かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 153 追加版

2016年05月26日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究18(2014年8月)【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)67頁
       参加者:泉真帆、鈴木良明(紙上参加)、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:渡部 慧子
       司会と記録:鹿取 未放

    ◆大井学氏の評論の一部引用を追加しました。(2016年5月)

153 われの目をふかぶかと覗きこみてきし夢解き師の目潤みていたり

       (レポート)
 夢をよくみる作者は「夢解き」をたのむことが多くあったのだろう。「覗きこみてきし」の「きし」を距離の移動ではなく、経験を含んだ時間経過と解した。夢解きの為に大切な心の窓なる目はふかぶかと覗きこまれてきたのだ。その見る側の夢解き師の目が潤んでいるという、なぜなのか。私達の夢も目覚めている時もそれは全て生の連続であって夢解き師などと名乗って生の一部分である夢を解くことのおこがましさをこの場で思い至ったのか。残念ながらこの先をつづれない。(慧子)


       (事前の意見)
 「夢解き師」(夢の吉凶を判じ解く人)は、夢占いよりも信頼できそうであるが、われの目を覗き「見る人」は、同時にわれに「見られる人」であり、その目が潤んでいた、とわれに見破られてしまったところが、可笑しい。(鈴木)


          (当日発言)     
★慧子さん、つづれないのは何故ですか?(鹿取)
★わからないからです。(慧子)
★手相見とか占い師というのは街角でよく見かけますが、夢解き師というのはリアルに存在するも
 のですか?フロイトの夢判断を高校時代夢中で読みましたけど、夢解き師というのが現実世界で
 は浮かばないのでこの歌は何か幻想的な感じがします。(鹿取)
★夢解き師は〈われ〉であるか、もう一人の〈われ〉であるか、あるいは神のようなものなのか、
 現実の世界で自分を起こしてくれた奥さんとか娘さんとかも考えられる。フロイトなのかとも思
 ったのですけれど。ユーモアよりも奥深いものを感じました。潤んでいたというのは、お互いの
 心の行き来を感じます。(真帆)
★夢解き師は依頼したのだと思う。その夢解き師の目が潤んでいたということは、夢解き師として
 の資格がないと思う。(曽我)
★私は目が潤んでいたというところにエロチックなものを感じます。男同士のエロスのような。フ
 ロイトの夢判断だと全てエロスに行き着くんですけど。真帆さんがいうような対象と自分が入れ
 替わるような、主格がわからなくなるような訳のわからなさも感じるのですが。(鹿取)
★こう考えると実も蓋もないけど、夢を見ている自分を起こして夢を解放してくれた人、自分を起
 こしてくれた奥さんの目がエロチックに潤んでいたとか。(真帆)
★いやー、まあ、それは違うでしょうね。(鹿取)


     (まとめ)
 会の場では思いつかなかったが、夢解き師は作者が掛かっている精神科の医師ではないか。こんな不思議な夢を見たと訴えていると医師は「われの目をふかぶかと覗きこみてき」たのだ。潤んでいたのは夢を解き明かそうとして懸命になっているからか。または性的な興味を抱いたからか。(鹿取) 


     ◆大井学氏の評論「新しい歌の『主体』のために」【「かりん」二十五周年記念特集号(2003年5月)】
      に掲出の歌が採り上げられているので引用させていただく。

一般的に解釈すれば、「夢解き師」とは占い師や精神分析医を指すと考えられる。しかしここで着目したいのは、夢解き師の目が潤んでいるということを他ならぬ「私」が見ているということである。夢という意識の閾線上にあるものを覗き込む「夢解き師」が「私」を見つめる目を、逆に見つめているという構図である。ここにおいて「私」の意識は夢解き師の存在によって反射され、自身の深部を覗き込むことになる。夢解き師とは他者の姿を借りた自分自身であり、無意識の現実と有意識の現実とを往還する思考の実在性である。あたかも中空に浮かんだ白い診察室の風景を連想させるようなこの歌には、安堵とも恐怖ともつかぬ不思議な雰囲気がある。「見る」ことの安心と「見られる」ことの不安との間にあって、歌は湿り気を帯びながら呼吸している。(大井学)