かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

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馬場あき子の旅の歌 117(スペイン)

2018年10月30日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠13(2008年11月実施)
  【西班牙4 葡萄牙まで】『青い夜のことば』(1999年刊)P65~
   参加者:T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・S   司会とまとめ:鹿取未放


117 コルドバの町の樹下に椅子ひとつ置かれてセネカ忘れられたり

  (まとめ)
 セネカの像はコルドバのメスキータの西門脇にあるという。樹下に憩うための椅子が一つ置かれている。そしてソムリエがセネカを知らなかったように大部分の町の人々は遠くセネカを忘れた日常生活を送っているのだ。考えてみればセネカは2000年ほど前の人であって、忘れられるのも無理はない。
 しかし、彼は悲劇を書き、哲学についての随筆などをたくさん遺した。『幸福な人生について』『心の平静について』『人生の短さについて』などの書名を眺め、現代の人々の忙しい日常を思うと、なかなか感慨深いものがある。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠116(スペイン)

2018年10月29日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠13(2008年11月実施)
  【西班牙4 葡萄牙まで】『青い夜のことば』(1999年刊)P65~
   参加者:T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・S   司会とまとめ:鹿取未放


116 ソムリエはネロのセネカを知らざりき昼餐の質朴なかぢきまぐろよ

        (まとめ)
 115番の「コルドバの赤きワインに透かし見るネロを去りたる愁ひのセネカ」の続きで、コルドバで赤ワインを傾けながら昼食をとっている。餐とあるからやや豪華な料理であろうか。そこでソムリエにワインはどれが合うか相談しながら、ふとセネカのことを話題にしたのかもしれない。コルドバはセネカの生まれた土地だから当然知っていると思ったのに、ソムリエの反応は「セネカって誰?」というようなものだったのだろう。そこで旅人は驚いて「暴君で有名なネロの補佐をした哲学者ですよ。この町の生まれだそうですよ。さっきそこの公園でセネカの銅像を見てきましたよ。」などと説明するはめになった。「ネロのセネカ」(ネロに仕えたセネカ、を縮めたのだろう)というややこなれない言いまわしはこういう状況を想像するとよく分かる。もっとも、そうか土地の人でもセネカを知らないのかと黙ってひとり感慨にふけったのかもしれない。土地の普通の生活者というものは、たとえ町にセネカの像が建っていようが哲学者などというものにはえてして関心がないものだ。そしてワインを傾ける昼餐ながら素朴なかじきまぐろの料理が出てきたというのだ。
 こういう齟齬は、日本の地方の町などでいくらでもありそうな気がする。日本料理屋に入った外国人の客の方がその土地の歴史上の人物をよく知っているというようなことが。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠115(スペイン) 

2018年10月28日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠13(2008年11月実施)
  【西班牙4 葡萄牙まで】『青い夜のことば』(1999年刊)P65~
   参加者:T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・S   司会とまとめ:鹿取未放

115 コルドバの赤きワインに透かし見るネロを去りたる愁ひのセネカ

      (レポート)
 ネロは古代ローマの皇帝。在位54~68。初めはセネカなどの補佐により善政を行ったが、のち母と皇后を殺し、またローマ市の大火に際しては、その罪をキリスト教徒に負わせて迫害、のち反乱起こり自殺。暴君の代名詞となる。そのネロのところを去ったセネカ。のちに不興をこうむり隠退、ついに自決する。セネカはローマのストア派の哲人。西班牙生まれ。著書にギリシャ悲劇を範とする悲劇9篇のほか「幸福な生について」があった。(T・S)


          (まとめ)
 暴君として知られるネロは、ローマ帝国第5代の皇帝。セネカはネロの幼児期の家庭教師で、ネロ即位後は補佐役になった。もともとセネカは哲学者、詩人である。真偽は不明だが、ストア派の哲学者にあるまじき行為であるとして横領の罪で告発されたこともある。告発を受けたセネカはローマ帝国から得た財産の全てをネロへ返還し、学問に生きようと徐々に政治の世界から遠ざかったという。数年後、ネロを退位させる陰謀が露見、逮捕された者がセネカが関与していると告げた為、ネロはセネカを訊問しようとしたがセネカは呼び出しに応じなかった。よってネロはセネカに自殺を命じ、セネカは自死する。64歳だった。
 弟と母を次々に殺し、妻と師であるセネカを自殺に追いこんで権力を維持していたネロだが、穀物の価格が高騰するなど経済的な面からも市民の反感を買い、対立していた元老院は新皇帝を擁立、ネロは「国家の敵」となって逃亡。やがて追っ手が迫ったのを知って自害した。ネロの享年は30歳、セネカの自殺の3年後のことであった。(以上、Wikipedia等を参照)
 セネカはコルドバの生まれで、コルドバにはその像が建っている。ネロを去ったセネカの心のうちははかりしれないが、近親者を毒殺したり、無辜の民を迫害したりと暴虐の限りを尽くすネロに荷担し、私腹を肥やしたかもしれないセネカが本来の自分を取り戻したということか。政治より哲学や芸術の方が自分の本来のあり方だとはっと目覚めたということか。ネロを去ったセネカを、作者は「愁ひのセネカ」としてとらえている。「人生の短さについて」を書いたセネカはとにかくも64歳まで生きたがネロに命じられて自死し、やがてはネロも追いつめられて30歳の若さで自死する。作者は赤ワインを飲みながらネロとセネカの生きた時代やふたりの複雑怪奇な人生模様を思い感慨にふけっているのであろう。(鹿取)


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馬場あき子の旅の歌 114(スペイン)

2018年10月27日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠13(2008年11月実施)
  【西班牙4 葡萄牙まで】『青い夜のことば』(1999年刊)P65~
   参加者:T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・S   司会とまとめ:鹿取未放


114 西班牙の野を行きし天正使節団の少年のみしアマポーラいづこ

     (レポート)
 天正遣欧使節は、キリシタン大名大友宗麟、有馬晴信、大村純忠がローマに遣わした使節。結句のアマポーラはスペイン語で雛罌粟、ポピーの一種である。ヨーロッパではこの花の群生をあちこちで見ることができるという。(T・S)


       (まとめ)
 次の章で天正使節団については詳しく検証するので、ここでは概略だけ述べる。天正遣欧少年使節団は4人、正史の伊藤マンショほか中浦ジュリアン、原マルチノ、千々岩ミゲルである。彼らはバテレンを保護した信長時代の1582年、長崎を出港、難行の末8年後に金銀財宝を積んで意気揚々と帰国する。しかし政権は秀吉に移っていて、彼らはすでに時代に歓迎されない存在だった。この後、追放、処刑と更に苦難の道をたどることになる。
 ちなみに派遣された時の年齢は13歳から14歳、まさに未だいたいけな少年である。そんな少年のわかやかな姿態とアマポーラの可憐さが微妙に重なる。好奇心一杯の少年達がスペインの野で見たアマポーラ、作者は数奇な運命をたどった少年達を偲びながら、なにか形見のようにアマポーラを求めている。この旅は5月下旬から6月初旬、ちょうどアマポーラの花期にあたる。野原一面に咲くアマポーラを見ながら、もいろんそれは400年も前の少年達がみたアマポーラではない。薄幸の少年たちを偲んで「いずこ」と余韻を持たせている。(鹿取)



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馬場あき子の外国詠113(スペイン)

2018年10月26日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠13(2008年11月実施)
  【西班牙4 葡萄牙まで】『青い夜のことば』(1999年刊)P65~
   参加者:T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・S   司会とまとめ:鹿取未放


113 川岸に鷺の木立てり西班牙のまつしろき翼はたたきやまず

       (まとめ)
 この川は先の歌にあったクワダルキビル川であろうか。「鷺の木」とは変わった言い方だが、木に花ならぬ鷺がたくさん止まっている状態をいう。何の木だかは忘れたが、鶴ヶ丘八幡宮の池の端にも枝という枝に鷺が止まっている木が何本かあったのを見た記憶がある。たくさんの鷺が木の枝ではたたいている様が、旅の途上のさびしさに響いたたのだろう。鷺だからどこの国でも真っ白いのだろうが「西班牙のまつしろき」といっているところに他国を珍しがる気分と同時にあてどない気分の反映があるようだ。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠112(スペイン)

2018年10月25日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠13(2008年11月実施)
  【西班牙4 葡萄牙まで】『青い夜のことば』(1999年刊)P65~
   参加者:T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・S   司会とまとめ:鹿取未放


112 クワダルキビルの川上にハポンの街ありと指さす見れば心は騒ぐ

        (まとめ)
 スペインの古都セビリアにはクワダルキビルという川が流れていて、その川上10キロくらいのところにハポン(スペイン語で「日本」という意味)の姓を持つ人が400人ほど暮らしているという。その街の名前はコリア・デル・リオ、街の公園には支倉常長の像もある。つまりこの街は1614年(慶長19年)派遣された慶長遣欧使節団の中で、自ら意志して信仰を守る為に現地に留まった人々の子孫がハポン姓を名乗っているのだそうだ。
 指を指したのはガイドさんであろうか。慶長遣欧使節団、支倉常長について思い入れの深い作者にとって、指さされた街はまさに〈ゆかしい〉場所であったろう。だから「心は騒ぐ」のである。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠111(スペイン)

2018年10月24日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠13(2008年11月実施)
  【西班牙4 葡萄牙まで】『青い夜のことば』(1999年刊)P65~
   参加者:T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・S   司会とまとめ:鹿取未放


111 グラナダに徴税吏たりしセルバンテスのはるかなる悲(ひ)にサングリア献杯

        (まとめ)
 徴税吏とあるが、その職に就けたのはかなり晩年になってからである。複数の資料によると、セルバンテスは下級貴族の出で父は医者だったが貧乏で各地を転々としている。1571年に20代で従軍したレパントの海戦では左腕の自由を失ったり、その後5年間も虜囚生活を送ったりしている。大勢の家族を抱えて徴税吏になった後も50歳頃には税金を預けておいた銀行が破産して追徴金が払えず投獄されている。『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』が出版されたのは1605年、58歳頃である。『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』は大評判になり版を重ねてゆくが版権を売り渡していたため本人はあまり潤わなかったようだ。その後『ドン・キホーテ 後編』も著しているが、69歳で没した。そんな数奇な運命をたどったセルバンテスを思い、はるか昔の彼の悲しみに向かってサングリアを献杯しているのである。旅の表層から一歩入って、セルバンテスの心の内を深く思いやっている。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠110(スペイン)

2018年10月23日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠13(2008年11月実施)
  【西班牙4 葡萄牙まで】『青い夜のことば』(1999年刊)P65~
   参加者:T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・S   司会とまとめ:鹿取未放


110 くらげなすただよへるなり朝ごとのビザたしかめて今日はグラナダ

       (まとめ)
 「くらげなすただよへる」は古事記からの借用。古事記では天地がまだ混沌としていた時代、地はしっかり固まっておらず海月のように漂っていたのだという。そんなあてどない浮遊感を旅の疲れが出てきた日々の体や心のありようの形容に使って、なるほどと納得させられる。大事なビザが手元にあるか朝ごとに確認して、さて今日はグラナダに出発するという。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 109(スペイン)

2018年10月22日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠12(2008年10月実施)
  【西班牙3オリーブ】『青い夜のことば』(1999年刊)P61~
   参加者:F・I、N・I、T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:N・I まとめ:鹿取未放


109 青黴のチーズ冷えゐる西班牙の食卓に葡萄の季節近づく

     (レポート)
 匂いのきつい味の濃いチーズは通人の好むところ、おいしいワインと共に秋の稔りの豊かさを葡萄であらわしているのでしょう。(N・I)


      (まとめ)
 青黴のチーズは独特の強い香りを持ち、濃厚でやや塩味が効いたものが多いらしい。食べ方はクラッカーに乗せたり、スープに入れたり、サラダにしたりといろいろであるが、果物と組み合わせて食べるのも一つの方法らしい。ここはおいしく冷えたチーズが出された夏の食卓、共に食べる葡萄の収穫が待たれている。季節感がうまく詠み込まれていて豊かな気分の歌だ。(鹿取)



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馬場あき子の外国詠108(スペイン)

2018年10月21日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠12(2008年10月実施)
  【西班牙3オリーブ】『青い夜のことば』(1999年刊)P61~
   参加者:F・I、N・I、T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:N・I まとめ:鹿取未放


108 ギロチンのやうな包丁に肉切るはわが未来記の中なる女

(まとめ)
 ギロチンの刃物は時代によっても違うのだろうが、写真などで見ると人間の幅ほどもありそうな大きさだ。街角で見た光景か、日頃作者が使っている包丁とは格段に大きな包丁を使って、おそらく塊の肉を切っている逞しいスペインの女性、そんなイメージが浮かぶ。上の句の原初的なイメージが、私の中では「未来記」と結びつきにくい。(鹿取)


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