かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

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ブログ版 馬場あき子の外国詠404(中欧)

2018年01月31日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠56(2012年9月実施)
   【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)116頁~
   参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:N・I(欠席の為、レポートのみ送付)
   司会と記録:鹿取未放


404 聖なるもの観光として見ることに疲れゐつ荘厳(しやうごん)のビート聖堂

     (当日発言)
★「観光としてわが見るマリアわれを見ず初秋のやうにさびしきその瞳(め)」という歌を以前鑑 賞しました。見るこちら側の人間の質を問うている。信仰というものを突き詰めて考え(といっ て信者になるということではないが)もっと裸の人間として向き合いたいが慌ただしく観光で来 ている今はそれができない。聖なる対象との間にどうにもならない距離を感じていてじれったく、 そのことが作者を疲れさせているのだろう。自分自身が変革されたかたちでしか荘厳なるものと の本質的な対峙はできないというのだろう。(鹿取)
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ブログ版 馬場あき子の外国詠403(中欧)

2018年01月30日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠56(2012年9月実施)
   【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)116頁~
   参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:N・I(欠席の為、レポートのみ送付)
   司会と記録:鹿取未放


403 ビート聖堂にミュシャの光と影ありて聖者さびしげに瞑目したり

      (当日意見)
★前回の402番(ステンドグラスの絵図に悲しみの祈りあれどミュシャの光をわれは見てゐる)
 ではミュシャの光を、この歌ではミュシャの光と影を見ている。聖者は前回曽我さんが調べてく
 れたキリルとメトディウスで、チェコにキリスト教を伝えた二人。彼らが寂しそうに目をつぶっ
 ているという意味。(藤本)
★ステンドグラスが大きすぎて聖者が瞑目している部分はよく分からないが、現地では見えたのだ
 ろう。「さびしげに」が活きているかどうかの判断は鑑賞者によるかもしれないが、私は活きて
 いると思う。また「さびしげに」は作者の感情を直接表現したものではない。ステンドグラスそ
 のものも陽光を受けて美しく輝いているだろうが、絵そのものに光と影があって、影の部分の一
 つに目を瞑った聖者がいる。光と影はもちろん精神のそれでもあるのだろう。(鹿取)
★キリスト教そのものが変遷している。時には迫害されたりもする。そういう哀しさを秘めて聖 
 者は瞑目しているのかもしれない。(藤本)

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ブログ版 馬場あき子の外国詠402(中欧)

2018年01月30日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠55(2012年8月実施)
   【中欧を行く 虹】『世紀』(2001年刊)113頁~
   参加者:K・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:曽我亮子
   司会と記録:鹿取未放


402 ステンドグラスの絵図に悲しみの祈りあれどミュシャの光をわれは見てゐる

     (レポート)
 プラハ城にある聖ヴィート大聖堂に描かれたミュシャのステンドグラス「聖キリルと聖メトディウス」は王家の洗礼を主題にしたものであり、祈りの心が込められている。しかし私はこの絵に、ミュシャの生国モラヴィア特有の鮮やかな色彩とのびやかな彼の心を見たのである。(曽我)
 □聖ヴィート大聖堂のステンドグラス「聖キリルと聖メトディウス」
   キリルとメトディウスはギリシャ出身の兄弟で、863年チェコにキリスト教を伝え、プラ  ハのプシェミスル王家の人々の洗礼を行った聖者である。ミュシャのこのステンドグラスには  アール・ヌーボーの官能的傾向は見られず、スラブ的要素の強い晩年の作である。
□アルフォンス・ムハ(ミュシャはフランス読み)
   1860年南モラヴィアに生まれる。1894年フランスの大女優サラ・ベルナールに出逢  うことによりアール・ヌーボーの旗手として華やかにヨーロッパ各地で活躍する。しかし19  10年故郷チェコに戻ったムハは大連作「スラヴ叙事詩」「運命」などを長い年月かけて製作  する。これらはムハの愛国心から描かれたもので、スラヴ民族の戦いと希望が表現されている。
   ムハは晩年もはや官能的絵画は描かず、鋭い目差しで対象を見据えるスラヴの女性を描いた  のである。後、ナチスに退廃芸術家として捕らわれたが釈放され、間もなく1939年7月7  8歳で没した。( 出典  フリー百科事典ウィキペディア)


          (後日意見)
 ミュシャはモラヴィア(現在のチェコ)生まれ。聖ヴィート大聖堂は1344年から600年 をかけて建築されたという。ステンドグラスの一部を1931年ミュシャがデザインして制作した。全体はチェコへのキリス教布教の様子が描かれている。ここにはチェコの民族衣装を着た女性が登場し、「スラヴ叙事詩」に繋がる部分である。ミュシャはこの頃、民族への思いを深めていたが、1939年ナチスのチェコ侵略後は厳しい尋問を受けることとなった。
 そんなミュシャの生涯を思い浮かべながら、このステンドグラスには「悲しみの祈り」が描かれているけれど、今〈われ〉は眼前のステンドグラスの美しい光の面を見ているよ、という事ではなかろうか。この「カレル橋」一連は光と影がテーマのようだ。(鹿取)
 
               
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ブログ版 馬場あき子の外国詠401(中欧)

2018年01月28日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠55(2012年8月実施)
   【中欧を行く 虹】『世紀』(2001年刊)113頁~
   参加者:K・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:曽我亮子
   司会と記録:鹿取未放


401 かへりみるプラハ城はればれと静かなり歴史はいまによりてかがやく

     (レポート)
 振りかえって見晴るかすプラハ城は今、どっしり鎮まっている。長い年月を過酷な歴史に翻弄されつづけたプラハ城も人も、古き良きものを大切にすることによって輝いているのだ。(曽我)
 

     (当日発言抄)
★「古き良きものを大切に伝えることによって輝いている」とレポーターはいっているが、今があ
 るからこそ過去が輝いて見えると詠っているのではないか。(慧子)
★「歴史はいまによりてかがやく」の部分はあんまり重く考えたくない。むしろ初句が大切では
  ないか。かえりみるとプラハ城が晴れ晴れと静かに建っている。その空間的な視野にふっと時
  間的なことも考えているのではないか。(鈴木)


         (後日意見)(2015年9月)
 もう一度、見ておこうと振り返ると、様々な歴史の変遷の渦中にあったプラハ城は、なにごともなかったように1100年の時を経て晴れ晴れと、諦観したように静かに佇んでいる。それは過去の歴史を浄化して、新しい歴史を明日へとつなぐ輝きのように思われることだ。

 プラハ城は、聖堂、修道院、王宮、旧王宮などの様々な建物から構成されており、城というよりも街である。聖ヴィート大聖堂、フランツ・カフカの家なども城内にある。1100 年以上の歴史を持つ世界最大のプラハ城は、1992年には世界遺産に登録され、今ではチェコが誇る観光名所となっている。歴代のボヘミア王、ローマ皇帝、チェコスロヴァキア大統領が居住し、現在もチェコ共和国の大統領府として使用され、ミロシュ・ゼマン大統領が、2013年以後、執務を行っている。チェコ市民の象徴的建物でもあり、フラチャヌィの丘からプラハの街を見下ろしている。1968年春にチェコスロバキアで起きた「プラハの春」といわれる民主化の動きでは「ドゥプチェクを城へ!」というのが民衆のスローガンであったが、ソ連・東欧軍の介入により弾圧された。1989年ビロード革命で、共産党政権が崩壊。再び民主化を進めたハヴェルが大統領が就任して、プラハ城の主となった。 (石井彩子)

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ブログ版 馬場あき子の外国詠400(中欧)

2018年01月26日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠55(2012年8月実施)
   【中欧を行く 虹】『世紀』(2001年刊)113頁~
   参加者:K・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:曽我亮子
   司会と記録:鹿取未放


400 ここに誰れ逢ふべくもなき街ながらプラハ美し夕べも昼も

     (当日発言)
★偶然には知り合いに逢うことなどない街だけれど、プラハは夕方も昼もこんなに美しい。もし、
 知り合いにあったら美しいねと感動を共有したいけれどそれができない。だからもったいない、
 たった一人でこの美しい風景を眺めているのは、という気持ちなのだろう。まあ、実際は旅の同
 行者がいたわけだけど。古歌に「心ある人に春の難波の景色を見せたいものだ」という内容の歌
 があって、あれと同様の気分なのだろう。その歌は有り体にいえば自分と同じくらいの情趣を解
 する心、鑑賞眼を持った人にこのすばらしい難波の春景色を見せたいということ。この景色を誰
 とも分かち合えないからこそ、ますます美しくもったいなく感じるのだろう。(鹿取)


     (後日意見)
 「誰れ逢ふべくもなき街」は、やはり〈誰かと約束して逢う〉ということもない、誰とも約束はしていないけれど、という意味ではないか。誰とも逢う約束がなく、この街のすばらしさを分かちあう人がいない寂しさを詠っているのだろう。〈誰〉は、もちろん自分と同じように〈情趣を解する人〉という意味だろう。偶然あうだと〈情趣を解する人〉の意味合いが薄れてしまう。
 当日発言の中で話題にした歌は、正確には次のとおり。
〈心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春の景色を〉(後拾遺集)能因法師
 ところで理由は不明だが、ヒトラーはプラハの街だけは爆撃しなかったという。おかげでこの古い街並みがそのまま残っている。絵画を殊に愛したヒトラーだから、この街の美しさは壊すに忍びなかったのだろうか。(鹿取)


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ブログ版 馬場あき子の外国詠399(中欧)

2018年01月24日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠55(2012年8月実施)
   【中欧を行く 虹】『世紀』(2001年刊)113頁~
   参加者:K・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:曽我亮子
   司会と記録:鹿取未放


399 ただ一日(ひとひ)見て別れなむカレル橋灯の入れば三十の彫像の翳 

     (レポート抄)
 たった一日だけ見て別れてきたカレル橋だが、今夜もまた黄昏れてランタンに灯がともれば三十体の彫像それぞれの長い陰影が橋上に伸びていることだろう。(曽我)


      (当日発言抄)
★文法の解釈が少し違う。「なむ」の識別は難しいが、ここは強意の助動詞「ぬ」の未然形「な」
 +意志の助動詞「む」の終止形「む」で、お別れ「してしまおう」の意。4句めの「入れば」は
 已然形+「ば」なので確定条件となり、「入ったので」となる。カレル橋に灯が入ったので三十
 体の彫像が翳を濃くしていることだ。(鹿取)
★二句切れの限定が効いている。(鈴木)

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ブログ版 馬場あき子の外国詠398(中欧)

2018年01月23日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠55(2012年8月実施)
   【中欧を行く 虹】『世紀』(2001年刊)113頁~
   参加者:K・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:曽我亮子
   司会と記録:鹿取未放


398 カレル橋たそかれ色に青むころともし灯は影を生みたく灯(とも)る

     (レポート)
 カレル橋に夕暮れがきて、淡い青色のしっとりとした靄に包まれる頃。灯火は影を作りたくて灯るのだ。(曽我)
 

      (当日発言抄)
★下の句「影を生みたく灯(とも)る」が独特。(鹿取)
★下の句の擬人法はあまり好きではない。上の句も「たそかれ色」に「青む」といっているが、
 「たそかれ色」って既にある。それを「青む」といっても青もいろいろあるのに。思い入れが
 あるのだろうが技巧的で好きではない。(鈴木)

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ブログ版 馬場あき子の外国詠397(中欧)

2018年01月22日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠55(2012年8月実施)
   【中欧を行く 虹】『世紀』(2001年刊)113頁~
   参加者:K・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:曽我亮子
   司会と記録:鹿取未放


397 行けば影プラハの夜の深い影わが影にふと寄り添ふやうな

     (レポート)
 街を歩けばプラハの夜の濃密な影がいつのまにかすっーと私の影に寄り添ってくる様な一体感がある。(曽我)

     (当日発言)
★歴史のある街の重さや奥深さを感じる。(崎尾)
★中世の建物が残って林立している街の夜の影のことも言っているのだろう。それがわたしに寄
  り添うということで、作者の都市への深い思いを表現している。(藤本)
★下の句がポイント。ニューヨークや東京ではこういう思いは出てこないだろう。古い町並みの
  よさが表現されている。(鈴木)
 

     (まとめ)
 「カレル橋」一連は光と影を意識的に詠っている。プラハの夜の影はやはりプラハの歴史を背負った影なのだろう。その歴史はもちろん悲惨なものも多いが、築いてきた文化の歴史でもある。この397番歌には影という語が3回も出てくるが、畳みかけのリズムが美しい歌だ。一つ目と二つ目の影は、プラハの夜の建物の影のだろうか。その影が自分の影に寄り添ってくれる安らかな気分をうたっている。影を曳いてそのなかを漂うように歩く姿にはどこか陶酔感もあるようだ。(鹿取)


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ブログ版 馬場あき子の外国詠396(中欧)

2018年01月21日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠54(2012年7月実施)
   【中欧を行く 虹】『世紀』(2001年刊)109頁~
   参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:藤本満須子
   司会と記録:鹿取未放

396 「エレクトラ」の幕切れに泣きて歓呼するウィーンの情熱の中にゐるわれ

      (レポート)
 オペラもいよいよ終わりだ。父の仇を討った弟のオレストスを讃える姉のエレクトラは踊り始めるが興奮のあまりその場に倒れてしまう。ウィーンのオペラ座の観客も興奮の渦中に引き込まれてしまう。観客は泣きながら「ブラボー」「ブラボー」と叫んでいる。そのオペラ座の熱気の中に私は今いるのだ。ウィーンの観客と共にスタンディングオベーションに加わった作者を十分に想像させる。(藤本)


      (当日意見)
★欧米人の感情の激しさの中で、覚めて自分を捉えている。周囲をもしっかり見ている。結句の
 「われ」がよい。(崎尾)
★そうですね、自分も歓呼しているんだけど、ふっと我に返ってそういう自分をもう一人の自分
 が見ている。(鹿取)

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ブログ版 馬場あき子の外国詠395(中欧)

2018年01月20日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠54(2012年7月実施)
   【中欧を行く 虹】『世紀』(2001年刊)109頁~
   参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:藤本満須子
   司会と記録:鹿取未放

395 エレクトラ熱唱する大き影ゆれてかく呪ふことわれを励ます

     (レポート)
 今は亡き父を慕い、孤独の寂しさを訴え、復讐を誓うエレクトラの影が舞台背面に大きく揺れている。そのエレクトラの姿は私を励ましてくれる。(藤本)


     (当日発言)
★呪うことが励ますというのは世間的には憚られること、それを敢えて詠われたところがすばら
 しい。道徳とか善に縛られていない。(慧子)
★呪うことというのは強さである。(曽我)
★人間として、呪いの熱唱の圧倒的な力に打たれている。情念の厚みの凄みに圧倒され、人間とし
 ての大きさというか、古代的な強さというか、そういうものを感じ取っている。下の句で深く深
 く納得したが、うまく説明できない。(鹿取)


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