かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠154(ネパール)

2015年06月30日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の外国詠(2009年7月)【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)92頁
            参加者:泉可奈、T・S、T・H、渡部慧子、鹿取未放
            レポーター:渡部 慧子
            司会とまとめ:鹿取 未放

                                     
154 夢と思ひしヒマラヤの雄々しきマチャプチャレまなかひに来てわれを閲せり

       (レポート)(2009年7月)
 「夢」とはヒマラヤについて多くの人が冠する言葉であるが「夢と思ひし」は「ヒマラヤの雄々しきマチャプチャレ」にまで掛かっていよう。宗教上の理由から登山許可の出されていない聖なる山が「まなかひに来て」のとおり作者に近づいてきた。もちろん、高速で近づくと自分の方か相手方なのか、錯覚を起こすこともある。
 さてそのマチャプチャレが「われを閲せり」と作者を見て調べているという。雄々しい聖者ならばありうる話だ。だが作者も相手の意中をちゃんとみてとって呑まれてしまってはいない。
 スケールの大きさに擬人法という手法さえかすんでしまって、実感として壮大な気分がつらぬかれている。(慧子)

     (まとめ)
 ヒマラヤを現地で眺めるなどということは夢にすぎないと思っていたが、はからずもヒマラヤにやってくることができた。そのヒマラヤの中でも雄々しきマチャプチャレが今まなかいに存在する。そして「お前は何者だい?」とでもいうような感じで目の前に聳えていたというのだろう。小さな人間である〈われ〉はここではしっかりとマチャプチャレに対峙しているようだ。(鹿取)

 *「魚のしっぽ」という意味のマチャプチャレの秀麗な姿を写真で示せばよく分かるのですが、
  当時はデジカメではなかったので掲載できません。ご存知でない方は、ぜひネットの旅行記な
  どでヒマラヤの山々の姿をご覧になってください。 

馬場あき子の外国詠153(ネパール)

2015年06月29日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の外国詠(2009年7月)【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)92頁            
            参加者:泉可奈、T・S、T・H、渡部慧子、鹿取未放
            レポーター:渡部 慧子
            司会とまとめ:鹿取 未放
                                     
153 眼前にダウラギリ屹(た)つ腰のほどわが小型機は唸りよぎれり

           (レポート)(2009年7月)
 小型機に乗りすすんでいくのだが、そびえている「ダウラギリ」のちょうど「腰のほど」とでもいうあたりにさしかかる。壮大な山容を背景に「小型機は唸りよぎれり」とは、蠅か何か昆虫の生のひたすらさが連想される。小さな生き物をあたたかくみつめ、同時にユーモアを感じたことなど、思い出しておられたかもしれない。いずれにせよ、小さな存在の人間とその営為の所産が八千メートル級にして迫力あるダウラギリの前をよぎっている。
 ダウラギリはⅠ峰からⅣ峰まであり、1900年に日本の仏教学者河口慧海は「泰然として安産せる如く聳えて居る高雪峰は是ぞ、ドーラギリ」と記している。また、イエティー(雪男)の棲む山として日本から探索隊を出すなどしている。(慧子)


           (意見)(2009年7月)
★「中腹」とかいわず、「腰のほど」といったところがイメージしやすくてよい。(泉可奈)
★小型機に昆虫などの連想はないだろう。聳え立つダウラギリの腰のあたりを小型機で唸りな
 がら行く心弾み、爽快さを言っているように思われる。(鹿取)


         (まとめ)(2009年7月)
 この心弾みからするとポカラからジョムソンに初めて飛んだ行きの飛行機だろうか。18人乗りの小型機で、操縦席と客席はカーテンの仕切りだけだが、カーテンは開けてあった。ポカラの町からも見えていたマチャプチャレ6993mを右に見ながらて飛び、まもなくアンナプルナ8091mが右手に見える。山と山のわずかな谷を飛行するので、これらの高峰が手に取るような迫力で迫ってくる。やがて左手にダウラギリ8167mが近づき、いかにもその腰のあたりをかすめて飛ぶのだ。「唸り」の部分も実感がある。
 ちなみにダウラギリはサンスクリット語で「白い山」を意味し、その高さは世界第7位。3日間宿泊した「ジョムソン・マウンテンリゾート」からはカリガンダキ河以外は砂礫の風景だったが、ダウラギリはその出口にあって、白い屏風のような偉容を毎日見せていた。(鹿取)


馬場あき子の外国詠152(ネパール)

2015年06月28日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子の外国詠(2009年7月)【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)91頁~
                 参加者:泉可奈、T・S、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                 レポーター:渡部 慧子
                 司会とまとめ:鹿取 未放


152 八千メートルの山の背碧空のほかはなしあなさびし虚空なす時間のありぬ

      (レポート)(2009年7月)
 ヒマラヤの八千メートル級の山々が厳しい線をみせてつらなり、そこに碧空があるのみで広大な景を前にしている。もう自分の思念もちっぽけで物に寄せて何かを思うことも不可能なほどなのだろう。「八千メートルの山の背碧空のほかはなし」「あなさびし」「虚空なす時間のありぬ」と三つをそれぞれ独立させ、無いと言って有るという。上の句、下の句を逆接に頼らず「あなさびし」という独立句を挟み、繋がりのほどは読者に任せているのであろう。
 この構成の妙は一首の不思議な力の所以となっている。大きな内容を鑑賞しがたく構成の面から近づいてみたが「あなさびし」に注目してみると、存在の寂しさとは異質の「さびし」としてよく据わっており、はかりしれない宇宙を「虚空なす時間のありぬ」と透徹した眼と力を感じる一首である。(慧子)    


     (まとめ)(2009年7月)
 18人乗りの小型機でジョムソンからポカラに移動している一連の中にある歌。ダウラギリ、マチャプチャレ、アンナプルナなどの山名が一連に出てくる。しかし、この歌、単独で読むと地上から眺めている感じがある。滞在したジョムソンからダウラギリ8157メートルが見えたので、その印象かも知れない。八千メートルを超えて聳える山の背には真っ青な空が見えている。そして空しか見えない。その空には「虚空なす時間」があるという。「虚空」を改めて「広辞苑」で引いてみると仏教語で「何もない空間」を指すとある。何もない空間に、おそらく作者は長い長い宇宙的な時間をみているのであろう。
 156番歌には「生を継ぎはじめて長き人間の時間を思ふヒマラヤに居て」があるが、崇高な山の姿にふれて、それらヒマラヤの山脈が形成された気の遠くなるような宇宙的時間を思ったのであろう。また、その後に生まれた人類の歩んできた長い長い時間をも思うのであろう。「あなさびし」はそんな宇宙的時間にふれた詠嘆のように思われる。(鹿取)

馬場あき子の外国詠151(ネパール)

2015年06月25日 | 短歌一首鑑賞

馬場あき子の外国詠【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)90頁
          参加者:K・I、N・I、佐々木実之、曽我亮子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:N・I
          司会とまとめ:鹿取 未放


151 ムスタンに生きてぶ厚き肉身を開き抱擁せり命残さん

     (まとめ)(2009年5月)
 これは近藤氏とお別れする場面だろうか。長年、ムスタンで農業指導をして来られた氏は、精神も肉体も頑丈であった。その分厚い体で抱擁をされた作者。結句の「命残さん」は二人ともに掛かっているのだろうか。近藤氏に今後も元気でこの地で頑張って欲しいという思いと、自分も長生きして近藤氏の業績を語り継ごう、そして自分は自分の出来る文学で生を全うしよう、という熱い思いなのだろう。(鹿取) 


     (レポート)(2009年5月)
 ムスタンに生きて労働している氏の体は年齢の割にしっかりしている。と、挨拶を交わした時に感じられたのではないでしょうか。永遠に氏の思いがムスタンに生き継がれて欲しいと思われたのだと思います。(N・I)


馬場あき子の外国詠150(ネパール)

2015年06月24日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子の外国詠 【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)P91
            参加者:K・I、N・I、佐々木実之、曽我亮子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
            レポーター:N・I
            司会とまとめ:鹿取 未放

                               
150 ジョムソン空港に近藤亨翁迎へたまひわれにムスタンの帛(きぬ)巻きたまふ

       【レポート】(2009年5月)
 氏の喜びと共に先生の謙虚な人柄が出ていると思いました。(N・I)


       【まとめ】(2013年5月)
 帛を巻くのは現地の風習で、歓迎のためである。帛は、素朴な生成の短いマフラーのようなものであった。「~たまひ」「~たまふ」と尊敬の補助動詞を2回使って近藤亨翁に対する敬意と会えた喜びを表している。馬場一行が訪問した2003年当時、近藤氏はNPO法人「ネパール・ムスタン地域開発協力会」理事長としてジョムソン空港近くの事務所におられた。また空港から1時間ほど歩いた農業研修センターで指導をしていらした。
 余談だが、この空港の標高は2682m、滑走路は1本しかなく、アスファルト舗装だが、長さ531m、幅19mしかないそうである。トレッキングに訪れる観光客も多いが、険しい山に囲まれ、気流も不安定で、飛行機事故が多発している。今年(2013年)5月にも着陸の際、滑走路をオーバーランして空港脇のカリガンダキ川に機体が突っ込んだ事故があったばかりである。(鹿取)

馬場あき子の外国詠149(ネパール)

2015年06月23日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の外国詠【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)90頁
           参加者:K・I、N・I、佐々木実之、曽我亮子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:N・I
          司会とまとめ:鹿取 未放

149 開拓はなほ哲学とほほゑみぬ標高三千六百のガミ農場に

      (レポート)(2009年5月)
 現状に飽きたらずになお高地を目指す、戦争体験者(たぶん)の開拓魂は氏の生きる証なのだと思います。(N・I)


      (意見)(2009年5月)
★この歌と戦争体験と何か関係がありますか?歌の言葉にそって解釈しないとダメじゃないかな。(実之)


      (まとめ)(2009年5月)
 ほほえむ主語は近藤亨氏である。70歳を超えて私財をなげうちネパール、ムスタン地方の農業発展に尽くされ、学校や病院も多く建てられた。そして3600メートルのガミ農場に稲を稔らせることに成功された。そんな近藤氏に、なぜ不可能と言われた高地に稲を栽培しようなどと考えられたのか、作者が尋ねられたのでもあったろうか。その答えがこれだろう。「やっぱり哲学ですなあ」と言ってほほえまれた氏を、描写している。この背後にはその情熱に感服している作者の顔が見える。(鹿取)
 

馬場あき子の外国詠148(ネパール)

2015年06月22日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の外国詠【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)90頁
           参加者:K・I、N・I、佐々木実之、曽我亮子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
           レポーター:N・I
           司会とまとめ:鹿取 未放


148 ムスタンの林檎を食めばしぶきしてさびしきヒマラヤの水匂ふなり

      (レポート)(2009年5月)
 日本のように水が豊富ではない土地で作られた林檎を一口かぶり、その思いの他のみずみずしさに作者独特の感性の表れがさびしきヒマラヤの水匂うと表現されて素晴らしいと思いました。(N・I)


     (まとめ)(2009年5月)
 ムスタンのシャン農場でもぎたての林檎をいただいたが、ほんとうに水分たっぷりのほどよい酸味と甘みがあって美味しかった。「しぶきして」というところに、いかにもみずみずしい感じが出ている。なるほどヒマラヤの水が、この林檎を育てているのではある。(鹿取) 

馬場あき子の外国詠147(ネパール)

2015年06月21日 | 短歌一首鑑賞

馬場あき子の外国詠【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)90頁
         参加者:K・I、N・I、佐々木実之、曽我亮子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:N・I
         司会とまとめ:鹿取 未放


147 ムスタンのシャン農場にかけろゐて貴種のごと生む卵のひかり

      (レポート)(2009年5月)
 古語であるかけろと書くことによって、その地にとっての鶏の貴重さが表されている。たぶん放し飼いなのでは。村人達にとっても栄養源の光そのものです、卵は。(N・I)


     (まとめ)(2009年5月)
 これも前作に続くシャン農場での属目。鶏が放し飼いになっていて、広い林檎園などを駆け回っていた。溝や畝などをひょいと跳び越える姿を目にしたが、なるほど女王のような風格があった。卵を生む場所は決まっていたのだろうか。しかし、その輝かしい卵が住民の口に入るかどうかは聞きそびれたが危ういのではないだろうか。公的な農場のものだし、分けてもらえても住民にとっては高価なものではあるまいか。(鹿取) 

馬場あき子の外国詠146(ネパール)

2015年06月20日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の外国詠【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)89頁
           参加者:K・I、N・I、佐々木実之、曽我亮子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
           レポーター:N・I
           司会とまとめ:鹿取 未放


146 ムスタンのシャン農場の鍛冶男まづ火を生めり鞴を引きて

     (レポート)(2009年5月)
 現代においても火を起こすことは神聖な事、その地にあってはなお鞴を使う火の色にも懐かしく思われたのではと思います。(N・I)


    (まとめ)(2009年5月)
 ムスタンとは、ジョムソンを含む広域の名称である。標高2700メートルのジョムソンに、近藤亨氏が代表するNPO法人が運営しているシャン農場がある。そこでは全て自給自足で、農場で使う様々なものを手作りしていた。農場の一画にある鍛冶の現場も見学させてもらったが、鞴で火をおこしているところだった。戦後の田舎育ちの私は鞴というものを初めて見たが、馬場には懐かしい風景だったのだろう。「火を生めり」というのが、いかにも厳かな感じを出している。感嘆の声を上げながら見ている作者が見えるようだ。
 アフリカで馬場が詠んだ次の歌も参考になる。(鹿取)

   われ昔鍛冶屋の友ありその祖父の打つ鎌の火を見てうやまひき『青い夜のことば』

 

馬場あき子の外国詠145(ネパール)

2015年06月19日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の外国詠【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)89頁
           参加者:K・I、N・I、佐々木実之、曽我亮子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
           レポーター:N・I
           司会とまとめ:鹿取 未放


145 眼の下は千段棚田その標高三千なりネパールを耕しし手よ

      (レポート)(2009年5月)
 日本でさえ棚田は大変なのに、ネパールの標高三千というところで作業する労働力と手業のけなげさに驚異を覚えた作者の思いが読む者にも伝わります。(N・I)


      (まとめ)(2009年5月)
 これも飛行機から見下ろした風景。細かい棚田が山の頂上付近まで続いているのが見えた。機械化はされていないので、手作業でそんな高地を耕しているのだ。その作業の苦労に対して、また棚田の美しさに対して感嘆しているのだろう。
 ちなみに、もう少し都市部でも山の頂上まで続くような棚田をたくさん見た。そして移動するバスから見ると、耕しているのは女性ばかり、ついぞ男性が田畑で働く姿を見かけなかったが、たまたまそうだったのだろうか。田畑を耕す女性はたいてい集団で、みなさんいろとりどりの裾の長い衣服を纏っていて、働きにくいのではと思ったことだった。山のような刈草を背負っているのも女性だった。この国の男性は何をしているのかと憤慨したが、それこそ山のように農作物を積んだトラックを運転しているのはさすがに男性だった。カトマンズでは、大きなベッドマットを背中に担いで裸足で急ぐ男性も見かけた。(鹿取)