渡辺松男研究37(16年4月)
【垂直の金】『寒気氾濫』(1997年)127頁
参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:泉 真帆
司会と記録:鹿取 未放
◆(後日意見)部分を追加しました。
310 銀杏 病気をしたことのないふりをして人仰がせる垂直の金
(レポート)
(解釈)銀杏の木がある。病気なんかしたことがいなように、垂直に突っ立って、金色に葉を染めている。
(鑑賞)銀杏は東京都の木。霞ヶ関を思う。自分たちには何の病もない風を装い、人を仰がせている。「金」は金権にからむ政界を揶揄しているのか。(真帆)
(当日発言)
★銀杏で権威を象徴されているのですね。銀杏が病気するとかしないとか、そういう表現が凄いなと思います。病気をするしない
にかかわらず人は銀杏を見上げますよね。病気をしたことのないふりをするってどういうことなのかなあと、この鑑賞ではまだ
ちょっと分からないのですが。(石井)
★銀杏は権威だと思いました。それで、自分たちには一点の非の打ち所もないとかそういう感じかと。ほんとうは悪いところを隠
していて。(真帆)
★銀杏は単純に丈夫です。葉っぱもしっかりしている。木の性格として病気しないような。銀杏の葉っぱって何か薬草にもなりま
すよね。そんな丈夫な木が秋になって垂直に立っている。(鈴木)
★「垂直の金」というのが一連の題になっているので、この歌は大事な歌なのでしょう。松男さんが木を歌うときは木そのものを
歌っているので、私は何かの象徴とか取らない方がよいと思います。もちろん病気をしたことのないふりをするとか擬人化され
ているので、いろいろ考えられる余地はあるのですが、少なくともお金とか権力には結びつけない方が豊かな歌になるように思
います。たまには病むことのある銀杏の木も、秋になって垂直の優美な肢体を保ち金色に輝いている、その銀杏の讃歌。もう少
し先に「一本のけやきを根から梢まであおぎて足る日あおぎもせぬ日」という歌があって、こちらは自分の心が木に吸い寄せら
れて見上げながら満足する日とこころが木を忘れてしまっている日があるというのですが、主客は違うけど木のすばらしさを讃
えていますよね。(鹿取)
★前の章のような政治のことが多く歌われていると、この歌を金権とかに結びつけてもよいと思いますが、ここは病気の話で始ま
っているので。歌集の構成の中で読まないと。(鈴木)
★ああ、作者は銀杏に寄り添っているんですね。(石井)
(後日意見)(2016年5月)
イチョウ科の樹木は中生代(約2億5千万年前~約6千6百万年前)に最も盛えていたという。恐竜と同時代を生きていた木である。しかしその多くが氷河期に絶滅してしまい、現代に見られる銀杏はその中のたった一種の生き残りで「生きている化石」と呼ばれている。松男さんは木をよく知る人だから、上に書いたようなことがらは知識であるなどと意識もしないで彼の内にあるのだろう。この歌がそんな作者の内面をくぐって紡ぎ出されたことを考えると、銀杏が「病気をしたことのないふりをして」いるとか、「垂直の金」であるという表現も更に深く味わえるだろう。(鹿取)