渡辺松男研究2の15(2018年9月実施)
【〈ぼく〉】『泡宇宙の蛙』(1999年)P75~
参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
111 ぼくはもう居ないんでしょうおかあさん試験管立てに試験管がない
(レポート)
不妊治療のための試みが失敗したらしい。もう居ないものの声によって非在を確認している。その時の「ぼくはもう居ないんでしょうおかあさん」というこの世への執着をまだ持たないであろうものの幼いけれど実に涼しい物言いが不思議で哀切で宇宙的な感じさえする。歌に限らず文学の中に非在者のような胸を打つ物言いをほかにしらない。生命倫理など報道に使われる言葉でこの歌について語れない。(慧子)
(当日意見)
★試験管ベイビーのことかなあ?この一連読んで思ったんだけど、子どもの視線で歌うのがこうい
う一連を歌いやすかったんだろうなって。これはわれの不在なのか非在なのか?非在なんだと思
ったの。不在は社会的だけど非在はもっと根源的なもの。詠みたい非在というものが子どもの視
点でスーと出たのかなあと。試験管立てに試験管がないというのは〈われ〉の非在を詠っている
ので、それはものすごいこと。最初から存在しないものだということを言っているのかしら。
(A・K)
★少し飛躍しますが、芥川龍之介の小説の題名はよく覚えていないのですが、もしかしたら「河童」
だったかな、生まれるかどうか選択できる話なんです。お父さんがお腹の中の子どもに「おーい、
生まれたいか?」って聞くんです、確か。胎児が自分で生まれる、生まれないを選択出来るんで
すよ。小学生の時読んで、ものすごく怖かった。もし、生まれないって選択したら、その時お父
さんに「生まれたくない」って応えた胎児の一瞬というのは命なんだろうか、その命の記憶はど
こにいくんだろうって。もちろん、その時は子どもだから言語化できなかったんだけど、永遠に
非在のものの一瞬の記憶ってどうなるんだろうって。松男さんのこの歌読んで、何か共通性を感
じました。(鹿取)
★この歌の「ぼく」は試験管の中にかつてあった受精卵だと思うんだけど、不妊治療に失敗したら
その「ぼく」でさえ存在できないので、他の子が生まれたんでもう不要になった受精卵かもしれ
ない。もともとぼくはまだ生まれていないわけで、命ではなかったし、もちろん科学的には意識
もありえないんだけど、ぼくが居なくなったことを意識だけが残って意識している、という設定。
(鹿取)
★はい、かつてものすごく小さなものとして試験管立てにあったものは捨てられてしまった。命と
もいえないあったものが記憶力をもって言っている感じですよね。渡辺松男という人は必ず何か
メッセージを込めているんでしょうか?(A・K)
★誰でもそうだけど、一首作るときに何かは言いたいんでしょうね、ただ、こうこうこういうメッ
セージと作者にも明確には意識できないこともあるのでしょうね。これも誰でもそうだけど。こ
れこれこういう言葉の繋がりで一首作って「できた」って思う、でも説明しろって言われたら作
者にだってできない場合はけっこうあると思います。(鹿取)
★体は無いんだけど魂としてのぼくは存在している。私は最初、ぼくって精子のことかと思って、
受精せずに捨てられてゆくぼくたちの事かと。でも、後から受精はしたけど生まれなかったもの
の悲哀かなあと。「試験管立てに試験管がない」って言っただけで命が生まれずに捨てられるっ
て分かるし、巧みだなあと思います。ダイアルを回して丁度のところに年齢を設定している。あ
ざといのではないけど巧み。(真帆)
★メッセージについてですけど、あまり明確ではつまらないですよね。例えばこの歌だと生まれる
前の受精卵にも魂はあるんだよって言いたいというと社会的な狭い主張になっててつまらないで
すよね。もっともやもやがある。亡くなった人の魂を身近に感じることはあるけど、生まれる前
の魂というか言葉をこんなにリアルな手触りでなまなまと伝えた歌って松男さん以外にはないん
じゃないかなって思います。(鹿取)
★ぼくはもう少しで生まれそうだったけど捨てられて、でもずーとお母さんの子どもとしてあると
いうことですかね。(真帆)
★わざわざお母さんと呼びかけているからには、そこに何らかの情を生まれさせているのでしょう
ね。一方にはこの作者の追求癖があるんじゃないですか、この歌も生まれる前の命を遡っている。
お母さんの歌でもどこまでがお母さんか、命かって執拗に追求した歌群がありましたよね。耳と
して木に生えたり、浮遊細菌として空気中を漂っていたり。あまり事実関係で歌を読みたくない
のですが、松男さんは若いときにお母さんを亡くされているので、リアルタイムでの挽歌はあり
ません。だからお母さんを諦めきれない思いももちろんあるんでしょうけど、とても観念的な追
求癖を感じます。宮沢賢治の妹が亡くなったときの挽歌群にも似たような追求癖を感じました。
(鹿取)
★命って数学の答えのように明確なものではなくて、もっとあいまいなものだよって。いくら追求
しても混沌としているって。上句は茫漠とした宇宙みたいで、下句は「試験管立てに試験管がな
い」って理科の実験室のようだけど、その落差が凄い。突き詰めていく作家姿勢でいっても明確
な答えは無いって事ですか。(A・K)
★答えをみつけようとも思っていないんじゃないかなあ。(鹿取)
★最初はレポーターの哀切というのに共感していたのですが、今皆さんのおっしゃっているのを聞
いていて、もっと複雑な思いなんだなあと分かりました。(岡東)
【〈ぼく〉】『泡宇宙の蛙』(1999年)P75~
参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
111 ぼくはもう居ないんでしょうおかあさん試験管立てに試験管がない
(レポート)
不妊治療のための試みが失敗したらしい。もう居ないものの声によって非在を確認している。その時の「ぼくはもう居ないんでしょうおかあさん」というこの世への執着をまだ持たないであろうものの幼いけれど実に涼しい物言いが不思議で哀切で宇宙的な感じさえする。歌に限らず文学の中に非在者のような胸を打つ物言いをほかにしらない。生命倫理など報道に使われる言葉でこの歌について語れない。(慧子)
(当日意見)
★試験管ベイビーのことかなあ?この一連読んで思ったんだけど、子どもの視線で歌うのがこうい
う一連を歌いやすかったんだろうなって。これはわれの不在なのか非在なのか?非在なんだと思
ったの。不在は社会的だけど非在はもっと根源的なもの。詠みたい非在というものが子どもの視
点でスーと出たのかなあと。試験管立てに試験管がないというのは〈われ〉の非在を詠っている
ので、それはものすごいこと。最初から存在しないものだということを言っているのかしら。
(A・K)
★少し飛躍しますが、芥川龍之介の小説の題名はよく覚えていないのですが、もしかしたら「河童」
だったかな、生まれるかどうか選択できる話なんです。お父さんがお腹の中の子どもに「おーい、
生まれたいか?」って聞くんです、確か。胎児が自分で生まれる、生まれないを選択出来るんで
すよ。小学生の時読んで、ものすごく怖かった。もし、生まれないって選択したら、その時お父
さんに「生まれたくない」って応えた胎児の一瞬というのは命なんだろうか、その命の記憶はど
こにいくんだろうって。もちろん、その時は子どもだから言語化できなかったんだけど、永遠に
非在のものの一瞬の記憶ってどうなるんだろうって。松男さんのこの歌読んで、何か共通性を感
じました。(鹿取)
★この歌の「ぼく」は試験管の中にかつてあった受精卵だと思うんだけど、不妊治療に失敗したら
その「ぼく」でさえ存在できないので、他の子が生まれたんでもう不要になった受精卵かもしれ
ない。もともとぼくはまだ生まれていないわけで、命ではなかったし、もちろん科学的には意識
もありえないんだけど、ぼくが居なくなったことを意識だけが残って意識している、という設定。
(鹿取)
★はい、かつてものすごく小さなものとして試験管立てにあったものは捨てられてしまった。命と
もいえないあったものが記憶力をもって言っている感じですよね。渡辺松男という人は必ず何か
メッセージを込めているんでしょうか?(A・K)
★誰でもそうだけど、一首作るときに何かは言いたいんでしょうね、ただ、こうこうこういうメッ
セージと作者にも明確には意識できないこともあるのでしょうね。これも誰でもそうだけど。こ
れこれこういう言葉の繋がりで一首作って「できた」って思う、でも説明しろって言われたら作
者にだってできない場合はけっこうあると思います。(鹿取)
★体は無いんだけど魂としてのぼくは存在している。私は最初、ぼくって精子のことかと思って、
受精せずに捨てられてゆくぼくたちの事かと。でも、後から受精はしたけど生まれなかったもの
の悲哀かなあと。「試験管立てに試験管がない」って言っただけで命が生まれずに捨てられるっ
て分かるし、巧みだなあと思います。ダイアルを回して丁度のところに年齢を設定している。あ
ざといのではないけど巧み。(真帆)
★メッセージについてですけど、あまり明確ではつまらないですよね。例えばこの歌だと生まれる
前の受精卵にも魂はあるんだよって言いたいというと社会的な狭い主張になっててつまらないで
すよね。もっともやもやがある。亡くなった人の魂を身近に感じることはあるけど、生まれる前
の魂というか言葉をこんなにリアルな手触りでなまなまと伝えた歌って松男さん以外にはないん
じゃないかなって思います。(鹿取)
★ぼくはもう少しで生まれそうだったけど捨てられて、でもずーとお母さんの子どもとしてあると
いうことですかね。(真帆)
★わざわざお母さんと呼びかけているからには、そこに何らかの情を生まれさせているのでしょう
ね。一方にはこの作者の追求癖があるんじゃないですか、この歌も生まれる前の命を遡っている。
お母さんの歌でもどこまでがお母さんか、命かって執拗に追求した歌群がありましたよね。耳と
して木に生えたり、浮遊細菌として空気中を漂っていたり。あまり事実関係で歌を読みたくない
のですが、松男さんは若いときにお母さんを亡くされているので、リアルタイムでの挽歌はあり
ません。だからお母さんを諦めきれない思いももちろんあるんでしょうけど、とても観念的な追
求癖を感じます。宮沢賢治の妹が亡くなったときの挽歌群にも似たような追求癖を感じました。
(鹿取)
★命って数学の答えのように明確なものではなくて、もっとあいまいなものだよって。いくら追求
しても混沌としているって。上句は茫漠とした宇宙みたいで、下句は「試験管立てに試験管がな
い」って理科の実験室のようだけど、その落差が凄い。突き詰めていく作家姿勢でいっても明確
な答えは無いって事ですか。(A・K)
★答えをみつけようとも思っていないんじゃないかなあ。(鹿取)
★最初はレポーターの哀切というのに共感していたのですが、今皆さんのおっしゃっているのを聞
いていて、もっと複雑な思いなんだなあと分かりました。(岡東)