かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠307(トルコ)

2016年05月19日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子旅の歌42(11年8月)【キャラバンサライにて】『飛種』(1996年刊)P138
    参加者:N・I、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:渡部 慧子
    司会とまとめ:鹿取 未放


307 キャラバンサライに秋うつすらと空気澄みてトルコを過ぎてゆきし文物

     (まとめ)
  キャラバンサライとは、シルクロードの交易路に建てられた隊商宿のことである。古くは7世紀頃からあるらしいが、13世紀以降盛んに建設され20世紀まで続いた。強盗団から守るために高い塀で囲まれ、広い中庭や監視塔があった。駱駝や馬を休ませる厩舎があり、一階で取引をし、二階に商人たちを泊めた。中には商店や浴場などを併設した宿もあったという。トルコにはそんなキャラバンサライのいくつかが当時の面影を残しながら観光施設として保存されているらしい。
 時は秋で澄んだ空気の中、キャラバンサライの跡に旅行者として身をおいていると、昔シルクロードを伝ってトルコを通り過ぎたさまざまな文物のことが思われる。キャラバンサライという建物から往事への連想が透明な秋の空気感の中ではろばろとした感傷を呼び起こしている。
 3句めは意味上は「空気澄み」で充分なのに「て」を加えて一音字余りにしている。この3句め字余りは西行なども「風になびく富士の煙は空に消えてゆくへも知らぬわが思ひかな」などとよく使う手法で、たっぷりとした情感を出している。(鹿取)


     (レポート)
 キャラバンサライ(隊商のための宿)を初句に置き場所のみを据えることも可能だが、「に」を省略していないため、「キャラバンサライ」に作者は構えていないと読み取れる。あるけれど物象としてとらえがたいものを「秋うつすらと空気澄みて」とし、トルコをおそらくシルクロードの通過点ととらえたところの「トルコを過ぎてゆきし文物」とつづけている。さらに音韻というたちまち消えてゆくものとして「サライ」「うつすら」「澄みて」「過ぎて」「ゆきし」と結句へおさまる。このようにみてくると、一首には非在、かそけさ、はかなさ等を底流とする日本の古典に根ざした作者の心性がうかがえる。シルクロード終着点からの旅行者として是非もなく残るもの、過ぎてゆくものをみているのであろう。(慧子)


      (当日意見)
★3、4句目を「て」「て」で繋いでわざわざ字余りにしている。(鹿取)
★「て」を重ねるのは、時間と空間の隔たりを出すため。作者の気持ちが入っている。(T・S)
★「秋うつすらと空気澄みて」に現場感が出ている。この秋の気配をいうだけでよく、レポーター
 のいう日本の古典云々とは関係ない。(曽我)