かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

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ブログ版 馬場あき子の外国詠430(韓国)

2018年06月30日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠(2013年12月実施)
   【発光 武寧王陵にて】『南島』(1991年刊)P90~
    参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾 廣子
   司会とまとめ:鹿取 未放


430 蓆一杯柿広げたり韓くにに陽の色きよきもののかがやき

      (当日発言)
★柿は吊すねえ、日本じゃ。蓆に一杯広がっているところに陽が照ったらきれいでしょうねえ。
    (曽我)
★干してから干し柿にするんでしょうか?(慧子)
★キムチとか何かお料理に使うんでしょうかねえ。(崎尾)
★でも、いかにも初冬らしいし、柿の色も鮮やかに浮かびますね。(鹿取)
★懐かしい感じがしますよね。(慧子)

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ブログ版 馬場あき子の外国詠429(韓国)

2018年06月29日 | 短歌の鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠(2013年12月実施)
   【発光 武寧王陵にて】『南島』(1991年刊)P90~
    参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾 廣子
   司会とまとめ:鹿取 未放


429 「倭人伝」がやまとに無しと記したる鵲ぞ飛ぶ純白の胸

     (レポート)
 「倭人伝」は三世紀前半における日本の地理・風俗・社会・外交などについてまとまって記した最古のものである。(言泉 小学館)(崎尾)
 ■かささぎ
  カラス科の鳥。全長約45センチメートルでカラスより小さい。腹面および肩羽は白色でほか
  は金属光沢を帯びた色。尾羽は長い。生息地は中国。朝鮮に多く分布、日本では佐賀平野に限
  られる。天然記念物に指定。鳴き声がカチカチと聞こえるのでカチガラスともいう。古来、文
  学上では、七夕説話の星の仲立ちをする鳥として知られる。ちょうせんがらす。(言泉 小学館)
       


     (当日発言)
★「倭人伝」については皆さんよく知っていると思うけど、レポーターはもう少し丁寧に書いて欲
 しいですね。これだとどこの国の書物か分からないけど、中国の魏の時代の史書「魏志」のこと
 で、東夷伝倭人の条のことを「魏志倭人伝」と呼ぶようです。それを略して「倭人伝」です。
    (鹿取)
★これも428の歌(武寧王筑紫各羅(かから)に生(あ)れしとふ伝承は問はでひとり温む)と
 同じで日本には鵲はいないだろうと言われていても、日本にもいるよってこと。(曽我)
★これは現地で見ているんだから、日本にはいない鳥だというからどうれ、よく見てやろうって
  感じじゃないの。(鹿取)
★でも、日本にもいるんでしょう?(曽我)
★さっきの辞典によればそうだけど、ここは日本にはいないって信じているのかもね。作者はレポ
 ーターと同じ辞典を見ている訳じゃないから。「倭人伝」には日本にいないと書いてあるけど佐
 賀にはいるよって作者が知っていたかどうかは別にして、珍しい鳥ではあるので、その純白の胸
 なんかをロマンチックだなあと興味深く見てるんじゃないの。恋の橋渡しをする鳥だから。
      (鹿取)
★鵲が飛ぶって何かいいことがあるっていうわね。瑞鳥です。(曽我)

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ブログ版 馬場あき子の外国詠428(韓国)

2018年06月28日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠(2013年12月実施)
   【発光 武寧王陵にて】『南島』(1991年刊)P90~
    参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾 廣子
   司会とまとめ:鹿取 未放

428 武寧王筑紫各羅(かから)に生(あ)れしとふ伝承は問はでひとり温む

      (レポート)
 「日本書紀」の雄略天皇5年の条(角川日本地名大辞典 角川書店)に筑紫の各羅島に生まれた児が後に武寧王となったとある。(崎尾)


     (当日発言)
★「伝承は問はで」というのがこの作者の距離の取り方ですね。事実かどうかなんって詮索しな
 い。(鹿取)
★韓国の王様がこんな島で生まれる訳はないのですが、嘘だとかは言わずに心の中にしまってい
 るのね。批評しないで。(曽我)
★余談ですが、日本の桓武天皇の生母が武寧王の子孫だという説もありますね。(鹿取)


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ブログ版 馬場あき子の外国詠427(韓国)

2018年06月27日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠(2013年12月実施)
   【発光 武寧王陵にて】『南島』(1991年刊)P90~
    参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾 廣子
   司会とまとめ:鹿取 未放

427 宋山里(そうさんり)の神に購ひし買地券武寧王残せり墳墓の闇に

      (レポート)(崎尾)
 ■買地券
土地の売買証明書をいうが、中国考古学では墓地を購入したことを証明する文書に限っていい、
  しばしば墓の副葬品として発見される。後漢以降、近世まで長く行われた。石、塼、鉛、玉、 
 鉄などの板に記したもので、内容は年月日、被葬者の住所・氏名・性別・年齢、墓の所在地、 
 土地の値段、土地の範囲などからなる。漢代のものは実際の状況を記したらしいものもあるが、
  後には冥界での架空の状況を記すようになる。つまり天地から土地を購入し、もし土地争いが
  起これば地下の神である〈土伯〉や天上の神である〈天帝〉のところへ訴えよという道教的な
  内容である。中国以外の例としては韓国の百済武寧王陵から出土した買地券が著名である。日
  本では1979年に福岡県太宰府市の宮ノ本遺跡で、平安時代と見られる火葬墓から、長さ3
  5.21㎝、幅9.5㎝、厚さ2㎜の鉛板に刻んだ買地券が発見され、この買地券は赤外線テレ
  ビカメラにより、方一丈の土地を〈銭25文、くわ1口、絹5夫、調布5口、白綿1目    
 (斤)〉で買ったことが解読された。(世界大百科事典 平凡社)
   ※レポートは手書きであり、終わりから2行目の「くわ」は漢字で、「秋」の下に「金」と
    書く一文字。ネットから「世界大百科事典」の引用部分をコピーしてみたが、「くわ」の
    文字は反映できなかった。


          (当日発言)
★「宋山里の神」というのは何なんですか?(鹿取)
★買地券の説明に書いてあるように、天地の神から買うんだけど、ここでは宋山里という土地の
  神に作者が限定しているところが面白い。(崎尾)
★天地の神から買うってお金は誰に払うの?(鹿取)
★神様だからお金は払わない。(崎尾)


     (追記)(13年12月)
 レポーターの引用と重なる部分もありますが、以下の説明の方が分かりやすいので「邪馬台国大研究H・P」より引用させていただきます。
【羨道にあった誌石(墓碑)。墓地を神から買い取るための「買地券」として残っていた。(買地券は、同じものが太宰府などでも発掘されている。)その誌石に、「斯麻王」(しまおう)と文字が刻まれていたため、この墓は百済第二十五代武寧王(在位502~523)の陵墓と確定した。誌石からみて、武寧王は523年5月に死亡して525年8月に王陵に安置され、王妃は526年11月に死亡して529年2月に安置された。そして閉塞用の塼のうち「士壬辰年作」の銘文磚は、王のなくなる11年前である512年に、既に築造準備がなされていたことを示している。誌石は2枚の長方形の石版である。横41.5cm、縦35cm、厚さ5cmの青灰色閃緑岩に、楷書体で文字を刻んだ。武寧王が523年に亡くなると、3年葬を行うために2年3ケ月の間、仮埋葬をして、王陵に安置する時に王の墓誌と千支図、買地券をつくったものと理解される。その後、526年に王妃が亡くなると、3年葬を行って529年に葬るときに、買地券を上下逆にして、裏側に王妃の墓誌を刻んだ。墓室は塼(せん)を積み上げて作ってあり、アーチ型の天井である。ここに、槙の木でできた王と王妃の柩が安置されていた。】
 上記引用文から分かるように、武寧王の「買地券」は石版に彫られている。誰の墓か明記するための形式的なものではなかろうか。名を遺したいとか、広大な墳墓や貴金属を用いた副葬品とか、王の「限りない人間の欲望」の現れかもしれないが、「買地券」は少し性質が違って、土地の所有権をひけらかすようなものではないようだ。道教にのっとっているということだから、たぶんに儀礼的なもであろう。上記H・Pにあるように「買地券」とは要するに「墓碑」「墓石」である。
 ところで、王と王妃の棺は槙の木とあるが、同H・Pによると、後年、これは日本にしかない高野槙という種類で、当時の半島と日本の密接な交流が伺えるそうだ。(鹿取)

 
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ブログ版 馬場あき子の外国詠426(韓国)

2018年06月26日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠(2013年12月実施)
   【発光 武寧王陵にて】『南島』(1991年刊)P90~
    参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾 廣子
   司会とまとめ:鹿取 未放

 
426 武寧王陵(ぶねいわうりよう)立冬の霧濃ゆければ手にふれて知る木々の寂けさ

      (当日発言)
★425番歌(王陵の闇より出でて松の葉の白き霧氷に息吐きにけり)もそうだが長い歴史の時間
 の凝縮のようなものを見てきて、地上に出、身体的にも精神的にも解放された感じ。(鹿取)
★立冬の霧としたところがとてもいい。冬のなどでなく、立冬で時をぱっと絞り込んだ感じ。
    (慧子)
★霧が深くて手に触れないと木が実感できなかった。(曽我)
★直接的にはそうですね。ただ、手に触れて知るのはもっと微妙な内面的な「木々の寂けさ」では
 ないか。(鹿取)

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ブログ版 馬場あき子の外国詠425(韓国)

2018年06月25日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠(2013年12月実施)
  【発光 武寧王陵にて】『南島』(1991年刊)P90~
    参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾 廣子
   司会とまとめ:鹿取 未放

 
425 王陵の闇より出でて松の葉の白き霧氷に息吐きにけり

      (レポート)
 「王陵」と「白き霧氷」とを対比させ、暗い王陵を出て現実へと引き戻されている様子が表現されている。また「白き霧氷」に武寧王の葬送への思いを表しているのであろうか。結句で確かな今を感じると同時に、瞬時にして過去となる今を惜しむ思いを詠っているのであろう。(崎尾)


     (当日発言)
★作者は見ている事物と交歓する手だてをきちんと示される。スイスでも深い谷底を見て飴を嘗
 める歌があって、あれと同じ詠みぶり。(慧子)
★王陵を出てやっと息を吐いたのは、それまでは作者の気持ちも暗かったのだろう。(曽我)
★生理的に穴の中に入っていると閉じこめられているような気分になるから、出てきたらほっと
 息を吐きたい気分になるのでしょうね。だからかなり身体的な感覚をいっているのかなと。も
 ちろん、1500年ほどの時の隔たった時代の一端を見てきて、現代にいっきに感覚が戻る気
 分というのは精神的にもちょっと混乱しますよね。(鹿取)
★白い霧氷に白い息、と白いものに白いものを重ねるのが作者のやり方。(慧子)

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ブログ版 馬場あき子の外国詠424(韓国)

2018年06月24日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠(2013年12月実施)
   【発光 武寧王陵にて】『南島』(1991年刊)P90~
    参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾 廣子
   司会とまとめ:鹿取 未放

 
424 埋葬の王妃の闇に発光せし金釵王冠のほのけき宇宙

     (レポート)(崎尾)
■金釵はかんざしである。金釵王冠はそのかんざしが五つ下がっている。
(図説韓国の歴史・河出書房新社)
      
      (まとめ)            
 闇の中で屍と共にある「金釵王冠」は墓の中で妖しく光り輝いていたであろう。結句の「ほのけき宇宙」は、「金釵王冠」が照らすわずかな範囲のことだろう。もう少し広げて王と王妃の棺が並べられた石室のことを言っているのかもしれない。しかし、死後もほのかに繋がっているふたりの愛のかたちのようなものを感じさせる。(鹿取)


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ブログ版 馬場あき子の外国詠423(韓国)

2018年06月23日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠(2013年12月実施)
  【発光 武寧王陵にて】『南島』(1991年刊)P90~
    参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾 廣子
   司会とまとめ:鹿取 未放

 
423 永遠(とは)の眠りしづかに暗く求めたる王は朽ちゐき宝冠の辺に

      (レポート) (崎尾)
 ■武寧王陵石室
  百済中期の都・熊津(ウンジン)、現在の忠清南道公州(コンシュ)にある。町の北西丘陵上
  にある宋山里古墳群中にあり、処女墳の状態で発見された。中国南朝墓制の影響を受けた磚室
  形式である。羨道にあった墓誌から墓主の名が武寧王(斯麻(しま)王)であることが判明し
  た。磚室は、粘土を焼いて煉瓦のように作ったもの。(図説韓国の歴史・河出書房新社)
      

        (当日発言)
★長い間この王は発見されなかったのよね。発掘されずに静かに眠りたかったかもしれないけど、
 発掘されて王冠の辺りに朽ちた状態で見つかった。(曽我)
★いくら王たる人が永遠の眠りを求めても体は朽ちてしまって王冠だけが残っている、そういう
  ことだと思います。(慧子)
★それだと、体が朽ちたら永遠の眠りではない、ということになりますよね。そうではなくて、王
 様は人目に触れずに永遠に墓の中にいたかったということでしょう。だけど発掘された。(鹿取)
★私は発掘されてみんなにさらされることに疑問を感じている。(崎尾)
★昔の王様のことだから過去にしてもいいのに、「求めたる」と現在形にしているのはどうして 
 でしょう?連綿と続いているということ?(慧子)
★「たる」は現在形ではなく完了の助動詞ですよね。「し」って過去より、完了を使うことで王
  様のこころを身近に引き寄せているんでしょうね。(鹿取)


        (追記)(13年12月)
 〈KONEST〉という韓国の観光案内記事に「武寧王陵は、1971年に6号墳の排水工事の際に偶然発見されました。当初は古墳内部を一般公開していましたが、史跡保存のため1997年7月以降中止され、現在は観覧できなくなっています。武寧王陵からは冠装飾や耳飾り、腕輪、首飾りなどの20,906点もの副葬品が発見され、そのうちの12種類、17点が国宝に指定されています。」
「<宋山里古墳群模型館>1997年に武寧王陵の内部の公開が禁止され作られた模型館。5、6号墳と武寧王陵の内部が再現されています。実物の大きさで作られており、6号墳、武寧王陵の模型は中に入って観覧できるようになっています。また、武寧王陵の中から出てきた副葬品のレプリカや、武寧王陵の築造過程の模型なども展示されています。」とある。
 馬場の旅は1987年なので、本物の古墳内部を見学したのだろう。
「発掘は王の眠りを妨げる」という意見が出たが、今日読んだ「邪馬台国大研究H・P」によると、武寧王陵が発掘される折、「王の眠りを妨げるな」というデモが発掘現場近くで行われたそうである。(鹿取)


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ブログ版 馬場あき子の外国詠338(スイス)

2018年06月22日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠46(2011年12月実施)
   【氷河鉄道で行く】『太鼓の空間』(2008年刊)167頁~
    参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、曽我亮子、たみ、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾 廣子
   司会とまとめ:鹿取 未放


338 永世中立の国にもとびきりの産業なしはるかなる憧れとして天にある山

      (当日意見)
★よく分からない。「国にも」の「も」が不思議だ。上の句は傲慢な感じがする。肯えない。
  (藤本)
★作者は平和に強い関心がある。地球のみんなが憧れる平和を体現すべくスイスは永世中立を宣言
 している国である。にもかかわらずそれを支える産業がないことへの驚きがこの歌にはある。ま
 た、中米にも永世中立国は在る。スイスは中立とはいえ武力は持っている。永世中立であること
 も、「天にある山」も世界の人々の憧れである。(たみ)
★藤本さんの発言の「国にも」の「も」の説明は、「たみ」さんの「にもかかわらず」の意見で解
 決する。また、「永世中立の国にもとびきりの産業なし」という上の句は事実を言っているだけ
 なので傲慢だとは思わない。トルコ詠の「苦悩なき顔もて貧しき老爺たち夕べのチャイを道にゐ
 て飲む」とか「宗教が貧しさを苦とせざることトルコの旅に憩ひさびしむ」という歌い方に会員
 から異議が唱えられたこともあったが、この歌はそれらの歌とはまた違うようだ。永世中立とい
 うすばらしい立場を保っている国にして、それを支える経済力を持つための産業がないことを作
 者は惜しんでいるのだろう。「はるかなる憧れとして」人間の思いの届かない「天にある山」だ
 けがあるのだ。だから、この山を観光資源として金を儲け、国を富ませればよい、という次元の
 話ではない。国の富と関係なく、ただただ美しい雪山が眼前に在る。この歌、結局その山への賛
 美にかえってゆくようだ。9・9・6・12・7と大幅な字余りになっているが、結句7音で引
 き締めているので、それほど字余りが気にならない一首だ。(鹿取)


      (まとめ)
 国民を豊かにする産業はないので、スイスは相対的には貧しい。そして雪を被った美しいアルプスだけがあっけらかんと聳えている。豊かな産業は何もないが、永世中立の国として世界から尊敬されている。しかし「天にある山」は人間や国のおもわくを超えて、ただ在る。その「ただ在る」状態にこそ作者は崇高さを感じ、讃美しているのだ。(鹿取)


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ブログ版 馬場あき子の外国詠337(スイス)

2018年06月21日 | 短歌の鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠46(2011年12月実施)
   【氷河鉄道で行く】『太鼓の空間』(2008年刊)167頁~
    参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、曽我亮子、たみ、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾 廣子
   司会とまとめ:鹿取 未放


337 美しく遠く思ひのとどかざるアルプスの雪ゆめならず見る

      (当日意見)
★「遠く思ひのとどかざる」をレポーターはどう解釈されますか。(鹿取)
★自然とは意識の疎通ができないことを言っている。(崎尾)
★遠かったが実際に来ているアルプス全体を現在形で詠っている。しかし、見ているけれど一体化
 はできない。(藤本)


     (まとめ)
 「とどかざる」は現在形だから、あこがれていた以前に届かなかったのはもちろん、実際に眺めている今も思いは届かないというのだろう。もし現実に見て思いが届いたのなら、ここは「届かざりし」と過去形になるはずだ。だから「遠く」は物理的な遠さのみではなく、精神的な距離を含んでいるのだろう。憧れていたアルプスにやってきて、夢ではなく目の前にその雪山を見ている。しかしその余りにも美しいアルプスの崇高さにはとても思いは届かない。人間には触れることを許さないような圧倒的な神々しさがそこに在ったのだろう。「とどかざる」と人間の思いを拒絶することで、賛美を際だたせている。(鹿取)

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