かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠22(アフリカ)

2017年05月31日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の外国詠3(2007年12月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P159~
      参加者:N・I、Y・S、崎尾廣子、T・S、高村典子、藤本満須子、
          T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:藤本満須子 司会とまとめ:鹿取未放


22 行けば足下に崩るる砂ある赤きサハラ糞ころがしを生かし沈思す

     (まとめ)
 サハラ砂漠はアフリカ大陸の三分の一近くを占める、沙漠は全体としては堅固でも人が歩こうとして踏めば砂は崩れる。何も生まないと作者がうたったサハラは、黙って糞ころがしを生かしてもいる。もちろん恐ろしい蠍などもいるのだが、糞ころがしというある意味こっけいな生態をもつ小動物だからこそ、沙漠が生かすと詠むにふさわしいのだろう。(鹿取)
 

      (レポート)
 結句の「生かし沈思す」の主語は赤砂のサハラである。20番歌にもスカラベはうたわれ、また同行した清見糺氏の歌〈スカラベ〉一連を読むとその様子が活写されている。
 サハラを「愛はとうに滅べり」とうたいながらも、そのサハラの砂は「糞ころがしを生かし沈思す」とうたわざるを得ない作者、古代エジプトでは太陽神の象徴として崇拝され、ミイラの心臓の上に置かれたものは復活を祈願する……
 まさに深い沈黙のなかにある沙漠、そして「沈思す」るのも作者でもあるのか。(藤本)

 

馬場あき子の外国詠21(アフリカ)

2017年05月30日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の外国詠3(2007年12月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P159~
      参加者:N・I、Y・S、崎尾廣子、T・S、高村典子、藤本満須子、
          T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:藤本満須子 司会とまとめ:鹿取未放

 
21 沙漠行きしランボーの心知りがたし砂みれば愛はとうに滅べり

      (まとめ)
 ランボーの簡略な年譜を記す。
  1854年     フランスに生まれる
  1871年17歳  前年からパリへの家出を繰り返していたが、この年、パリでヴェルレー
            ヌに出会い、二人でブリュッセル、ロンドンなどを放浪する。
  1873年19歳  ヴェルレーヌに拳銃で撃たれ入院。ヴェルレーヌは逮捕され、ランボー
            は『地獄の季節』を書く。
  1875年21歳  様々な職業を転々としながら、ヨーロッパ、紅海方面を放浪
  1886年32歳 ハラール(現エチオピアの町)にて武器商人となり、しだいに成功する。
1891年36歳 骨肉腫が悪化、マルセイユに戻り右足を切断。全身に癌が転移して死去。
 ざっとこんな生涯をたどったランボーであるが、地図で見る限りハラールからサハラまでは国を幾つも経由しなければならない、とんでもない距離である。若い頃から放浪を繰り返した破天荒なランボーにとって、それはもちろん何でもない距離かも知れない。そもそも武器商人となって金儲けだけに執心するランボーの姿は、文学にも人間の情愛にも絶望した現れのようで痛ましい。その果ての沙漠行は、失われた愛のかけらを求めたのか、人間や現世への絶望をさらに自らに確認するためか、行為そのものでわれわれの疑問を拒絶しているようだ。
 しかし作者はそんなランボーの荒みはてた心の底をおもんばかっているのであろう。果てしなく広がる沙漠を見渡しながら、何ものも生まない沙漠に愛などとうに滅んでいるのに、とランボーを偲ぶのである。(鹿取)
 

      (レポート)
 先月のサハラの歌に〈ランボーはサハラに至らざりけるか〉とあったが、ここでは〈ランボーの心知りがたし〉とうたっています。作者のランボーへの心寄せがうかがわれます。「ランボー全集」粟津則雄訳のあとがきに少し触れてみましょう。

 「やがて彼は文学とはまったく絶縁しその短い後半生を商人としてアフリカで過ごすこととなる。 やがてマルセーユの病院でその激烈な生を終えるまでわれわれが眼にするのは『沙漠の砂のよう な』索漠たる手紙の山だけだ。」(72・9、ヴェルレーヌとともにイギリスにわたり共に生活 する。76・5、義勇兵にも志願)推測するにわずか三十六年の人生の二十代からをアフリカで すごしたことになる。」

 ここでは上の句でうたっているようにランボーの心は誰にも知ることはできない。三句で「知りがたし」ときっぱり述べている作者にうなずける思いだ。全集の中に「愛の沙漠」という散文詩が入っているが、実際の現実の沙漠とは関係はない。このサハラの砂を見ると人間の愛なんてとうに滅びてしまっている、ここに作者の沙漠への深い思いが凝縮されているのではないか。ランボーの狂的な情熱と沙漠との関係とでもいうのか、とりあわせがすごいと思った。
 ここで写真集「サハラ」野町和嘉の〈はじめに〉を引用しておこう。

 「サハラ」はアラビア語で荒地、オアシスの外に広がる荒地すなわち沙漠をさすことばとして使
 われているように、アトラス山脈を越えサハラに足を踏み入れた。それは終末の世界、あるいは原初の光景というべきか……真昼の白熱と満天の星空のもと深い沈黙のなかに身を置くうちに、誰もが日常の世界では眠ってしまっていたある感性の目覚めを自覚するようになる。数千年前までサハラ一帯は地球上で最も湿潤な気候帯のなかにあって、当時の暮らしや動物相が八〇〇〇年間にもわたって人の手で描き続けられ、サハラ山岳の岩陰にいまでもくっきりと残されている。つい昨日置き忘れられたと見紛う、先史人たちの手になじんだ石器が半ば砂に埋もれ放置されているのに、私自身は何度遭遇したことであろうか。首飾りに使ったダチョウの卵殻の小片などしばしば見つかる。それらを覆い隠す植物の繁茂もないかわりに、持ち去る人間がこの地平線を訪れることもないのだ。

 歌に戻ろう。作者は億という単位で淘汰されてきたこのサハラ、そしてそこに生きてきた先史人にまで思いを馳せているのだろうか。(藤本)


馬場あき子の外国詠20(アフリカ)

2017年05月29日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の外国詠2(2007年11月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P155~
      参加者:崎尾廣子、T・S、N・T、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子
     司会とまとめ:鹿取 未放

20 何かかう深い哲学のぞくごと見てあればスカラベはあわてはじめぬ

     (まとめ)
 古代エジプトではスカラベは聖なる虫としてあがめられていた。そんなスカラベを見つけて「何かかう深い哲学のぞくごと」見てしまったのである。「何かかう」がうまいニュアンスをつけている。この語がなかったらある種の臭みが出てしまったかもしれない。見ていると視線を感じたのだろう、「スカラベはあわてはじめぬ」という。糞をころがしていた最中だったのかもしれない。この後の足早に逃げ出すさまが想像できる。(鹿取)
 

     (レポート)
 スカラベをじっと見つめている作者の姿が目に浮かぶ。「何かかう」が印象的である。全てを超越し渇ききった大地を思いのままに走りまわっているかのように思える生物が不思議であったのだ。「深い哲学のぞくごと」に視線の深さを感じる。4句の字余りに見つめていた時の長さが伺える。一方のスカラベは一瞬のとまどいを見せたのであろう。結句でそんなこと考えたこともないよと言っているかのように砂を蹴ってくっきりとした影を落としつつ走り去ってゆく小さな生き物の姿の景を目に残してくれる。「あわてはじめぬ」とひらがなを用いているが虫のとまどいを見せられているようである。 (崎尾)
 *スカラベ:外国産のタマオシコガネムシなどのふんを集めてまるいだんごをつくり、てきとう
       なところへころがしてゆく。ふんの中にはたまごをうみ幼虫はふんをたべてそだつ。        
               (小学館 ポケット版原色図鑑)


馬場あき子の外国詠19(アフリカ)

2017年05月28日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の外国詠2(2007年11月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P155~
      参加者:崎尾廣子、T・S、N・T、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子
     司会とまとめ:鹿取 未放
  
19 沈黙す愚かにあくせく働ける日本人われ沙漠を歩む

     (まとめ)
 初句と四句に切れがある。だから「愚かにあくせく働ける日本人われ」が砂漠を歩みながら、沈黙しているのである。なぜ沈黙するかというと、日頃あくせく働く日本人の一人である「われ」が働くことの意味を問い直し、「あくせく」働くことは愚かであるなあと思うからである。何も生まない沙漠が、その愚かさを照らし出すのである。そして、生きる意味の本質とは何かを考えさせるのであろう。
 レポートの「権力に対する沈黙」とか「憲法9条に思いを馳せ」などは、歌のどこから導かれたものか不明で、レポーターの思いこみである。(鹿取)
 

     (レポート)
 砂あらしが時には沈黙を破るが、沙漠の沈黙は人を物思いにふけさせるが、権力に対する沈黙はうなずけないと詠っているのであろう。「日本人われ沙漠を歩む」に日本人の本質を愛しむ作者の思いが現され胸深くにとどく。と同時に沙漠の沈黙が立ち上がってくる。憲法9条に思いを馳せているのであろうか。サハラにあって、初句の「沈黙す」に愛しみの深さを知る。(崎尾)



馬場あき子の外国詠18(アフリカ)

2017年05月27日 | 短歌の鑑賞
 
 馬場あき子の外国詠2(2007年11月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P155~
      参加者:崎尾廣子、T・S、N・T、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子
     司会とまとめ:鹿取 未放
  
18 仕合せの死不仕合せの死さまざまの死のこともサハラは見しとも言はず

     (まとめ)
レポーターは死を死に方そのものとみているが、ここの死は定点ではなくその人の生涯を総合俯瞰したものだろう。「何も生まず何も与へず生かしめぬ」サハラは、見たとは言わないながら、古来よりのさまざまな人生とさまざまな死を見続けてきたのだ。そのなかにはランボーも含まれているのだろう。(鹿取)
 

      (レポート)
 上の句に死を3度詠っている。サハラに人が初めて踏み入った頃よりの幾世紀にもわたる死を表現していると考えたい。初句、とくに4句の字余りが遠く過ぎ去った時を呼び戻してくれる。苦しみを伴わなかった死を「仕合せの死」、苦しみの伴った死を「不仕合せの死」と現しているのであろう。結句によってサハラは万物の死を沙深くに抱き、曝すようなことはしないと詠っているように思える。サハラにあれば時はより迫ってくるのかもしれない。奥の深い歌である。(崎尾)



馬場あき子の外国詠17(アフリカ)

2017年05月26日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の外国詠2(2007年11月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P155~
      参加者:崎尾廣子、T・S、N・T、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子
    司会とまとめ:鹿取 未放
  
17 料金のありてそれだけの友情を買ふことも砂を行き愛(かな)しうす

     (まとめ)
 16(ベルベル族の少年は砂漠に手を広げ友よと言ひてなよるならずや)の歌でも述べたが「友よ」と言って寄ってきて、難儀な沙漠をゆく人の手助けをするのはお金を貰う為である。同行した人の旅日記によると、添乗員が後でそっと「親切料」を払っていたそうだ。この歌、「哀し」ではなく「愛し」であるところが深い。(鹿取)
 

      (レポート)
 今日では人助けもお金で買える時代である。沙漠にもそんな流れが来ていたのである。驚きと愛しさを詠っている。「それだけの」友情を嵩ではかり料金の決まる哀しさを「砂を行き」で買った後の索漠たる気持ちを表現していると思われる。「愛(かな)しうす」に作者のあきらめが滲む。沙漠の旅にある友情を買うという行為を愛しんでいる歌ではあるが、今の世を哀しんでいるのである。(崎尾)



馬場あき子の外国詠16(アフリカ)

2017年05月25日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の外国詠2(2007年11月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P155~
      参加者:崎尾廣子、T・S、N・T、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子
     司会とまとめ:鹿取 未放
  
16 ベルベル族の少年は砂漠に手を広げ友よと言ひてなよるならずや

     (まとめ)
 「なよる」は広辞苑に「なれてよる。親しくなって近寄る」と出ている。ここでは親しそうに寄ってくる、くらいの意味だろう。「や」は反語か。「砂漠に手を広げ友よと言ひて」寄ってくるのは親切料を貰うためだということが次の歌「料金のありてそれだけの友情を買ふことも砂を行き愛(かな)しうす」で分かる。それが彼等にとって生きていく術なのだが、少年は何歳くらいなのだろう、そのあどけなさを思うとあわれである。(鹿取)


     (レポート)
 見知らぬ人との出会いに人はまず相手を警戒するであろう。しかしベルベル族の少年は「手を広げ友よと言ひて」と詠われているように警戒心をあまり持たず近寄ってきたのであろう。友情をかけたいのか。友情と名の付くその行為に求めるものは何か。父母への思いを現す生活に潤いをもたらしてくれる糧であろうか。「友よ」が哀しい。答えていると思われる作者の優しい目差しを結句「なよるならず」に感じる。裸の大地に住む人にとっての見知らぬ人の来訪は、人が縁にも泉にも思えるのかもしれない。少年の心の内を思わせられる歌である。(崎尾)
  *ベルベル人:北アフリカのチュニジア、アルジェリア、モロッコ地方の原住民。ハム語系。
         ネグロ・セムの血も混じる。



馬場あき子の外国詠15(アフリカ)

2017年05月24日 | 短歌一首鑑賞
  馬場あき子の外国詠2(2007年11月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P155~
      参加者:崎尾廣子、T・S、N・T、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子
     司会とまとめ:鹿取 未放
  

15 何も生まず何も与へず生かしめぬ砂のサハラの明けゆく偉大

     (まとめ)
 レポートに失望とか希望とかあるが、それらには関係ないという意見が多く出された。レポーターは生まず与えず生かしめない沙漠の本質を失望、明けてゆく偉大さを希望と捉えたのだろう。少し言葉を足せばよかったかなと思う。
 これは沙漠の夜明けに感動し讃えた歌だろう。「何も」の語は「生かしめぬ」にも掛かっている。3句まで、思わず口をついて出たようなことばがほとばしっている。その死のような砂の堆積の上から一点の陽光が射し、やがて赤い砂がバラ色に染まりながら夜が明けてゆく。死のような無のような沙漠が生み出す大パノラマ、その不可思議に地球の神秘、命の不思議を感じたのだろう。(鹿取)


     (レポート)
 サハラの深淵を見る思いの歌である。初句の「何も」2句の「何も」の繰り返しに沙漠の本質を現し、「生かしめぬ」で更に迫ってくる。が「明けゆく偉大」で目の前に広がる光景に希望も見えてくる。沙漠には失望と希望が交差していると詠っているのであろうか。サハラの偉大さはそこに分け入った人のみが実感できるのだ。(崎尾)
 


馬場あき子の外国詠14(アフリカ)

2017年05月23日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の外国詠2(2007年11月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P155~
      参加者:崎尾廣子、T・S、N・T、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子
     司会とまとめ:鹿取 未放
  

14 日本人まこと小さし扶けられ砂漠を歩むその足短かし

     (まとめ)
 レポートは少しピントが外れているという指摘が会員から多く出された。日本人が小さいというのは、ここでは優劣の感覚ではないだろう。西洋人などに比べての単純な比較である。日本人が小さいという歌は他の旅行詠でも馬場はよく詠っている。この歌では「その足短かし」などの描写で少し戯画化されているかもしれない。また、「『まこと小さし』『その足短かし』の『し』『し』に作者の実感がこもっている。」とレポートにあるが、この2つの「し」は韻律の上では歌に作用するが、どちらも形容詞の終止形の末尾なのでここに何かの感情をこめるというのは無理である。
 旅の同行者によると沙漠を登るのに駱駝組と徒歩組に別れたそうだが、馬場は歩いたのだろうか。あるいは歩いている人を見て詠んだのかもしれない。ともかく沙漠を歩むのは慣れていないとたいへん難しい。それで現地の人に扶けられながら進むのである。(鹿取)
 【参考】
     ジパングは感傷深き小さき人マドリッドにアカシアの花浴びてをり(スペイン)
                       『青い夜のことば』
     羊のやうに群れて歩める小さき影カラードにして金持われら(チェコ)
                       『世紀』 
       

     (レポート)
 今では体も大きく足も長い人たちをよく見かけるが、およそ日本人は小さく足が短い。ふだんあまり考えたことのなかった日本人の体型のありようを知ったのである。扶けられながらであっても、沙に取られた足を抜くときの力は弱い。不自由さを覚えたのであろう。「まこと小さし」「その足短かし」の「し」「し」に作者の実感がこもっている。読者も日本人の体型の負の部分を知らされる。愛しさはやがておかしきに変わっていったのであろう。(崎尾)


馬場あき子の外国詠13(アフリカ)

2017年05月22日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の外国詠2(2007年11月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P155~
      参加者:崎尾廣子、T・S、N・T、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子
     司会とまとめ:鹿取 未放
  
13 陽出づるは滴のごとき光すと待てば砂漠の風深く冷ゆ

      (まとめ)
 「滴のごとき」とは詩的で美しいイメージだ。それを誰が言ったのかで会員の意見が紛糾した。私自身は現地の人がそう感じていることを、ガイドが代弁して言ったのだろうと考える。もちろん言葉としてはもっとざっくりと「一点の光が射して」などだったのを馬場が「滴のごとき」と歌にする段階で翻訳したのかもしれない。ちなみに馬場に同行した人の旅日記によると3時30分起きで、4時15分にランドローバーに分乗してメズルーカという沙漠の入り口に着き、駱駝や徒歩で砂丘に登り6時の日の出を待ったそうである。あこがれて日の出を待っている時、広大な沙漠は「風深く冷ゆ」という状態だった。「冷たい風が吹いていた」などと比べて引き締まった表現になっている。(鹿取)


     (当日発言)
★他人が言っているのか、他人が言ったように詠っているが自分の感じか。(慧子)


     (レポート)
 陽の出を詠った美しい歌である。2句の「滴のごとき光す」が印象深い。渇ききった大地に言葉による潤いを帯びさせている。過酷な地に暮らす人々がもつ心のゆとりが伺える。結句「深く冷ゆ」によってその一瞬はより美しく透明となり心に響く。冷たかった風が暖かい風に変わり、太陽がしずくのような光となって射す。その時をゆっくりと待つのである。見たことのない沙漠の民が持つ文化の一滴が立ち上がってくる。(崎尾)