、アマグプラムという峰の名は「母の首飾り」、またプモリは「花嫁の峰」とそれぞれの意味である。そんなことにちなんで 「ニルギリは処女なり」と呼んだのであろうか。写真集などで必ず登場するとは限らず、少し控えた感じのニルギリに作者なりの心寄せをし、また一期一会の言葉としてえらんだのかもしれない。だが実際はインドにニルギリという山があり梵語で青い山脈の意味を持つようにネパールのニルギリも同様である。さてヒマラヤの美しい空はヒマラヤンブルーと呼ばれ、深い蒼穹である。そしてことのほか美しいと思われる夜明けの「蒼き爽昧の光」にのぞんでいて、ニルギリが青みを帯びている様子を「蒼き爽昧の光に染みて」と言葉を置いている。ニルギリを讃えながら、蒼から成熟していないものへの連想もあったであろう。「ひたをとめなり」と思いをこめて1首に2度までの措辞である。(慧子)
※「アマグプラム」は、「アマ・ダブラム」の間違い。(鹿取)