かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

〈着物〉手作り へちまの帯枕

2013年06月24日 | 着物

 以前、着物ブログ「晴れ時々着物」の方が、百均のへちまを切って帯枕を作るつもりだと書いていらした。浴用に売っている長い315円のへちまを切って使うという。それ以来、何軒か百均を回ったが、短いものはあっても長いへちまは売っていない。しかし短いへちまなら切る手間が省けるし、105円ですむという事に気が付いた。そこで作ったのが写真のもの。
 へちまの長さは18センチ。金槌で叩いて背中に付く部分を平らにし、上になる両端の角を少し蒲鉾型にした。手にしたガーゼも105円。30×100センチ2枚入り。1枚でへちまを包み、残り1枚は2つに切って両方に縫いつけた。210円也だが、付け心地は快適。
 40年着物を着ている友人から、帯の形もきれいだし、買ったら15倍のお値段よ、と言われた。










国語教育学会  やっぱり方向音痴

2013年06月23日 | 日記
 早稲田大学国語教育学会50周年記念大会に参列した。
東郷克美先生の講演を聴きに行くと先日書いたが、東郷先生はシンポジウムに参加され、教育学会設立の歴史などについて話された。講演は榎本隆司先生で、戦争に行った思い出から学生、教員時代の先生方との交流を話され、ちょっと涙をこらえたりしたことだった。
 それはそうと、方向音痴でやっぱり失敗。
地下鉄早稲田駅から地上にあがった所で、同年配と思われる女性に「早稲田の8号館ってどこですか?」と声を掛けられた。「8号館って法学部ですよね。行く途中ですから一緒に行きましょう」と連れだって歩き始めたが、20歩程歩いて反対方向だと気が付いた。「ごめんなさい、逆方向でした」と引き返したら、女性は不審そうな顔つきで「早稲田大学ってどっちですか?」と質問。そんなこと言ったって、文学部はあっち方向だし、法学部、商学部などはこっち方向だし……「あの人達はみんな早稲田の学生ですか?」と前を歩いている人たちを指さして女性。そんなこと私に分からないでしょう…学生もいれば、そうでない人もいるでしょうし…。ちぐはぐな会話を繰り返しているうちに、それでも南門にたどり着いて、すぐ脇の8号館に無事女性を送り届けた。教育学会は14号館で、こちらは大丈夫と思ったが、大きなクレーン車を避けて裏に回ったら、ゴミ捨て場と喫煙所のある袋小路だった。 
 

馬場あき子の外国詠鑑賞  D 

2013年06月22日 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠 D(2008年6月)    
    【西班牙 2 西班牙の青 】『青い夜のことば』(1999年刊)P52~
      参加者:I、SA、崎尾廣子、SM、藤本満須子、H、渡部慧子、鹿取未放の8名
                レポーター:藤本満須子さん、レポート部分は省略。
        司会とまとめ:鹿取 未放
 
 ※レポートに追加する意見だけを載せているので、元のレポートがないと不十分なのですが、
  お許し下さい。お申し出くださる方には、元のレポートをコピーしてお送りします。

74 遠い記憶の底に澄むかな宣教師ザビエルが泣きし日本の食(じき)

 ザビエルの父はボローニャ大学で法学の博士号を取り、ナバラ王国の大臣にまでなった人だという。ザビエルはパリ大学で哲学と神学を修め助教授になっている。たいへん理性的な人だったというが、様々な事情からイエズス会創立にかかわり、東洋への布教を任命された。
 そのザビエルにして泣いた日本の食とはどういうものだったのだろうか。ザビエルが鹿児島滞在後八十日目に、ゴアのイエズス会神父宛に書いた手紙には、日本人の食生活について「食事は少量で、この地方にはぶどう畑がないので米から取る酒を飲んでいる」という記述があるそうだ。日本の菜食中心の食事がザビエルには合わなかったのだろうか。
 それはそうと作者は上記のような内容を遠い昔に読んだ記憶があって、スペインの地を踏んだ時に蘇ってきたのだろう。「澄むかな」とあるところにザビエルに対する好意的なまなざしがある。  (鹿取)
 ★布教のつらさ、難しさを食べ物で現している。
 ★遠藤周作の『沈黙』には、宣教師が「ああ、肉が食いたいなあ」という場面が出てくる。  
 ★神との関係で「澄む」が出てきたか。(崎尾)

75 いすぱあにあ───  はるかなるものを呼ぶときの葡萄の香り薄雲の肌
 ザビエルが日本に来て伝えたものに、ガラス・めがね・ニット生地などとともにワインがあるそうだ。いすぱあにあとは葡萄の香りを思い出させるあこがれの地であったのだ。「薄雲の肌」はうすい皮を張った透き通る葡萄の果肉のことをいっているのだろうか。(鹿取)
 ★乾燥した大地と空の色(藤本)
 ★いすぱあにあは、ひらがな書きでないといけない。ザビエルの望郷の気持ちを思いやっている。
  (T子さんより後日届いたご意見)

76 ただ孤なるみなし子のやうなるザビエルの心乗せたる秋の雲ゆく
 父である神から切り離される布教のあてどなさを言っているのであろうか。作者達のスペイン滞在は6月初旬なので、「秋の雲」はザビエルが日本に滞在した遠い秋のことを思い描いているのだろう。(鹿取)
 ★「秋の雲」は漂白している心(I)
 ★宣教師は次々に日本へ来て、イエズス会にレポートを書いて送っていた。(H)
 ★日本の国で死にたかったザビエルの心。ザビエルの心はスペインに帰ってきていたのかもしれ
  ない。(崎尾)

77 日本史の粛然とせる失念に影のごとザビエルに添ひしヤジロー

 ヤジローは生没年もつまびらかでないが、若い頃に人を殺し、薩摩に来航していたポルトガル船に乗って逃れ、マラッカでザビエルに罪の告白をしたとも言われている。また、修験道系の陰陽師だったという説や海賊だったという説もある。そのヤジローがどういう経緯からかザビエルに従って鹿児島に上陸したのである。以後二年間、各地を転々としながら布教活動をするザビエルに常に従ったヤジローだが、日本史はヤジローについては詳細には伝えていない。(鹿取)
 ★ヤジローは犯罪者だったから。裏の歴史。(SA)
 ★日本史も記述せず、作者も忘れていたことに「粛然と」しているのだ。
  (後日、田村広志さんからいただいた意見。)

78 西班牙より見ればヤジローとザビエルの対座の秋の無月邃(ふか)しも

 東洋の一犯罪者であるヤジローとキリスト教国の最高の知性であり情熱を秘めた神父との魂と魂のぶつかり合い、あるいは魂同士の寄り添うさまを扱って、奥深い味わいのある歌である。
 スペインに旅し、16世紀日本に上陸したヤジローとザビエルのある秋の無月の夜の対座の様を振り返っている。無月は中秋の名月に月が見えないことをいうが、ふたりが上陸したのは1549年8月15日、正に中秋の名月その日であった。(しかし天候悪く彼らの上に名月が輝くことはなかったのかどうか、調べきれなかった。作者の想像の中で無月であったのかもしれない。)月が無い深いふかい闇の中で二人はいのちがけの真剣勝負の鋭い議論を交わしたのであろうか。あるいは言葉の壁に阻まれて深遠な議論を闘わすことは不可能だったろうか。その場合はそれぞれがそれぞれの思いを抱えて言葉少なに向かい合っていたのだろうか。西洋人と東洋人、宣教師と罪人という異色の組み合わせながら、「対座」という言葉には相手を包み込むような優しさも感じられる。犯罪者であるヤジローを神に導き、対等にむかいあっているザビエルの人間としての大きさが詠み込まれているようだ。また、そう読むことによって馬場あき子の人間への愛の大きさも思わせられる。
  (鹿取)
 ★ヤジローとザビエルの対峙を扱ったすごさ。(H)

79 逃亡者ヤジローの海灼けるほど熱き黙秘の塩したたらす

 これはザビエルに会う前のヤジローを詠っているのだろうか。ヤジローは殺人を犯したというが、どういう事情からだったのだろう。敵討ちのような肉親の情か、金銭のトラブルか。分からないが、ストーリーとしてはささいなことで激情にかられて殺人を犯し逃げていた人間が、ザビエルという偉大な思想家に魅せられキリスト教の深淵に触れ、改心をして洗礼を受け、以後敬虔な信者になって生涯を貫き通したと考える方が面白い。
 海外で罪をとがめられて「黙秘の塩したたらす」場面というのは考えにくいので、罪を裁かれるのを覚悟でザビエルに従って帰国した後の場面であろうか。灼けるほど熱い海と対比された黙秘の塩が、拷問の厳しさをあますなく伝えている。ザビエルがこれ以上の布教を断念して2年後日本を去った後、キリスト教徒として追われる身になったヤジローのこととも考えられなくはないが、連作上の歌の位置からするとザビエルが去った後という解釈は難しくなるだろう。(鹿取)

 ★黙秘は後の弾圧の際とも考えられる。(T子さんより後日届いたご意見)

80 海と空のあをさほのけさヤジローとふ日本最初の切支丹帰る

 切支丹となったヤジローがザビエルに伴われて帰国した日本は、しかし西洋とは全く違う考え方をもつ国だった。あいまいさを好む日本的情趣を海と空の境界も定かではない「あをさほのけさ」という情景によって示している。犯罪者ヤジローは身の危険は承知で帰国したのだろう。79番歌から類推できるように拷問にかけられたのであろうか。さらに日本的情緒に布教する難しさを、ヤジローたちは考えたであろうか。(鹿取)
 ★よい目をしていた日本青年に宣教師が惹かれたという旅行記を読んだ。この時まだ日 
  本ではキリスト教は禁止ではない。(慧子)

81 ジパングの国より来たる感情の溺れさうなる西班牙の空

 80の歌に見られるような日本のあいまいな情緒的な空ではない、きっぱりとしたスペインの空を仰いでの感慨。かつてジパングと呼ばれたはるか東洋の小国から来てみると何もかもがあまりにも違う。日本的情緒を纏ったアイデンティティーが異国で見失われるような不安を詠んでいるのだろう。
 (鹿取)
 ★年齢によって空の受け止め方が違う。(SA)

82 静かの海のさびしさありてマドリッドのまつさをな虚にもろ手を伸ばす

 「静かの海」は、月にあるへこんで見える部分の名称。月には「静かの海」以外にもたくさんの〈海〉が存在する。「まつさをな」とあるからこの場面は昼で、淡く月が見えているのかも知れない。そういう虚に向かって「もろ手を伸ばす」ときの思いとはどういうものか。81番歌は「空」だが、ここでは「虚」と表記されているが、「虚」であるところに特別な思い入れがあるのだろう。そう考えると単純に旅の中での満ち足りたさびしさのみをいっているのではないだろう。西洋思想に呑み込まれてしまいそうな湿潤な東洋思想のことを思っているのだろうか。(鹿取)
 ★自分の心の寂しさをいっている。(慧子)


馬場あき子の外国詠鑑賞  C 

2013年06月21日 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠 C(2008年5月)    
    【西班牙 1 モスクワ空港へ】『青い夜のことば』(1999年刊)P48~
      参加者:I、SA、崎尾廣子、SM、藤本満須子、H、渡部慧子、鹿取未放の8名
                レポーター:崎尾廣子さん、レポート部分は省略。
        司会とまとめ:鹿取 未放
 
 ※レポートに追加する意見だけを載せているので、元のレポートがないと不十分なのですが、
  お許し下さい。お申し出くださる方には、元のレポートをコピーしてお送りします。


64 成田空港包囲して林立するホテル消燈の時きらり小泉よねさん

 成田空港の建設計画が発表されたのが66年、即、反対闘争が組まれた。軍事目的による使用を危惧したためである。小泉よねさんは7歳の時から子守に出されて、つつましく暮らしてきた人である。そういう農民達が立ち上がり、学生その他が全国から応援に駆けつけて闘った長い闘争だが、71年、土地収用法によりよねさんの家や田畑も強制収用された。78年には、4000メートル滑走路一本という、大幅に計画を縮小した形で成田空港は一応の完成をみた。
 死者や負傷者を大量に出した激しい反対闘争だが、91年に成田空港シンポジウムが開催され、94年には話し合いによる解決が合意された。(もちろん、話し合い一切拒否、空港絶対反対の立場の人達も大勢存在する。)馬場一行のスペイン旅行は95年だから、闘争が一応の終結をみた一年後ということになる。(ちなみに今年2008年5月が開港30年目に当たるというから、成田空港と「かりん」は同じ年輪を重ねたことになる。)
 きらびやかなホテルが空港を「包囲して」「林立」していると詠むことによって、かつてそこにそのようにしてあった反対運動の旗を鮮やかに二重写しにしてみせる。そうすることで、農民達の運動を封殺して成った空港を利用しようとする自らに対する痛みをも表現しているのであろう。寝ようとしてホテルの部屋の灯を消す時に、作者の脳裡を小泉よねさんのことがかすめる。彼女たちを蹂躙した為政者と自分たちが一体になって彼女たちを踏みにじっているような気分、自分たちの方がむしろ敗者であるかのような気分、それが小泉よねさんを「きらり」と光らせた理由であろう。
 馬場の旅に同道した清見糺が、似たような場面を次のように詠っている。
  滑走する機窓に見えてうらがなし成田空港フンサイの塔
 清見の歌はやや情緒に流れているが、馬場の歌は矛先が己に向かっていて自己省察の鋭い歌である。なお、田村広志の『旅の方位図』の「廃井」13首は、空港の為に廃村となった村の風景を詠んでいてあわれぶかく心打たれる一連である。
  一村を廃墟となして成りてゆく空港 雨のけむれる彼方
  空港の高き鉄塔に灯はともり暮れはやき一面草の廃村
   * 田村広志の歌集に成田空港を詠った一連がある旨の指摘は、藤本さんからいただいた。
     (鹿取)

65 明るき雲の上に出でたるイベリア機内ふいと爪切りを出して爪切る

 イベリア機は、スペイン国営の航空会社の飛行機。安定飛行に入ってシートベルト着装のサインも解かれたのだろう。ほっとした機内で爪切りをするところが飄逸。明るい雲の上、イベリア機に旅情とこれからの旅への期待感も出ている。もっとも9・11後は刃物の機内持ち込みは禁止であるからこんな光景ももう見ることはないであろう。(鹿取)

66 あつといふまに雲後に沈む日本のさびしさとして海光りゐる

 日本は小さく雲のかなたにあっという間に見えなくなって、わずかに日本海が光っているのが見える。その海のきらめきが更に旅人のさびしさを増幅させるのであろう。(鹿取)

67 一万七千の高度よりみる白雲の網に捕はれし初夏のシベリア

 一万七千フィートは5千メートルくらいとか、安定した高度なのだろう。飛行機は進んで白雲の下には初夏のシベリアが見えている。しかしこれが詠われた背景は白雲、初夏という爽やかな光景のみではないだろう。そう考えるのは「網に捕はれし」という言葉の使い方と、シベリアという地名の故である。作者が何を思い浮かべていたのかは想像するしかないが、おそらく日本兵のシベリア抑留についてであろう。餓えと寒さに苦しめられながら強制労働をさせられ、多くの日本兵が餓死した。酷寒の中で死んでいったひとりひとりの兵の叫びを作者は聞いていたのではないだろうか。
 ★時代を生きている先生の思いが迫ってくる。(藤本)

68 歴史の時間忘れたやうな顔をしてモスクワ空港にロシアみてゐる
 
 ここに詠われた「歴史の時間」とは何を指すのかを巡って会員が活発に応酬をした。議論を交わすことでみんなの認識が深まっていくことを非常に意義のあることだと思った。
 ここでは、「歴史の時間」をロシア古来から現代までの歴史だ、とみる見方と、学校で習った歴史教育のことだとする二つの意見が出された。また、客観的なロシアの歴史ではなく、日本や自分との関わりのあったロシアのことだという見方も出された。
 思うにそれらの意見全てを包み込んだような「歴史の時間」であろう。もちろんその中には日露戦争のこともあり、シベリア抑留もあるのであろう。それらを作者が忘れているわけではないが、もろもろは一旦脇に措いて一旅行者として目の前のロシアを見ているのである。 馬場には「見る」歌に秀歌が多いが、この歌もその独特な「見る」歌の系列上にあるように思われる。(鹿取)
 ★ロシアを自分や日本との関係で身に引きつけ、今のロシア、これからのロシアを見てやるんだ 
  という思い。(藤本)
 ★高尾太夫の「忘れずこそ思ひ出さず候」に通じる思い。(SA)

69 イベリア航空の小さな窓からみるだけのモスクワ空港のかなとこ雲よ
 
 モスクワではトランジットだったのだろう、空港しか詠われていない。ここは飛行機の窓から見ている場面。かなとこは、上が平らになっていて、金槌を受ける台らしい。よって、かなとこ雲は、入道雲の一種だが雲の先端が平らになったものをいうそうだ。かなとこには日露の過去の関係に関わる何かの暗示があるのだろうか。(鹿取)

70 肥えて思ふエステ日本やさしけれ精神はかすか無に近づくを

 68、69、72のモスクワ空港の歌に挟まれているから、意見として出された「エステを受けて気持ちよくなった」歌とは考えられない。95年当時はロシアの市場に物が無くパンや肉を買うために行列している映像をよく見せられたものだが、そういう情景を思い描いての感想だろうか。初句の「肥えて」は自分を含めた日本人のことだろう。飽食の果てに肥えた日本人が暇にあかせてエステに通ったりしているがそれは何となく恥ずかしいことだ。美容にうつつをぬかせている間に、精神の方はだんだんと無に近づき考える力を失いつつあるようだというのだろう。
 もちろん「肥える」も「エステ」も比喩であって、実際にエステティックに通っているかどうかが問題なのではない。精神の力を失いつつある日本に警鐘を鳴らしているのであろう。結句の「を」は、深い詠嘆であろう。(鹿取)

71 歌は癒しおもしろうしていつしかに見えずなりたる心の癒し

 「歌は癒しだ」などと巷では軽々しく言われたりしているが、ほんとうにそうかなあ、癒しなんかじゃないんじゃないの、という皮肉か。70とセットになった歌だろう。(鹿取)

72 モスクワ空港彼方の疎林に雪降るころ降りたしツルゲーネフを恋びととして

 ツルゲーネフは19世紀ロシアの小説家。貴族であるが農奴制を批判した『猟人日記』を書いて逮捕・投獄されたりもしている。隣家に越してきた少女を恋する少年が、自分の父親とその少女が恋しあっていることを知るという詩情豊かな『初恋』などの作品もある。なお、ツルゲーネフは、夫と子のあるフランスのオペラ歌手に一目惚れ、彼女を追ってパリに行き、生涯ロシアと西欧を往復して暮らしたそうだ。作者はかつてツルゲーネフに心酔したことがあるのだろう。「疎林に雪降るころ」はたっぷりとした情感をたたえた表現だが、えがかれた小説の中の情景をも連想させる。若い日の憧れのこころを実現したい思いがほほえましい歌となっている。

73 清掃の女の一団もりもりと乗り込み来たるこれぞモスクワ

 前のロマンチックな歌から一転して現実的。そのコントラストが面白くしく詠まれている。「もりもりと」に、いかにも肥えた逞しいロシア女の姿が見えるようだ。

 ※ この一連、重いテーマから軽やかなもの、可愛らしいもの、ロマンチックなものとがうまく
  配されていて、移りゆきの妙・連作の醍醐味を味わえる見事な構成になっている。

早稲田大学国語教育学会

2013年06月20日 | 歌会などのお知らせ
 22日(土)午後、早稲田大学国語教育学会50周年記念大会に、東郷克美先生が講演をされるので、聴きに行く。卒論をみていただいて以来の長いおつきあいをしていただいている先生だ。
 21日(金)は、中川駅前の短歌教室。島田修三歌集『帰去来の声』と藤島秀憲歌集『すずめ』の歌をみんなで鑑賞しながら、主に動詞についての勉強をする。
 かりん鎌倉支部なぎさの会は、7月6日、8月3日、9月14日の予定です。いずれも土曜日、13時開始です。

支倉常長の歌、その2

2013年06月20日 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠 B(2008年7月)    
    【西班牙 2 葡萄牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P55~
   参加者:I、崎尾廣子、田村広志、藤本満須子、H、渡部慧子、鹿取未放の7名
                レポーター:Hさん、レポート部分は省略。
        司会と記録:鹿取 未放

 ※ この一連、構成が見事である。ジパングとしてマドリッドに花を浴びている軽い緊張から始  まり、西洋の象徴のような尖塔に圧倒され、緊張の極みに日本初の遣欧使節としてスペインへ  渡り洗礼を受けた支倉常長のことを深く思索する。さらに緊張は続き美術館へ行ってグレコや  ゴヤと対峙する。そして最後にそれらから解放され、人々の中に個は埋没し、街を歩く母子を  軽やかに描写する。この息の抜き方が読者をほっとさせる。

 ※レポートに追加する意見だけを載せているので、元のレポートがないと不十分なのですが、
  お許し下さい。お申し出くださる方には、元のレポートをコピーしてお送りします。


83 ジパングは感傷深き小さき人マドリッドにアカシアの花浴びてをり

 81番歌では空だったが、この歌はアカシア。空の歌よりも感傷が限定できそうだ。上の句は作者ひとりだけのことと考えてもいいだろう。「小さき」も格別精神に関わらせなくてもよいのではないか。ちなみにアカシアは古代イスラエル人には聖木であったそうだ。(鹿取)

84 尖塔は碧空に入りて西班牙の深き虚に触れ物思はしむ

  ……人間にはとうていはかりしれない宇宙がやどすなにかの感情が、真っ青な幕になって砂漠に垂れおちているようだ。いつくしみでも憐(あわ)れみでも恩寵(おんちょう)でもない、酷薄か虚無か、あるいは意味という意味をすべてろ過しつくした蒼空(そうくう)である。
     辺見庸エッセー・神奈川新聞二〇〇八年七月二八日朝刊

 82番歌にもあった「虚」がまた出てきた。こちらは「尖塔」だから前出の「虚」より物思う内容が絞りやすい。大きくいえば、やはり東洋思想と西洋思想、キリスト教という思想についてであろう。(鹿取)

 ★自分がそこへ入っていくという姿勢(崎尾)

85 仰ぎみる尖塔は鋭く空を刺し聖なるものは緑青噴けり

 救い主のいる天に向かって伸び続ける尖塔も、それらが緑青を噴くまでになっているのも、キリスト教というものの過剰さゆえであろう。(鹿取)

 ★一神教のすごさ(崎尾)

86 十六世紀の虚空の青の深(ふか)ん処(ど)に坐して洗礼の日の支倉(はせくら)居たり

 支倉という人はどういう人物だったのだろう。支倉の洗礼は自発的なものだったのか、伊達政宗の命令に従って己の心を売ったのか、スペインとの通商を有利に運ぶための計略だったのか。
 「虚空の青の深ん処に坐して」洗礼を受けた支倉の心は、はたして澄み渡って宗教的感動にうち震えていたであろうか。日本からマドリードに向かう船上でソテロからキリスト教の教義を授けられたであろう支倉が、その教えに深く帰依したという可能性ももちろんないわけではない。任務とはいえソテロの教えに感銘したことは充分考えられる。それでもなお、人間のつかみがたい暗くて深いこころのありようを「虚空の青の深ん処」という表現はみごとにすくい取っている。どういう気持ちだったかは限定せず、なぞをなぞのまま提示しているところに想像力を刺激される。
 ちなみに、仙台藩主伊達政宗が支倉常長ら一行を「慶長遣欧使節」として派遣したのは1613年9月のことである。船の名は「洗礼」を意味する「サンファン・バウテスタ号」、ソテロの命名であったという。この使節の目的は、同行したフランシスコ会宣教師ソテロに陸奥への宣教師派遣を許す見返りにスペイン領国への通商に、法王の尽力を願うところにあったといわれている。また、幕府には、秀吉以来冷え込んでいたスペインとの関係改善をはかるねらいがあったらしい。
 かくて支倉は1614年、ローマへ行く途中のマドリッドのサン・フランシスコ教会で洗礼を受けている。しかも二十数名が集団で洗礼を受けたのである。1615年には国王フェリペ三世に謁見、その後念願のローマ法王パウロ五世にも謁見している。だが、何年か粘っても通商交渉は成就せず、1620年帰国した。
 しかし時は幕府による苛烈なキリシタン迫害の時代に入っていた。支倉は己を派遣した藩主伊達政宗にも厭われ、失意のうちに2年後に病没した。しかし彼はなぜキリスト教を棄てなかったのだろうか。藩主の命令で己の内心に背いて洗礼を受けたのなら、弾圧や処刑から身を守るために改宗すべきではなかったろうか。洗礼から長い歳月を経て、支倉は心底キリスト教徒になっていたのだろうか。
 ちなみに、先月鑑賞したザビエル、ヤジローの時代からは70年ほど後の話である。ザビエルが日本に初めてキリスト教を伝えてから70年の間に、幕府が全国に禁教令を出すほどにキリシタンが広まっていたことになる。この歌、17世紀ではなく16世紀となっているのはザビエルの歌の一連に近く置かれているため混同されたのであろう。(鹿取)
 (この項、『捏造された慶長遣欧使節記』(大泉光一)・『支倉常長慶長遣欧使節の真相』(大泉光一)・講談社『日本全史』・Wikipedia等を参照した。)

 ★「深ん処」という言葉は、上田三四二の小説の題にある。(田村)

87 黒きグレコのぎしぎしの腸の犇きを逃れんともがけり東洋の思惟

 場面は移ってプラド美術館であろう。スペインの空や教会の尖塔に圧倒されていた作者は美術館に行ってもまだ西洋思想にがんじがらめになっているようだ。西洋の美術も文学もキリスト教の理解なしには解読できないものだが、グレコの絵に作者は東洋の思惟をもって対峙している。そしてその絵を「ぎしぎしの腸の犇き」と形容している。その強い形容によって作者がグレコの絵にいかに圧倒されているかが伝わってくる。
プラド美術館には膨大なグレコの絵があるようだが、彼の絵にはプロポーションを無視した細長い奇妙な人物像が描かれる。たとえば、「聖三位一体」「十字架を抱くキリスト」「オルガス伯の埋葬」など地上・天上を同一画面にたくさんの神や聖人や地上の人物が描かれている。それらの過剰な錯綜を見ていると、東洋の思惟では解けない「ぎしぎしの腸の犇き」を内包している。釈迦をとりまいて一様に悲しんでいるような涅槃図とは全く違う趣のものなのである。(鹿取) 

88 リンデン大きみどりの葉を垂れて暗きひかりのゴヤと相見る

 この歌は静かな思索を感じさせる。リンデンの葉が緊張を和らげているようだ。ゴヤの黒い絵のシリーズと対話しているのだ。東洋、西洋を超えた人間についてのゴヤとの対話であろう。
 「わが子を喰らうサトウルヌス」などゴヤの暗い絵シリーズについては別の歌の解説で詳しく採り上げたので、ここでは省略する。(鹿取)

89 集団の猥雑の色の中にゐる安けさ存在のなき存在の色

 これは一つ一つの絵に緊張して向かい合っていた美術館から解放された場面であろうか。色といっているが、服装の様々な色をさしているだけではないだろう。個というものを集団の中に埋没させてみんなでいる気安さ。もちろんそれはある意味で恐ろしいのだが、美術館で一人一人個性の強い画家と緊張して向き合った後では何ともここちよいのである。(鹿取)

90 胸や肩や寛(くつろ)かに着て街をゆく巨鯨のやうな母の貫禄

 「寛かに」がゆたかな体躯にひらひらとうすものをひっかけている西洋の婦人の様を見事に言い得ている。「巨鯨のやうな」も微笑ましい。悪意や揶揄ではない優しい視線が感じられる。(鹿取)

91 母たちは巨鯨 娘はガレの蝶 あした西班牙の陽にひかりあふ

 娘を「ガレの蝶」ととらえたのも的確である。若い女性はきゃしゃで美しく華麗なのである。豊かな体躯の母ときゃしゃな娘がお互いに陽光のもと輝いているのもよい。蝶のような美だけを肯定せず、あくまで母と子が等価であるところがよい。(鹿取)

支倉常長をうたった馬場あき子の歌、など

2013年06月19日 | 短歌の鑑賞
 「慶長遣欧使節関係資料」がユネスコの「世界記憶遺産」に登録されることになった。
 そこで、今日は馬場あき子の支倉常長をうたった歌を含む一連の鑑賞を掲載することにした。
 かりん鎌倉支部で、2007年から2012年まで5年1ヶ月かけて鑑賞してきた馬場あき子の外国詠
 58回分、422首の中の1回分である。


 馬場あき子の外国詠 A(2009年3月)    
    【西班牙 4 葡萄牙まで】『青い夜のことば』(1999年刊)P68~
               参加者:I、K、藤本満須子、H、渡部慧子、鹿取未放の6人
                レポーター:Kさん、レポート部分は省略。
        司会と記録:鹿取 未放

 ※レポートに追加する意見だけを載せているので、元のレポートがないと不十分なのですが、
  お許し下さい。お申し出くださる方には、元のレポートをコピーしてお送りします。

118 まだ少し騒がしきもの好きなれば葡萄牙まで海を見にゆく

  ★「騒人」は、中国で詩人の意味である。(K)

119 飫肥(おび)城の資料館に天正の資料なし孤独なりき十三歳の伊東満所像

  ★ 5・11・5・11・8と大幅な字余りだが、5・5・8と要所が締められているので全体は
   引き締まっている。どうしても言いたいことがあったのだろう。(鹿取)
  ★ 固有名詞が多いから字余りになるのは当然。(藤本)

 天正遣欧少年使節団は4人、正史の伊藤マンショほか中浦ジュリアン、原マルチノ、千々岩
ミゲルである。その顛末はおよそ以下のとおり。

 1582年2月  天正遣欧少年使節団、サンチャゴ号で長崎を出航。
 1584年8月  難行苦行の末、2年8ヶ月ぶりにリスボン着。
 1584年10月 スペインの首都マドリードで国王フェリペ二世に謁見。
 1585年3月  ローマ教皇グレゴリア一三世に謁見。
 1586年4月  金銀財宝を積んだサン・フェリペ号が28艘の船団を組みリスボンを出航。
 1587年    秀吉、バテレン追放令を出す。
 1590年6月  使節団一行は、途中インド・ゴアに1年3ヶ月滞在するなどして、日本を
          出てから8年5ヶ月ぶりに長崎に入港。入国の許可を待ってマカオに2年
          も滞在していたという説もある。
 1591年3月  帰国後半年以上経て、ようやく聚楽第で秀吉に謁見。秀吉の前で持ち帰った               西洋音楽を奏でた。
 1612年    江戸幕府がキリスト教禁止令を出す。
 1614年    原マルチノを含む宣教師、信者、計148人をマカオに追放。

 使節団が出航した時はバテレンを保護した信長時代だったが、帰国したときはバテレン追放令を出した秀吉の時代になっていた。金銀財宝を積んで意気揚々と帰国した彼らは、すでに時代に歓迎されない存在だった。使節団一行のその後を以下に記す。

 ▼ 正史・伊藤マンショは、修道士としてはやく中国マカオに派遣され、数年後長崎に戻ってき
  たが、1612年43歳で病没。
▼ 原マルチノは、追放先のマカオで1629年に没。
 ▼ 中浦ジュリアンは、国内に潜伏、布教活動を続けていたが、1632年小倉で捕らえられ長
  崎に送られ、翌1633年穴吊りの刑に処せられた。享年64歳。
   穴吊りの刑……汚物を満たした穴の中に体をぐるぐる巻きにして逆さまに吊るし、頭蓋に小
  さな穴を開け、そこから血を流れさせる刑。できるだけ苦しみを長引かせるためで、ジュリア
  ン処刑の際にも3人が一緒に吊るされたが一人の神父はあまりの苦しさに処刑中に棄教、ジュ
  リアンは4日目に死亡したという。
  ▼ 千々岩ミゲルは、キリスト教会の一部に日本侵略の考えがあることを見抜き、1605年
   棄教。葛藤の生涯を送った。    

 飫肥城(現宮崎県日南市)の資料館に彼らの資料が無いのはキリスト禁教の後、難を恐れてのことであろうか。ところでこの歌の伊東満所像はどこにあるのだろうか。歌をみるかぎり飫肥城と読めるがネットで調べたところどうも飫肥城には満所像は無いようだ。満所が生まれたといわれている都於郡城跡(現宮崎県西都市)・日南駅前広場・大分市遊歩公園には銅像があるのを確認した。
 ところで、伊東満所の本名は祐益、日向の国主であった伊東義祐の孫にあたる。飫肥城を巡って島津家と伊東家で確執が続いたそうだが、義祐は1567年に飫肥城を奪取した。満所が生まれたのは飫肥城奪取のおよそ2年後ということになる。そういういわれのある城の資料館に孫の功績を記す何ものも残されていないことに作者は感慨を抱いている。それは為政者に対する怒りか、為政者におもねる民に対する嘆きか、人間という存在に対するかなしみか、それらがない交ぜになったものだろうか。「孤独なりき」とは満所の像に対峙しているのか、心の中の像と対座しているのかは不明だが、わがことのように「き」を使って回想しているところに心打たれる。
 余談であるが、天正遣欧少年使節団は帰国の折グーテンベルグ印刷機を持ち帰り、以後日本語の活版印刷が行われるようになったとのことである。これは派遣当初からの目的の一つで、使節団の随員として印刷技術習得要員の少年2名が同道した。(鹿取)
      
120 慶長使節の支倉は老いて秘むれども夢に大西洋かがやけり一生

  ★ 8・5・8・9・8とやはり字余りである。(鹿取)

 天正使節が帰国したのが1590年であるが、支倉が慶長使節として石巻の月の浦を出航したのはそれから23年も経って、江戸幕府がキリスト教禁止令を出した翌年の1613年10月のことである。仙台藩に宣教師を派遣して欲しいというのが名目だったが、なぜこの時期に使節を派遣したのかは疑問だそうだ。(この時の船は既に大砲を積んでいたという。)
 ところで、支倉は大西洋を渡るのに6ヶ月以上要している。使命に燃えて来る日も来る日も眺めていたであろう大西洋を、失意の晩年、支倉は夢に見続けた。しかも夢の大西洋は一生ずっとかがやいていたと馬場はいうのである。(鹿取)

121 支倉の老いの寝ざめに聖楽の幻聴澄むと誰か伝へし

 遠藤周作「侍」によると、ローマ法王に会うため支倉はソテロによって便宜上洗礼させられたことになっているが、120、121の2首を読むと、支倉の信仰は不動のものだったというのが馬場の解釈だということが分かる。かつて85番歌で信仰への疑義を書いた私の解釈も訂正しなければならないことになる。
 支倉の晩年、夜中か早朝かひとり目覚めて「聖楽の幻聴」が澄んで聞こえたなどと誰も伝えてはいないけれど、きっと聞いたに違いないと馬場はいうのである。それはそうあってほしいという馬場の祈りなのだろう。(鹿取)

 ★「幻聴澄むと誰か伝へし」は作者の想像。(藤本)
 ★ 結句の「か~し」は係り結び。「か」は反語の係助詞で、「し」は過去の助動詞「き」の連
  体形。「か」は反語だから「幻聴が澄んで聞こえたと誰か伝えただろうか、いや誰もそんなこ
  とは伝えていない」という意味になる。(鹿取)
 ★馬場先生の支倉をうたった一連の歌にひかれて、全国大会の後仙台にある円福寺の支倉のお墓
  にお参りした。支倉のお墓を今守っているのがお寺さんだというのが面白い。(H)

122 波音のぎんしゆとひびく海に来て旅の十日の疲れ出でくる

 次の歌を読むと霧のために海はみえなかったのかもしれない。それゆえ音のみが響いてくる。「ぎんしゆ」とは特異な擬音語だが、バスに揺られながら聞くともなく聞いていたのだろうか。それともロカ岬に着いての設定か。いずれにしろ、波音は大西洋のものである。当然、支倉の晩年にかがやいていた大西洋という思いが尾を引いている。疲れはそういう思いの濃さのせいでもあるのだろう。(鹿取)

  ★「ぎんしゅとひびく」のは先生の心。(K)
  ★無意識だろうが、銀と朱のいろあいを感じる。詩的な色彩感がある。(鹿取)

123 ロカ岬に来し証明をくるるなり霧濃く何も見ざりし証(あかし)

 ロカ岬は、ユーラシア大陸の最西端。大西洋に面している。ポルトガルの愛国詩人カモンエスが「ここに地果て、海始まる」とよんだ詩が碑になっているという。この岬はたいてい霧に覆われていて晴れるのはまれらしい。一行が出かけたときも霧が深く海はほとんど見えなかったそうだ。ユーラシア大陸の最西端ということで、お金を出せば日付と自分の名前入りの訪問証明書をくれるそうだ。この歌では「何も見ざりし証」というのが眼目。さらりとした軽い歌い口で天正遣欧少年使節団や支倉の悲壮な一生を扱った重い主題からの転換が見事だ。
 しかし、こう書いて、待てよとも思う。詠み口は軽いが内実は霧に閉ざされた遠い遠い時代の闇を見つめているのかもしれない。たとえば、『大和』(昭和15年刊)の次のような歌を思い起こさせられるからだ。(鹿取)

春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ  前川佐美雄

訂正版  渡辺松男『寒気氾濫』鑑賞③ 記録

2013年06月18日 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究 3(13年3月) 『寒気氾濫』(1997年)地下に還せり
                参加者:崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
                レポーター:崎尾廣子。レポートは手書きのため、今回は省略。
       司会と記録:鹿取 未放

19 月天心嬬恋村に森ありてふところふかく家々を抱く

 ★(レポーターに)下の句の「ふところふかく家々を抱く」の主語は書いてないけど何ですか? 
    (鹿取)
 ★森、ですね。もちろん自然。いや月と森が抱いているのですね。(崎尾)
 ★誰が何を抱いているのかは分からない。しかし上の句に「抱く」とあって「嬬」が出てくるの
  で、エロスですか、そういうものを感じて嬬恋村に仮託しているのだと思う。また月天心、嬬
  恋村とタ行音を重ねた出だしが漢字表記なのになめらか。(慧子)
 ★妻を思い出している気分がある。妻を森のように暖かく抱く気分。(曽我)
 ★個々の家々にはもちろん妻を愛する場面があるんだろうけれど、その家々を森が抱いて、その
  森を月がさらに抱いている多層構造。そういう自然そのものがエロスをはらんでいるが、個々
  の性愛の場面は月の光が浄化あるいは荘厳している感じ。もっとも歌としては「嬬」と「抱く」
  は遠景で、エロスはさりげなく奥にしまわれている。とても気分の良い歌。(鹿取)

20 ふくろうのごとき月光ほおほおと潤いおびて樹海にそそぐ

 ★ふくろうのごとき月光というのは普通では考えられない比喩。ふくろうって膨れた感じがする
  のでふっくらとした気分が出ている。(曽我)
 ★ふくろうって知恵者といわれている。また月も知恵の女神である。だからそんな感じで比喩に
  されたのかなと思う。(慧子) 

21 月光に眠れざるもの樹にありて風切りの羽つくろいていん

 ★非常に具体的な歌で普通の写実の歌としても読むことができる。夜行性の動物は昼間寝て夜活
  動するので、この歌も主語はふくろうとかを想定すればいいのではないの。前の歌の続きだか
  ら。(鹿取)
 ★レポーターは上の句が分からないというが、眠れざるの「ざる」が難しかったかな。厳密には
  「眠らざる」かもしれないけど、たとえば眠れない〈われ〉がいて、今頃はふくろうなども風
  切りの羽をつくろったりして目覚めているんだろうなあと想像しているのかもしれない。眠れ
  ないでぐずぐすと起きている鳥をイメージしている。(鹿取)
 ★夜眠らない鳥、と考えると歌が物足りなくなるような気がするけど。本来眠れるものが眠れな
  い方が深い。(崎尾)
 ★私はふくろうの続きの歌とは思わなくて、鳥でも眠れないものがいるのかなあと思った。
  (慧子)
 ★まあ「眠れざる」とあるからお二人のように読んでもいいんだろうけど。写実と違うところは
  「もの」かなあ。そこが渡辺さんなんだけど。鳥、とはどこにも書いてない。でも風切り羽を
  つくろうのは明らかに禽類だから鳥なんだけど。まあ、二重に読めば眠れずに闘志を燃やして
  闘いの準備をしている人間ともとれないことはないけど、そうなると作者の姿からは遠いもの
  になる。(鹿取)
 ★なんとなく雰囲気が優しい。絵をみているよう。(曽我)
 ★童話の挿絵みたいですよね。(鹿取)
 ★木に「ありて」がいいと思う。止まって、ではなくて。(慧子)

22 恍惚と樹が目を閉じてゆく月夜樹に目があると誰に告げまし

 ★月の光が空にあがって西の空に落ちてゆくまで、そういう月の光の推移する時間を自分が樹に
  なったような感じで歌われたのではないか。(慧子)
 ★自分が樹になって月の光の強弱を感じているというのは分かる。でもそれを感じるのは普通樹
  皮のようなものかもしれない。目で追いながら感じるものではないような気がするのに「樹に
  目がある」というのはどういうことなのか?誰にでも感覚できることではない。(鹿取)
 ★月の光の強弱を樹の肌で感じるというのは普通の人間の感覚。それを樹の目で感じているとこ
  ろが渡辺さん。下の句は誰か言う、とか馬場あき子の歌にもたくさんある。(慧子)
 ★でもここは、樹に目があると誰に告げようか、誰に告げてもきっと信じてはもらえないだろう
  な、でも自分は樹に目が有ることを知っているよという気分でしょう?でもそれは日常的には
  誰にでも納得してもらえることではないので、そのあたりをレポーターはどう考えるの?とい
  うことを聞きたかった。(鹿取)
 ★目の歌については鹿取さんが第1回めのレポートで目について書いていたので省いた。人間も
  深くものを感じたいとき目を閉じるが、樹にもそういうことがあると渡辺さんが感じていらっ
  しゃるのかなあと思った。あまりにもほれぼれする月光だったので樹は目を閉じたのかなあと
  思う。(崎尾)
 ★では崎尾さんの目がある根拠は、もっと月光を感じたいと思って樹は目を閉じるんだから、当
  然閉じる為の目はあるということなのね。(鹿取)
 ★やわらかい月の光のなかで目を閉じる樹というのは分かる気がする。誰に言っても樹に目があ
  ると信じてもらえないかもしれない、だから誰にも言わないけれど樹には目があるんだよと。
   (曽我)

23 同性愛三島発光したるのち川のぼりゆく無尽数の稚魚
 
 ★さっきの歌と同じで、解釈は歌のとおり。三島が同性愛だったこと、発光は切腹をあらわすこ
  と。それを境にしてというわけではないけど同性愛が広がって行ったこと。それが解釈。発光
  をどう捉えるかに苦慮しました。(崎尾)
 ★上の句と下の句は全く関係のないことがら。これを歌としてどう結びつけるのか、どう繋げて
  解釈をするのかをレポーターにお聞きしたい。(鹿取)
 ★上の句は読者をびっくりさせる。あとは普通に読んだらいいのでは。発光は性的なエクスタシ
  ー、無尽数の稚魚は精子。それで解釈できるが、これだけではつまらないので頭に同性愛を入
  れたのではないか?(慧子)
 ★同性愛の三島がそれを世間に発表したので、そういう気持ちを持っている若者達が稚魚のよう
  に多く続いたということかなあと思ったけど。(曽我)
 ★これを契機に他のこともどんどん解禁されていったと思ったけど。他人はどうでもいいとか日
  本は悪い方向に行った。(崎尾)
 ★いや、私はそんなふうには広げない方がよいと思う。そういうふうに言うと同性愛は悪という
  ことになってしまう。三島は確かに同性愛をカミングアウトしたかも知れないけど、それで同
  性愛が増えた訳ではない。人目につきやすくなったことはあると思うが。同性愛は生まれつき
  の性向で、それがいけないとか悪だというのはおかしい。私は慧子さんが言った性的エクスタ
  シー説に同意する。そして放出された精子のイメージとして無尽数の稚魚が置かれている。そ
  れが生まれ故郷を求めて川を遡るのだ。(鹿取)
 ★では発光を切腹ととらえるのは間違いなのね?(崎尾)
 ★いや、私は慧子さんと同意見だと言ったまでで、作者に聞いた訳じゃないからどちらが正しい
  かなんって分からない。どちらも違うかも知れない。ただ、いろんな解釈があっていいんじゃ
  ないの。(鹿取)
 ★では男性なら誰でもよいのに、なぜ三島をもってきたんだろう。(崎尾)
 ★それは三島が時代の人だから。三島の切腹事件には私も衝撃を受けたし、渡辺さんも受けただ
  ろう。文学者としても興味があるだろう。ここに名もない人をもってきても歌にはならない。
  この歌は難しくて「発光」をどう解釈するか私も悩んだ。作りとしては茂吉のの「たたかひは
  上海に起こり居たりけり鳳仙花赤く散りゐたりけり」(『赤光』)と同じ。(鹿取)

24 一本の樹が瞑想を開始して倒さるるまで立ちておりたり

 ★レポーターの意見【この一本の樹は倒される日が来ると察知し瞑想を開始したのであろうか。】
  とは違って、倒されるのが近いから樹は瞑想を開始したのではないと思う。(曽我)
 ★ではなぜ瞑想を開始したかは考えなくていいということ?(崎尾)
 ★私も倒されるのを察知して瞑想を開始したとは読まなかった。瞑想するような樹も倒されるこ
  とがあり、それは智徳しているのだと思う。(慧子)
 ★倒されるのは人間にか、自然にか分からなかったが、風雪に倒されると解釈してこんなふうに
  まとめてみた。(崎尾)
 ★私は人間が倒すのだと読んだ。目がある樹なら瞑想する樹もあるだろうし、人間のように悟り
  を開きたいと考える樹もあるかもしれない。また、レポーターは【(樹が瞑想して)静かに考
  えていることは、動くことができないもどかしさだろうか】と書いているが、渡辺さんは樹が
  動かないということにむしろあこがれているようだ。この樹は瞑想したくなったから瞑想して
  いたのだろう。たまたまその樹を人間が勝手に伐ってしまった。でも、だから何だというのは
  ないのだろう。(鹿取)

25 樹の抱く闇黒はかりがたけれど栃の実に日はそそいでおりぬ

 ★いろいろあるんだろうけれど栃には実が成り、それに日が照っているということ。(慧子)
 ★【動くという希望がもてない木】という解釈は、24の歌でも言ったけど違うのではないか。
  渡辺さんは樹の動かないところに魅力を感じているから。しかし樹の方は計り知れない暗黒を
  抱いている。そういう樹に日はさんさんと降り注いでいるよ、それだけのことではないか。そ
  そいでいるんだなあと感動している。(鹿取)
 ★考えすぎてもいけない、難しいね。(崎尾)
 ★人間を樹に託して表現しているのではないか。いろいろあるけどいいこともあるよと。(曽我)
 ★私はむしろ逆に好きな栃を歌うのがメインで、結果として人間もそうだよねということは言え
  ても、人間のことを言いたくて栃に投影しているのではないと思う。(鹿取)
 ★暗黒とはどんなものかなと分からないところがある。(曽我)
 ★具体的に説明しろと言われたらできないけど、作者は樹は暗黒を抱いていてそれははかりがた
  いと感じている。だから私はそのままそうなのねと受け取っている。(鹿取)

26 冬の日のあたたかにして老木は吾に緘黙を宥してくれる

 ★冬の日の暖かさが老木をつつみ、その老木が私のだんまりを宥してくれる。冬の日の中になに
  もかもが宥されてるという感じ。(慧子)
 
27 凍天へ鑿打つごとき杉の幹ひたぶるなるを嗤われて立つ

 ★杉の木が尖っているということですよね。まっすぐに上へ上へ向かうことを嗤われながら杉は
  立っている。(曽我)
 ★そうすると嗤うのは人間ですか?何が嗤うのかはこの歌には書いてないのですが。(鹿取)
 ★杉は労働者みたいな感じ。それを世の中の人が嗤う、って受け取ったのですが。だけど杉は気
  にしないで立っている。凍天に鑿を打つってむなしいことなんだけれど。(慧子)
 ★私は杉の木を何が嗤うのか、よくわからないの。人間ではないし、他の木々でもない気がする。
  神?天?分からないが作者は嗤われている杉のひたぶるさをよしとして見ているのだろう。だ
  から嗤われているのは理不尽だと思っている。(鹿取)

28 魔女狩りを支持せしフランシス・ベーコン魔女狩りは今の何に当たるや

 ★日本にあまり魔女狩り的なものは無いのでは。(曽我)
 ★血祭りにはあげなくても黙らせられることはけっこうある。新聞など読んでいると。職場でい
  じめられて死んでいく人もけっこういる。(崎尾)
 ★魔女というのはちょっと違って普通の人じゃないでしょ。(曽我)
 ★まあ、建前は普通の人じゃないってことになっているけど実は邪魔者を魔女と称して火あぶり
  などにしていたわけで、本当の魔女なんっていないんじゃないの。魔女狩りの起源については、
  キリスト教の指導者が異端者をみせしめにして教会内の結束をはかったという見方もあるし、
  いや民衆の間から自然発生的に出てきたのだという見方もあり様々だ。(鹿取)

   【以下、6月18日訂正】
 ◆フランシス・ベーコンは17世紀に活躍した哲学者・政治家で、大法官という地位にまで上り
  つめた。魔女狩りは14世紀から18世紀にかけて行われ、彼はその魔女狩りを支持したとい
  う。12歳でケンブリッジ大学に入学したという秀才の哲学者が、魔女狩りの本質を見抜いて
  いなかったとは思えないので、分かっていて支持したのだろう。渡辺さんはそういうことを踏
  まえて、今ならこの魔女狩りは何にあたるんだろうね、似たようなことは今でもたくさん行わ
  れているんだろうなあ、とうたっている。レポーターが書いている【イスラム過激派によって
  イラクで3邦人が誘拐された折りの自己責任】もそれの一例かもしれない。国民の間で自然発
  生的に起こったバッシングだが、背後にベーコンのような人物がいた可能性は考えられる。
   (鹿取)

渡辺さんの歌、お詫びと訂正

2013年06月18日 | 短歌の鑑賞

 渡辺松男研究③の28番歌、間違って引用していたことが、渡辺松男さん自身のご指摘で判明しました。渡辺さんに大変失礼なことを致しました。深くお詫び申し上げます。読者の方にもご迷惑をおかけして誠に申し訳ございません。以下に訂正してお詫びいたします。

 誤   魔女狩りを指示せしフランシス・ベーコン魔女狩りは今の何に当たるや

 
 正    魔女狩りを支持せしフランシス・ベーコン魔女狩りは今の何に当たるや


 歌集には「支持」とありましたが、私が間違って「指示」で解釈していました。歌集から引用する時に、何回か照合して気を付けていたつもりでしたが、見落としていました。
 「指示」って何か変だなあと思いながら解釈していましたが、その時点で照合し直すべきでした。「指示」と「支持」では全く歌の意味が異なります。ほんとうにごめんなさい。
 上記のご指摘、メールで受けましたが、「魔女狩りがいちばん激しかったのはルネッサンス時代だったというのは、考えさせられてしまいますよね。」というような意味のことが書かれていました。本当に考えさせられます。現代にも共通しているのかもしれません。

 渡辺松男研究③の28番歌のみ、訂正したものを載せます。前回アップしてしまったものは削除して、改めて訂正版をアップします。皆さま、ほんとうにすみませんでした。

 渡辺松男研究 3(13年3月) 『寒気氾濫』(1997年)地下に還せり
           参加者:崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
           レポーター:崎尾廣子。レポートは手書きのため、今回は省略。
  司会と記録:鹿取 未放

28 魔女狩りを支持せしフランシス・ベーコン魔女狩りは今の何に当たるや

 ★日本にあまり魔女狩り的なものは無いのでは。(曽我)
 ★血祭りにはあげなくても黙らせられることはけっこうある。新聞など読んでいると。職場でい
  じめられて死んでいく人もけっこういる。(崎尾)
 ★魔女というのはちょっと違って普通の人じゃないでしょ。(曽我)
 ★まあ、建前は普通の人じゃないってことになっているけど実は邪魔者を魔女と称して火あぶり
  などにしていたわけで、本当の魔女なんっていないんじゃないの。魔女狩りの起源については、
  キリスト教の指導者が異端者をみせしめにして教会内の結束をはかったという見方もあるし、
  いや民衆の間から自然発生的に出てきたのだという見方もあり様々だ。(鹿取)

   【以下、6月18日訂正】
 ◆フランシス・ベーコンは17世紀に活躍した哲学者・政治家で、大法官という地位にまで上り
  つめた。魔女狩りは14世紀から18世紀にかけて行われ、彼はその魔女狩りを支持したとい
  う。12歳でケンブリッジ大学に入学したという秀才の哲学者が、魔女狩りの本質を見抜いて
  いなかったとは思えないので、分かっていて支持したのだろう。渡辺さんはそういうことを踏
  まえて、今ならこの魔女狩りは何にあたるんだろうね、似たようなことは今でもたくさん行わ
  れているんだろうなあ、とうたっている。レポーターが書いている【イスラム過激派によって
  イラクで3邦人が誘拐された折りの自己責任】もそれの一例かもしれない。国民の間で自然発
  生的に起こったバッシングだが、背後にベーコンのような人物がいた可能性は考えられる。
   (鹿取)

渡辺松男『寒気氾濫』の鑑賞 ⑥  記録

2013年06月17日 | 短歌の鑑賞
    渡辺松男研究 ⑥(13年6月) 『寒気氾濫』(1997年)橋として
               参加者:崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
司会と記録  鹿取未放
       ◆レポーターは崎尾廣子さん。レポート掲載は省略
       ◆歌と文中の( )内は、ふりがな

49 出口なきおもいというは空間が葱の匂いとともに閉じらる

 ★「ともに」は何と何を「ともに」なんですか?(崎尾)
 ★それはよく分からない。空間に葱の匂いが満ちることで、何か思っていたことが空間に閉じこ
  められた。「出口なきおもい」というのを初句にもってきてちょっと歌を捻った。(慧子)
 ★私はもう少し哲学的な歌として読みました。渡辺さんは哲学を専攻した人なので、もしかした
  らサルトルの戯曲「出口なし」などが念頭にあったのかなと。私は読んだことがないし、この
  お芝居を観たこともないけれど、この戯曲ではこの世の価値は全て相対的なもので絶対はない
  というようなことを言っているそうです。サルトルは実存ということを考えた人だけど、全て
  が相対的という考えは仏教と共通していますよね。人間という存在がこの世に閉じこめられて
  いて、脱出するには死しかないんだけど、仏教でいうと死も脱出では無いわけですよね。六道
  を輪廻していて、たとえ天上界へ行ってもそこは輪廻の一つに過ぎないわけですから。だから
  仏教では一般的には悟りということを考えて、それによって輪廻の外へ出ようって考えられて
  いる。この歌は葱の匂いに触発されてできたのかもしれないけれど、生ということをやはり考
  えている歌なんでしょう。〈われ〉(作中主体のこと)が葱と「ともに」空間に閉じこめられ
  ているんでしょう。(鹿取)

50 瞑目のうちに歴史は忘れらるみどりのかげのDAIBUTSUの像

 ★この歴史を個人のものとみるか、もっと大きな歴史のことか迷いました。(崎尾)
 ★簡単そうに見えてとても深いところを歌っている歌で、簡単には言えない。英字で表している
  のにも意味があるんでしょうね。(曽我)
 ★鎌倉の大仏を想像した。戦後アメリカが進駐してきて日本の歴史が忘れられたような時期があ
  った。そのことを言っているんじゃないか。瞑目は誰のものか分からないけど、半眼の大仏の
  ものかもしれない。(慧子)
 ★私も鎌倉の露座の大仏を思いました。みどりのかげだから。でも全体にはよく分からない。た
  だ個人の歴史では歌にならないし、戦後の歴史でも小さすぎる。もっと大きな世界の、人間の
  歴史のことだとは思う。

51 測深鉛深空へ垂らしつづけつつ屋上にわれは眠くなりたり

 ★レポーターは「深空」を「しんくう」と読まれたけど「みそら」じゃないですか?「真空」と
  紛らわしいから。(鹿取)
 ★この測深鉛って海なんかに垂らすものですよね。それを空に垂らしている。逆に向いているん
  ですよね。この作者は覚醒者だと思う。レポーターは効率優先の世と書いていらっしゃるが渡
  辺さんはそれに距離を置いている。文明を否定している訳ではないが距離を置いていると読み
  ました。(慧子)
 ★今の慧子さんの意見を面白く思いました。測深鉛は海や湖に垂らして深さを測る道具ですが、
  ここではそれを空に向けている。渡辺さんはこういう逆方向の歌をたくさん作っています。も
  っとも地球は球体なんだから空に向けて垂らしても理屈ではありなんですが。測深鉛は20メ
  ートルくらいが普通だそうですから、垂らしつづけるにはとても足りない長さですね。だから
  無限ほども長い測深鉛を垂らし続けている。それは永遠ほど長い時間が必要だから眠くもなる
  訳です。それでイメージとしては以前やった宰相からの要請を蹴って在野にあって塗中に尾を
  曳く思想家達を思いました。老子のような人たちが釣り糸を垂らす代わりに屋根の上で測深鉛
  を垂らしている。社会と距離を取っている生のありようをわりとユーモラスに描いているのか
  な。それと、ポワンカレの紐のことも連想しました。以前ポワンカレの紐の歌を批評に出した
  時言ったけど、仮に宇宙に紐を曳いて一周して、その紐が回収できたら宇宙は球体をしている
  って。もちろん理論上の話で、実際には不可能ですけど。(鹿取)

52 まなうらに日照雨(そばえ)降らせておりたれど核廃棄物輸送船過ぐ

 ★単純にいいますけど、日照雨が降るように核廃棄物輸送船がいとも軽やかに過ぎていく、とい
  う歌かなあ。文明批評の歌と読んだ。(慧子)
 ★「まなうらに」というところはどうですか?ここでは日照雨が降っているのではなく、まなう
  らに日照雨を降らせているとありますが。(鹿取)
 ★すみません、分かりません。(慧子)
 ★外に日照雨が降っていて、それを見ていて目を閉じたからまなうらにその残像が残っている、
  とも考えられますが。でも実際には降っていないけど、まなうらにだけ降らせているのかも知
  れないし。日照雨ってお日様が照っているのに降っている雨のことかと思っていたら、辞書に
  はあるところだけ降っている雨って出ていました。下の句の核廃棄物輸送船はいろんな人が歌
  にしていて、私も歌ったけど、たぶん目撃して作っている人は少なくて、そういうものが航行
  していることはみんな情報として知っているので、それで作っているのじゃないか。レポー
  ターは【この上の句から輸送船の積み荷が核廃棄物であると見極めるまでには一瞬のとまどい
  があったのであろう】と書いているが、私は渡辺さんも核廃棄物輸送船を目撃したとは思って
  いない。過ぎるのを思い描いているのだろう。まなうらに日照雨を思い浮かべていたけれど、
  次にはそこを核廃棄物輸送船が通っていったよ。つまり核廃棄物輸送船が過ぎていくのも現実
  ではなく、まなうら。まあ、実際には、はるかはるか彼方を過ぎていく輸送船の反映なのでし
  ょうけれど。
   だいたいって5000トンくらいの小さくて地味な船ですよね。核廃棄物をガラス固化体って
  よく分からないけど、そういう状態にして輸送するらしい。接岸している港を見にいったら別
  だけど、普通はあっ、あそこに核廃棄物輸送船が通っていくって見えないんじゃないの。
   (鹿取)

53 キャベツのなかはどこへ行きてもキャベツにて人生のようにくらくらとする

 ★人生は同じことの繰り返しで、昨日も今日も明日もキャベツを剥くようなもの。この「キャベ
  ツにて」までは何となく序詞のような働きをしているなあと。以前、鈴木さんがキャベツの歌
  の鑑賞でどこまでいっても本質に突き当たらないと言っていらした。(慧子)
 ★人生がキャベツのようにいっぱいいっぱい並んでいるようで、どこへいってもくらくらしたと
  いうような感じかなあ。(曽我)
 ★では、キャベツの中って、キャベツがたくさん並んだキャベツ畑のイメージなの?それとも一
  個のキャベツの中を進んでいくイメージ?私は「畑」とは書いてないから一個のキャベツの中
  を人間の自分が小さくなって進んでいく様子をイメージしていたんだけど。(鹿取)
 ★キャベツ畑です。(曽我)
 ★では、この歌については、渡辺松男さんが特集号で解説しているので見てみましょう。
  【安立スハルのキャベツ「馬鹿げたる考へがぐんぐん大きくなりキャベツなどが大きくなりゆ
   くに似る」を意識していました。それにカフカの『城』の到達できない不条理のようなこと
   をドッキングさせたのです。「かりん」2010年11月号】
 
54 土という滅びる巨人ほろびつつ樹根まるごと抱きて眠る

 ★土って地球じゃない。土で覆われているから。巨人ともいえるんじゃない。滅びながらも樹根
  を抱いている。土の力、偉大さを歌っているのかな。(曽我)
 ★母なる大地とかいうとつまらなくなるけど、そういう土に対する親愛感なのかなあ。(鹿取)
 
55 児がじっと見ている沼の奥みれば真っ黒き木の沈みてゆけり

 ★レポーターは真っ黒き木を巡り巡る自然の不思議さと捉えていらっしゃるが、私は真っ黒き木
  が何なのかさっぱり分からなかった。でも子供が見るものって意外と本質を掴んでいるんです
  よね。その関係も考えてみたが分からない一首でした。(慧子)
 ★真っ黒き木ってかなり腐食した木のことではないですか。だから見えなくなるまで沈んでいく。
  (曽我)
 ★渡辺さんの歌だから実景なのかどうかもよく分からない。私は夕暮れ方で遠いから黒っぽく
  見えるのかと思っていたけれど。腐食していたら軽すぎて沈んでいかないかも。子供が不思議
  そうに見入っているのはそんな木が沼に沈んでいく情景だったって。そのこと自体は嘘でもホ
  ントでもいいんだけど。大人にとってもそういう情景は不思議。(鹿取)

56 鮑焦(ほうしょう)は木に抱きつきて死にけるをさやさやと葉は黄にかわりゆく

 ★本を探したけど、この鮑焦のお話は分からず、図書館の人がインターネットで調べてくれまし
  た。(崎尾)
 ★この鮑焦のお話はこの間から出ている「荘子」という本の「盗跖」にあります。鮑焦という人
  は清廉潔白にこだわっていて、世間の奴らは清廉潔白でないと非難して孤立し、とうとう木を
  抱いて自殺しちゃった。「盗跖」には他に6人ほどいろんなケースをあげているんだけど、こ
  れらの人は本質を考えず、命を軽んじて、寿命を養うことが出来なかったとして荘子は否定し
  ています。(鹿取)
 ★そうすると偽善者が死んでも、抱きつかれた木は関係なく黄葉するときには黄葉する。自然界
  の超越した様を詠んでいるということですか。(曽我)
 ★ほんとうは人間と自然との関わりは大いにあるわけだけど、この歌では人間世界の良いとか悪
  いとか何だとかかんだとか関係なく自然界は巡っているということなんでしょうかね。(鹿取)

57 混沌のわれなりしかど石膏の顔ひややけきかたわらに居つ

 ★歌の作りとしては分かりやすい。ただ渡辺松男という人の混沌がいかばかりかは計りがたいけ
  れど、膨大な混沌を抱えた自分が石膏でできた冷たい像のそばにいる。(鹿取)

58 ひっそりと蝦蟇ひきかえす断念を見届けてのち口をつぐめり

 ★レポーターは「蝦蟇」を「がま」と読まれたけれど、たぶん「ひき」でしょう。ヒ、ヒ、ヒっ
  て頭韻踏んでいる。(鹿取)
 ★私はこの「口をつぐめり」を何だろうかと思ったのですが。(慧子)
 ★口をつぐんだのは渡辺さんで、引き返したのは蝦蟇。それまでは何かしゃべっていたのを止め
  た。(曽我)
 ★考えを披瀝しようとしていたのを止めた。(慧子)
 ★この蝦蟇はたとえば獲物を狙っていたけど捕れそうにないと断念して引き返したのかもしれな
  いけど、その姿を見ていて〈われ〉は何か大きなもの、とても深いものに当たって、それで口
  をつぐんでしまった。情景はとってもリアルでユーモラスなんだけど、蝦蟇の引き返す姿から
  言葉にはならない何か大きなことを感じ取った。(鹿取)
 ★これはほんとに蝦蟇ですか?それとも何かを象徴しているのですか?(曽我)
 ★象徴より蝦蟇がいる方が面白い。いや、別に実際にはいなくてもいいんですよ。だけど歌の上
  では現実の蝦蟇が引き返す姿を見ている。人間の象徴だとか自分の投影だとかいくらでもいえ
  るけど、それじゃ歌は面白くない。あの蝦蟇の姿を読者にリアルに想像してもらうことがこの
  歌では効果的なんだと思う。(鹿取)