かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 304 追加版

2016年05月08日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究37(16年4月)
    【垂直の金】『寒気氾濫』(1997年)125頁
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆
     司会と記録:鹿取 未放

304 幽霊を真上から見てみたきなりぞくぞくと闇を泳ぐ幽霊

      (レポート)
(解釈)幽霊を真上からみて見たいものだ。きっとぞくぞくと闇を泳ぐ幽霊たちがいるにちがいない。
(鑑賞)前の303番を受けているのではないだろうか。この連作ではタテとヨコに動くものに目を向けている。闇にいる霊はヨコに這うように泳ぐ。(真帆)


      (当日発言)
★幽霊って前から来たり横から来るからぞっとする。それで作者はユーモラスに上から見て高みの見物をしてみたいなと考えた
 のじゃないかな。泳ぐ烏合の衆のようにぞくぞくとやってくる幽霊たちを上から見る。(慧子)
★これ空中を泳いでいるんですよね、まさか水の中を泳いでいる訳じゃない。確かに向こうにボーと立っているから幽霊は怖い
 ので、泳いでいたらきっと怖くないよね。(鹿取)
★幽霊って足が無いのよね。それで上から見るとまるで泳いでいるように見える。そういう視点の面白さ。時空を超えている訳
 です。「ぞくぞくと」は怖い意味ではなくて、何かそういう泳ぐ形の形容。(石井)
★「ぞくぞくと」は私も怖い意味だとは思わない。集団の意味だと百鬼夜行みたいで楽しいけど、あれはお化けで幽霊ではない
 か。でも、この歌、書いてある通りに読んで楽しくて好きですよ。(鹿取)
★人間界に置き換えると人間界もそんなものかと。(石井)
★松男さんは上から見る視点が斬新ですね。横から見たら怖くても上から見たら全然怖くない。まさに高みの見物ですよ。ぞく
 ぞくはたくさんいるってこと。面白い歌ですよ。(鈴木)


      (後日意見)(2016年5月)
 せなけいこ作の絵本『ねないこだれだ』が登場する記事を読んだ。(朝日新聞1016年5月7日夕刊)絵本は読んでいないので、読み聞かせのYouTubeを見てみた。最後は夜更かしする子自身がオバケになって、他のオバケに手を繋がれて夜空を飛んでいくお話しだ。絵本なので「オバケ」となっているが、絵のイメージはいわゆる幽霊である。「オバケは怖いけれど楽しい存在でもある」とせな氏は言っている。1969年刊行以来、読み継がれているそうだが、刊行時、渡辺松男は十代半ばだ。もしかしたらこの本を読んだ経験があったかもしれない。刊行当時でなくとも子育て時代に手にした可能性もある。もちろん、自在に想像力を馳せることのできる作者なので、この本に触れていなくても闇を泳ぐ幽霊の歌など充分に作ることは出来る。しかし、この絵本に触れた経験が反映していると考えてみるのも逆におもしろいかもしれない。(鹿取)

馬場あき子の外国詠297(トルコ)

2016年05月08日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌40(11年6月) 【夕日】『飛種』(1996年刊)P132
       参加者:N・I、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、H・T、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:藤本満須子
       司会とまとめ:鹿取 未放


297 晩年の浪費のごとくエーゲ海の夕日しづかに沈むまで見る

     (まとめ)
 レポーターが言うように「心を苛んでいる」とは思わない。「沈むまで見る」のだから、かなり長い時間、見ほれていたのだろう。そしてその景は作者の心を充たし豊かな気分になったのだろう。その喜びがあまりに大きかったので「晩年の浪費のごとく」と形容したのだろう。エーゲ海の夕日を讃えた文章は無数にあるだろうが、たまたま手元にある本から見る位置は違うが引用しておく。
     (鹿取)

私はパルテノン神殿の巨大な大理石の円柱のかげに立ち、エーゲ海にまっさかさまに落ちて行く太陽を望見した。息づまる美しさとは、あのような美しさを言うのであろう。美しさを通りこして、それは荘厳であり崇高でさえあった。太陽が姿を消すと同時に急速に寒さが加わってきたが、私は身じろぎ一つしないで、残照の空と海を見比べていた。(小田実『何でも見てやろう』)
  

       (レポート)
 エーゲ海と聞けばトルコを代表する高級リゾート地、港には数多くのクルーザーが係留され、真っ白い家並みが丘の斜面にまぶしく光る。紺碧のエーゲ海の深い色合い。どこかの城塞か、丘か、どこから眺めているのか分からないが、それは問題ではない。美しいエーゲ海に夕日が沈んでいく景をじっと見つめている作者、その沈んでゆく夕日を見ている行為は、作者の晩年をまるで浪費しているように心を苛んでいる。1、2句の「晩年の浪費のごとく」に思いが込められている。 (藤本)


      (当日意見)
★世界の人々が浪費していることを自分に引きつけて歌った。(慧子)