かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

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ブログ版 馬場あき子の外国詠294(トルコ)

2018年02月28日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠39(2011年5月実施)
   【遊光】『飛種』(1996年刊)P128~
   参加者:K・I、崎尾廣子、佐々木実之、曽我亮子、H・T、鹿取未放
   レポーター:崎尾廣子
   司会と記録:鹿取未放

294 地下都市はずんずん深し産屋(うぶや)あり死の部屋あり クオ・ヴァディス・ドミネ

       (レポート)
 カッパドキアの地下都市は100を超えるという。現在見学できるのはデリンクユ、カイマックル、オズコナックである。デリンクユは変形した8層で、内部空間もかなり広く、中には祭室、台所、ワイン醸造所、トイレなどがあり、そこで長期の修道生活も可能であったであろう。異教徒からの迫害を恐れたキリスト教徒が一万から二万人、生活していたといわれているが、実際可能なのは千人単位ではなかったろうか。
   (大村幸弘『カッパドキア トルコ洞窟修道院と地下都市』集英社) (崎尾)


     (まとめ)
 「ずんずん深し」に勢いがある。大きい都市は地下八層まであったというが、産屋も死の部屋も備えたまったき生活空間であった、その様に圧倒されているのであろう。そして有名な「クオ・ヴァディス・ドミネ」の語句を反芻している。
 迫害が激しくなったローマから立ち去ろうとしたペテロが、十字架に架かって処刑されたはずのキリストに出会い、驚いて発する言葉が「クオ・ヴァディス・ドミネ」(主よ、いずこにいらっしゃるのですか)である。キリストは「再び十字架に掛けられるために」ローマに戻るのだと答える。それを聞いてペテロは逃げ出すことをやめ、ローマに引き返す。しかし、やがてペテロも捕らえられて十字架に掛けられたという。その出会いが言い伝えられた場所は、アッピア街道に近いローマ近郊の小さな村であるが、その地に後世ドミネ・クオヴァディス教会が建てられた。現在の建物は17世紀の再建という。
 この歌では地下都市の景に、クオ・ヴァディス・ドミネの言葉を添えることで、293番の歌「転向の心はいかなる時に湧くや地下都市低く暗く下りゆく」を補強し、不自由と苦難を強いる地下都市で信仰を保ち続けることの難しさを思いやっている。転向のこころが兆しても何ら不思議ではない閉塞的な住まいで自分ならどうするか、この地下都市を見た者に突き付けられる鋭い問いであろう。(鹿取)
 
◆清見糺氏の評論「旅行詠の方法について」(「かりん」1997年4月号月)に掲出の歌が採り
 上げられているので一部を引用させていただく。

 ……地底深く垂直に掘られた井戸を中心に広がる街には、都市としての機能を十分に果たすための施設が数多く造られているのだが、馬場あき子はそれらの中から「産屋」と「死の部屋」とを切り取る。迫害され追い詰められた人々の「生」と「死」は下に向かって垂直に掘られているのである。(略)作者は、四句まで垂直に下へ下へと向けた視線を結句でふっと上方に解き放つ。人間の遺伝子系と神経系は、よりよく生きるために合目的々にはたらく。論理的機能的に構築された地下都市という閉ざされた空間に生きることを余儀なくされた人々の不安や閉塞感、そしてたましいの癒しとしての信仰が地の底から立ち上がってくるようである。(清見糺)



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ブログ版 馬場あき子の外国詠293(トルコ)

2018年02月27日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠39(2011年5月実施)
   【遊光】『飛種』(1996年刊)P128~
   参加者:K・I、崎尾廣子、佐々木実之、曽我亮子、H・T、鹿取未放
   レポーター:崎尾廣子
   司会と記録:鹿取未放

293 転向の心はいかなる時に湧くや地下都市低く暗く下りゆく

        (レポート)
 カッパドキアの景観は数百万年前に噴火した火山が生みの親である。初期キリスト教時代の1世紀から4世紀にかけて、彼等はこの地に入ってきた。そして彼等の掘った洞窟修道院・聖堂の数はカッパドキア全体で1000を超えるといわれている。
(大村幸弘『カッパドキア トルコ洞窟修道院と地下都市』集英社)
                                 (崎尾)
                
      (まとめ)
 迫害を受けたキリスト教徒達はあくまでも信仰を守るために地下都市を造って隠れ住んだ。しかし、長期間不自由な生活を強いられたり様々な条件から、ある人にふっと転向の心が忍び寄ってきたとしても不思議ではない。暗い地下都市を下りながら、作者はそんなことを考えたのだろう。2、3句の8、6音という字余りがそんな心のたゆたいを表現しているようだ。転向の心から、思いは次のクオ・ヴァディス・ドミネの歌に繋がっていく。(鹿取)

 

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ブログ版 馬場あき子の外国詠292(トルコ)

2018年02月26日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠39(2011年5月実施)
   【遊光】『飛種』(1996年刊)P128~
   参加者:K・I、崎尾廣子、佐々木実之、曽我亮子、H・T、鹿取未放
   レポーター:崎尾廣子
   司会と記録:鹿取未放

292 歴史とは苦しみの嵩地下都市をくだりて深く匂ふ土あり

       (レポート)
トルコ共和国、アナトリア半島は古来、アジアとヨーロッパが交錯する場所であった。一万年を超す歴史が謎を秘めたまま眠っている。その中央部のカッパドキアは、火山岩台地に長年の風雪による浸食作用がもたらした、見る者を驚かさずにはおかない奇観の地である。終末を予感し、この荒野に祈りの場所を求めた人々がいた。彼等は岩山を掘って洞窟修道院・聖堂を造り、信仰心に満ちた絵画を描いた。数千人の共同生活が可能な、8層に及ぶ地下都市や険しい岸壁に祈りのための洞穴を窄っている。(大村幸弘『カッパドキア トルコ洞窟修道院と地下都市』集英社)(崎尾)                   


     (まとめ)
 紀元前400年頃の資料には既に地下都市の存在が記録されているそうだが、ここは有名なカッパドキアの地下都市であろう。4世紀初め(ディオクレティアヌス帝による大迫害は特に有名である)迫害を受けてキリスト教徒達が地下に隠れ住んだといわれている。その跡を尋ねて深く深く下っていった時に匂う土の香、そこに人間の生の実体をあざやかに感じ取っているのであろう。そこの生活は信仰の喜びだけではない、さまざまな苦を伴っていたことも感じとっているのだろう。(鹿取)

  
 

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ブログ版 馬場あき子の外国詠291(トルコ)

2018年02月25日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠39(2011年5月実施)
   【遊光】『飛種』(1996年刊)P128~
   参加者:K・I、崎尾廣子、佐々木実之、曽我亮子、H・T、鹿取未放
   レポーター:崎尾廣子
   司会と記録:鹿取未放

291 驢馬のあざみ驢馬の胡瓜みな棘ある草驢馬はかなしき棘食む馬か

        (レポート)
 この1首は初句から3句までが字余りである。が「驢馬」を3回、「棘」を2回用いることによってたたみこむような不思議な調べを作っている。辞書によると驢馬はウサギウマとも呼ばれ粗食に耐え、労役に耐えられるとある。結句の余韻を受け止めたい。(崎尾)


     (当日意見)
★「驢馬の胡瓜」「驢馬のあざみ」と呼ばれている野生の草があるのでしょう。「烏のエンドウ」
 とか「雀のエンドウ」とおなじような言い方でしょう。きっと棘があって食べにくいしおいしく
 ないのでしょう。それを、驢馬はあてがわれて、お腹が空いているから仕方なく食べるのです。
 作者はそのことに哀れさを感じているのでしょう。(鹿取)


     (まとめ)
 人間の食べる胡瓜にも棘はあるし、蔓には更に鋭い棘がある。あざみにだって花にも茎にも鋭い棘がある。驢馬のと形容されたこれらの植物はどのくらいの大きさなのか、ネットで調べてみるがよく分からない。小さい体なのに馬のようにこき使われて、馬ほどは大事にされず、棘ある草くらいしかあてがわれない。しみじみと驢馬をあわれんでいる。(鹿取)

 
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ブログ版 馬場あき子の外国詠290(トルコ)

2018年02月24日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠38(2011年4月実施)
   【遊光】『飛種』(1996年刊)P125~
   参加者:N・I、曽我亮子、藤本満須子、鹿取未放
   レポーター:N・I
   司会と記録:鹿取未放

290 アヤソルクのヨハネ教会の跡に立ち驢馬の胡瓜の花咲くをみる

(まとめ)
 289番歌「王権と宗教のむごき葛藤の距離をゆくエフェソスよりヨハネ教会まで」で見たように、コンスタンティヌス帝によって313年キリスト教が公認された後、アヤソルクの丘にあるヨハネの墓の上に木製の教会が建てられた。それが聖ヨハネ教会の原型である。6世紀にはユスティニアヌス帝の命により壮大な教会に改築され、6つのドームを持つ本館があったが、今は廃墟となり遺っているのは壁と円柱、床のモザイク画、ヨハネの墓所だけだそうだ。
 茫漠とした廃墟に驢馬の胡瓜が花を付けている。驢馬の胡瓜の実は棘をもつというが、花は人間の胡瓜と同じように黄色いのだろうか。その花の哀れさ。もちろん歴史も宗教も変転したが、そのはかなさを言葉で言わず、花に焦点を当ててもの言わしめている。(鹿取)


 

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ブログ版 馬場あき子の外国詠289(トルコ)

2018年02月23日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠38(2011年4月実施)
   【遊光】『飛種』(1996年刊)P125~
   参加者:N・I、曽我亮子、藤本満須子、鹿取未放
   レポーター:N・I
   司会と記録:鹿取未放

289 王権と宗教のむごき葛藤の距離をゆくエフェソスよりヨハネ教会まで

     (まとめ)
 古代の商業都市エフェソスは、紀元前11世紀にイオニア人によって建設され、紀元前133年に共和制ローマの支配下に入り、アジア属州の首府とされたが、その後も古代ローマ帝国の東地中海交易の中心となって7世紀頃まで繁栄は続いたという。共和制ローマ最末期の紀元前33年にはマルクス・アントニウスがエジプトの女王クレオパトラと共に滞在したという伝説も残っている。人口は最盛時15万人、この地で数々の国際会議が開催された。しかし、6世紀頃から土砂の堆積によってしだいに港の機能が失われてゆき、アラブ人の進出によって経済システムにも変化が起こりエフェソスは衰退していったという。かくして1400人収容の音楽堂、2万4千人収容の大劇場、12万冊の蔵書を誇る図書館など多数の遺跡が残された。宗教の面では繁栄していた当時のエフェソスにパウロが伝道のためにやってきて3年間留まり教会の形成を行ったといわれている。パウロが去った後、エルサレムを追われたヨハネが聖母マリアを伴ってこの地にやってきて暮らしたという。287番歌「秋風に胡桃の広葉鳴る下にさびしもヨハネの福音きけば」、288番歌「マリア終焉の地はここなりと胡桃の風音にさやげる山に連れゆく」でもみてきたように、晩年はエフェソスからアヤソルクの丘に移り住んだ。
 1世紀から4世紀にかけて、ネロなど歴代の皇帝はキリスト教を迫害したが、厳しい迫害にもかかわらずキリスト教徒はますます増大した。4世紀初めのディオクレティアヌス帝による大迫害のあと、もはやキリスト教徒を敵に回しては分裂しているローマ帝国の統一は困難であると悟ったコンスタンティヌス帝は、キリスト教徒の団結力を利用する方向に軌道修正した。その結果ローマ帝国統一を成し遂げたコンスタンティヌス帝は、翌313年キリスト教の信仰を公認する「ミラノ勅令」を出した。その後、ローマ皇帝テオドシウスⅠ世は、古くからの神々を廃し、392年に一神教であるキリスト教を国教とした。(それから3年後の395年テオドシウスⅠ世は死亡、コンスタンティヌス帝が統一していたローマ帝国はまたもや東と西に分裂し、その後帝国が統合されることは無かった。)
 そういういきさつがあったため、エフェソスの地は商業や文化のみならず教会行政の中心ともなったのである。431年には東ローマ皇帝テオドシウスⅡ世の勅令のもと、エフェソスの地で第3回宗教会議(エフェソス公会議)が開かれ、キリスト教世界全体から150人もの聖職者が集まったという。やがてヨハネと聖母マリアが暮らしていた辺りに「聖母マリア教会」が建てられた。場所は円形劇場の近くで、現在は荒廃したその跡だけが遺っている。
 長く繁栄を誇ったエフェソスであったが、前にも書いたように港の沈降などの理由で人々は離れ、代わってアヤソルクが経済や教会行政の中心となっていった。キリスト教公認後の4世紀にはアヤソルクのヨハネの墓の傍に小さな教会が建てられていただけだったが、6世紀に東ローマ皇帝ユスティアヌス1世の命令によって大々的に建て替えられ、聖ヨハネ教会となった。
 この後のキリスト教とイスラム教の鬩ぎ合いや政治との関わりはもはや書ききれない分量になるので省略するが、ヨハネ教会のすぐ下にトルコ人の支配下に入った後に建てられたイスラム教のモスク、イサ・ベイ・ジャーミーがあるという。
 ヨハネ教会があるアヤソルクの丘は、エフェソスの都市遺跡群からは歩くと30分ほどの距離だという。遺跡群を見学した後、ヨハネ教会までは歩いたのであろうか。移動しながら「王権と宗教のむごき葛藤」について思いをめぐらせていたというのだ。その一端を考えただけでも目がくらむようである。(鹿取)

 


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ブログ版 馬場あき子の外国詠288(トルコ)

2018年02月22日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠38(2011年4月実施)
   【遊光】『飛種』(1996年刊)P125~
   参加者:N・I、曽我亮子、藤本満須子、鹿取未放
   レポーター:N・I
   司会と記録:鹿取未放

288 マリア終焉の地はここなりと胡桃の風音にさやげる山に連れゆく

      (当日意見)
★胡桃が風に鳴るような寂しいところ。(藤本)

     (まとめ)
 「聖母マリアの家」辺りでマリアはヨハネの死後ひとり生きたといわれている。今ある建物は20世紀になってから建てられたものというが、胡桃の広い葉が風に鳴る音が寂しさをいよいよ深いものにしている。山に連れて行ってくれたのは、旅行ガイドなのだろう。(鹿取)

 
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ブログ版 馬場あき子の外国詠287(トルコ)

2018年02月21日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠38(2011年4月実施)
   【遊光】『飛種』(1996年刊)P125~
   参加者:N・I、曽我亮子、藤本満須子、鹿取未放
   レポーター:N・I
   司会と記録:鹿取未放

287 秋風に胡桃の広葉鳴る下にさびしもヨハネの福音きけば

      (まとめ)
 この場所は次の歌(マリア終焉の地はここなりと胡桃の風音にさやげる山に連れゆく)の関連からいうとアヤソルクの丘の上にある「聖母マリアの家」のことだろうか。マリアはキリストの死後エルサレムを追われたヨハネと共に現在の「聖母マリア教会」跡(「聖母マリアの家」とは別で、エフェソスの都市遺跡群の外れにある)の辺りで暮らしていたが、最晩年はヨハネと共にアヤソルクの丘と呼ばれた郊外へ移転した。それが「聖母マリアの家」の辺りだという。これらの地でヨハネは「ヨハネの福音書」を書き継いだと伝えられている。それでヨハネの福音の説明をガイドさんか教会の人かがしているのであろう。生の寂しさがしみじみと伝わってくる。(鹿取)

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ブログ版 馬場あき子の外国詠286(トルコ)

2018年02月20日 | 短歌の鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠38(2011年4月実施)
   【遊光】『飛種』(1996年刊)P125~
   参加者:N・I、曽我亮子、藤本満須子、鹿取未放
   レポーター:N・I
   司会と記録:鹿取未放

286 糸杉は太りしばしばも道に立ち人死ねば柩となるをトルコに

      (当日意見)
★杉や檜で日本でも棺を作る。(藤本)
★「柩」は、前年にトルコ旅行の途中亡くなられた義理の妹さんからの連想もあるのかもしれない。
 ゴッホの絵などから糸杉は細いものと思いこんでいたが、ここの糸杉は柩を作れるくらい太って
 いて、道ばたのそこここに立っている、というのがちょっとした驚きだったのだろう。かなりの 
 字余りだが下の句は気にならない。上の句は「も」をわざと入れている。(鹿取)


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ブログ版 馬場あき子の外国詠285(トルコ)

2018年02月19日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠38(2011年4月実施)
   【遊光】『飛種』(1996年刊)P125~
   参加者:N・I、曽我亮子、藤本満須子、鹿取未放
   レポーター:N・I
   司会と記録:鹿取未放


285 いすたんぶるにこほろぎ啼くをひつそりと聞きて夜半より街にしたしむ

        (当日意見)
★今までトルコに来て何かしっくりいかなかったが、この歌は違うという。当時のトルコはどうい
 う国だったのか?トルコの歴史について何かがある。(藤本)
★何かがある歌は、この後たくさんでてきます。これは確かにほっとさせる歌ですよね。(鹿取)



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